科学と宗教(キリスト教)の関係―科学があれば、神や宗教はいらない?

科学がこれほど発達した現代に、宗教は必要なのだろうか?
科学で説明できることが増えたのなら、神を信じる必要はないのでは?
科学と宗教は矛盾するのではないか?

これは、現代に生きる私たちにとって自然な疑問です。

雷、病気、地震、惑星の運動など、昔の人々が神や超自然的な存在と結びつけて考えていた現象の多くを、現在では科学によって詳しく説明できるようになりました。

では、

科学が発達すれば、神や宗教は必要なくなるのでしょうか?

結論から言えば、

科学が発展したからといって、神や宗教が必要なくなるとは言えません。
科学の発展によって、「神は存在しない」「宗教は不要である」という結論が自動的に導かれる訳ではない

からです。

その理由を理解するためには、まず「科学は何を説明するのか?」を考える必要があります。

科学が得意なのは、

「世界(自然、人間、社会)がどのようにしてそうなっているのか?」

という問いです。

一方、科学が苦手とする問いには、

「そもそもなぜ世界が存在するのか?」

「人間にはどのような価値があるのか?」

「私たちは何のために生きるのか?」

といったものがあります。

後者の問いは、宗教(や哲学)が得意とする問いです。

とはいえ、これは別に宗教が科学に優れていることを意味する訳ではありません。

ただ、

科学と宗教とは扱っている問題・対象が異なっている

ことを意味しています。

言うなれば、

科学がいくら発達しても、科学では答えきれない問いというものが必ず存在し、それら科学が答えきれない問いの中には、科学よりも宗教(や哲学)の方が得意とするものがある

ということになります。1

今回のシリーズでは、こうした科学と宗教(特にキリスト教)の関係を明らかにすることが中心テーマです。

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科学があれば、宗教はいらないのか?

科学は、自然界で起こる現象について、

どのようにして起こるのか?
なぜ、それが起こるのか?

を調べます。

宇宙はどのように発展してきたのか?

なぜ、そのように宇宙は発展してきたのか?

生命はどのように変化してきたのか?

なぜ、そのように生命は変化してきたのか?

人間の身体や脳はどのように働くのか?

なぜ、そのように人間の身体や脳は動くのか?

これらは、自然界で起こる現象の仕組み・構造・法則に関する問いです。

観察や実験、数学的な理論によって、科学は私たちの世界について多くのことを明らかにしてきました。

しかし、科学によって「どのように起こるのか?」「なぜ、それが起こるのか?」が分かるようになったとしても、

なぜ、この世界が存在するのか?

といった自然界に存在するモノ・コトの目的・意味・意義・価値に関する問いまで、自動的に解決するでしょうか。

例えば、人間について、科学は身体や脳の仕組みを研究し、多くのことを解明してきました。
しかし、

人間にはなぜ価値があるのか?

人は何のために生きるのか?

なぜ人を殺してはいけないのか?

という問いについては、科学的事実を知るだけで答えが一つに決まる訳ではありません。

つまり、

科学が答えられる問いと、科学では答えられない(明確な答えが与えられない)、別の種類の問いがある

ことになります。

「科学では説明できないから神がいる」は正しいのか?

ここで、注意しなければならない考え方があります。

それは、「科学ではまだ説明できない。だから神の存在が必要(だから神がいる)」という考え方です。

これは “God of the gaps 「隙間の神」”と呼ばれる考え方に近いもので、キリスト教の神を理解する上でも適切な考え方ではありません。2

科学がまだ説明できていないことを、すぐに神の働きだと考えてしまうと、将来科学的な説明が発見されたとき、「神は必要なくなった」という話になってしまいます。3

キリスト教が語る神は、科学で説明できない現象の“隙間(穴)”を埋める存在ではありません。
科学で説明できない現象があるかどうかと神が存在するかどうかは全く別の問題

です。

ここで重要になるのが、

「科学的な手法で自然現象を研究すること」と、「科学だけが存在する世界観(神は存在しないという世界観)を採用すること」は同じではない

という点です。

神は存在するという世界観を持ちながら、科学的な方法で自然現象を研究することは可能

だからです。

科学と宗教は矛盾・対立するのか?

と言われても、

でも、神が存在する世界観を持ちながら、科学的な方法で自然現象を研究することはどこか矛盾しているのではないか?

と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

果たして、

宗教的価値観(世界観)と科学的価値観(世界観)は矛盾(対立)しているのでしょうか?

実際には、この問いに対してはさまざまな考え方があります。45

科学と宗教を対立するものと考える立場もあります。6

一方で、それぞれ異なる問いを扱う、独立したものと考える立場もあります。7

また、両者の間には対話・統合できる部分があると考える人もいます。8

重要なのは、

「科学か宗教か、どちらかを選ばなければならない」という訳ではない

ということです。

実際、科学者の中にも宗教を信じた人々がいました。

有名なところではガリレオがいます。

彼は、地動説を説いたが故に宗教裁判にかけられ、地動説がキリスト教的に異端(キリスト教の教えに反する考え・教え)であると認めることを強いられた人物です。

ガリレオが宗教裁判にかけられたのは、彼がキリスト教を信じていた(クリスチャンだった)からです。9

ガリレオは、科学と宗教(キリスト教)は対立的な関係にあるのではなく、独立的な関係にあると考えていたようです。10

また、万有引力の発見者としても名高いニュートンは敬虔なキリスト教徒でした。11

科学者が神をどのように考えてきたのかをたどると、

「科学者はみな無神論者である」という単純なイメージでは説明できない

ことが分かります。

科学が神の存在を否定するとは必ずしも言えない

ということになります。

科学だけでは答えが完結しない?

ここまでの話を整理してみましょう。

科学が得意なのは自然界で起こる現象の仕組み・構造・法則に関する問いです。

  • 宇宙はどのように発展したのか?なぜ、そのように発展したのか?
  • 星はどのように生まれるのか?なぜ、そのように生まれるのか?
  • 生命はどのように変化してきたのか?なぜ、そのように変化してきたのか?
  • 病気はどのように発生するのか?なぜ、そのように発生するのか?

科学は、これらの問いに非常に大きな力を発揮します。

一方で、人間は自然界に存在するモノ・コトの目的・意味・意義・価値についても問い続けます。

  • なぜ宇宙は存在するのか?
  • 人間には価値があるのか?
  • 愛することには意味があるのか?
  • 善悪(倫理道徳)とは何なのか?
  • 人間には尊厳があるのか?
  • 私は何のために、なぜ生きるのか?
  • 人間は死んだらすべて終わるのか?

これらは、科学を否定する問いではありません。

科学による世界理解が進んだとしても、その先になお残る問い

です。

宗教や哲学はこれらの問いに対して、ある種の答えを提供する

ものです。

つまり、

科学は自然界の仕組み・構造・法則を明らかにすることを得意とする。

一方、

「存在の意味」「価値」「目的」「究極的な理由」といった問いには、科学以外の哲学的・宗教的考察も関わってくる。

ということになります。

では、キリスト教は何と答えるのか?

最後に、このシリーズの中心テーマについて。

このシリーズは、

「科学と宗教(特にキリスト教)、どちらが正しいのか」という議論をするものではありません。

むしろ、

「科学を真剣に受け止めた上で、それでもなお残る問いに、キリスト教は何と答えるのか?」を考える

ものです。

というのも、科学によって世界について多くのことが分かるようになったとしても、私たちはなお、

なぜ世界があるのか?

人間にはどんな価値があるのか?

善悪は何によって決まるのか?

人生には本当に意味があるのか?

という問いを抱えているからです。

このシリーズでは、こうした問いについて、以下のようなトピック(題材)を通して考えていきます。

  • 宇宙
  • 生命
  • 人間(意識・人格)
  • 善悪(倫理道徳)
  • 奇跡
  • 歴史
  • 人生

次回は、この中でも私たちが暮らしている宇宙について考えます。

科学が語る宇宙の仕組み・構造・法則と聖書が語る天地(宇宙)創造の目的・意味・意義。

その関係を考えてみましょう。

参考文献および注釈

  1. グールドはこれを「NOMA原理(Non-Overlapping Magisteria)」と呼んでいる。詳細は下記を参照。グールドスティーヴン・ジェイ, 神と科学は共存できるか?, trans. 狩野秀之, 古谷圭一, and 新妻昭夫 (東京; 東京: 日経BP, 2007), 11–13頁.
  2. 「隙間の神」について、興味のある方は、例えば、下記を参照。Thomas Dixon, 科学と宗教, trans. 中村圭志 (東京: 丸善出版, 2013), 67–70頁.
  3. 三田は「科学で説明できないことがあるから、神が必要」とするのは思考停止だが、「科学で全て説明できたから、神は必要ない」とするのも思考停止だと述べている。三田一郎, 科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (東京: 講談社, 2018), 262–64頁.
  4. バーバーは科学と宗教との関係を「対立」、「独立」、「対話」、「統合」の四つに分類している。詳細は下記を参照。バーバー・イアン・G, 科学が宗教と出会うとき: 四つのモデル, trans. 藤井清久 (東京: 教文館, 2004), 25–70頁.
  5. これら四つの分類のうち、私個人の考えは「独立」に近いと言える。詳細は下記のブログを参照。「物理好きな牧師の読後の感想:『科学者はなぜ神を信じるのか』三田一郎著」 「聖書の語る天地創造は科学的説明と矛盾しているのか?」 
  6. 科学と宗教の対立という意味で有名なのは、地動説を唱えたがために、キリスト教界から異端扱いを受けたガリレオが挙げられる。ガリレオ裁判の詳細について、興味のある方は、例えば、下記を参照。田中一郎, “第3章 ガリレオ裁判の真実,” in 科学と宗教 対立と融和のゆくえ, ed. 金子務 and 日本科学協会 (東京: 中央公論新社, 2018), 69–89頁.
  7. 「NOMA原理」を説いたグールドは科学と宗教は独立したものと捉えている。グールド, 神と科学は共存できるか?, 11–13頁; 富士川もまた、科学と宗教とはその領域を異にするものだと考えている。 富士川游 and 温古堂文庫, 科学と宗教 (春秋社, 1931], 9, 134頁.
  8. 科学と宗教との関係を四つに分類したバーバー自身は「対話」と「統合」の見解を支持している。バーバー, 科学が宗教と出会うとき, 279–80頁; 武田は「対話」と「統合」が二十一世紀の宗教と科学の関係の中心になるべきだと考えている。武田龍精, 宗教と科学のあいだ (京都: 法蔵館, 2003), 100–101頁.
  9. ガリレオの生涯とガリレオ裁判について興味のある方は、例えば、下記を参照。三田, 科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで, 63–99頁; 田中, “第3章 ガリレオ裁判の真実.”
  10. Dixon, 科学と宗教, 34–35, 40頁.
  11. 詳細は下記を参照。三田, 科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで, 110–28頁.
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