礼拝説教の要旨です(実際の礼拝説教の音声はこちらから)。
- 日時:2020年5月24日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)(オンライン礼拝)
- 説教タイトル・テーマ:「まずは認めるところから」
- 聖書個所:創世記38章1-30節1
導入
今日の聖書個所にはヨセフは一度も登場しません。
しかし、創世記37章から50章に出てくる「ユダの話」に着目すると欠かすことのできない話が出てきます。
ユダという人物は自分の思いや考えを第一に優先する、かなり自己中心的な人物でした。しかし、
その手がかり・ヒントをくれるのが今日の聖書個所です。
自分を第一に優先するユダ
創世記において、アブラハムの一族が同族以外の者と結婚することはあまり良いこととして描かれていません(比較:創世記28章1節)。
ですから、父ヤコブとしては恐らく、自分の息子たちにもカナン人の娘を妻としてめとってほしくなかったと思われます。
にもかかわらず、ユダはカナン人の妻をめとります(38章2節)。そのはっきりとした理由は分かりませんが、
の態度が見て取れます。
その後、ユダにはエル、オナン、シェラという三人の息子が生まれます(38章3-5節)。
そして長男のエルはタマルという女性と結婚します(6節)。が、彼は主の目に悪いことを行ったため死んでしまいます(7節)。
するとユダは次男オナンに死んだ兄の妻との間に子孫を残して、兄弟としての義務を果たせと言います(8節)。
でした(参考:創世記17章3-8、19節; 26章3-5節; 28章13-16節)。
このため、
と言えます(比較:申命記25章5-10節)。
この意味で、オナンが兄エルの跡取りを残そうとしないことは神様に対する罪とされ、オナンは死んでしまいます(創世記38章10)。
タマルと結婚した二人の息子が立て続けに死んでしまった中、
神様を取るか息子を取るか、ユダにとって、究極の決断と言えるかもしれません。
結果、ユダは神様ではなく息子シェラを選びました(14節)。
けれども、他の二人の息子が死んだときに涙一つ流した様子が記されていないことを考えると、
のかもしれません。
罪を認め悔い改めるユダ
そうこうするうちにユダの妻が亡くなります。
そして、妻の喪が明けて間もなく、ユダは売春婦に化けたタマルと関係をもったことが記されています(創世記38章12-19節)。ここには、
の姿が見て取れます。
です(申命記22章13-29節)。
婚約中であれ、婚約者以外の男性と関係をもつならば、二人とも石打ちで死罪です(申命記22章23-24節)。
息子の妻と関係をもつならば、どちらも死罪にあたります(レビ記20章12節)。
タマルの場合、形の上ではユダの三男シェラとの結婚が約束されていました(創世記38章11節)。このため、「婚約者」シェラ以外の男性と関係をもつことで死罪とされても文句は言えません(比較:24節)。
ユダの場合、ただの売春婦だと思っていた相手が息子の妻タマルだった訳です。姦淫の罪でタマルが死刑にあたるならばユダ自身も死刑を免れません。
しかも、ある意味、
訳です。
言い逃れはできません。
のです(26節)。
その後、ユダとタマルが再び性的な関係を持つことはありませんでした(26節)。
恐らく、タマルとの性的関係はユダにとって過去の自分の過ち、特に自らの自己中心性を思い起こさせるものではなかったかと思われます。
ですから、タマルとそれ以降再び関係をもたなかったということから、
であろうことが見て取れます。
自分よりも他人を優先するユダ
ここで、この出来事が起きた時のヨセフの年齢を考えてみます。
ヨセフがエジプトに売り渡されたのは彼が17歳の時です(創世記37章2節)。
「その頃」ユダは兄弟のもとを離れて結婚し、三人の息子が生まれました(38章1-2節)。
ここからはあくまでも私の勝手な想像の話ですが、ヨセフがエジプトに売り飛ばされてユダが結婚するまで一年が経ち、それから一年おきに息子が生まれたと仮定すると、三男シェラが生まれたのはヨセフが売り飛ばされてから4年経った頃となります。ヨセフは21歳です。
当時の結婚適齢期は定かではありませんが、仮に15歳から結婚できたとすれば、ユダがタマルと関係をもった(シェラが15-6歳になった)とき、ヨセフは36-7歳だったということになります。
この頃、エジプトでは7年間の豊作が終わり、7年間の飢饉が始まろうとしていました(参考:41章46、53-54節)。
この飢饉はエジプトだけでなくヤコブ一家が住んでいたカナンの地も襲います。そこでユダたちは食料を求めてエジプトを訪れ、ヨセフとは知らずにヨセフの前にひれ伏し食料を買い求めようとします(42章6節)。
従って、私個人の勝手な想定を多分に含みますが、
と考えることができます(比較:46章12節)。
彼は同じ父親の血を分けた弟ヨセフに対する憎み妬みに駆られて、ヨセフを売り飛ばし、父を騙し欺きました。
また、カナン人と結婚することを嫌っていたであろう父親の気持ちを顧みることなく、カナン人の女性と結婚します。
二人の息子が死んだ時、彼は涙することもなく、神様の望まれることよりも自分の財産を守ることを優先しました。
さらに、自分の妻に対してさほど深い愛情もなく、妻の喪が明けて間もなく自らの性的欲求を満足させるために売春婦と関係をもちました。
弟に父親、息子に妻、自分の周りにいる近しい人たちよりも自分の思い・考えを優先させてきたユダ。そんな彼が
のです(参照:44章33-34節)。
結論
その理由は恐らく、
から(創世記38章26節)。そして、
からだと思います。
そこからユダの新しい人生が始まったのです。
他人を変えることはもちろん、自分のこともなかなか変えることができません。
何度となく同じ失敗・過ちを繰り返していると自分は生きている価値や値打ちがないのではないかと思いたくなってきます。
自分を信頼してくれている人の期待を何度も裏切ってしまうことで、相手から見放され、突き放され、誰も相手にしてくれなくなってしまうことがあるかもしれません。
でも、決して忘れないでください。
です。
のです。
と聖書は語ります。
それほどまでに愛してくださっているとはいえ、
神様はあなたにイエス様のように生きてほしいと願っていらっしゃいます。そして、そのために必要な力と助けを与えるべく、神様の御霊である聖霊があなたのうちに宿ってくださっているのです。
あなたに求められていること。それは
です。
でも、だからといって神様があなたを見放すこともありません。そんな不完全なあなたの全てを神様は愛し受け入れてくださっているのです。
何度となく同じ罪・過ちを犯したとしても、神様はその都度、あなたがその罪・過ちを認め、悔い改めることを願っていらっしゃいます(ヨハネの手紙一1章5-10節)。
そこから変革が始まります。
参考文献および注釈
- Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
- Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
- Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.