「栄光が神に」:2021年7月11日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

新型コロナ関連の状況はなかなか良くなる気配を見せません。

そんな世の中の状況を見ていると

神様は一体、何をしているのだろうか?

と思わずにはいられません。ですから、今回の聖書個所を通してもう一度、

新型コロナの感染拡大が広がる中、神様は一体何をしているのだろうか?

という疑問に対して聖書がどう答えるのかについて考えていきたいと思います。

特に今日の聖書個所は、

神様は人知を超えた知恵と知識をもつ全知全能なお方で、御自分の計画を必ず成し遂げる絶対的な主権をもったお方

であることを教えてくれます。

約束を果たす誠実な神

今回の聖書個所の内容を理解するため、まずはローマの信徒への手紙の9章から11章までの話の流れを振り返ります。

9-11章の大きなテーマ(目的)の一つは

神様の言葉(約束)が無効になった訳ではない

ことを示すこと(ローマの信徒への手紙9章6節)、即ち、

神様が必ず約束を果たす誠実なお方

であることを示すことです。

なぜ神様の誠実さを示す必要があったかというと、パウロが生きていた当時の社会では、神様がアブラハムと交わした約束(創世記12章3節; 22章18節)が無効になったのではないかと思える出来事が起きていたからです。それは、

神の民として選ばれたはずのイスラエル民族の多くがイエス様を信じて救われるという最高の祝福を受け取っていなかった

という出来事です(ローマの信徒への手紙9章1-5節, 30-33節; 10章1-3節; 11章11節, 28-32節)。

そこでパウロはまず当時の人々の誤解を解こうとします。

神様の祝福は血縁関係や律法の順守によってもたらされる訳ではなく、神様の恵みと憐れみ、神様・イエス様を信じる信仰によってもたらされる

とパウロは説明します(9章15-16節, 30-32節;比較:4章1-12節;ガラテヤの信徒への手紙3章15-29節)。

それからパウロは、当時のユダヤ人たちの多くがイエス様を信じない理由を説明します。

その理由は、

イスラエル民族がイエス様を信じないことによって救いが異邦人に広がるため(11章11節)。

そして、

異邦人が救われるのをみたイスラエル民族に妬みを引き起こし、一人でも多くのユダヤ人を救うため

です(11章11-12節, 14節)。結局のところ神様は、

ユダヤ人も異邦人も含めた全ての人々を救おうとされている

のです(11:32)。

キリスト教の歴史をみると確かに、恵みと憐れみによって、神様・イエス様を信じる信仰によって全ての人を救うという神様の言葉(約束)は神様の預言された通りに実現していっています。

人間的に考えると、神の民として選ばれたはずのイスラエル民族の多くが最高の祝福である救いを受け取っていないというのは確かに神様の言葉(約束)が無効になってしまったのではないかと疑いたくなるような状況です。

けれども、

人間的に考えて「到底あり得ない」「無理」「不可能だ」と見える状況も含め全ては神様の御計画のうちある

のです。

栄光を受けるにふさわしい神

その事実を覚えたとき、恐らくパウロの口から自然とローマの信徒への手紙11章33節の言葉が溢れ出てきたのではないかと思います。ここでパウロは、

神様の知恵と知識は人知をはるかに超えたもので、人間には神様の裁き(判断・御業)と神様の道(計画・思い・考え)を完全に理解することはできない

と言っています。

さらにパウロは、神様の知恵と知識は人間の理解や想像のおよぶところではないことを示すため、ローマの信徒への手紙11章34節でイザヤ書40:13を引用しています。

イザヤ書40章に記される預言の言葉は自分たちの国を失いバビロンに捕囚されたイスラエル民族に対して捕囚状態からの救いを約束する言葉です。

それはバビロンで捕囚状態にある人々にとっては「到底あり得ない」「無理」「不可能だ」と思えること。

ですが、確かにその預言の後、

神様はイスラエル民族をバビロンでの捕囚状態から救い出されました。

誰にも神様のその思い・計画を知り得ることはできませんし、まして神様に助言やアドバイスをすることなどできるはずがありません。

また、神様が人間に「借り」をつくることはありません(ローマの信徒への手紙11章35節;比較:ヨブ記41章3節)。知恵や知識に関してはもちろんのこと、人間の救いに関しても同じです。

人間の助けがあろうがなかろうが、人間の妨害があろうがなかろうが、全知全能な神様は御自分の計画を必ず成し遂げられます(比較:ヨブ記42章2-3節)。

神様はもう既に私たちがどんなに頑張っても返しきれないほどのものを与えてくださっています(参考:マタイによる福音書18章21-35節)。あくまでも

神様の恵みと憐れみによって、私たちは生かされ、救われている存在

です。

誰一人として、まず神様に与えて、その報いを受けることはできません。

実際、

全てのものに存在する根拠、存在する手段、存在する理由・目的を与えるのは神様

です(ローマの信徒への手紙11章36節)。

全ての被造物は創造主である神様の恵みと憐れみによって、存在することを許されているとも言えるでしょう。

神様無しには何・誰も存在できない

のです。万物は神様に対して「借り」はあったとしても「貸し」を作ることはできません。神様が万物に対して絶対的な主権をもつ理由がここにあります(比較:ローマの信徒への手紙9章19-21節)。

神様は人知を超えた知恵と知識をもち、全知全能な力を用いて必ず御自分の計画を成し遂げる絶対的な主権者、私たちの栄光を受けるにふさわしいお方

です。

結論

神様は約束を必ず果たす誠実なお方

です。

時として、私たち人間はその約束の内容を誤解することがあるかもしれません。

いくら神様でも約束を実現するのは「到底あり得ない」「無理」「不可能だ」と思うような状況に直面することがあるかもしれません。

けれども、

神様は人知を超えた知恵と知識をもち、全知全能にして絶対的な主権者です。どんな状況にあったとしても必ずその御計画(約束)を実現していかれます。
それほどまでに偉大な造り主が、その命に代えても惜しくないほどに愛してくださっているのが私たち人間

です。しかも私たちは神様の基準からみて、神様の望むこと・喜ぶことを完全に成し遂げることができない不完全かつ不従順な存在です。

にもかかわらず

神様は、そんな不完全かつ不従順な私たちを憐れみ、ありのままの私たちを愛してくださっています。

その愛と憐れみがはっきりと示されているのがイエス様の十字架と復活です。

人知を超えた知恵と知識をもち、全知全能にして絶対的な主権をもつ私たちの造り主が、不完全かつ不従順な私たちの存在そのものを何よりも愛おしく思っていてくださる。

そして、ただ思っていてくださっているだけでなく、

実際にその命を懸けて私たちを滅びから救い出してくださった。

そんな神様の底知れぬ愛と憐れみを受け取った私たちにできることは、この

偉大な神様の栄光を現わすように生きる

ことです(比較:コリントの信徒への手紙一10章31節)。

とはいえ、「神様の栄光を現わすように生きる」という表現は正直、少し分かりにくい表現だと思います。

聖書の中で「栄光」という言葉が出てくるとき、それは例えば「豪華さ、美しさ、荘厳さ、輝き」といったものと結びついています。

従って、神様の栄光を現わすように生きるというのは、

神様の素晴らしさ、凄さ、偉大さを現わすように生きる

と言えるのではないかと思います。別の言い方をすれば、

神様が他の人からもほめたたえられるように生きる

とも言えるでしょう。

昨今の新型コロナの感染拡大を受け、私たちの生活は一変してしまいました。

これまで通用していたやり方を変えて、全く異なるやり方を模索せざるを得ない状況にあります。

これまでに蓄えた経験や知恵、知識といったものが通用しない「新常態(ニューノーマル)」が始まっています。

これまでの自分の人生は一体何だったのだろうか
これまでの経験や知識は全て無駄になってしまうのだろうか
今やっていることも無駄になってしまうのではないか

そのように自問自答している方がいらっしゃるかもしれません。でも、そんなときこそ、神様の絶対的な主権を思い起こしてください。

神様にとって「無駄」と思えることはありません。

あなたがこれまでに経験してきたこと、今経験していること、そしてこれから経験しようとしていること、それら全てを用いて神様は御自分の計画を成し遂げておられます。

あなたの人生に無駄はありません。

無駄な人生もありません。役

に立たない人生、どうしようもない人生、生きていても仕方がない人生もありません。

神様があなたを必要としておられるから

です。

あなたの人生は神様から出て、神様によって保たれ、神様に向かっている

のです。

たとえ今の状況がどれほど困難であったとしても、

決して見捨てることのない神様・イエス様があなたと共にいてくださっています。
あなたを励まし、慰め、力づけてくださっています。

その愛を覚え、聖霊の助けによってイエス様のように神様と周りの人々を愛し続けるとき、

あなたの周りの人たちはきっとあなたと共にいるイエス様と出会うことができる

でしょう。そして

神様をほめたたえる者へと変えられていく

ことでしょう。

栄光が神に永遠にありますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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