「幸いな人」:2021年3月14日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

幸いな人

と聞くとどのような人を思い浮かべるでしょうか?

国語辞書で調べたものをまとめると、日本人が一般的に抱くであろう「幸いな人」のイメージは

人知・人力の及ばない不思議な何かのおかげで心が満ち足りた状態にある人

と言えると思います。

では、ここでもう一つの質問です。

皆さんにとって

「心が満ち足りた状態」というのはどのような状態でしょうか?

今日の聖書個所には私たち

人間にとっての「幸い」とは何か

が記されています。別の言い方をすれば、私たち人間の心が満ち足りている状態とはどのようなものか、「幸いな人」とはどのような人かが記されているのが今日の聖書個所です。

神の望む生き方ができないアブラハム

結論から言ってしまうと、聖書が教える

「幸いな人」とは、神様の望む生き方ができていないにもかかわらず、神様にその罪をとがめられない人

です(参考:ローマの信徒への手紙4章6-8節)。その「幸いな人」の典型的な例がローマの信徒への手紙4章1節に出てくるアブラハムです。

聖書を読んでいくとすぐに分かるであろうことの一つは、

聖書の中の登場人物はイエス様を除いて皆、人間的に弱く不完全な存在

だということです。アブラハムの場合も例外ではありません。

アブラハムは確かに「信仰の父」と呼ばれ、旧約聖書の中でも一、二を争う有名人です。

しかしながら、彼は行動面においても、また信仰面においても決して完璧な人間ではありませんでした。

事実、彼は自分の妻を犠牲にして、自分の身を守ろうとしたことが記されています(創世記12:10-20)。

信仰によって義とされるアブラハム

自分の妻を犠牲にしてでも自分の身を守ろうとするアブラハムが

神様の恵みの故に信仰によって義とされた

とパウロは語ります(ローマの信徒への手紙4章2-3節)。ここでパウロが言及している出来事は創世記15章に記されています。

このときアブラハムとその妻サラの間には子供がありませんでした。

神様が彼らに対して、彼らの子孫が増え広がって一つの国家を形成するほどになるという約束を与えていた(創世記12章2節)にもかかわらずです。

アブラハムにとってみれば、神様に何度も何度も祈り求めるけれども、答えが与えられない。そんな毎日だったことでしょう。そんな悶々とした日々が続く中、

ひょっとして、自分の跡を継ぐのはしもべのエリエゼルかもしれない…

とアブラハムが思い始めたであろうとき、神様はアブラハムに彼自身から生まれる者が彼の跡を継ぎ、その子孫は無数に増え広がるとおっしゃいます(創世記15章2-5節)。この神様の言葉に対して、

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。【創世記15章6節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(旧)18頁

と聖書は記します。

神の恵みによる救い

アブラハムの信仰は初めからずっと揺るがずにいた訳ではありません。

実際、彼が神様の約束 (創世記12章2-3節)を本気で信じていれば、自分の身を守るために妻を犠牲にしようとはしなかったはずです。

たとえ子供が生まれない時間がどれほど長くなったとしても、自分のしもべが跡を継ぐという考えに支配され始めることもなかったはずです。

さらに、創世記15章で

神様に「義と認められた」後のアブラハムの信仰もまた、決して確固たるものではありませんでした。

というのも、創世記20章でアブラハムは再び自分の身を守るために妻を犠牲にしようとするからです。

また、サラとの間にはもう子供ができないと思った彼は、サラの女奴隷ハガルとの間に子供をもうけます(創世記16章15節)。

神様・イエス様を信じれば救われるというけど、どれくらい信じれば救われるのか?

と質問されることがあります。今日の話および個人的な体験からも分かることは、

神様・イエス様を100%完全に信じ切らないと救われないという訳ではない

ということです。もし100%完全に信じ切らないと救われないならば、誰ひとりとして救われる人はいなくなるでしょう。私たちは皆、神様の恵みによって救われるのです。

結論

私たち人間は罪深い存在です。

神様・イエス様を信じた後でさえ、私たちは罪を犯します。

神様のなさることに疑問をもつこともあります。

神様に対して不平不満を言うこともあります。

神様から離れてしまうこともあります。

神様・イエス様に対する私たちの信仰はある意味、揺らぎっぱなしといっても過言ではありません。

でもそれは、今日一緒にみてきた

信仰の父アブラハムがもっていた信仰と大して変わりません。

たとえそのように

不完全で揺らぎっぱなしの信仰であったとしても、神様は恵みによって、私たちを義と認め、私たちの罪をとがめない

とおっしゃってくださるのです。ここに

聖書の語る「幸い」

があります。

たとえ神様の望む生き方ができていないとしても、神様にその罪をとがめられない人、それが「幸いな人」

です。そして、

この幸いは民族や人種、性別や年齢を問わず、イエス様を信じる人全てに与えられる

幸いです(ローマの信徒への手紙4章9-12節)。

皆さんは

この聖書の語る「幸い」が、イエス様を信じる信仰によってあなた自身にももたらされる、もしくは既にもたらされていると聞いて、自分の心が満ち足りていると感じられるでしょうか?
聖書の語る「幸い」を心の底から幸いだと思えるでしょうか?

人の幸いや幸せを考えるときに重要になってくるのが「欲求」「欲望」です。

欲求や欲望が満たされるとき、人は心が満たされ幸せを感じるからです。

この人間がもつ欲求には5つのステップ(段階)があるとアメリカの心理学者アブラハム・マズローという人は主張しています。

それらの5つの段階は順番に「生理的欲求」、「安全欲求」、「社会的欲求(所属と愛の欲求)」、「承認欲求」、そして「自己実現欲求」と呼ばれます。

これらに加えて、マズローはその晩年、人間の欲求は「自己超越欲求」という段階に達すると説いたそうです。

それまでの5段階の欲求があくまで自己の個人的な利益を満たそうとする欲求なのに対して、6つ目は文字通り、自己を超えた他の何か・誰かの利益のために何かをしたいと願う気持ちだそうです。

細かいところは抜きにして、大枠として誰もが自分の心の中にある欲求をマズローが提唱する6つの欲求のどれかに分類することができるのではないかと思います。

しかしながら、キリスト教の立場から考えたときに問題となるのは、その心理学(欲求)の枠組みの中に聖書の神様がいないことです。

人は確かに何か・誰かに属したいという欲求をもっていると思いますが、問題は

あなたが属したいと思うコミュニティがどのようなものか?

です。また、

あなたが愛されたい、大事にされたい、認められたいと思う対象は何・誰でしょうか?
あなたにとっての「自己実現」は何を意味しているでしょうか?

今日の聖書個所が語る「幸い」は「信仰によって神様に正しいと認められること」ですから、マズローの言う「承認欲求」を満たしてくれるものです。

それと同時に、信仰によって義とされた人は神様の子供ともされます(ヨハネによる福音書1章12-13節)から、神の家族の一員となります(エフェソの信徒への手紙2章19節)。

よって、「社会的欲求(所属と愛の欲求)」も満たされることになります。

「自己実現」についてはどうでしょうか。

マズローの考える「自己実現」とは、自己の中の可能性や潜在能力を発揮して、自分らしく生きることと言えます。

聖書によると、

人間本来の「自分らしい」生き方とは、自分を創造された神様の望むように生きること

です。神様の望まれる「自分らしい」生き方をしようとするとき、

聖霊の助けによって、神様から与えられた潜在能力や可能性(聖書では「賜物」と呼ばれます)を存分に発揮して生きることができる

と聖書は教えます。さらに、神様の望まれる人間本来の「自分らしい」生き方を一言でいえば、神様を愛し、自分のように人を愛する生き方です。これはマズローの6番目の「自己超越」と同じです。

まとめると、

私たちが行いではなく信仰によって救われるとき、神様を土台とした承認欲求と社会的欲求が同時に満たされます。

そして、

救われた後の人生において神様の望まれる生き方をしようとするとき、神様の望むかたちの自己実現と自己超越が成されていく

ということになります。

もし、聖書の語る「幸い」を心の底から幸いだと思えないとすれば、それは恐らく、

あなた自身の欲求が神様中心ではなく自分(人間)中心だから

なのかもしれません。

あなたの心の奥底を今、探ってみてください。

あなたが本当に愛されたい、認められたい、受け入れられたいと思っている人は誰でしょうか。

もしそれが神様以外の誰かであれば、それがあなたにとっての「偶像」だと言えます。

また、あなたの考える「自分らしい」生き方とはどのようなものでしょうか。

その生き方の中心に神様以外の何か・誰かがいるのであれば、それもまたあなたにとっての「偶像」だと言えます。

あなたの心の中の偶像を聖書の神様と取り換えることができるよう、神様に祈り求めてみてください。
本当の意味で「幸いな人」となれますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  • 佐藤舜. “マズローの欲求5段階説とは? 知っておくべき心理の法則.” STUDY HACKER|これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディア. Last modified October 28, 2019. Accessed March 12, 2021. https://studyhacker.net/maslow-hierarchy.
  • 若新雄純. “マズロー「自己実現」の誤解と「ありのまま」 (2ページ目).” PRESIDENT Online(プレジデントオンライン). Last modified January 9, 2015. Accessed March 12, 2021. https://president.jp/articles/-/14339.
  • 足達大和. “『自己実現』をわかりやすく解説!自己実現した人の特徴に学ぶ「必要なことと方法」.” Life and Mind+ (ライフ&マインド), November 17, 2020. Accessed March 12, 2021. https://life-and-mind.com/self-realization-22399.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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