イエス・キリストはなぜ復活した(よみがえった)のか?ーイエス復活の意味ー

聖書には

イエスは十字架で死んだ後、墓に葬られ、三日目によみがえった(復活した)

と記されています。ここに記されている以下の二つのこと

  • イエスが十字架刑で死んだこと
  • 死んだイエスがよみがえった(復活した)こと

キリスト教で最も大事な教えとされています。

一つ目の「なぜイエス・キリストが十字架刑で死んだのか」については、少し前に三回シリーズで扱いました。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?①―死刑(十字架刑)の方法とその死因―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの一つ目。紀元前一世紀の哲学者キケロが「最も残酷で屈辱的な処罰」と記した十字架刑、その処刑方法と死因に迫ります。
イエス・キリストはなぜ死んだのか?②―十字架の政治的・ユダヤ教的理由―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの二つ目。当時の政治的・宗教的指導者がイエスを処刑した理由は何か。「表向きの理由」の背後には、隠された「本当の理由」があったのかを考察・検証します。
イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。

上記三つの中でも一番最後の「キリスト教的理由・意味」において、イエスが十字架刑で死んだ理由は

人が神に従わなかった(罪を犯した)が故に断たれていた神との絆を回復するため

ということをみました。そして、

自分が神に従わなかった罪の代償として、神のひとり子なるイエスが十字架で死んだことを心から認め、神の望まれるように人生をやり直そうと決心する(悔い改める)ならば、愛と恵みと憐れみに満ちた創造主なる神はあなたの罪を赦し、永遠のいのちを与え、断たれていた神との絆が回復される

ということもみました。

が、そのときはイエスのよみがえり(復活)については一切触れていませんでした。

ですので、

キリスト教の教えとしては、イエスが十字架で死んだというだけで十分なんじゃないか!?なんでわざわざイエスのよみがえり(復活)を持ち出すんだ?

と思われる方がきっといらっしゃると思います。

ということで、今回のテーマは「なぜイエス・キリストがよみがえった(復活した)のか?」について、つまりは、キリスト教の教える「イエス復活の意味」を一緒に考えようと思います。

その前に、そもそものところ、

死人がよみがえる(復活する)なんて非科学的なことが本当に起こったの?

と思われる人は、下記の記事を参照ください

死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?①ー復活の特徴・性質ー
イエスは十字架上で死んで葬られた後、三日目によみがえった(復活した)!?そんな非科学的な出来事が本当に起こったのか?「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」を三回にわたって考えます。第一回目は聖書が語る「よみがえり(復活)の特徴・性質」について。
死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?②ー復活の証拠(前編)ー
イエスは十字架上で死んで葬られた後、三日目によみがえった(復活した)!?「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」を三回にわたって考えます。第二回目は、イエス復活を支持する歴史学的証拠として「教義・世界観の変化」と「人々の変化」を紹介します。
死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?③ー復活の証拠(後編)ー
「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」を三回にわたって考えるシリーズ最終回。今回はイエス復活を支持する歴史学的証拠として「人々の証言」と「空っぽの墓」を紹介し、これまでに紹介した証拠と併せて、イエスのよみがえり(復活)の信憑性を検証します。

今回の話の流れ(目次)は以下の通り。

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復活と神の力


世間一般の常識として、死んだ人が死後、数日経って生き返ることは残念ながらあり得ません。しかも、

生き返った(復活した)後の身体は二度と死ぬことはない1

となると、その信憑性は益々疑わしくなります。2

しかし、このように非科学的な現象がイエスの身に確かに起こったと聖書は語ります。

さらに聖書は、

イエスをよみがえらせた(復活させた)のは天地万物の造り主なる神

だとも言っています(参考:使徒の働き2章24節など)。3

神が死んだイエスをよみがえらせた(復活させた)ことが意味すること、その一つは

天地万物の創造主なる神は被造物の生死を操る力をもったお方である

ということでしょう。

なお、被造物の生死を操る力をもった神というのは、イエスの復活においてだけでなく聖書全体(サムエル記第一2章6節;列王記第一17章17-24節など)を通して、一貫して描かれている神の性質でもあります。

この「神の力」について、パウロは次のようにも言っています。

また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ【エペソ人への手紙1章19-20節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉385頁

ここには以下の二つの「力」が出てきています。

  1. 「神の大能の力」
  2. 「(神を)信じる者に働く神のすぐれた力」

一つ目の「神の大能の力」の働きによって、

  • 「神のすぐれた力」が神を信じる者に働くようになった
  • キリスト(救い主)なるイエスを死からよみがえらせた(復活させた)

とパウロは言っています。

そしてパウロは、二つ目の「(神を)信じる者に働く神のすぐれた力」がどれほど偉大なものであるかをエペソに住む人々に知ってほしいと祈って(願って)います。

この「(神を)信じる者に働く神のすぐれた力」は文脈から分かるように、残念ながら、死んだ人をよみがえらせることができる力(神の大能の力)ではありません。

が、その力とは、例えば、悪魔や悪霊に屈しないための力を意味しています(参照:エペソ人への手紙6章10-12節)。4

いずれにしても、

死んだ人をよみがえらせる(復活させる)ことができるほどの大能の力をもった神が、神を信じる者を強め助けてくださる。

その確かな根拠の一つとなるのがイエスの復活と言えます。

復活とイエスの支配


前節で引用したエペソ人への手紙1章20節には、実はまだ続きがありました。

この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。【エペソ人への手紙1章20-21節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉385頁

この箇所から、神の「大能の力」の働きによって、

イエスは、ただ死んでよみがえった(復活した)だけでなく、神の右の座に着いてすべてのものを支配している

ことが分かります。5

なお、「神の右手」というのは、旧約聖書において「勝利」(詩篇20篇6節など)や「力」(詩篇89篇13節など)を表します。そして、イエスが「神の右の座に着く」というのは、イエスが父なる神と王座・王権(throne)を共にすることを意味します(参考:ヨハネの黙示録3章21節)。6

また、

イエスが「神の右の座に着く」というのは、旧約聖書で救い主(キリスト、メシア)に対してなされた預言の成就

ともみることができます。その旧約聖書における預言とは以下のもの。

主は 私(ダビデ)の主に言われた。「あなたは わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」【詩篇110篇1節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉1053頁

ここで「私」はイスラエル王国の王「ダビデ」、最初の「主(しゅ)」は「神」、次の「私の主」は「救い主(キリスト、メシア)」を指しています。つまり、神が救い主(キリスト、メシア)に対して、

わたしがあなたの敵をあなたの下に服従させるまでは、わたしの右の座についていなさい。

と言っている訳です。

God Inviting Christ to Sit on the Throne at His Right Hand, 1645. By Pieter de Grebber - Web Gallery of Art:   Image  Info about artwork, Public Domain, Link

従って、先のエペソ人への手紙1章20-21節においてパウロは、死んだイエスが復活した後、詩篇110篇1節で預言された通りの出来事が起きたと言っていることになります。

つまり、神が死んだイエスを復活させたことは以下の二つの意味をもつと言えます。

  • イエスが救い主(キリスト、メシア)であることがより一層明らかにされた
  • イエスはこの世の全てを支配している

上記の二つ目「イエスは復活した後、この世の全てを支配している」というのは、他の聖書個所でイエスの十字架上での死とも関連付けられています。

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現われ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰すためです。 【ピリピ人への手紙2章6-11節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉396頁

この箇所にはイエスの復活については明示されていませんが、十字架上で死んだイエスが(復活後に)神によって、この上ない名誉と神に等しい権威・権力(すべての名にまさる名)を与えられたことが記されています。7

でも、そんなにも大層な権威・権力がイエスにだけ与えられるのは不公平じゃないか!?十字架刑で死んだのはイエス以外にもたくさんいたはずなのに…

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

確かに、イエス以外にも多数の人が十字架刑によって処刑されています。

しかし、先に挙げた聖書個所を最初からよく読んでいくと、イエスの十字架刑は普通の人の十字架刑とはひと味違ったものであることが分かると思います。

というのも、イエスが十字架上で死ぬということは以下のことを意味するからです。

  • イエスは神であったのにしもべの姿をとり人と同じようになった
  • イエスは自らを低くして十字架上で死ぬまで神に対して従順であった

つまり、

神は比べようもないほど謙遜で従順であったイエスを死からよみがえらせ(復活させ)、比べようもないほど高い名誉と権威・権力をお与えになった

と言えます。8

なお、「他と比べようもないほど高い名誉と権威・権力を持つ者」というのは、実際のところ神御自身に他なりません。

従って、「イエス・キリストは主です」と告白する(ピリピ人への手紙2章11節)のは、

イエスはキリスト(救い主)であり、(三位一体の)神御自身である

と認めることと同じだと言えます (比較:ローマ人への手紙1章4節)。

これまでの話をまとめると、イエスの復活が意味することは以下の三つ。

  • イエスは全人類の救い主(キリスト、メシア)である9
  • イエスは三位一体の神(御子なる神)である10
  • イエスはこの世の全てを支配している11

しかし、何と言ってもイエスを信じる者にとって非常に心強いことは、

この救い主にして神にして全てを支配する権威をもったイエスがいつも共にいてくれる

ということ。

そして、その確かな根拠の一つは他でもないイエスの復活なのです。というのも、復活したイエスが弟子たちに次のように言っているから。

わたし(イエス)には天においても地においても、全ての権威が与えられています。…見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。【マタイの福音書28章18, 20節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉64頁

復活と人々の救い

さて、冒頭でも少し触れましたが、イエスが十字架刑で死んだ理由は

人が神に従わなかった(罪を犯した)が故に断たれていた神との絆を回復するため

でした。

しかし、

イエスが十字架刑で死ぬことで人間の罪の代償が既に支払われ、イエスを信じることで、永遠のいのちが得られ神との絆が回復する

のであれば、

イエスが死んでからよみがえる(復活する)必要は特にないのでは!?

と思えてしまいます。

しかし聖書には、

人々が罪の罰から救われ永遠のいのちを得るためには、イエスが十字架刑で死ぬだけでなく、死んだ後によみがえる(復活する)ことも必要であった

と記されている箇所があります。それは例えば以下の箇所。12

そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。【コリント人への手紙第一15章17節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉350頁

この箇所はパウロがコリントという町に住む人々に宛てた手紙の一節です。ここでパウロは、もしキリスト(救い主)であるイエスが復活しなかったとしたら、人々はなお自分の罪の中にいて、滅んでいく運命にあると言っています(参考:15章18節)。

要するに、イエスが死者の中からよみがえっておらず(神がイエスをよみがえらせたことを信じず)、イエスが十字架刑で死んだことだけを信じるならば、その信仰は空しく救われたとは言えないと言っている訳です(比較:ローマ人への手紙10章9節)。

それにしても、

なぜイエスの復活が私たちの救いとそれほど密接に関係しているのか?

その理由を考えるためには、「救いとは何か?」を考える必要があります。

端的に言うと、

聖書における「救い」とは、神に従わなかったという罪の罰である死の支配から完全に解放され、永遠のいのちをもつこと。13


しかしながら、誰もがご存知のように、たとえイエスが十字架で死んだことを信じたとしても、人は皆、これまでと変わらず死んでしまいます

つまり、「死の支配から完全に解放された」とは言えない訳です。ここで、

えっ、確かに皆、死んでしまうけど、死んでから天国に行くことが「死の支配から完全に解放され、永遠のいのちをもつ」ことじゃないの?

と思われる方は多いと思います。

確かに、「死の支配から完全に解放され、永遠のいのちをもつ」ことの中には、死んでから天国に行くことも含まれます(比較:ルカの福音書23章39-43節)。

が、しかし、実は「死の支配から完全に解放され、永遠のいのちをもつ」というのは、ただ死んで天国に行く以上のことを意味しているのです。

ええっ、死んで天国に行く以上のことって何があるの?

と思わず言いたくなってしまうと思いますが、その一つには「死が滅ぼされること」、つまりは死ななくなることが含まれます。コリント人への手紙第一15章26節でパウロは言っています。

最後の敵として滅ぼされるのは、死です。【コリント人への手紙第一15章26節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉350頁

この少し前にパウロは、世の終わりにはキリストを信じる人が死者の中からよみがえり(15章20-23節)、その後でイエスが全ての敵を完全に自分の支配下におくことになっている(24-25節)と言っています。14

その上で、26節において、最後の敵としてイエスに滅ぼされるのが死であると言うのです。

つまり、

イエスを信じて死んだ人々が世の終わりに死者の中からよみがえったとき、彼らは「死の支配から完全に解放される」ようになる

と言っていることになります(比較:コリント人への手紙15章54-57節)。

そして、その「死の支配からの完全な解放」というのは、前節でみたように、イエスが復活した後、神の右に座して全てのものを支配し始めたときから始まっていると言えます(ただし、イエスが最後の敵である死を支配下に収めるのは世の終わりのとき)。

この意味において、

人々が罪の罰から救われ永遠のいのちをもつためには、イエスが十字架刑で死ぬだけでなく、死んだ後によみがえる(復活する)ことも必要であった

と言えるのです。

ちなみに、ここで重要になってくるのが、肉体をもってよみがえる(復活する)ということ。

なぜなら、霊魂や魂と呼ばれるものには、そもそも「死」という概念が当てはまらないからです。

言うなれば、「最後の敵として滅ぼされるのは死である」ということが意味をもつためには、復活した人々は肉体をもたなくてはならないということ。

実際、少し前の下記のブログ記事では、復活したイエスも朽ちることのない(二度と死ぬことのない)肉体をもってよみがえったことをみました(参照:ルカの福音書24章36-43節;ピリピ人への手紙3章21節;コリント人への手紙第一15章52節)。

死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?①ー復活の特徴・性質ー
イエスは十字架上で死んで葬られた後、三日目によみがえった(復活した)!?そんな非科学的な出来事が本当に起こったのか?「イエス・キリストのよみがえり(復活)の信憑性」を三回にわたって考えます。第一回目は聖書が語る「よみがえり(復活)の特徴・性質」について。

さて、少し話が込み入ってきたので整理すると、

人々が完全な意味の救い(死の支配から完全に解放され永遠のいのちをもつこと)を体験するためには、世の終わりに肉体をもってよみがえるのを待たなくてはならない。

(念のための補足ですが、私たちが今生きているこの世においてイエスを信じたとき、私たちは既に永遠のいのちをもっています[参照:ヨハネの福音書3章16節]。が、世の終わりが来ない限り、イエスを信じる者たちも一度は必ず死ぬという意味において、「死の支配から完全に解放された」とは言えない状態にあります。)

そして、

完全な意味の救い(特に、死が最後の敵として滅ぼされること)は、イエスが十字架で死んでよみがえった時から始まっている。

また、

世の終わりに肉体をもって確かによみがえると言える根拠の一つが、イエスは十字架で死んだ後に肉体をもってよみがえったということ

が分かりました(参考:コリント人への手紙第一15章20節)。15

裏を返せば、イエスが肉体をもって復活したことの意味というのは、

イエスを信じる者が世の終わりに二度と死なない肉体をもって復活し、新しい天地で神と共に永遠に生きることを保証すること

と言えるでしょう(参照:ヨハネの黙示録21章1-4節)。

復活と人々の希望


これまで、十字架刑で死んだイエスがよみがえった(復活した)ことがイエスを信じる者にどんな意味をもたらすかについて、以下のことをみました。

  • 死んだ人をよみがえらせる(復活させる)ことができるほどの大能の力をもった神が、イエスを信じる者を強め助けてくださる
  • 救い主であり御子なる神であり全てを支配する権威をもったイエスが、イエスを信じる者といつも共にいてくださる
  • 世の終わりには、イエスを信じる者は二度と死なない肉体をもって復活し、新しい天地で神と共に永遠に生きる

これらはもちろん、それぞれに非常に意義深いこと。ですが、これら3つを併せて考えたとき、イエスの復活がイエスを信じる者にもたらすもう一つの意味を見出すことができます。

そのもう一つの意味とは、

この世において苦しみや困難に遭遇したとしても、強め助けてくださる神・イエスと共に、復活の希望をもって乗り越えることができる

ということ。実際、イエスの弟子の一人ペテロは次のように書いています。

私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。【ペテロの手紙第一1章3節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉465頁

ペテロは、イエスを信じる信仰が故に様々な苦しみや苦難、試練に遭っている人々を励ますため、また彼らを迫害する人たちに対して、クリスチャンとしてどのように接すれば良いかを知らせるため、この手紙を書いたとされています。16

そして、上記の1章3節においてペテロは、イエスを信じる者は「生ける望み」を持つことができると言っています。その望みの根拠はやはりイエスが死者の中からよみがえったこと。

ここで、前節でみたように、イエスの復活はイエスを信じる者が世の終わりに二度と死なない肉体をもって復活し、新しい天地で神と共に永遠に生きることも意味します。

従って、イエスを信じる者のもつ「生ける望み」というのは、

世の終わりに二度と死なない肉体をもって復活して、新しい天地で神と共に永遠に生きることができるという希望

と言えるでしょう。そして、その希望の故に

この世において、イエスを信じる信仰のために受ける苦しみや苦難、試練は(それほど)大したことではなくなる

とも言えます(比較:ペテロの手紙第一1章4-9節;4章12-19節)。17

まとめ

今回は「なぜイエス・キリストがよみがえった(復活した)のか?」について、即ち、キリスト教の教える「イエス復活の意味」を考えました。

神が死んだイエスを肉体をもってよみがえらせた(復活させた)ことが意味することをまとめると以下の通り(今回の記事の内容に限ります)。

  • 天地万物の創造主なる神は被造物の生死を操る力をもっている
  • イエスは全人類の救い主(キリスト、メシア)である
  • イエスは三位一体の神(御子なる神)である
  • イエスはこの世の全てを支配している
  • 死んだ人を復活させることができるほどの大能の力をもった神が、イエスを信じる者を強め助けてくれる
  • 救い主であり御子なる神であり全てを支配する権威をもったイエスが、イエスを信じる者といつも共にいてくれる
  • 世の終わりには、イエスを信じる者は二度と死なない肉体をもって復活し、新しい天地で神と共に永遠に生きる
  • イエスを信じる者は復活の希望をもって、自分を強め助けてくれる神・イエスと共に、この世の苦しみ、苦難、試練を乗り越えることができる

天地万物の造り主である神の独り子イエス・キリストが、私たちの罪のために十字架刑で死なれ、葬られ、三日目によみがえられたという福音(良い知らせ)の意味、少しでも多くの人に伝わりますように。

参考文献および注釈

  1. 復活した後の身体がどのような特徴・性質をもっているかについては、下記のブログを参照ください。「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?①―復活の特徴・性質―」
  2. 「イエス復活の信憑性」については、下記ブログを参照ください。「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?②―復活の証拠(前編)―」「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?③―復活の証拠(後編)―」
  3. イエス自身もまた自分の命を「捨てる権威があり、再び得る権威があります」(ヨハネの福音書10章18節)と言っていることから、神とイエスが共にイエスの復活に関わったとみることもできます。Wayne A. Grudem, Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994), 614.
  4. 詳細は下記参考文献の「エペソ人への手紙1章19節」の注解を参照。Peter T. O’Brien, The Letter to the Ephesians, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids; Leicester: Eerdmans; Apollos, 1999).
  5. 厳密に言えば、イエスが復活後に「天上で神の右の座に着いて全てのものを支配している」(キリスト教用語で『高挙[exaltation]』と呼ばれます)というのは、復活そのものが意味することとは異なります。しかしながら、この記事では、「高挙」は復活に伴って必然的に起きる論理的帰結という認識に基づき、復活の意味することの一つとして高挙を取り上げています。復活と高挙の関係についての説明は、例えば下記を参照。L. J. Kreitzer, “RESURRECTION,” ed. Gerald F. Hawthorne, Ralph P. Martin, and Daniel G. Reid, Dictionary of Paul and His Letters: A Compendium of Contemporary Biblical Scholarship (Leicester, England; Downers Grove, Ill: Inter-Varsity Pr; InterVarsity Pr, 1993), 809.
  6. 詳細は下記参考文献の「エペソ人への手紙1章20節」の注解を参照。O’Brien, The Letter to the Ephesians.
  7. 詳細は下記を参照。Peter T. O’Brien, The Epistle to the Philippians, Sixth Impression edition., New International Greek Testament Commentary (Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1991), 233.
  8. 詳細は下記参考文献の「ピリピ人への手紙2章9節」の注解を参照。Gordon D. Fee, Paul’s Letter to the Philippians, Eighth Impression edition., New International Commentary on the New Testament (Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1995).
  9. イエスの復活とイエスが救い主(キリスト、メシア)であることの関連性について、詳細な議論は例えば下記を参照。N. T. Wright, The Resurrection of the Son of God, First Edition. (Minneapolis, Minn.: Fortress Press, 2003),
  10. イエスの復活とイエスが「御子なる神」であることの関連性について、詳細な議論は例えば下記を参照。ibid., 731–734.
  11. 少し専門的になるので本文からは割愛しましたが、イエスが復活した後、「神の右に座して全てを支配している」(高挙)というのは以下のことも意味します。①神は、人々の罪の罰を贖う「いけにえ」として、イエスが捧げた命を受け入れたこと(へブル人への手紙10章11-14節)。②イエスが神の御子であること(へブル人への手紙1章1-2節)。③イエスが神の大祭司であること(へブル人への手紙8章1-2節)。S. H. Travis, “RESURRECTION,” ed. Ralph P. Martin and Peter H. Davids, Dictionary of the Later New Testament & Its Developments: A Compendium of Contemporary Biblical Scholarship (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, June 2010), 1016.
  12. この他にもローマ人への手紙4章25節、5章10節などがあります。
  13. 詳しくは下記ブログ記事を参照ください。「イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―」 「『信じる者は救われる』の語源はキリスト教(聖書)!?言葉の意味は?」 「イエス・キリストを信じると何が起こる・変わる?―キリスト教(聖書)の救いの意味―」 「イエス・キリストを信じて終わりじゃない!?―キリスト教(聖書)の救いの完成―」
  14. 前節でみたように、イエスが全てのものを支配することはイエスが復活した後から既に始まっていますが、全てのものを完全にその支配の下に置くことは世の終わりを待つ必要があります。聖書の語る「世の終わり(終末)」について、興味のある方は下記の記事を参照ください。「世の終わりは既に始まっている!?―キリスト教(聖書)の語る終末とイエスの再臨―」
  15. コリント人への手紙15章を基にした復活と救いについての詳細な議論に興味のある人は、例えば下記を参照。Gordon D. Fee, The First Epistle to the Corinthians, Revised Edition, Revised edition. (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2014), 817–842.
  16. ペテロの手紙第一の内容について興味のある方は、例えば下記を参照。Gordon D. Fee and Douglas K. Stuart, How to Read the Bible Book by Book: A Guided Tour (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2002), 402–410.
  17. 詳細は下記を参照。Thomas R. Schreiner, 1, 2 Peter, Jude, The New American Commentary (Nashville, Tenn.: Broadman and Holman, 2003), 60–61.
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