今回は「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」についての最終回。前々回は聖書が語る「よみがえり(復活)の特徴・性質」をみました。
今回は前回に続いてイエス・キリストが実際によみがえった(復活した)ことを支持する「証拠」を取り上げます。
前回は下記の4つの「証拠」の中で最初の二つを紹介しましたが、今回は残りの二つをみていきます。
- 教義・世界観の変化
- 人々の変化
- 人々の証言
- 空っぽの墓
ご興味のある方は、前回の記事もご覧ください。
なお、この記事で考える「証拠」というのは、科学的な客観性・普遍性をもった証拠ではなく、過去の出来事が実際に起こったかどうかを指し示す「証拠」です。
前回の記事でも触れましたが、一般的に、以下の5つの性質のいずれか一つ(もしくは複数)をもっていれば、その歴史学的証拠の確からしさは高いと言えます。1
- その証拠(証言など)の出所が複数かつ独立したものである
- その証拠を友好・利害関係のない者も支持している
- その証拠によって当事者(証言者)が不名誉を被る
- その証拠が実際の目撃者の証言に基づいている
- 証拠(証言の記録・文書など)の作成時期とその証拠が支持する歴史的出来事の時間間隔が短い
今回は最後に、前回そして今回の記事で「証拠」として示された事柄・出来事・事実に対して、
をみていくつもりです。
なお、「なぜ死んだイエス・キリストがよみがえった(復活した)のか?」という「イエス復活の意味」について興味のある方は、下記の記事もご覧ください
今回の話の流れ(目次)は以下の通り。
目次
イエス復活の証拠③:人々の証言
十字架で死んで墓に葬られた後、三日目によみがえった(復活した)イエスは40日間にわたって弟子たちに現れたと聖書には記されています(使徒の働き1章3節)。
そして、復活して40日目には、イエスは弟子たちの目の前で天に上げられ、彼らの目には見えなくなってしまいます(使徒の働き1章9節)。
従って、仮に死んだイエスが本当に復活していたとしても、40日間しか地上にいなかったのですから、復活したイエスを実際に目撃した人の数は自然と限られてくることになります。
事実、聖書以外の文献で、復活したイエスを目撃したという証言は今のところ見つかっていないようです。2
しかしながら、聖書内に見受けられる証言(証拠)は、冒頭で挙げた信憑性の高い歴史学的証拠のもつ5つの性質を兼ね備えています。以下の議論で重要になってきますので、5つの性質を再掲しておきます。
- その証拠(証言など)の出所が複数かつ独立したものである
- その証拠を友好・利害関係のない者も支持している
- その証拠によって当事者(証言者)が不名誉を被る
- その証拠が実際の目撃者の証言に基づいている
- 証拠(証言の記録・文書など)の作成時期とその証拠が支持する歴史的出来事の時間間隔が短い
復活後すぐの証言
イエスが死んで葬られた後、三日目に復活したことを証言する聖書内の記述として、まずは以下の箇所を取り上げます。
私(パウロ)があなたがた(コリントに住む人たち)にもっとも大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリスト(イエス)は、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、またケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。【コリント人への手紙第一15章3-5節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉349頁
これはパウロという人物がコリントに住む人々に宛てて書いた手紙の一部。
ここで注目したいのは「私(パウロ)があなたがたにもっとも大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです」という表現。つまり、この後に続く内容はパウロ自身も他の人から受けたことであるということ。
そして、パウロが他の人から受けたことの内容は、
「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、またケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」
というのです。
ここにはっきりと
が記されています。
しかも、この内容は、パウロがコリントに住む人たちに「最も大切なこととして伝えた」ものともあります。従って、その当時、既にキリスト教の中心的な教えとして確立されていた事柄であったと推測できます。
パウロが言及(引用)しているイエスのよみがえり(復活)も含まれたキリスト教の中心的な教え。この教えがいつ頃までに確立されたかというのは、残念ながら、はっきりとは分かっていません。
が、イエスの復活後、数年のうちに確立され、紀元後35年頃にパウロはその教えを受けたと考える学者もいます。3
いずれにしても、パウロがコリントに行って宣教活動を始めた紀元後50年頃までに確立されていたのは間違いありません。4
イエスが死んだのが紀元後30年頃とすると、5
ことになります。
と思われる方は多いかもしれません。が、
と言えます。
例えば、紀元前4世紀に活躍したアレクサンドロス大王(紀元前356-323年)の伝記で現存する最も古いものは、彼の死後400年ほどが経った紀元後1-2世紀頃に書かれたものだそうです。にもかかわらず、歴史家はその伝記の内容は全般的に信頼に値するものとしています。6
ですから、古代に起きたある歴史的出来事に関する文献(伝記や手紙など)が、その出来事が起きてから数十年以内に書かれ、かつ今も残っているというのは極めて異例だと言えます。
つまり、先の聖書個所に記されている
と言えます(前出の5つの性質の4, 5番目に該当)。
大人数による証言
前項で引用したコリント人への手紙第一15章の続きには次のような証言があります。
その後、キリスト(イエス)は五百人以上の兄弟(クリスチャン)たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。【コリント人への手紙第一15章6節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉349頁
ここに、復活したイエスは「五百人以上の兄弟(クリスチャン)たちに同時に現れました」と記されています。しかも、その中の大多数は今もなお生きているとパウロは言っています。
実際、パウロがこの「コリント人への手紙第一」を書いたのは、諸説はありますが、紀元後53-55年頃とされていますので、7 イエスの復活(紀元後30年頃)を目撃した人がまだ生存していたとしても不思議ではありません。
ですから、
ことになります。
裏を返せば、それほどまでにパウロはイエス復活に関する目撃証言に自信をもっていたことが分かります。
そして、
とも言えます(前出の5つの性質の1, 4, 5番目に該当)。8
ちなみに、イエスの復活を否定する仮説の一つに、弟子たちは幻覚症状(hallucination)にあったと考えるものがあります。しかし、500人以上の人が同時に同じ幻覚をみることは心理学的にみて有り得ないことですので、イエスの復活は幻覚ではなかったということになります。9
迫害者による証言
パウロによるイエス復活に関する証言はまだ続きます。
そして最後に、月足らずで生まれた者のような私(パウロ)にも現れてくださいました【コリント人への手紙第一15章8節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉349頁
この箇所ではパウロ自身にも復活したイエスが現れてくださったと証言しています。
ちなみに、このパウロはその昔、クリスチャンを迫害していた熱心なユダヤ教徒でした (参照:コリント人への手紙第一15章9節)。10
つまり、イエスの復活を主張するクリスチャンたちとは「友好・利害関係がない」どころか完全な「敵対関係」にあった人物です(前出の5つの性質の2番目に該当)。
と言えるでしょう(前出の5つの性質の2, 4, 5番目に該当)。
女性たちによる証言
パウロが書いた手紙には名前が出てきていませんが、実は4つの福音書全てにおいて、イエスの復活にまつわる話で最初に登場するのは女性たちです(参照:マタイの福音書28章1-10節;マルコの福音書16章1-8節;ルカの福音書24章1-12節;ヨハネの福音書20章1-2, 11-18節)。
現代の私たちからすると、話の中に女性が登場するのはそれほど大したことではないように思えます。
が、しかし、
これはつまり、
ことを意味します。
まして、その話が全くの作り話であるとすれば、なおさら話の中に女性を登場させはしないはずです。
にもかかわらず、
福音書には女性たちがイエス復活の目撃者として登場している。
ということは、です。
といえます(前出の5つの性質の3番目に近い)。
さらに特筆すべきは4つの福音書の成立年代。そのいずれも、先に見た「コリント人への手紙第一」よりも後に書かれたと考えられています。12
つまり、パウロの手紙の中には登場していなかった女性たちの目撃証言を福音書の作者たちが後になってわざわざ付け足したということ。
しかも、その気になれば、女性たちを登場させないようにもできたにもかかわらず、4つの福音書の作者全員が女性たちを話の中に登場させることを良しとした訳です。13
もしイエス復活の話が弟子たちの作り話だとするならば、当時の社会背景を考えると、わざわざ話の中に女性たちを登場させることは極めて考えにくいこと。
しかも、先に書かれたパウロの手紙には女性たちの名前が出ていないにもかかわらず、後になって女性たちの目撃証言が4つの福音書全てに付け足されている…。
ということは、恐らく、
と考えられます。14
イエス復活の証拠④:空っぽの墓
死んだイエスが肉体をもってよみがった(復活した)ことの歴史学的証拠として、最後に紹介するのは「空っぽの墓」。
これは文字通り、イエスの死体が納められていた墓が「空っぽ」だったこと、つまり、墓の中にイエスの死体が存在していなかったことを指します。
イエスの死体が納められていた墓が空っぽだったことを支持する聖書内の記述はマタイの福音書28章12-15節。
そこで祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」そこで、彼らは金をもらって、言われたとおりにした。それで、この話は今日までユダヤ人の間に広まっている。
【マタイの福音書28章12-15節】出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉64頁
この箇所には、イエスの死体が納められた墓の番をしていた兵士たちが自分たちの経験した出来事(参照:28章1-11節)を祭司長たちに報告したのを受けて、祭司長たちと長老たちがとった対応が記されています。
この箇所から明らかに分かることは、マタイが福音書を書いた当時、ユダヤ人の間には「イエスの弟子たちが夜やって来て、イエスの墓の番をしていた兵士たちが眠っている間にイエスを盗んで行った」という話が広まっていたということ。
つまり、間接的ではありますが、
ことになります。15
これは冒頭で挙げた信憑性の高い歴史学的証拠の性質の一つ
・その証拠を友好・利害関係のない者も支持している
に合致します。16
また、イエスの弟子たちは、イエスの死体が納められた墓のあったエルサレムにおいて、イエスが復活したことを宣べ伝えていました(参照:使徒の働き2章14-42節など)。
そして、彼らの言葉を信じる者が多かったため、ユダヤ人の指導者たちはイエスの弟子たちの宣教活動をやめさせようとします(参照:使徒の働き4章1-22節)。
このとき、もしイエスの死体が墓に残っていたのであれば、ユダヤ人指導者たちはその死体を確認することで、イエスの弟子たちの教えが偽りであることを即座に指摘することができたはずです。
にもかかわらず、彼らは死体を確認しなかった(できなかった)…。
ということは、これまた間接的ではありますが、イエスの墓は空っぽだったことを裏付ける証拠になります。
なお、ユダヤ人たちがイエスの死体を確認しなかった(できなかった)理由として、死体の腐敗が進んでいたため身元確認ができなかったことも考えらえます。
が、しかし、イエスの弟子たちがイエス復活を広め出したのはイエスの死後50日後と言われており(使徒の働き2章1節)、死後50日程度の死体の身元確認は十分にできたと考えられます。17
さらに、前節でも少し触れましたが、イエス復活にまつわる話には女性たちが登場します。
その女性たちがまず最初に目撃したのは他でもない「空っぽの墓」でした(マタイの福音書28章1-8節;マルコの福音書16章1-8節;ルカの福音書24章1-12節;ヨハネの福音書20章1-2節)。
当時のユダヤ社会では女性たちの目撃証言は重要視されていなかったことを考えると、彼女たちが空っぽの墓を目撃したことを作り話として書き記す必要性は考えられません。
つまり、女性たちは実際に空っぽの墓を目撃したから、その事実を書き残したと考える方が自然です。18
信憑性の検証
前回と今回の記事では、死んだイエスが肉体をもってよみがえった(復活した)ことを支持する以下の4つの歴史学的証拠を紹介しました。
- 教義・世界観の変化
- 人々の変化
- 人々の証言
- 空っぽの墓
今節では、上記の「証拠」として示された事柄・出来事・事実に対して、
したいと思います。
教義・世界観の変化
まず、イエスが死ぬ前と死んだ後における「教義・世界観の変化」をまとめると以下になります。
教義・世界観 | イエスが死ぬ前 | イエスが死んだ後 |
---|---|---|
よみがえり(復活) | よみがえり(復活)は教えの中心ではない | よみがえり(復活)はイエスの十字架と並ぶ中心的な教え |
よみがえり(復活)の解釈は多種多様 | よみがえり(復活)の解釈が、それまでには無かった要素を加えて統一的なものへと発展 | |
よみがえり(復活)の比喩的意味は「イスラエル国家の復興」 | よみがえり(復活)の比喩的意味は「洗礼」など | |
キリスト(メシア) | ローマ帝国の支配からイスラエル民族を解放してくれる王もしくは祭司(復活はもちろん、処刑されることは有り得ない) | 人々を罪の滅びから救うために十字架刑で処刑された後、よみがえる(復活する)神の子 |
安息日 | ユダヤ人の民族的・宗教的アイデンティティの中核をなす教え・掟として、週の七日目である土曜日に集まって神に祈り聖書を読んだ | イエスがよみがえった(復活した)週の初めである日曜日を「主の日」として、土曜日ではなく日曜日に集まって神を礼拝するようになった |
上記のような「教義・世界観の変化」がなぜ起きたかを最も上手く説明できる仮説は
というものだと思います。
よみがえり(復活)に関する理解の変化について言えば、
と思われます。
イエスの復活を否定する仮説の中には、イエスは実は十字架上で死んでおらず意識を失っていた (死んだように見えた) だけで、そもそもよみがえって (復活して) はいないというものがあります。19
しかし、イエスが実は死んでなかったという仮説は、よみがえり(復活)に関する教義・世界観が劇的に変化したことを上手く説明できるとは思いません。
キリスト(メシア)に関する理解の変化について言えば、
と思われます。
実際、イエスの死後、ユダヤ人の間で「メシア」だと思われた人物が少なくとも二人登場しています(Simon bar Giora[紀元後70年没]とSimon bar Kochba[紀元後135年没])が、二人がローマ帝国によって処刑された後、依然として彼らを「メシア」だと主張するユダヤ人は一人もいません。20
安息日に関する理解の変化について言えば、
イエスが肉体をもって復活したのはもちろん、復活したのが週の初めの日曜日だったからこそ、ユダヤ人にとって1000年以上もの間、民族的・宗教的アイデンティティの一つとして守ってきた掟(土曜日に『安息日を覚える』という)を変えることに抵抗はなかった(少なかった)
と考えられます。
人々の変化
次に、死んで復活したイエスに出会う前と後における「人々の変化」をまとめると以下になります。
人々 | 復活したイエスに出会う前 | 復活したイエスに出会った後 |
---|---|---|
イエスの弟子たち | 自分のこと(地位や名誉、身の安全など)しか考えていなかった | 自分のことよりも神の真理を優先し、そのために迫害されることも恐れなくなった |
懐疑者(ヤコブ) | イエスを信じていなかった | (復活した)イエスを信じ、初期のキリスト教会においてリーダー的役割を担った結果、殉教した |
迫害者(パウロ) | イエスを信じておらず、イエスを信じている者を積極的に迫害していた | 迫害も苦にせず(復活した)イエスのことを生涯宣べ伝えた結果、殉教した |
上表の人々に共通している変化後の姿は、
という点です。
The Crucifixion of Saint Peter (1601) By Caravaggio, Public Domain, Link
しかも、彼らは皆、イエスの墓が空っぽかどうかを確かめることで、復活したイエスに出会ったという体験が夢か幻か幻覚かどうかを確かめることもできました。21
しかし、前節でみたように、当時の人々にとって、イエスの墓は空っぽだったということは動かし難い事実だったようです。
従って、上表の人々にとって、イエスが肉体をもってよみがえり(復活し)、自分たちに現れたというのは、夢でも幻でも幻覚でもなく動かし難い現実以外の何物でもなかったと思われます。
それ故に彼らは誰一人として、復活したイエスを信じるが故に迫害されたり、殉教することになったとしても、棄教や改宗をしなかったと考えるのが自然だと思います。
と思います。
以上のことから、上表の人々は実際に肉体もってよみがえった(復活した)イエスに出会って人生・世界観が変えられたと考えるのが最も確からしいと思います。
人々の証言
今回の記事で取り上げたイエス復活に関する人々の証言をまとめると以下になります。
証言者 | 証言の特徴 | 証言の性質 |
---|---|---|
イエスの弟子たち | 復活したイエスに出会ってすぐ(数年から20年以内)の証言 | 4, 5 |
大人数(500人以上)の人々 | 復活したイエスが同時に大人数の人々に現れたことの証言 | 1, 4, 5 |
パウロ | クリスチャンを迫害していた人物の証言 | 2, 4, 5 |
女性たち | 当時の社会では証人とは認められていなかった女性たちによる証言 | 3, 4, 5 |
上表の「証言の性質」欄の番号は、以下に再掲する信憑性の高い歴史学的証拠のもつ5つの性質の該当番号と一致します。
- その証拠(証言など)の出所が複数かつ独立したものである
- その証拠を友好・利害関係のない者も支持している
- その証拠によって当事者(証言者)が不名誉を被る
- その証拠が実際の目撃者の証言に基づいている
- 証拠(証言の記録・文書など)の作成時期とその証拠が支持する歴史的出来事の時間間隔が短い
上表から明らかなように、イエス復活に関する証言はいずれも歴史学的証拠としての信憑性は非常に高い(信憑性が高いとされる証拠の性質を複数もっている)と言えます。
イエス復活に関する証言とイエスが復活したとされる出来事の時間間隔が極めて短い(数年から20年以内)ため、イエス復活の話が後世の人による作り話だとする仮説は説得力に欠けます(話の内容の真偽を容易に確かめることができた)。
仮に全ての人が口裏を合わせてが作り話を広めたのだとしても、その話の中に女性たちの目撃証言を含めるようなことはまず有り得ません。また、前項でもみましたが、作り話(偽りだと分かっていること)のために迫害や殉教を厭わない人はまずいないと思います。24
イエス復活は幻もしくは幻覚だったとする仮説も、500人以上の人に同時にイエスが現れたことを考えると現実味はありません。
また、イエスの復活はイエスが死んだことを信じたくない熱心な信者による妄想や思い込み・錯覚によるものという仮説もあります。
が、イエスが死んだ後の弟子たちは意気消沈した様子で、ユダヤ人に危害を加えられることを恐れて、自分たちのいる家の戸にカギをかけていました(ヨハネの福音書20章19節)。
つまり、イエスの弟子たちはイエスの死を現実として受け止めていて、イエスに生き返ってほしいとも思っていないようですし、イエスは生き返るはずだと信じてもいない様子が描かれている訳です。
従って、イエスの弟子たちは、イエス復活の妄想や思い込み・錯覚が起こり得る心理的な状況にはなかったように思えます。25
さらに、クリスチャンを迫害していたパウロは、イエスが死んだ(復活もしていない)ことを誰よりも確信していたはずですから、イエス復活の妄想や思い込み・錯覚が起こるはずがありません。26
イエスの復活を疑う人々の中には、聖書特に福音書内のイエス復活の話には辻褄が合わない箇所が多いため、聖書(福音書)の内容は信頼できないと主張する人もいます。
確かに、細部の記述をみていくと4つの福音書に書かれている内容は微妙に異なっています(例:イエスの墓に出かけた女性の数、墓で女性たちに現れた天使の数など)。
しかしながら、細部の違いを除けば、4つの福音書は以下の大きな流れにおいて一致しています。
- 土曜日の夕方、アリマタヤ出身のヨセフが十字架上で息を引き取ったイエスの遺体を引き取り、墓に葬った
- 翌日となる日曜日の早朝、少人数の女性たちがイエスの墓を訪れ、墓が空っぽなことを発見した
- 女性たちはイエスの墓で天使に出会った
Stained glass of Resurrection with two Marys at a Lutheran Church, South Carolina By Cadetgray - Own work, CC BY-SA 3.0, Link
このことを歴史家の視点から考えると、4つの福音書の作者はそれぞれ独立して(話し合うことなく)イエス復活の話を書き残したとみることができます(前出の5つの性質の1番目に該当)。27
これはつまり、イエス復活に関する福音書の記述の歴史学的信憑性は高いということを意味します。
空っぽの墓
今回の記事で、イエスの死体が納められていた墓が空っぽだったことを示す根拠として紹介したのは以下の三つ。
- ユダヤ人指導者たちは、イエスの弟子たちがイエスの死体を盗み出したと主張していた
- ユダヤ人指導者たちは、イエスの弟子たちがイエスの復活を宣べ伝えていた時、墓にイエスの死体があることを確認しなかった(できなかった)
- 4つの福音書全てにおいて、イエスの墓が空っぽだったことの目撃者として女性たちが登場している
上記二つは、間接的ではありますが、冒頭で挙げた信憑性の高い歴史学的証拠の性質の一つ
・その証拠を友好・利害関係のない者も支持している
に合致しますので、墓が空っぽだったことの信憑性は極めて高くなります。
上記三つ目は、女性の証言は法的な力をもっていなかったという当時の社会背景を考えると、作り話ではなく実際に起こった出来事として考える方が自然です。
従って、イエスの墓が空っぽだったことはほぼ間違いないと言えると思います。
が、しかし、です。
実は、よくよく考えると、
当時のユダヤ人たちが主張していたように、イエスの弟子たちが盗んだとも考えられるからです。
また、事実、イエスの弟子たちですら空っぽの墓だけを見ても直ぐにイエスが復活したと考えることはできませんでした(参照:ヨハネの福音書20章2, 9節)。むしろ彼らは、復活したイエスに出会って初めて信じることができたのです(比較:ヨハネの福音書20章24-29節)。
しかし、
イエスの墓が空っぽだという動かし難い事実があったが故に、肉体をもってよみがえった(復活した)イエスに出会うという体験をした人々は、その体験が夢でも幻でも幻覚でも妄想でも思い込みでもなく、確かに現実に起こった出来事だったと確信したはずです。
その確信の故に、人々の人生や世界観は大きく変えられ、迫害や殉教も厭わないようになったと考えられます。
また、その確信の故に、よみがえり(復活)やキリストや安息日について、それまでとは全く異なる側面・要素を受け入れることができた(受け入れざるを得なかった)のだと思います。
まとめ
今回は「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」について考える三回シリーズの最終回。前回に続いて、イエス・キリストが肉体をもってよみがえった(復活した)ことを指し示す歴史学的証拠を紹介しました。
前回と今回で紹介したイエス復活を指し示す歴史学的証拠は以下の4つ。
- 教義・世界観の変化
- 人々の変化
- 人々の証言
- 空っぽの墓
今回は最終回ということで、上記4つの証拠が示す事柄・出来事・事実を「死んだイエス・キリストが肉体をもってよみがえった(復活した)」という話(仮説)が、他の話(仮説)と比べて、より良く説明できるかどうかを検証しました。
そして検証の結果、私がこの記事内で考慮した他の話(仮説)に比べて、
ことが分かりました。
なお、私の検証結果にイマイチ納得がいかない方、もしくはイエスの復活を支持する証拠についてもっと詳しく学んでみたいと思われる方は、下記の記事に紹介した参考図書をご覧ください。
前回の記事でも書きましたが、イエスの復活に限らず、ある出来事が過去に起こったことを100%確実に(誰もが納得する形で客観的に)「証明」することはまず不可能です。その出来事が約2000年前の大昔に起きたとされるなら、なおさらです。
現代の私たちにできること。それは、あくまでも、その出来事が実際に起きたかどうかの確からしさ(可能性)を検証することだけです。
そして、その検証結果を基にして、その出来事が本当に起こったかどうかを「信じる」か「信じない」は各人の判断に委ねられています。
なお、「なぜ死んだイエス・キリストがよみがえった(復活した)のか?」という「イエス復活の意味」について興味のある方は、下記の記事もご覧ください
参考文献および注釈
- Blomberg, Craig L. Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey. Second edition. Nashville, Tenn.: B & H Academic, 2009.
- Carson, D. A., and Douglas J. Moo. An Introduction to the New Testament. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2005.
- Habermas, Gary R., and Michael R. Licona. The Case for the Resurrection of Jesus. First Edition. Grand Rapids, Mich.: Kregel Publications, 2004.
- Josephus. “Book XVIII.” In The Antiquities of the Jews, translated by William Whiston. London, New York, and Melbourne: Ward. Lock & Co., Limited, 1879. https://en.wikisource.org/wiki/The_Antiquities_of_the_Jews/Book_XVIII.
- Keener, Craig S. The Gospel of John: A Commentary. Peabody, Mass.: Hendrickson, 2003.
- Martyr, Justin. Dialogue with Trypho. Edited by Alexander Roberts & James Donaldson. Edinburgh: T. & T. Clark, 1867. https://en.wikisource.org/wiki/Ante-Nicene_Christian_Library/Dialogue_with_Trypho.
- Strobel, Lee. The Case for Christ: A Journalist’s Personal Investigation of the Evidence for Jesus. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1998.
- Tertullian. “Ante-Nicene Fathers Vol. III, Apologetic, The Shows, or De Spectaculis.” Translated by Sydney Thelwall, 1867. Wikisource. https://en.wikisource.org/wiki/Ante-Nicene_Fathers/Volume_III/Apologetic/The_Shows,_or_De_Spectaculis/Chapter_XXX.
- Thiselton, Anthony C. The First Epistle to the Corinthians. The New International Greek Testament Commentary. Grand Rapids; Carlisle: Eerdmans; Paternoster Pr, 2000.
- Wright, N. T. The Resurrection of the Son of God. First Edition. Minneapolis, Minn.: Fortress Press, 2003.
- 詳細は下記を参照。Gary R. Habermas and Michael R. Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, First Edition. (Grand Rapids, Mich.: Kregel Publications, 2004), 36–40.
- ユダヤ人の歴史家ヨセフス(Josephus; 紀元後37-100年頃)が書いた「ユダヤ古代史(The Antiquities of the Jews)」の中にイエスの復活について記されている箇所があります。しかしながら、その内容は後世のクリスチャンによって書き換えられたものとする見方が優勢のようです。詳しくはブログ記事「イエスは実在したのか?証拠は?聖書以外で証明できる?」を参照。Josephus, “Book XVIII,” in The Antiquities of the Jews, trans. William Whiston (London, New York, and Melbourne: Ward. Lock & Co., Limited, 1879), 474, https://en.wikisource.org/wiki/The_Antiquities_of_the_Jews/Book_XVIII.
- 詳細は下記を参照。Lee Strobel, The Case for Christ: A Journalist’s Personal Investigation of the Evidence for Jesus (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1998), 44, 310–311.
- パウロがコリントで宣教活動を始めた年代に関する詳細な議論は、例えば下記を参照。Anthony C. Thiselton, The First Epistle to the Corinthians, The New International Greek Testament Commentary (Grand Rapids; Carlisle: Eerdmans; Paternoster Pr, 2000), 29–32.
- イエスがいつ死んだかについての詳しい議論は、例えば下記を参照。Craig L. Blomberg, Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey, second edition. (Nashville, Tenn.: B & H Academic, 2009), 225–226.
- 詳細は下記を参照。Strobel, The Case for Christ, 41.
- 詳細な議論は、例えば下記を参照。Thiselton, The First Epistle to the Corinthians, 29–32.
- 現存する文献に記されている独立した複数の証言としては、パウロの手紙以外に、聖書内の4つの福音書や初期のキリスト教会の指導者たち(クレメンス1世[Clement]とポリュカルポス[Polycarp])によるものがあります。詳細は下記を参照。Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 51–56.
- 詳細は下記を参照。Strobel, The Case for Christ, 321–322.
- 詳細は前回の記事「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?②―復活の証拠(前編)―」の中の「3.3 迫害者の変化」を参照。
- 詳細は下記を参照。Strobel, The Case for Christ, 293.
- 4つの福音書の中で一番最初に書かれたとされるマルコの福音書の成立年代は、諸説ありますが、紀元後50年代後半から60年代とされています。詳細は下記を参照。D. A. Carson and Douglas J. Moo, An Introduction to the New Testament, 2nd edition. (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2005), 179–182.
- 「女性たちをイエス復活の話の中に登場させない」というのは事実を歪めるということではありません(「女性たちは誰一人、復活したイエスに会わなかった」と主張するのは事実を歪めることになります)。実際、マタイ(28章9節)、マルコ(16章9節)、ヨハネの福音書(20章14節)には復活したイエスと出会った女性たちの話が出てきますが、ルカの福音書には女性たちがイエスと出会ったという記述はありません。しかし、それはルカが事実を歪めたのではなく、ルカ自身が伝えたいメッセージを強調するために、意図的に女性たちの話を削除したと考えられます。
- イエス復活の信憑性と女性たちの目撃証言の関連性について、詳細な議論は下記を参照。N. T. Wright, The Resurrection of the Son of God, First Edition. (Minneapolis, Minn.: Fortress Press, 2003), 607–608.
- 詳細な説明は下記を参照。Craig S. Keener, The Gospel of John: A Commentary (Peabody, Mass.: Hendrickson, 2003), 713.
- 2世紀頃に(イエス復活の教えを含む)キリスト教を批判・否定した人たちもイエスの墓が空っぽだったことは疑っていなかった(弟子たちが死体を盗んだと主張していた)ようです。Justin Martyr, Dialogue with Trypho, ed. Alexander Roberts & James Donaldson (Edinburgh: T. & T. Clark, 1867), chap. 108, https://en.wikisource.org/wiki/Ante-Nicene_Christian_Library/Dialogue_with_Trypho; Tertullian, “Ante-Nicene Fathers Vol. III, Apologetic, The Shows, or De Spectaculis,” trans. Sydney Thelwall, 1867, chap. 30, Wikisource, https://en.wikisource.org/wiki/Ante-Nicene_Fathers/Volume_III/Apologetic/The_Shows,_or_De_Spectaculis/Chapter_XXX.
- 詳細な解説は下記を参照。Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 70.
- これら以外にも墓が空っぽだったことを支持する歴史学的証拠は存在します。興味のある方は、例えば下記を参照。Strobel, The Case for Christ, 296–298.
- この仮説の詳しい説明および問題点について、興味のある方は下記を参照。Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 99–103.
- 詳細は下記を参照。Wright, The Resurrection of the Son of God, 558–559.
- 古代社会において、死んだ人が幻や幻覚として現れるというのは良く知られた現象でした。ibid., 686.
- 例えば、弟子たちがイエスの死体を盗んで、イエスの復活を偽装したという仮説。
- 例えば、イエスの死体が何らかの理由で墓から無くなってしまたので、復活したイエスには実際に出会っていないけれども、イエスは復活したに違いないと信じ込んだという仮説。
- イエスの復活は人間が作り出した話だとする仮説の詳しい説明と個々の仮説の問題点について、興味のある方は下記を参照。Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 84–103.
- このような「認知的不協和(Cognitive Dissonance)」に基づいてイエスの復活を説明しようとする仮説の詳細および問題点について、興味のある方は下記を参照。Wright, The Resurrection of the Son of God, 697–700.
- イエスの復活は実際に起こった出来事ではなく心理学的な現象として説明しようとする仮説の詳細と問題点について、興味のある方は下記を参照。Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 104–119.
- 詳細な議論は下記を参照。Strobel, The Case for Christ, 287–290; Habermas and Licona, The Case for the Resurrection of Jesus, 122–123.