「恵みに満ちた神の業」:2021年12月5日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

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導入

いつもながら時の経つのは早いもので、2021年の最後の月、12月を迎えました。

今年も昨年と同じく「新型コロナウイルス」に振り回された一年だったと思われる方は多いのではないでしょうか。

コロナ禍がいつまで続くのかは誰にも分かりませんが、誰もがコロナ禍を通して色々なことを考えさせられたと思います。

それは例えば、

仕事の働き方や人とのコミュニケーションの取り方

正しい情報の見極め方や意見の異なる人の受け入れ方

教会での礼拝の在り方や「教会」とはそもそも何か

などです。

そんな中でも私がこれまでの説教の中で度々取り上げてきたテーマは「コロナ禍にあっても本当に神様は生きて働いておられるのか」というものです。

今日の聖書個所を通して今一度、

神様はどのように働かれるのか?

を確認したいと思います。そして、今の

コロナ下にあって神様が私たちにどのように生きて欲しいと願っていらっしゃるか?

を一緒に考えていきましょう。

分け隔てのない愛

今日の聖書個所には

処女マリアが聖霊によって身ごもることを天使ガブリエル告げ知らせる

場面(俗に「受胎告知」と呼ばれる)が描かれています。

この天使ガブリエルは今日の個所の直前でザカリアと呼ばれる祭司のもとにも遣わされています(ルカによる福音書1章19節)。

その当時の経済、社会、宗教の中心地であったエルサレム。しかも、その中の神殿の聖所で天使ガブリエルに出会ったのが祭司ザカリアでした。

対して、名もなき辺鄙な田舎町で天使ガブリエルに出会った名もなき少女マリア。

非常に対照的な状況にあった二人ですが、どちらも神様の救いの計画を実現するためには欠かすことのできない役割を担う

ことになりました。

神様にとっては性別や年齢、社会的地位や出身地は関係ない

ことが分かります。

神様にとって取るに足らない人や名も無き存在の人はいません。
神様は世の人々を分け隔てなく愛しておられます。
神様にとって必要でない人など一人もいない

のです。

恵みによる選び

神様にとっては性別や年齢、社会的地位や出身地は関係ない

とは言われても、です。

実際のところ、ザカリアやマリアは信仰心が篤かったから選ばれたんじゃないの!?

と思われる人がいらっしゃるかもしれません。けれども、

聖書全体を見ると、神様が御自分の計画達成のために人々を選ぶとき、その人の信仰深さはそれほど関係がない

と言えます。実際、ザカリアは天使ガブリエルが告げた言葉を信じることができませんでした(ルカによる福音書1章20節)。

また、イエス様の弟子たちでさえ、事あるごとにイエス様からその信仰の無さを指摘されています(例:マルコによる福音書4章40節)。

マリアの場合、今日の個所で彼女は神様から二つの「恵み」を頂いています(ルカによる福音書1章28, 30節)。

何かの基準を満たしたから受け取るのではなく、受け取るにふさわしくないモノ・コトを受け取る。そこに「恵み」があります。

マリアが受けた恵みの一つ目は、

神様が共におられる

ことです(28節)。二つ目は、

神の子イエス・キリストを身ごもる

ことです(30-33節)。

選ばれるのにふさわしくないにも関わらず、神様の恵みによってマリアは選ばれた

のです。

神様の恵みによって選ばれるというのはマリアだけではなく古今東西、全ての人に対してあてはまります。

なぜなら、神様の完全な計画を完全に実行するためには完全な人間が必要となりますが、神様の目から見て完全な人間は神の御子イエス様しかいないからです。

言うなれば、

神様に選ばれるにふさわしい人はイエス様以外には存在しない

ということになります。

神様の偉大さの一つは、不完全な人間を(恵みによって)用いて御自分の完全な救いの計画を実現できるところ

だと言えます。

恵みによる助け

神様は私たちにただ働きを任せるだけではなく、

私たちが働きを成し遂げるために余りある力と助けをも与えてくださいます。

その当時のマリアの生活は決して世間一般的な幸せに満ちていたとは思えません。

というのも、「聖霊によって身ごもった」と言ったところで、誰も信じてはくれないだろうからです。

しかも、ナザレは田舎の小さな集落です。マリアが婚約中に身ごもったという噂は立ちどころに広まっていったに違いありません(参考:マタイによる福音書1章18節)。

町中の人々から「不貞の女」というレッテルを貼られ、陰口をたたかれながら生きていったことでしょう(参考:マタイによる福音書1章19節)。

神様・イエス様がいつも共にいてくださらなければ、マリアはきっと「神の子イエス・キリストの母」としての一生を全うすることができなかった

と思います。

私たちがいつ、どこにいて、何をしているとしてもイエス様はいつも私たちと共にいてくださっています(マタイによる福音書28章20節)。

そして、

私たちのうちに住む聖霊は、私たちが神様の望まれる生き方をするために必要な助けを絶えず与えてくださっています(コリントの信徒への手紙一6章19節;コリントの信徒への手紙二3章18節)。

そのようにして神様は御自分の完全な救いの計画を実現していかれるのです。

結論

神様は世の人々を分け隔てなく愛しておられ、あらゆる人を用いて救いの計画を成していかれるお方

です。性別や年齢、社会的地位や出身地は関係ありません。

神様は恵みによって人々を選ばれ(召され)、その人にしかできない働きを任せられます。

と同時に、

恵みによって、その働きのために必要な力・助けをも与えてくださいます。

そして、

神様の完全な救いの計画は、弱く不完全な私たち人間を通して、神様のタイミングと方法によって確実かつ着実に実現していきます。

神様の選びや召し、また神様から任された働きと聞くと、すごく大きな「使命」のようなものを想像してしまうかもしれません。

実際、ザカリアやマリアに与えられた働き・役割はある意味、特別・特殊だと言えます。

しかしながら、大枠で考えると、

「神様と人を愛する」というのが、神様が私たち一人ひとりに任された働き

と言えます(参考:マタイによる福音書22章37-40節)。

あなたに神様と人を愛するという働きを任せるため、神様は恵みによってあなたを選ばれました。

そして、あなたが神様と人を愛することができるように、神様はまず御自身があなたをどれほど愛していらっしゃるかを示してくださいました。

それがイエス様の十字架と復活という出来事を通してなされた救いの御業です。

恵みによって、この神様の無条件の愛を受けた者として、

神様・イエス様に愛されているように神様と人を愛する

ことを神様はあなたに望んでおられます(ローマの信徒への手紙12章1節;ヨハネによる福音書13章34節;エフェソの信徒への手紙5章1-2節)。

その働きのために、恵みによって、あなたは神様に選ばれたのです。

そして、恵みによって、イエス様を信じるあなたのうちには神の霊である聖霊が住んでくださっています。

聖霊は神様と人を愛することができるようにあなたをイエス様に似た者へと造り変えてくださっています(コリントの信徒への手紙二3章18節;比較:ローマの信徒への手紙12章2節)。

このようにして、

この世の中が神様と人を愛そうとする人で満たされていくこと、それが神様の救いの計画の中核

だと言えます。

この神様の計画は今のこの時代にあっても神様のタイミングと方法によって確実かつ着実に実現していっています(比較:マタイによる福音書13章31-33節)。

とはいえ確かに、今のコロナ下では人と対面で会って話をすることさえ難しい状況にあります。

人との付き合いが表面的なものになり、人間関係が希薄になりがちです。

反対に、対面での付き合いを通して傷つくことを恐れるあまり、オンライン上の仮想空間での付き合いしかできなくなってしまう人が増えてきているようにも感じます。

この世の中の愛が冷めてきている…

そう感じる方が少なからずいらっしゃるかもしれません。

でも、もし「この世の中の愛が冷めてきている」と感じることがあれば、是非、

まずあなた自身が神様と人を愛する

ことから始めてみてください。

どのように愛すればよいか分からない方は、まずその人のことを知ることから始めてみると良いかもしれません。

その上で、自分がその人にしてもらいたいと思うことがあれば、それと同じことをその人にしてみてください(マタイによる福音書7章12節)。

ある程度、見知った仲であれば、衝突もあると思います。でも、

たとえ右の頬を打たれてもやり返すことなく、左の頬を向けてみてください(マタイによる福音書5章38-48節)。

もちろん、そのように人を愛することは私たち人間の力では不可能です。

あなたのうちに住む聖霊の助けにすがってください。
神様・イエス様の愛と恵みを思い起こしてください。

あなたが神様のことを知らなかったときから、神様はずっとあなたに関心をもち、ありとあらゆる手段を使ってあなたと関わろうとしてくださいました。

あなたが神様の右の頬を打つようなことをしたとしても、神様は黙って左の頬を向けてくださるお方です。

まずは神様・イエス様があなたを愛してくださっているように神様を愛する

ことから全てが始まります。

神様との対話(祈り)の時間をとってみてください。

聖書を通して、三位一体の神様のことをより一層、学んでみてください。

神様の恵みによって、この世の中が神様と人を愛そうとする人々で満たされますように。

参考文献および注釈

  • Bock, Darrell L. Luke. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1996.
  • ———. Luke 1:1-9:50. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Baker Bk House, 1994.
  • Edwards, James R. The Gospel According to Luke. Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2015.
  • Garland, David E. Luke. Edited by Clinton E. Arnold. Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011.
  • Green, Joel B. The Gospel of Luke. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1997.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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