「それでも、共におられる神」:2020年6月7日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です。

緊急事態宣言は解除されましたが、Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では6月7日(日)までオンラインで日曜礼拝を行っています。
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導入

今は誰もが将来に対する不安と恐れを抱く状況にあります。

このような状況にあって、なぜ神様は何もしないのだろうか?
神様はなぜこのような状況が起こるのを許しておられるのだろうか?
ひょっとしたら、神様は自分を見捨てたんじゃないか・・・

といった疑問や思いを抱く方は多いのではないでしょうか。

状況は全く異なるとはいえ、今日の聖書個所に出てくるヨセフも恐らく、そのような疑問や思いをもっていたように思います。でも、

神様はそんなヨセフと共におられ、彼を通して御自分の計画を成していかれました。

今日の聖書個所を通して、神様がどのようなお方かを再確認したいと思います。

不安と恐れを共にする神

今日の聖書個所に出てくる主な登場人物はヨセフを除くと二人です。二人ともエジプトのファラオに仕える宮廷の役人で、一人は献酌官長もう一人は料理長でした(創世記40章1-2節)。

二人は主君であるエジプトの王に過ちを犯したために監獄に入れられます(1-3節)。そして、王の親衛隊長はヨセフに二人の世話を任せます(4節)。

すると彼らは同じ夜にそれぞれ不思議な夢を見ます(5節)。

それらの夢をヨセフは見事に解き明かし、その通りの出来事が起きます(12-22節)。

が、しかし、献酌官長はヨセフのことを思い出すことなく忘れてしまう、というのが今日の話の顛末です(23節)。

この話の中におけるヨセフの気持ちを少し想像してみたいと思います。

ヨセフは17歳のとき、兄たちに売り飛ばされエジプトで奴隷生活を始めます(創世記37章2節)。それまで何不自由ない生活を送っていたヨセフは突然、言葉も通じない異国の地で奴隷としての生活を余儀なくされるようになった訳です。

将来に対する恐れと不安の中、生きる意欲や希望さえなくなりかけていたかもしれません。

しかし、神様はそのような不安と恐れの中にあったヨセフと共におられたと聖書は記します(39章2節)。

そしてヨセフは売り飛ばされた先の家の主人に気に入られました。しかし、主人の妻の誘いを断ったがために濡れ衣を着せられて牢獄生活を強いられます。

ようやく人生に光が見え始めた矢先、再び先の見えない不安と恐れの中に落とされたヨセフ・・・。

しかし、ここでも神様はそんな不安と恐れの中にあったヨセフと共におられました(39章21節)。ヨセフは牢獄長の信認を得て、牢獄内の全ての囚人の管理を任されるようになります。

ところが、

神様が共におられたにもかかわらず、無実の罪で牢獄に入れられたヨセフは牢獄から出ることができません。

今日の出来事が起きたときヨセフは28歳だったようですから(比較:創世記41章1、46節)、

エジプトに売られてきてから11年もの間、ヨセフは奴隷として、また囚人として、将来に対する不安や恐れを絶えず抱きながら生きてきた

ことになります。

神様に対する疑問や不満が事があるごとにヨセフの頭に浮かんできた

としても不思議ではありません。しかし、

神様はそんな疑問や不満に囚われていたであろうヨセフを見捨てるどころか、彼といつも共におられました。

そしてヨセフは、

そんな不安と恐れの中にあっても神様を信じ信頼し、彼に任された役割に誠実に励んでいた

ようです。

予期せぬ方法で計画を実現する神

ある日の朝、ヨセフはいつものように囚人たちの様子を見に行きます。

すると、最近投獄されてきた献酌官と料理長の二人の顔色が良くありません(創世記40章6節)。心配になったヨセフが彼らに声をかけると、二人とも昨夜、不思議な夢を見たと言うのです(7-8節)。

神様の助けによって、ヨセフはそんな彼らの夢を見事に解き明かします(9-19節)。

献酌官の夢を解き明かした後、ヨセフは彼に自分がどれほど理不尽極まりない状況にあるかを訴えかけています(14-15節)。

宮廷の役人の夢を解き明かすという出来事はヨセフにとって、牢獄から出ることができる最初で最後のチャンスだったと言えるでしょう。14-15節の言葉からは、そんなヨセフの必死さも伝わってきます。

ところが、です。

しばらくして、ヨセフが解き明かした夢の通りの出来事が起きたにも関わらず、ファラオからはもちろん献酌官からも何の知らせもありません。

来る日も来る日もヨセフは自問自答したことでしょう。

あの夢の解き明かしを通して、神様は自分を牢獄から出してくれると思ったのに、一体、何が起きているんだろうか?
神様の計画が何者かによって妨害されてしまったんだろうか?
ひょっとしたら、神様は自分を見捨てたんじゃないか・・・

そうこうするうちに二年の月日が流れます(41章1節)。が、今日の個所の出来事から二年経ったある日、ヨセフはついに牢獄から出ることができるようになります。

しかも、ファラオに次ぐエジプトでNo.2の地位に就くのです。こうして、

神様の計画は確かに実現されていく

訳です。でも、

当のヨセフも含めて一体誰が、神様の計画がこのような形で実現していくと思っていたでしょうか。

結論

神様は私たちが全く予期しない方法で御自分の計画を果たしていかれる

お方です。実際、

私たちの人生においても、後から振り返ってみて初めて、全てが神様の御計画の中にあることに気付かされる

ことが多いと思います。

いついかなるときも、神様が私たちを見捨てることはありません。

私たちが不安と恐れの中にあるとき、

神様は私たちのその不安と恐れをも共にしてくださっています。

神様は私たちの気付かないところで絶えず私たちを見守り、助け、導いてくださっているのです。

と言われても、です。

苦しみや悲しみ、不安や恐れの只中にいるとき、私たちはその事実を忘れてしまいます。

神様に対する疑問や不満に心が捉えられてしまいます。

神様の愛や恵み、助けや導きを感じなくなってしまいます。

神様が非常に遠くにいるように感じてしまいます。

でも、

たとえどんなに状況が悪く見えたとしても、神様はいつも私たちと共にいて、私たちが全く予期しない方法で御自分の計画を成し遂げる

お方です。

今は先が見えない不安定な状況にあります。

たとえ今、あなたの人生において神様が働いておられないように思えたとしても、神様は今もなお働いておられます。

たとえ神様に見捨てられているように感じたとしても、神様は決してあなたを見捨てるようなお方ではありません。

子なる神イエス様はいつもあなたと共にいてくださいます。あなたの苦しみ、悲しみ、痛み、不安、恐れを共に経験し、いつもあなたに寄り添っていてくださいます。

神様は壊れてしまったあなたとの関係を回復したいと思っておられました。

神様はあなたといつも一緒にいたいと思っておられた

のです。

あなたが神様のことを知らなかった時も、

神様を憎み敵対していた時も、

神様は変わらずにあなたを愛し続けておられました。

その愛の故に、神様自らが人の姿を取ってこの世に来られました。そして、あなたの罪を背負って十字架に架かり、死んでよみがえられた

のです。それほどまでにあなたを愛しておられる神様は、

たとえどんなことがあったとしても、決してあなたを見捨てることはありません。

いついかなるときも、あなたと共にいて、あなたを見守り、助け、導いてくださっています

そんな神様を信じ信頼して、今、この場所であなたにしかできないこと、あなたに任せられていることに忠実に生きていきましょう。

参考文献および注釈

  • Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
  • Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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