「信じる者は救われる」の語源はキリスト教(聖書)!?言葉の意味は?

信じる者は救われる

という言葉(ことわざ?)を聞いた事がある方は多いのではないでしょうか。

ネットで検索しても色々なサイトが「信じる者は救われる」という表現について紹介しています。

しかしながら、私がざっと見た限り、その語源ははっきりとしていないように思われます(もし語源を御存じの方はご一報ください)。が、実は、

聖書の中に「信じる者は救われる」に近い言葉が出てくる

のです。

ということで、今回は聖書(キリスト教)の語る「信じる者は救われる」の意味について紹介したいと思います。

今回の話の流れ(目次)は以下の通り。

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「信じる者は救われる」に関する聖書個所


聖書の中には「信じる者は救われる」という言葉と全く同じ表現は出てきませんが、それに近い表現は幾つか出てきます。それらは例えば以下のもの。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。【ローマ人への手紙10章9節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉314頁1

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。【使徒の働き16章30節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉268頁

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。【ヨハネの福音書3章16-17節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉180頁

上記三つの引用は、「信じる」と「救われる」の間に入ってくる言葉が少ない順に並べています(聖書に収められている順番ではありません)。

最後の引用箇所「ヨハネの福音書3章16-17節」において、神の「ひとり子」または「御子」というのは、イエス・キリストのことを指しています。

従って、二番目の引用個所「使徒の働き16章30節」と三つ目の「ヨハネの福音書3章16-17節」から、信じる対象は「イエス」であることが分かります。

でもここで最初に引用した「ローマ人への手紙10章9節」をみると、信じる対象は「神がイエスを死者の中からよみがえらせたこと」となってます。ですから、

あれ、イエスを信じるんじゃないの!?矛盾してない?

と思う方は多いと思います。しかしこれは、その前に「あなたの口でイエスを主と告白し」ともありますので、

大きな意味で「イエス」を信じることと関係している

と思えなくはないかと思います。でもやはり、

そうは言われても、イマイチすっきりしないな…

と思われる方のために、

イエスの何・どこをどう「信じる」のか?

について、次節で少し詳しくみていきます。

「信じる者は救われる」の「信じる」の意味

さて、前節で紹介した聖書個所から、キリスト教(聖書)的に「信じる者は救われる」というときの信じる対象は「イエス」であることが何となく分かっていただけたと思います。

が、しかし、「イエスを信じる」と言われただけでは、具体的に

イエスの何・どこをどう信じればよいのか?

は全く分かりません。とはいえ、「イエスの何・どこをどう信じればよいのか?」について書き出すと大変なボリュームになりますので、ここでは答えだけを紹介します。2

聖書(キリスト教)が「信じる者は救われる」というときの「信じる」と言う言葉の意味は以下のように表現できます。

イエス・キリストに対して、罪の赦しと永遠の命を与えるために十字架で死んでよみがえった救い主であるという個人的な信頼を置くこと

ここで注目していただきたいのは最後の「個人的な信頼を置く」と言う言葉。

聖書が「信じる者は救われる」と語る時、イエス・キリストが罪の赦しと永遠の命を与えるために、十字架で死んでよみがえったことを頭の中で知識・認識として正しいと認めるだけでは不十分なのです。3

もちろん、知識・認識として正しいと認めることは必要ですが、その上で、

イエス・キリストを自分の個人的な救い主として心の底から信頼する

ことが重要です。

裏を返せば、私たちの人間関係において「妻・夫を信じる」とか「部下・上司を信じる」といった表現が使われるのと同じく、聖書の神に対しても個人的な人間(?)関係を築くことができるということになります。

なお、イエス・キリストと私たち人間との間の信頼関係にはある種の「主従関係」が伴います。そして、もちろん(もしくは残念ながら!?)、このときの「主」は救い主であり神でもあるイエスです。

ですから、イエスに信頼を置くというのは、

イエスを自分の主(しゅ)として信頼して付き従う

ことを意味します。一言で言ってしまえば、

それまでの自分中心だった(自分が人生の主であった)生き方から、神様を中心とした(神様を人生の主とする)生き方に改める

と言えます。そして、この「自分中心から神様中心への生き方の方向転換」を「悔い改め」と呼びます。この意味で、

聖書(キリスト教)における「信じる」と「悔い改める」は、切っても切り離せない表裏一体の関係にある

と言えます。4

「信じる者は救われる」の「救われる」の意味


前節では、「信じる者は救われる」の「信じる」とは

イエス・キリストに対して、罪の赦しと永遠の命を与えるために十字架で死んでよみがえった救い主であるという個人的な信頼を置くこと

であるとしました。

では、イエス・キリストに対して、罪の赦しと永遠の命を与えるために十字架で死んでよみがえった救い主であるという個人的な信頼を置いたとき、

一体、何が起きるのか?

それは

罪の赦しと永遠の命が与えられ、私たちの罪がもたらす永遠の滅び(死)から救われる

と聖書は語ります。そのことが記されているのが初めの節で紹介した「ヨハネの福音書3章16-17節」。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。【ヨハネの福音書3章16-17節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉180頁

なお、ここで「罪の赦し」「永遠の命」「救い」について書き出すと長くなりますので、興味のある方は下記の記事をご覧ください。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。
イエス・キリストはなぜ復活した(よみがえった)のか?ーイエス復活の意味ー
聖書は「イエスは私たちの罪のために十字架刑で死んで葬られ、三日目によみがえった(復活した)」と語ります。が、そもそも「なぜイエス・キリストは死んだ後にわざわざ復活したのか?」「十字架刑で死ぬだけではダメだったのか?」。イエス復活の意味を考えます。

まとめ

今回は聖書(キリスト教)が教える「信じる者は救われる」の意味について紹介しました。

キリスト教で「信じる者は救われる」と言うときの「信じる」および「救われる」という言葉の意味は下記のように表現することができます。

  • 信じる…イエス・キリストに対して、罪の赦しと永遠の命を与えるために十字架で死んでよみがえった救い主であるという個人的な信頼を置く
  • 救われる…罪の赦しと永遠の命を与えられ、私たちの罪がもたらす永遠の滅び(死)から救われる

従って、聖書(キリスト教)が教える「信じる者は救われる」の意味は以下になります。

イエス・キリストに対して、罪の赦しと永遠の命を与えるために十字架で死んでよみがえった救い主であるという個人的な信頼を置く者は、罪の赦しと永遠の命を与えられ、私たちの罪がもたらす永遠の滅び(死)から救われる

でも実は、聖書(キリスト教)の教える「救い」に関しては、「罪の赦し」と「永遠の命」以外にも重要な側面があります。興味のある方は下記の記事をご覧ください。

イエス・キリストを信じると何が起こる・変わる?―キリスト教(聖書)の救いの意味―
実は、聖書(キリスト教)の語る「救い」には「罪の赦し」と「永遠の命」以外にも重要な側面があります。今回は「イエス・キリストを信じると何が起こる・変わるのか?」を考えつつ、聖書(キリスト教)の教える「救い」の意味について紹介します。
イエス・キリストを信じて終わりじゃない!?―キリスト教(聖書)の救いの完成―
「イエス・キリストを信じる者は救われる」と聞くと「イエスを信じたら全てが終わりで、後はただ死を待つだけ」という気がしてしまいます。でも実は、イエスを信じてからが始まりなのです。今回は「イエスを信じた後はどうする・どうなる?」について考えます。

なお、聖書の語る「罪」についてもっと詳しく知りたい方は下記の記事を参照ください。

人はみな罪人?キリスト教(聖書)の教える罪とは?―罪の定義と本質―
ある日突然「全ての人は罪人(つみびと)だから、悔い改めなければ救われない」と言わても、納得できない人がほとんどだと思います。今回はキリスト教における罪の定義と本質に焦点をあてながら、「罪とは何か?」「人はみな罪人なのか?」を考えます。
なぜ人は罪を犯す?生まれながらに罪人?原罪とは何?―罪の原因―
今回の疑問は「積極的に悪いことをしよう・したいとは思っていないのに、つい魔が差して、悪いことに手を染めてしまう自分を止められないのは、一体なぜ?」「ひょっとしたら、人間は生まれながらに善いことをすることができない!?」人が罪を犯す原因について考えます。
罪に程度や大小の違いはある?赦されない罪は?―罪の種類と結果―
もし本当に「人はみな罪人」であるなら、気になってくるのは当然「罪を犯したらどうなる?」「罪の罰には程度の違いがある?」「イエスを信じれば全ての罪は例外なく赦される?」といったことでしょう。今回は気になる罪の種類と結果(罰)について考えます。

「罪の赦し」「永遠の命」「救い」に関しては下記の記事が参考になると思います。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。
イエス・キリストはなぜ復活した(よみがえった)のか?ーイエス復活の意味ー
聖書は「イエスは私たちの罪のために十字架刑で死んで葬られ、三日目によみがえった(復活した)」と語ります。が、そもそも「なぜイエス・キリストは死んだ後にわざわざ復活したのか?」「十字架刑で死ぬだけではダメだったのか?」。イエス復活の意味を考えます。

参考文献および注釈

  1. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 新改訳2017』から引用。
  2. 詳細は下記を参照。Wayne A. Grudem, Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994), 709–712; John M. Frame, Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology (Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006), 188–191.
  3. 聖書の語る「罪」について、興味のある方は下記の記事を参照ください。「人はみな罪人?キリスト教(聖書)の教える罪とは?―罪の定義と本質―」「なぜ人は罪を犯す?生まれながらに罪人?原罪とは何?―罪の原因―」「罪に程度や大小の違いはある?赦されない罪は?―罪の種類と結果―」
  4. 詳細は下記を参照。Millard J Erickson, Christian Theology, 3rd ed. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013), 864–865; Grudem, Systematic Theology, 713–717.
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