「上からの知恵に適う生き方」:2023年11月5日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の音声はこちら)。

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導入

皆さんは人生の中の「試練」と聞くと、どのような試練を思い浮かべますか?

私たちが

日常生活の中で直面する「試練」の多くは自分たちの個人的な思い・願いを実現しようとするときに遭遇する試練

ではないかと思います。

対して、

聖書の語る「試練」は自分たちの思い・願いではなく、神様の思い・願いを実現しようとするときに遭遇する試練

だと言えます(参照:ヤコブの手紙1章2-4節)。

今日の聖書個所の中には二種類の「知恵」が出てきます。

その一つは

「上からの知恵」(3章17節)、つまりは神様によって与えられる知恵

です(参照:1章5, 17節)。もう一つの知恵は

神様以外のものから出た知恵(3章15節)

です。かなり大雑把な言い方にはなりますが、

神様によって与えられる知恵によって、私たちは神様の思い・願いを実現しようとするときに遭遇する試練を乗り越える

ことができます。対して、

神様以外のものから出た知恵によって、私たちは自分の思い・願いを実現しようとするときに遭遇する試練を乗り越える

ことができると言えると思います。

今日はこの二つの知恵の違いに着目しながら、

神様が私たちクリスチャンにどのように生きることを願っていらっしゃるか?

を見ていきましょう。

知恵と柔和な行い

まず今日の聖書個所の始めにあるヤコブの手紙3章13節を読むと、ヤコブが手紙を宛てた人々の中には

自分には知恵と分別があり、人々を教え導く教師にふさわしいと思っている人たちがいた

と想像できます(参考:3章1節)。そのような人たちに対してヤコブは

良い生き方によって、知恵に適う柔和な行いを示すように

勧めています(3章13節)。

ここでヤコブは

知恵と柔和な行いを結び付けています

が、これは当時の人々も含め、現代の私たちにとって少し意外な言葉だと思います。

世的な知恵・知識は「柔和な行い」と無関係な場合がほとんどだと思うからです。

知恵と妬みと利己心

世的な知恵・知識、即ち、この世を上手に生きるための処世術というのは基本的に個人的な思い・願いを満足させるためのものです。

ある意味、

嫉妬深い人や利己心の強い人ほど、自分の思い・願いを満たすために貪欲に知恵や知識を得ようとする

と言えるかもしれません。

そのように自分の思い・願いを満たすために貪欲に知恵や知識を得て、周りからは知恵と分別があるように見えている人々に対してヤコブは、

誇ったり、真理に逆らって偽りを言ったりしてはならない

と勧めています(3章14節)。

また、

利己的な思いを満たす知恵・処世術のあるところには無秩序や悪い行いも伴います(3章16節;比較:2章1節; 3章10節; 4章1-2, 11, 16節; 5章6節)。

そのような世的な知恵をヤコブは「悪魔から出たもの」(3章15節)とさえ言っています。

知恵と神の義

ヤコブはヤコブの手紙3章17-18節において、3章13節の「知恵に適う柔和な行いを示す良い生き方」を詳しく説明しています。実際、

神様から与えられる知恵に従って生きるとき、その生き方は清く平和で、公正かつ従順、そして憐れみと良い実りに満ちて偏見も偽善もないものになる

とヤコブは記します。さらに、

神様から与えられる知恵に従って生きる人は「平和をもたらす人」(3章18節)であって、彼らによって平和のうちに「義の実」が蒔かれる

とヤコブは語ります。

ここでヤコブの語る「義」というのは、当時の人々の状況と前後の文脈を考えると「社会正義」を意味していると考えられます。

平和をもたらす人々、即ち、神様から与えられる知恵に従って生きる人々によって蒔かれた「義の実」が花開くとき、

そこには

平和、公正、従順、憐れみが満ち、偏見や偽善もありません(3章17-18節)。
みなしごややもめが虐げられることもありません(1章27節)。
貧しい人たちが差別されることもありません(2章1-6節)。
神様は私たちクリスチャンを通して、今のこの世の中にこのような社会正義、「神の義」をもたらそうとされています(比較: 1章20節)。

結論

この世の中には二種類の知恵があります。

一つ目は

神様から与えられる知恵で、神様の思い・願いを実現しようとするときに欠かせない知恵

です。

もう一つは

神様以外のものから出た知恵で、主に自分の思い・願いを実現しようとするときに役立つ知恵

です。

これら二つの知恵の決定的な違いは、その知恵がもたらす結果です。

神様から与えられた知恵に従って生きる人は柔和な行いによって平和をもたらします

その生き方は清く、公正かつ従順、そして憐れみと良い実りに満ちて偏見も偽善もないものです。

対して、神様以外から出る知恵により頼もうとする人は妬みや利己心によって秩序・平和を乱します

その生き方は悪く、不正かつ対立、そして悪口と偏見、偽善に満ちています。

ここで重要なのは

何・誰を第一にしているか?

また、

何・誰により頼もうとしているか?

です。

あなたは人生において何・誰を第一にしていますか?

神様ですか。

家族ですか。

仕事・学校ですか。

それともあなた自身ですか。

神様はあなたに神様の思い・願いを第一にするように願っておられます。
神様以外から出る知恵ではなく、神様が与えてくださる知恵により頼むように願っておられます。
神様・イエス様と共にこの地に神様の望まれる社会正義、「神の義」をもたらすように願っておられます。

と言われても、

神様を第一にすることがなかなかできないんだけど…

という方は少なくないのでないかと思います。特に

日常生活の忙しさに追われ、なかなか神様のことを考える余裕がない

という方は多いと思います。

けれども、神様を第一にするというのは、ただ教会に来て賛美礼拝したり、聖書を読んだり、祈ったりすることだけを意味する訳ではありません。

神様を第一にするというのは、生活のあらゆる面で自分の思いではなく神様の思いを優先すること

です。

その時々の状況において、神様の思いが何かを見極め、自分の思いではなく神様の思いを選び取っていく

ことが必要です。

そのために必要な知恵を神様は私たちに与えてくださいます(参考:1章5節)。

是非、

生活のあらゆる局面において、神様に祈る習慣をつけてみてください。

長く祈る必要はありません。

「神様、どうすればよいですか」

「神様、助けてください」

といった短い祈りで構いません。

ただ、その祈りの機会をたくさん取るように心がけてみてください。

そして、実際に神様の助けによって試練を乗り越えることができた時には

「神様、有難うございます」

「神様、やはりあなたは頼りになるお方です」

と神様に感謝と賛美を捧げてみてください。

そうすることで、

神様とあなたとの距離がどんどん近くなっていき、より自然な形で神様のことを第一にできるようになっていきます。

もう一つ、神様を第一にすることが難しい理由としてはやはり、

私たちの中には罪深い性質が残っている

ことが挙げられます。

今日の聖書個所で言えば、それは例えば妬みや利己心といったものです。

私たちが妬みを覚えたり、利己的な思いに駆られたりするのは心のどこかで

「何か満たされていない」

と感じているからではないかと思います。

このような心の渇きが世の中の知恵や人間関係で完全に満たされることはありません。

私たち人間の心の奥底にある渇きを完全に満たすことができるのは神様の愛だけ

です。

神様はあなたがこの世の知恵・知識を沢山身に着けたから愛してくださる訳ではありません。

人々を分け隔てなく愛するから愛してくださる訳でもありません。

教会の礼拝にたくさん出席したから、献金を沢山捧げたから、奉仕を沢山するから愛してくださる訳でもありません。

神様はたとえあなたが何もできなくても、何も知らなくても、あなたの存在そのものを何物にも代えがたいほどに愛してくださっています。

たとえあなたが神様に敵対することがあったとしても神様のあなたに対する愛が変わることはありません。

たとえあなたが神様を裏切るような行動を取ったとしても、神様のあなたに対する愛が変わることはありません。

もちろん、神様はあなたが神様の望んでいない行動を取ったときには、その都度、悔い改めて神様のもとに立ち返ることを望んでいらっしゃいます。

けれども、

神様のあなたに対する愛はあなたが何をしようとも、どんなことが起きようとも、決して変わることはありません。

今一度、

イエス様の十字架に表されている神様の変わることのない愛を思い起こしてください。

他の人があなたをどう思うとも、神様はあなたを愛しておられます。

他の人がどれほどあなたを傷つける言葉を吐いたとしても、神様はあなたを高価で尊い存在だとおっしゃってくださっています。

この世の中で生きるのが辛く、悲しく、苦しいとき、イエス様の十字架を見上げてください。

何があろうとも、どんなことが起きようとも、イエス様があなたを見捨てることは決してありません。

それほどまでにあなたを大切に思っていてくださる神様・イエス様にほんの少しだけ、注意を向けてみてください。

きっと

神様のはかり知れない愛と憐れみに気付かされる

ことでしょう。

参考文献および注釈

  • McCartney, Dan G. James. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich., 2009.
  • McKnight, Scot. The Letter of James. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans Pub. Co., 2011.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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