礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。
- 日時:2022年1月9日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「人の思惑、神の計画」
- 聖書個所:出エジプト記1章1-22節1
導入
Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では年末年始やクリスマス、イースターといった特別なイベントがある場合を除いて、聖書の特定の書物・書簡から説教をしています。
昨年はローマの信徒への手紙とハバクク書からの説教でした。
2022年は丸一年をかけて旧約聖書の出エジプト記1-20章の話をみていく予定です。
というと、一番の理由は
です。
いつの時代もこの世界は苦難・困難で満ちています。
私たちは絶えず何らかの苦難・困難から救い出されることを願っていると言っても言い過ぎではありません。
そんな私たちにとって、エジプトで苦しんでいたイスラエル民族が神様・モーセによって助け出されるという話は自分自身の苦しみと比較的簡単に重ね合わせることができます。
このため、神様の救いがイメージしやすくなると言えます。
とはいえもちろん、イエス様の十字架と復活によってもたらされる「救い」はこの世の苦難・困難から直ちに救い出されることを意味する訳ではありません。
ものです(参考:ローマの信徒への手紙5章12-21節; 6章4-11節;エフェソの信徒への手紙2章1-9節;ヘブライ人への手紙2章14-15節)。
これからの一年間、出エジプト記の話を通して、
を共に学んでいきましょう。
神の願い
さて、その出エジプト記の冒頭にはヤコブ(別名イスラエル)の子供たちの名前が記されています。
このヤコブ(イスラエル)がどのような人物であったかについては出エジプト記の前に位置する「創世記」を読む必要があります。
これはつまり、
ということを意味しています。実のところ、
となっています。とりわけ今日の聖書個所と関りが深いのは、
そして、その後の
です。創世記1章28節で
また
と命じています。けれども、
聖書用語で「堕落」と呼ばれる出来事です。
この「堕落」以降、地上は罪と悪にあふれるようになります。
そして遂に神様は、洪水によって地上から人を消し去るという決断をくだします(創世記6章1-8節)。
ただし、ノアとその家族だけは洪水から免れました。
その時代にあって、ノアは正しく全き人で、神様と共に歩んでいたからです(創世記6章9節)。
洪水の後、
と再び命じられました(創世記9章1節)。
ことが分かります。
神の約束
神様がアダムとエバ、そしてノアに命じられた言葉(創世記1章28節; 9章1節)は、後に神様がアブラハムと結ぶ契約の土台となっています。
事実、神様がアブラハムと結んだ契約の中にはアブラハムを「大いに増やす」(17章2節)こと、それからアブラハムが「子孫に恵まれる」(17章6節)ことが挙げられています。
アダムとエバ、そしてノアの場合と大きく異なる点は、神様はアブラハムに対しては命令を与えるのではなく彼と契約(約束)を交しているところです。
のです。
なお、神様はアブラハムと契約を結ぶにあたって、「(ノアのように)私と共に全き人生を歩むなら、お前と契約を結ぼう」とおっしゃっています(創世記17章1-2節;比較:創世記6章9節)。
このことから、
ことが分かります。
神の計画
この地を神の民(神と共に歩む人々)で満たそうとする神様の計画が確かに実現されていることが今日の聖書個所に記されています。
というのも、出エジプト記1章7節に出てくる「多くの子を産む」「多くなる」「溢れる」と訳されている言葉は創世記1章28節および9章1節の中に出てくる「産む」「増える」「満ちる」という動詞と同じものだからです。
しかしながら続く8節以降には、この神様の計画を妨害・邪魔しようとする存在がいることが記されています。
このエジプトの新しい王は、自分たちの土地で増え広がっている異民族、イスラエル民族に対して脅威を感じるようになります(1章9-10節)。
そこで、イスラエル民族がこれ以上、増え広がらないようにするためにエジプトの王は様々な対策を講じます(11、13-16節)。
ところが、エジプト人たちがイスラエル民族を苦しめれば苦しめるほど、イスラエル民族の数はますます増え広がっていきます(12、20節)。
その結果、最終的にエジプトの王は全ての民に対して、生まれた男の子をナイル川に投げ込むようにと命じます(22節)。
こうした一連の話の中には、
ことが示されています。しかも、恐らくは
と思われます。
だと言えます。
結論
この神様の壮大な御計画は、たとえどのような妨害・邪魔が入ろうとも着実かつ確実に実現していきます。
です。
この地を神の民で満たそうとする神様の計画の最大の妨げとなるのは、アダムとエバが「堕落」してしまって以来、人間の奥底に存在している罪だと言えます(参考:ローマの信徒への手紙5章12-21節; 7章17-25節)。その
この
のです(参考:ローマの信徒への手紙6章3-14節; 8章1-8節;エフェソの信徒への手紙2章1-9節)。そして、
されます(参照:ヨハネの黙示録21章3-4節)。この救いの計画を実現するため、神様・イエス様は今も生きて、この地で働いておられるのです。
けれども、そうは言われても、
ときがあります。特に昨今のコロナ禍にあって、
と感じる方は多いと思います。
しかし、今日の聖書個所からも分かるように、
です。事実、イスラエル民族にしてみれば彼らはある日、突然、訳も分からないまま強制労働を課された訳です。
しかも、労働条件はどんどん悪くなっていくばかりです。
そんな中で彼らは神様に助けを求めたことでしょう(参考:出エジプト記2章23節)。
それでも、状況は直ぐには良くなりません…。
後日、見ていくことになりますが、神様がモーセを用いてイスラエル民族をエジプトでの奴隷(強制労働)状態から救い出すのは、今日の個所の出来事から少なくとも80年経った後の話です(使徒言行録7章23, 30節)。
ことになります。にもかかわらず、
のです。
この新しい一年もまだまだ先が見通せず、不安と恐れの尽きない一年となりそうです。
でも、
参考文献および注釈
- Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
- Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.