イエス・キリストは実在したのか?証拠は?聖書以外で証明できる?

では、質問です。

世界の三大宗教は何でしょう?

日本では神道や仏教の影響が強いので「世界三大宗教」と言われてもピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。が、正解は

キリスト教にイスラム教、そして仏教

です。1

なお、全世界の信者数でいうと、2015年の時点でキリスト教徒は約23億人、イスラム教徒は約18億人、仏教徒は約5億人だそうです。2

では、

三大宗教それぞれを始めた人、創始者・開祖は誰でしょう?

こちらは歴史の授業などで習った方もいらっしゃると思います。正解はそれぞれ

イエス、ムハンマド(マホメット)、ゴータマ・シッダールタ(釈迦牟尼)

となります。3

あれ、仏教って『お釈迦さん』が始めたんじゃなかったっけ!?

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、「お釈迦さん=ゴータマ・シッダールタ」でもよいのですが、「釈迦」というのは本当は名前ではなく、広辞苑(第五版)によると「古代インドの一種族」のこと。

そして、「牟尼(むに)」というのは、同じく広辞苑によると「インドで、山林に在って心を修め道を修する者の称。仙人。聖人」とあります。従って、「釈迦牟尼」とは本来、「釈迦族の聖人」という意味。それがいつしか仏教の開祖ゴータマ・シッダールタを指すようになったようです。

いずれにせよ、歴史の教科書にも名前が出て来るくらいですから、イエスもムハンマドもゴータマ・シッダールタも実在した人物だと考えたくなります。

が、しかし、です。

実際にそれらの宗教の聖典(キリスト教だと聖書、イスラム教ならコーラン、仏教は経典)と呼ばれるものを読んでみると、超自然的な出来事が色々と書かれている訳です。

例えば、お釈迦さんについて、「高野山真言宗常光円満寺」のサイトには以下のように書いてありました。

釈迦は生まれてすぐに七歩あるき、「天上天下唯我独尊」といわれました。すべての世界で私にまさるものはないという意味です。

引用: “【仏教の心得】如来”

えぇー、生まれてすぐに七歩歩いて、しかも言葉をしゃべるなんてあり得ないよねぇ

という声が聞こえてきそうですが、このような不思議な出来事が記されているのを見聞きしていると、次第に

こんなことできる人って本当にいたの?全て作り話なんじゃない?

という気分になってきます。

イエスについても、聖書にはかなり不思議な話がたくさん出てきます。例えば、

  • 悪霊を言葉一つで追い出す(マルコの福音書1章21-28節)
  • 重い皮膚病を患っている人を言葉一つで癒す(マルコの福音書1章40-45節)
  • 中風の人を言葉一つで癒す(マルコの福音書2章1-12節)
  • 手の萎えた人を言葉一つで癒す(マルコの福音書3章1-6節)
  • 激しい突風を言葉一つで静める(マルコの福音書4章35-41節)
  • 死人を言葉一つで生き返らせる(マルコの福音書5章35-43節)
  • 湖の上を歩く(マルコの福音書6章45-51節)
  • 十字架で死んだ後、墓に葬られて三日後によみがえる(マルコの福音書16章1-8節)

このような超自然的な出来事がたくさん記されているのをみると、やはり

イエスって本当にいたの?全て作り話なんじゃない?

と思う方は多いと思います。

というわけで、今回のテーマは

イエス・キリストは実在したのか?

特に、

聖書以外の文献(古文書)でイエス・キリストが実在したことを証明するものはあるか?

をみていきます。

話の流れ(目次)は以下の通り。

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聖書以外の文献(古文書)にみるイエス

聖書以外の文献とはいえ、イエスが生きたとされる時代から時間が経てば経つほど、その歴史的信憑性は薄れてきます。従って、ここではイエスが死んだとされる年代から100年以内の文献に限って話を進めます。

なお、イエスが死んだのは紀元後30年頃とされていますので、紀元後130年以内に書かれた文献のみをみていきます。4

ユダヤ人の歴史家ヨセフス(Josephus)

イエスについて記されている聖書が以外の文献で、現在分かっている最も古いものは、ユダヤ人の歴史家ヨセフス(Josephus; 紀元後37-100年頃)が紀元後93年頃に書いた「ユダヤ古代史(The Antiquities of the Jews)」イエスの死後60年ほど経ったときに書かれた文献となります。5

The romanticized woodcut engraving of Flavius Josephus appearing in William Whiston's translation of his works. By William Whiston (originally uploaded by The Man in Question on en.wikipedia.org) - https://sites.google.com/site/josephuspaneas/, Public Domain, Link

その中に二か所、イエス(キリスト)の名前が登場します。
一つ目は、イエスの兄弟ヤコブと他の何人かが殉教したことを記した以下の箇所。

he [Ananus, the high priest] assembled the sanhedrim of judges, and brought before them the brother of Jesus, who was called Christ, whose name was James, and some others, [or, some of his companions]; and when he had formed an accusation against them as breakers of the law, he delivered them to be stoned.

引用: Josephus, “Book XX,” in The Antiquities of the Jews, trans. William Whiston (London, New York, and Melbourne: Ward. Lock & Co., Limited, 1879), 529–530.

私訳で失礼すると

「彼(ユダヤ教の大祭司アナヌス)は最高法院を招集し、キリストと呼ばれたイエスの兄弟ヤコブと他の数名(もしくは彼の仲間内の数名)を呼び出した。そして彼らを律法を破った咎で訴え、彼らに石打ちの刑(死刑)を宣告した。」

もう一つは、以下のような内容です。

Now there was about this time Jesus, a wise man, if it be lawful to call him a man; for he was a doer of wonderful works, a teacher of such men as receive the truth with pleasure. He drew over to him both many of the Jews and many of the Gentiles. He was [the] Christ. And when Pilate, at the suggestion of the principal men amongst us, had condemned him to the cross, those that loved him at the first did not forsake him; for he appeared to them alive again the third day; as the divine prophets had foretold these and ten thousand other wonderful things concerning him. And the tribe of Christians, so named from him, are not extinct at this day.

引用: Josephus, “Book XVIII,” in The Antiquities of the Jews, trans. William Whiston (London, New York, and Melbourne: Ward. Lock & Co., Limited, 1879), 474.

またまた私訳で失礼すると

「さて、この頃、イエスという知恵に富んだ人がいた。しかし、彼を人と呼ぶのが適当かどうかは分からない。なぜなら彼は、喜びをもって真理を悟った教師にふさわしく、素晴しいことをたくさん行ったからである。イエスのもとにはユダヤ人と共に異邦人(非ユダヤ人)も数多く集まった。彼はキリストであった。私たちの(ユダヤ人)指導者たちの訴えによって、ピラトが彼を十字架につけたとき、彼を愛していた者たちは彼を見捨てることはなかった。彼が(死んで)三日目に生き返り、彼らのもとに現れたからである。これらのこと、およびそれ以外のイエスに関する非常に多くの素晴しい出来事は、神の預言者たちが予め告げ知らせていたことである。そして、彼にちなんでクリスチャンと呼ばれた集団は現在に至るまで途絶えてはいない。」

ここに「彼(イエス)はキリストであった」という記述がありますので、「ヨセフスは実はクリスチャンだったのか」と思いたくなります。

が、しかし、彼の他の作品集を見る限り、ヨセフスがイエスをキリスト(救い主)だと認めてクリスチャンになったということは考えにくいようです。従って、上記の記述は後世のクリスチャンが書き換えたものとする見方が妥当とされています。6

従って、残念ながら、「ユダヤ古代史(The Antiquities of the Jews)」の中に出て来る二つ目の記述内容の信憑性は非常に乏しいということになります。

とはいえ、ヨセフス自身はこの箇所でイエスについて何かを言及していたのは確かだと思われます。残念ながら、その「何か」を知る術は今となっては残されていませんが…。7

ローマの歴史家タキトゥス(Tacitus)

ヨセフスの次に古い文献は、ローマ時代の歴史家タキトゥス(Tacitus、55年頃―120年頃)が記した「年代記(Annals)」。これは110年頃の作品と言われていますので、イエスの死後80年ほどが経っています。8

その中に以下の文章があります。

Christus, from whom the name had its origin, suffered the extreme penalty during the reign of Tiberius at the hands of one of our procurators, Pontius Pilatus

引用: Tacitus, “The Annals (From the Passing of the Divine Augustus),” trans. Alfred John Church and William Jackson Brodribb, Translated in 1876, 15. 44.

私訳で失礼すると

その(クリスチャンという)名前の由来となっているクリストゥス(訳注:キリストに同じ)は、ティベリウス帝の治世時、我らが長官の一人ポンティウス・ピラトゥス(訳注:ポンテオ・ピラトに同じ)の手によってあの極刑を受けた

となります。

ちなみに、上記の引用は以前に書いた下記の記事でも紹介しています。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?②―十字架の政治的・ユダヤ教的理由―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの二つ目。当時の政治的・宗教的指導者がイエスを処刑した理由は何か。「表向きの理由」の背後には、隠された「本当の理由」があったのかを考察・検証します。

ローマの歴史家小プリニウス(Pliny, the younger)

タキトゥスと同じ頃の人物で小プリニウス(Pliny, the younger)というローマ時代の歴史家がいます。

Statue of Pliny the Younger on the façade of Cathedral of S. Maria Maggiore in Como. By Wolfgang Sauber - Own work, CC BY-SA 3.0, Link
小プリニウスはローマ帝国のビシニア(Bithynia)地方を治めていた時、クリスチャンに対する処遇(棄教しなければ死刑かどうか)に関してアドバイスを求めるため、時の皇帝トラヤヌス(Trajan)に手紙を書いています。その手紙は112年に書かれたとされています。9

その中に次のような記述があります。

they [Christians] were wont, on a stated day, to meet together before it was light, and to sing a hymn to Christ, as to a god, alternately

引用: Pliny the Younger, “Primary Sources - Letters Of Pliny The Younger And The Emperor Trajan | From Jesus To Christ | FRONTLINE | PBS,” trans. William Whiston, accessed April 23, 2018.

「彼ら(クリスチャンたち)は、定められた日の夜明け前に共に集まって、キリストそして神に交互に讃美歌を歌うのを常としていました。」(私訳)

ローマの歴史家スエトニウス(Suetonius)

最後は、120年頃に「ローマ皇帝伝(Life of Emperor Claudius)」を書いたスエトニウス(Suetonius)10 彼は以下のように記しています。

Since the Jews constantly made disturbances at the instigation of Chrestus, he [Claudius] expelled them from Rome.

引用: Gaius Suetonius Tranquillus, “The Lives of the Twelve Caesars,” trans. J. C. Rolfe, n.d.

こちらも訳すと

「クレストゥスに煽られてユダヤ人たちは絶えず騒ぎを起こしたので、彼(クラウディウス帝)は彼らをローマから追放した。」

ここで「クレストゥス(Chrestus)」という人物が出てきていますが、この名前は当時の奴隷たちの間でよく見られた名前だったようです。従って、「キリスト」を意味する「クリストゥス(Christus)」という肩書きに馴染みのなかったであろうスエトニウスが誤って、一字違いの「クレストゥス(Chrestus)」と記したのだろうとするのが学者たちの一般的な見解のようです。11

ちなみに、「クラウディウス帝がユダヤ人たちをローマから追放した」というのは、聖書(使徒の働き18章2節)の記述とも合致する内容です。

ただし、聖書およびタキトゥスの記述に従うと、クラウディウス帝の治世(紀元後41-54年)にはイエスは既に死んでいたはずですので、「イエスに煽られて」というよりは「クリスチャンに煽られて」とするのが実態に近いのかもしれません。

参考まで、この他にも2-3世紀のローマ時代の文献において、イエスもしくはキリストに関する記述があるものが見つかっています。しかし全体として、イエス・キリスト個人を扱った内容は表面的で、クリスチャンに対する興味・関心の方がはるかに強いようです。12

また、ユダヤ教の教師が残した文献にもイエスおよびキリスト教に関する記述が残されています。しかし、それらは比較的新しい年代(3世紀以降)に書かれたもので、ユダヤ人のキリスト教に対する考え方や態度を理解するためには有用ですが、その歴史的信憑性は薄いと思われます。13

まとめ

今回は「イエス・キリストは実在したのか?」について、特に「聖書以外の文献(古文書)でイエスが実在したことを証明するものはあるか?」をみてきました。

なお、年代が新しくなると信憑性も薄くなってきますので、イエスが死んだとされる年代から100年以内(紀元後130年以内)に書かれた文献に限って話を進めました。

そして、決して多いとは言えないながら、少なくとも4つの文献にイエス(もしくはキリスト)に関する記述があることが分かりました。その4つとは以下の通り。

作者作品名作成年
ヨセフス(Josephus)ユダヤ古代史(The Antiquities of the Jews)93年頃
タキトゥス(Tacitus)年代記(Annals)110年頃
小プリニウス(Pliny, the younger)プリニウスの書簡(Letters of Pliny)112年
スエトニウス(Suetonius)ローマ皇帝伝(Life of Emperor Claudius)120年頃

ただし、タキトゥス、小プリニウス、スエトニウスの三人は皆、「イエス」という名前ではなく「キリスト(救い主)」という肩書きを記しています(それが肩書きだったということを三人が認識していたかどうかは分かりません)。

従って、厳密には、この三人の文献だけからはイエスという名前の人物が存在したかどうかを証明することはできません。

しかしながら、最も古いヨセフスの文献の中に「キリストと呼ばれたイエス」とありましたので、「キリスト=イエス」としても良いと思われます。

総じて、イエスが死んだとされる年代から100年以内に書かれた聖書以外の上記4つの文献から、以下のことが分かります。

  • 「クリスチャン」と呼ばれる集団がユダヤ人たちの中にいてローマ帝国を悩ませていた
  • 「クリスチャン」という名前の由来となっている「キリスト」と呼ばれる(肩書を持った)人物が存在し、クリスチャンたちはキリストおよび神を崇めていた
  • キリストと呼ばれるイエスはティベリウス帝の時代にポンテオ・ピラトの手によって極刑(十字架刑)を受けた

もう一つ、特筆すべきことがあります。

それは、古代の「歴史」はもっぱら政治家や軍人、高位を占める宗教家に関する記録だったということ。裏を返せば、

古代の歴史家たちにとって、イエスまたはキリスト教(クリスチャン)に関することは異質なもの、つまりは、よっぽどの理由がないと書くことのない類のもの

と言えます。

そのような古代の歴史家たちの裏事情(?)を考えると、古代の文献にイエスもしくはキリストという名前が(決して多いとは言えないものの)確かに書き記されているということは、驚きであると同時に意味深いものであると言えるかもしれません。14

参考文献および注釈

  1. 詳細は下記を参照。“世界三大宗教,” Wikipedia, November 30, 2017, accessed April 26, 2018, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%AE%97%E6%95%99&oldid=66470366.
  2. ちなみに、信者の数だけなら「無宗教(unaffiliated;中国の共産主義を含む)」の約12億人、ヒンズー教の約11億人の方が仏教よりも多いようです。Conrad Hackett and David McClendon, “Christians Remain World’s Largest Religious Group, but They Are Declining in Europe,” Pew Research Center, April 5, 2017, accessed January 24, 2018, http://www.pewresearch.org/fact-tank/2017/04/05/christians-remain-worlds-largest-religious-group-but-they-are-declining-in-europe/.
  3. それぞれの人物の簡単な紹介は、例えば下記を参照。“世界三大宗教比較図 | Bible Learning,” accessed April 26, 2018, http://biblelearning.net/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%AE%97%E6%95%99%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%9B%B3/
  4. イエスがいつ死んだかについての詳しい議論は、例えば下記を参照。Craig L. Blomberg, Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey, second edition. (Nashville, Tenn.: B & H Academic, 2009), 225–226.
  5. S. Mason, “JOSEPHUS: VALUE FOR NEW TESTAMENT STUDY,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 597.
  6. 詳細は下記を参照。Blomberg, Jesus and the Gospels, 434.
  7. なお、この前後の文脈はローマの体制やユダヤ人たちの愚行に非常に批判的な内容となっています。従って、この箇所には元々、キリスト(救い主)を自称したイエスとその信者たちの存在をもう一つの「厄介者(disturbance)」として紹介する記述があったであろうと考えることもできます。詳細は下記を参照。C. A. Evans and R. E. Van Voorst, “JESUS IN NON-CHRISTIAN SOURCES,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 415.
  8. Ibid., 416.
  9. 詳細は下記を参照。Pliny the Younger, “Primary Sources - Letters Of Pliny The Younger And The Emperor Trajan | From Jesus To Christ | FRONTLINE | PBS,” trans. William Whiston, accessed April 23, 2018, https://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/religion/maps/primary/pliny.html.
  10. Evans and Van Voorst, “JESUS IN NON-CHRISTIAN SOURCES,” 416.
  11. Evans and Van Voorst, “JESUS IN NON-CHRISTIAN SOURCES,” 416.
  12. 詳細は下記を参照。ibid.
  13. 興味のある方は下記を参照。Blomberg, Jesus and the Gospels, 432–434; Evans and Van Voorst, “JESUS IN NON-CHRISTIAN SOURCES,” 416–418.
  14.  Blomberg, Jesus and the Gospels, 435.
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