「神の憐れみへの応答」:2021年7月18日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

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導入

Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では2021年が始まってからずっとローマの信徒への手紙から説教をしていますが、今日の個所から12章に入っていきます。

これまでの1-11章はどちらかといえば論理的・学問的な内容でした。大まかに言うと、

神様・イエス様がどういうお方で、私たち人間に何をしてくださったのか

という内容が中心でした。対して、12章以降はより実生活に関連した実践的な内容となっています。具体的には、

神様・イエス様が私たち人間にしてくださったことに対して、私たちがどのように応答するべきか、どのように生きるべきか

が記されています。

聖書の語る救いにはイエス様を信じて罪赦され、神様の前に正しい者とされてから後、

この世で生きている間にそれまでとは異なる新しい人生を生きる

ことが含まれています(参照:ローマの信徒への手紙6章4節;参考:ローマの信徒への手紙6章6-14節)。

ここで大切なのは順序です。

私たちが神様の望む生き方を生きるのは、もう既にイエス様を信じる信仰によって罪赦され、神様の前に正しいとされたから

です。

私たちの罪が赦されるため、神様の前に正しい(義)と認められるために神様の望む新しい人生を歩む訳ではありません。

この順番を間違ってしまうと「律法主義」や「形式主義」に陥りかねません(比較:ローマの信徒への手紙9章30-32節)。

では、神様の恵みと憐れみによって、イエス様を救い主と信じる信仰によって罪赦された私たちに対して、神様が望まれる新しい生き方とはどのようなものなのでしょうか。

神様から既に受けた愛と恵みと憐れみに対して、私たちはどのように応答すればよいのでしょうか?

自らを神に献げる

ローマの信徒への手紙12章1節でパウロは、神様の愛と恵みと憐れみを受けた者として、

自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
【ローマの信徒への手紙12章1節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(新)286頁

と勧めています。

私たちはイエス様を信じる信仰によって罪赦され、神様の前に正しい者(義)とされます。これは、それまで壊れていた神様との関係が回復したことを意味しますから、神様にとって喜ばしい状態です。

また、イエス様を信じた人は神様に属する者となります(ローマの信徒への手紙7章6節;比較:6章16-22節; 8章14-15節)。神様に属するものとなることは聖書的に言うと「聖なるものとなる」ことと同じです(参考:レビ記20章26節;申命記7章6-8節)。

さらに、イエス様を信じた人はイエス様にあって生きている者でもあります(ローマの信徒への手紙6章8, 11節)。

従って、

神様の憐れみによって、イエス様を信じる信仰によって罪赦され、神様の前に正しいとされた人はもう既に神様に喜ばれる存在であり、聖なる存在であり、生きた存在

ということになります。それ故、

その既に受けた憐れみに答えるべく、自分の体(人生)を神様に献げ、神様を礼拝するように

パウロは勧めています。

自らを造り変えられる

既に受けた神様の憐れみに答えるべく、私たちの全てを神様に献げ、神様を礼拝するというのはもちろん、簡単なことではありません。

私たちはこの世において様々な誘惑を受けます。

特に日本ではクリスチャン人口が非常に少ないため、周囲から聖書の教えに反するような言動を求められることが少なくないと思います。

しかも、同調圧力が強いため、周りからの要請・期待を断ったときに受ける犠牲も無くはありません。

ひどい時にはいじめられたり、コミュニティから断絶されたりすることがあるかもしれません(比較:ヨハネによる福音書15章18-21節; 17章14-15節)。

それでもパウロはローマの信徒への手紙12章2節で、

この世に倣うのではなく、むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただくように

と勧めています。

それまでの自分のやり方・考え方に固執するのではありません。

周りのやり方・考え方に流されるのでもありません。

神様の霊である聖霊の助けによって、それまでの自分のやり方・考え方を改め、神様のやり方・考え方に近づけていただく

必要があります。その

心の内側の変化は神様に対して祈り求めることから始まります(参考:ローマの信徒への手紙8章26-27節)。

祈りの中で、聖霊の助けによって自分の思いや考えが神様の思いや考えに近づけられていくと、何が神様の御心なのかが少しずつ分かるようになります。

特に、神様の目からみて何が善いことで悪いことか、神様が何を喜び悲しまれるのか、神様の望まれる「完全」なこととは何かを知ることができるようになります(12章2節)。

とはいえ、残念ながら、自らが神様に造り変えられていく変化・変革のプロセスは直ぐに完了する訳ではありません。

その変化・変革は日々の生活の中で少しずつ、でも着実にもたらされます。

いずれにしても大事なことは、日曜の午前中だけでなく、

日々の生活の中で絶えず神様の御心が何かを考えること
神様の思い・考えと自分の思い・考えが離れてはいないかを意識すること

です。そしてその結果として、

神様の望まれる言動を選び取っていく

それが、既に受けた神様の憐れみへの応答として、私たちの全てを神様に献げ、神様を礼拝する生き方です。

結論

神様の憐れみによって、イエス様を信じる信仰によって罪赦され、神様の前に正しいとされた人はもう既に神様に喜ばれる存在であり、聖なる存在であり、生きた存在です。

その神様の恵みと憐れみを受けた人に対して神様は、自らの全てを神様に献げ、神様を礼拝するように

求めておられます。そのためには、

日々の生活の中で絶えず神様の御心が何かを尋ね求める

必要があります。

祈りの中で自分の思い・考えを神様の思い・考えに近づけてもらえるよう聖霊により頼む

必要があります。そうすることで、

少しずつではありますが、神様の望まれる新しい生き方を歩める

ようになります。

神様の望まれる生き方を歩もうとするときに決して忘れてはならないこと、それは神様からもう既に与えられている愛と恵みと憐れみです。

イエス様を信じる信仰によって罪赦され、神様の前に正しい者(義)とされた私たちはもう既に有り余るほどの愛と恵みと憐れみを受けています。

その既に与えられた神様の愛と恵みと憐れみへの応答として、神様の望まれる新しい人生をイエス様と共に歩んでいく

のです。

神様の愛と恵みと憐れみはあなたの人生の全てに及んでいます。

あなたは神様の愛と恵みと憐れみによって生かされている存在です。

ですから、日曜日の午前中だけでなく、

あなたの人生の全てを神様に献げる

ことが求められています。

ある特定の時間・場所だけではなく、人生のあらゆる局面において神様を第一にできているでしょうか。

家庭において、学校において、職場において、どこにいても絶えず神様の御心が何かを意識できているでしょうか。

あなたが何をするにしても、何を考えるにしても、その絶対的な基準は神様(聖書の教え)にあるでしょうか。

私たちは心の内側から造り変えられる必要があります。

神様はあなたの表面的な行いだけでなく、心の内側もご覧になっています。

あなたが何か「良いこと」をするとき、神様への感謝と喜びではなく単なる義務感、もしくは不安や恐怖からすることはないでしょうか。

神様ではない他の誰か・何かを喜ばせようとしてはいないでしょうか。自分自身をよりよく見せようとしてはいないでしょうか。

最後に、

私たちが造り変えられるのはあくまでも神様の霊、聖霊の働きによるもの

であることを忘れてはいけません(参考:コリントの信徒への手紙二3章18節)。

神様の救いの御業は最初から最後まで全て神様の愛と恵みと憐れみによるもの

です(参考:フィリピの信徒への手紙1章6節;エフェソの信徒への手紙2章10節)。

このため、自分の身にもたらされた変化・変革を他の人たちと比べて一喜一憂することは意味がありません。大事なのは、

自分自身が神様の愛と恵みと憐れみによって生かされ、造り変えられていることを忘れないこと

そして、

その受けた愛と恵みと憐れみに対して、聖霊の助けにすがりながら自分なりに応答していくこと

です。

とは言われても、です。

自分の中になかなか起きない変化・変革にいら立ちや焦りを感じることがあるかもしれません。

忙しい生活に追われ、神様のことを絶えず第一にできていないことがあるかもしれません。

神様への感謝と喜びではなく単なる義務感によって惰性で生きてしまうことがあるかもしれません。

自分と同じように神様の望む生き方を歩もうとしていない他のクリスチャンたちを裁いてしまうことがあるかもしれません。

何度も何度も同じ過ちを繰り替えし、一向に変わらない自分に自己嫌悪を覚えることがあるかもしれません。

そんなときには今一度、

イエス様の十字架と復活を思い起こしてください。
そこに表されている神様の愛と恵みと憐れみを思い出してください。
神様は弱く不完全なあなたを変わることなく愛し続けておられます。

たとえあなたが失敗や過ちを繰り返したとしても、

神様があなたを見限ることはありません。

あなたを嫌いになることもありません。

大事なことは、

自分の過ちや失敗を素直に認め、その罪を御前に告白し、悔い改めること(ヨハネの手紙一1章9節)

そして、

そんな弱く不完全なあなたを愛し続けてくださっている神様の憐れみに対して、あなたの内に住む聖霊と共に応答していくこと

です。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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