子育てから学ぶ神との関係:「成長」について


息子は少し前に1歳半となりましたが、日増しに成長しているのを感じます。

生まれたばかりのころは首も座っておらず、歩くことはもちろん寝返りも打てず、ある意味、寝かせる場所さえ確保していれば十分でした(その分、授乳やおむつ替えやお風呂が大変でした)。

しかし、徐々に首が座ってきて、寝返りを打ち出し、ハイハイから一人歩きをするようになってきて、今では寝ているとき以外は目を離すことができなくなりました(その分、乳児の時ほど気を使わなくてよいことも増えてきました)。

最近は何でも自分でやりたがりますし、食べ物も自分に出されたものではなく親が食べているものを食べようとします。で、自分の思い通りにいかないと泣きわめいて手に負えなくなります。

言葉に関しては、息子なりの言葉(言語?)を話しているような気がしますが、まだ大人が聞いて理解できるような言葉にはなっていません(妻は時折、何を話しているか理解しているようですが)。

でも、大人の話していることはそれなりに(単語単語ですけど)理解できているように思います。

このように、文字通り、目に見えて分かる息子の成長を見守ることができるのは非常に喜ばしいもので、これからの成長が楽しみでもあります。

と同時に、しっかりとした大人に成長してくれるだろうかと不安や心配に思うこともあります。

聖書(キリスト教)の神様は過去、現在、未来の出来事を全てご存知なお方ですので、私たちがこれからどのように成長していくのか(成長しないのか)も全てご存知なお方です。

このため、きっと神様は、私たち人間の親が子供の将来に対して抱く期待や不安や心配といったものを人間に対して持っていないのかもしれません。

が、それでもやはり

神様は人間の成長を自分のことのように喜んでくださっている

と思います。

実際、私たちが成長できるように(イエス様のように考え行動できるようになるように)、神の霊である聖霊が私たちクリスチャンのうちに住んでくださって、私たちを絶えず導いてくださっていると聖書は語ります。

そして、そんな

聖霊(神の霊)を悲しませる生き方はしないように

と神様は私たち一人一人に願っておられるのです(参考:エペソ人への手紙4章30節)。

人間であっても、ある程度の年齢になると自分の親を悲しませないような生き方、親が喜ぶような生き方をしたいと思うようになると思います。

それと同じように、

自らの造り主であり救い主でもある天の父なる神様を悲しませない生き方、神様が喜ぶような生き方をしていきたいな…

と、まだまだ自己主張を通すために泣きわめいている我が子を眺めながら思わされました。

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