「苦しみの先に待つもの」:2021年5月23日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

理由も分からずにただ

苦しみや悲しみを耐え続けなさい

と言われたとしても、その苦しみや悲しみを耐え続けるのは誰にとっても非常に難しいものだと思います。

苦しい出来事や悲しい出来事に直面すると誰もがその苦しみ・悲しみの理由を知りたいと願い求めます。

今の苦しみや悲しみの先に何が待っているのか
苦しみや悲しみを乗り越えるに足る理由があるのか

を知りたいと願います。

今日の聖書個所を通して、この世における苦しみや悲しみの先に何が待っているのか、苦しみや悲しみを乗り越えるに足る理由があるのかどうかを共に学びたいと思います。

現わされる栄光

ローマの信徒への手紙8章18節でパウロは、私たちが

今のこの世において経験する苦しみは将来現されるはずの栄光に比べれば取るに足らないもの

だと言っています。ここでパウロの語る「栄光」とは、

イエス様が再びこの世に来られる世の終わりのときに現わされる栄光

のことです。そのとき、

イエス様を信じ従おうとする者は、イエス様が復活していた時にもっていた栄光の体、二度と死ぬことのない体をもってよみがえる

と聖書は語ります(参考:フィリピの信徒への手紙3章20-21節;コリントの信徒への手紙一15章51-55節)。

イエス様が再びこの世に来られるとき、神様は私たち人間を本来あるべき姿に戻してくださる

のです(比較:ローマの信徒への手紙8章23節)。さらにパウロは、

私たち人間だけでなく、被造物もまた本来あるべき姿に戻される

とも語っています(ローマの信徒への手紙8章20-21節)。

私たちに将来現わされるはずの栄光、即ち、人と被造物が本来あるべき姿に戻された時に体験する素晴らしさの一端は、例えば、ヨハネの黙示録21章3-5節に記されています。

その日、
神様が私たちと共に住み、私たちは神様の民となります。
神様自らが私たちと共にいて、私たちの目から涙をことごく拭い去ってくださいます。
私たちはもはや死ぬことはありません。
悲しみや嘆き、痛みを感じるような出来事に遭うこともありません。
これまでの世とは全く異なる新しい世がもたらされるから

です。ここにこそ

聖書の語る希望

があります。そして、この希望によって私たちは救われているともパウロは語っています(ローマの信徒への手紙8章24-25節)。

実現する神の約束

イエス様が再び来られるとき、人も被造物も本来あるべき姿に戻されるという神様の約束が必ず実現するという根拠の一つとしてパウロが挙げているのが

神様の霊である聖霊の働き

です。ローマの信徒への手紙8章26-27節でパウロは、

聖霊が今の世で苦しむ弱い私たちを助けてくださる

と言っています。具体的に何を助けてくれるのかというと、私たちの神様に対する祈りです。

聖霊のとりなしのおかげで、

私たち人間の考えが神様の考えに近いものへと変えられていきます。

そうすることで、

神様の御心が何であるかを私たちが少しずつ見極めることができるようになります。

この聖霊の働きの結果、28-30節にあるように、

万事が共に働いて神様の最高最善の約束・計画が確かに実現されていく

ようになるのです。

なお、ローマの信徒への手紙8章28節の言葉を理解しようとするときに幾つか注意すべき点があります。

第一に、28節でパウロが意味する

「益」というのは、必ずしも私たち人間が期待する「益」「良いこと」と同じでない

ということです。事実、この直ぐ後の29節を読むと、

究極的な意味で私たち人間にとって「益となる」ことはイエス様のかたちに似たものとなること

が分かります。

苦しいことや悲しいことも含めた万事を通して、聖霊の働きによって、神様のことをより良く理解し、人格的にも成長して、イエス様に似た者へと変えられていく

それが、この個所でパウロが言わんとしていることだと言えます(比較:ローマの信徒への手紙5章3-4節;コリントの信徒への手紙二3章18節)。

もう一つの注意点は、

「万事が共に働いて益となる」のは必ずしも私たちがこの世に生きているときに実現される訳ではない

ということです。というのも、この世に生きている限り、私たちがイエス様に似た者へと完全に変えられることはないからです。従って、

究極的な意味で「万事が共に働いて益となる」ためには、イエス様が再びこの世に来られる世の終わりを待つ必要がある

と言えます(比較:30節)。とはいえもちろん、

今のこの世においても私たちは、たとえ少しずつだとしても、イエス様に似た者へと変えられていきます。
その変化をみることで、確かに聖霊が私たちの内に働いておられること、また「万事が共に働いて益となる」ことが分かります。

そして、

必ずや神様の約束が実現するであろうことが確かめられます。

結論

この世に生きる限り、私たちが苦しみや悲しみ、痛みを免れることはできません。

それは

人間が罪を犯したためにこの世が本来あるべき姿を失ってしまったから

です(比較:ローマの信徒への手紙1章18-32節)。しかしながら、

神様は人間も含めた被造物全てを本来あるべき姿に戻そうとされておられます。

そのために

子なる神イエス様が人の姿をとってこの世に来られ、私たちの罪をその身に背負い、十字架で死んでよみがえられました。

そして、

イエス様が再びこの世に来られるとき、この世は本来あるべき姿に完全に戻されます。

言葉では言い尽くせない

その素晴らしさの前に、この世の中の苦しみや悲しみ、痛みは取るに足らないもの

だと聖書は語ります。

その栄光ある未来が必ず実現するという確証を与えてくれるものの一つが神の霊なる聖霊の働きです。

イエス様を信じる者の内に住んでおられる

聖霊は私たちの祈りをとりなし、私たちの思いや考えを神様の思いや考えに近づけてくださいます。

また、

聖霊は万事を通して私たちをイエス様に似た者へと変えてくださいます。
これらの変化は急激に起こることはないかもしれません。

しかし、人生に起こる様々な出来事を通して、少しずつであっても着実に、私たちの思いが神様の思いに近づけられ、私たちがイエス様に似た者へと変えられていくとき、神様は確かに万物を本来あるべき姿に戻そうとされていることを実感できます。

残念ながら、クリスチャンになったからといって、この世における苦しみや悲しみ、痛みが一切なくなる訳ではありません。

むしろイエス様を信じ、神様の望まれるように生きようとするが故に、これまでは感じることのなかった苦しみを感じることがあるかもしれません。

そんなときには、

イエス様の十字架と復活を思い出してください。

イエス様ほど忠実に神様の望まれる生き方を実践した人はいません。

にもかかわらず、

イエス様はこの世において、私たちの想像を絶するほどの苦しみと悲しみを経験されました。

人々からは憎まれ、妬まれ、蔑まれ、裏切られ、弟子たちからも全く理解されることなく最後には見捨てられてしまいました。

が、しかし、

イエス様は十字架で亡くなられた後、栄光の体をもってよみがえられました。

それは

苦しみが苦しみで終わる訳ではないことを示すため、苦しみの先に待つものがあることを示すため

でした。確かに、

この世は苦しみに満ちています。

しかし、

その苦しみは永遠に続くものではありません。

イエス様が再びこの世に来られるとき、イエス様を信じ従おうとする人にはイエス様と同じ栄光の体が与えられ、新しい天地で神様と共に永遠に生きるようになります。

この世の苦しみの先には栄光に満ちた世界が待っている

のです。

と言われても、です。

そんなに長くは待てない。今この時のこの苦しみから今この瞬間に開放してくれ!

と思いたくなる人は多いのではないかと思います。そんなときには今一度、

イエス様の十字架を見上げてください。
イエス様が十字架で息を引き取られるまでに耐え忍ばれた苦しみはあなたの今のその苦しみに寄り添うため

とも言えるからです (参考:ヘブライ人への手紙2章18節)。

あなたは独りではありません。
あなたのその苦しみ、悲しみ、痛みを誰よりも理解していらっしゃるお方があなたといつも共にいてくださっています。

たとえイエス様が共にいてくださるとしても、状況そのものは全く良くならないかもしれません。

でも、

どんなに状況が悪くなったとしても、
それは神様があなたを愛していないからではありません。
あなたを見捨てたからでもありません。
神様はいついかなるときも変わらずにあなたを愛してくださっています。
あなたを決して見捨てることなく、いつも傍にいてくださっています。

その辛い出来事、悲しい出来事、苦しい出来事を通して、

神様はあなたに、何があっても決して変わることのない神様の無条件の愛を確かめてもらいたい

と願っていらっしゃいます。

その神様の愛に満たされて、神様・イエス様のように周りの人々を愛することができるようになってもらいたい

と願っていらっしゃいます。

そのために必要な心と行動の変化をもたらしてくださるのはあなたの内に住む聖霊

です。

祈りの中で自らを神様にさらけだし、神様とあなたとの間をとりなしてくださる聖霊の働きに身を委ねてみてください。

たとえ少しずつだとしても確かに、着実に、あなたの思いや考えが神様の思いや考えに近づけられ、あなた自身もまたイエス様に似た者へと変えられていきます。

その苦しみの先に待つものを神様・イエス様・聖霊と共に確かめることができますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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