「主にある励ましと慰め」:2020年2月9日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(説教の音声はこちらから)。

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導入

今日の聖書個所でパウロが旅する場所は、パウロが以前に宣教活動を行い、多くの人たちがクリスチャンになったばかりの場所でした。

パウロがこれらの地方を訪れた最大の目的は、

それらの土地でクリスチャンとして生きることに辛さや苦しさや息苦しさを感じているであろう人々を励まし慰めること

でした(2、12節)。

現代の日本においてもパウロの時代と同じく、クリスチャンとして生きることに辛さや苦しさや息苦しさを感じることがあります。今日は、パウロがどのようにして当時のクリスチャンたちを励まし慰めたかを学ぶことを通して、現代の日本に生きる私たちもまた神様からの励ましと慰めを受け取りたいと思います。

信仰による苦しみ

パウロはバルナバと共にリストラ、イコニオン、ピシディア州のアンティオキアを訪れながら、

私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。【使徒言行録14章22節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳 旧約聖書続編付き 引照・注付き』(日本聖書協会、2018年) (新)237頁1

と言って、人々に信仰に踏みとどまるよう励ましています。

残念ながら、クリスチャンになればこの世の悩み・苦しみが全て消えて無くなる訳ではありません。むしろ

イエス様を信じるが故に多くの悩み・苦しみを経験する

ことがあります。

時には家族や友人と考え方や意見が合わずに対立するかもしれません。そのようなとき、イエス様はおっしゃいます。

よく言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者は誰でも、この世でその何倍もの報いを受け、来るべき世で永遠の命を受ける。【ルカによる福音書18章29-30節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳 旧約聖書続編付き 引照・注付き』(日本聖書協会、2018年) (新)143頁

信仰による報い

もちろん、ここでイエス様はクリスチャンになるために家族や家庭を捨てなさいと言っている訳ではありません。ただ、

時と場合によっては、家庭・家族よりも神様・イエス様に対する信仰を優先しなければならない

ことがあります。その結果、たとえ家族の人たちとの関係が悪くなってしまったとしても、

この世における「神の家族」との関係がなくなることはない

とイエス様はおっしゃいます(参考:エフェソの信徒への手紙2章19節)。

また、「来るべき世」とは、イエス様が再びこの世に来られて全てを正しく裁かれた後にもたらされる新しい世のこと。

そのとき、イエス様を信じる者たちにはイエス様が復活なさったときにもっていた朽ちることのない「栄光の体」が与えられます(フィリピの信徒への手紙3章21節)。

そして

苦しみも悲しみも死もない新しい世界で、永遠に神様と共に過ごすことができるようになる

と聖書は約束しています(参考:ヨハネの黙示録21章1-5節)。

今日の聖書個所にはパウロが死んだ若者を生き返らせる話が出てきます(使徒言行録20章7-12節)。

そのときパウロは恐らく、死からよみがえった若者を横目に見ながら、イエス様が死からよみがえられたこと、またイエス様が再びこの世に来られるときにクリスチャンたちも死からよみがえることについて語らずにはいられなかったのではないでしょうか。

そして、そんな復活に関するパウロの話を夜通し聞いていた人々はたくさんの慰めを受けたのだと思います(12節)。

信仰による一致

クリスチャンになってもこの世の悩みや苦しみが無くならないのであれば、極端な話、

早く死んでしまって悩みや苦しみのない世界(天国)で暮らす方が得なのではないか?

と思いたくなります。

しかしながら

神様は、私たちがイエス様を信じてすぐに死ぬことを望んではいません(参照:ヨハネによる福音書17章14-15節)。

それでは、

一体なぜ、悩みや苦しみを経験しながらもクリスチャンとしてこの世で生きていかなければならないのでしょうか?

その理由は、

先にイエス様を信じた私たちが神の家族として一つとなって、悩みや苦しみや悲しみを共に乗り越えることで、より多くの人がイエス様を信じるようになるため

と言えます(参照:ヨハネによる福音書17章20-21節;比較:ペトロへの手紙第一2章11-25節)。

結論

クリスチャンになったとしても、この世の悩みや苦しみが無くなる訳ではありません。むしろ、

イエス様を信じるが故に多くの悩みや苦しみを経験する

ことがあります。しかし、

その悩みや苦しみを補って余りある報いがこの世において、また来るべき世においても約束されています。

さらに、

私たちイエス様を信じる者たちが神の家族として一つとなって悩みや苦しみを共に乗り越えるとき、そんな私たちの姿を見る人々がイエス様を信じるようにもなる。そうなるようにイエス様ご自身が私たちのために祈っていてくださっている

と聖書は語ります(ヨハネによる福音書17章21節)。

が、しかし、です。

そうは言ってもやはり、

悩みや苦しみには出来るだけ遭いたくない

というのが心情というか本音ではないでしょうか。

けれども、残念ながら、人生における悩みや苦しみはクリスチャンであってもなくても誰もが必ず経験するもの。ですから、大事なことは悩みや苦しみにどう対処するかだと思います。

人生の悩みや苦しみに遭遇したとき、クリスチャンでないならば、家族や友人に相談するかもしれません。もしくは誰にも頼らず自力で解決しようとするかもしれません。

しかし、クリスチャンであるならば、

キリストにある兄弟姉妹(神の家族)に相談して、父なる神様に対して共に祈る

ことができます。

人にはあなたの置かれている境遇を完全に理解することはできません。でも父なる神様はあなたの境遇を全てご存知です。

人にはあなたの思い・考えを完全に理解することはできません。でも父なる神様はあなたの思い・考えを全てご存知です。

人にはあなたにとって何が最善であるのかを完全に理解することはできません。でも父なる神様はあなたにとって何が最善であるのかを全てご存知です。

そんな全知全能なお方を「父」と呼び、親しく祈り求めることができる…

恵み以外の何物でもありません。

また、

神様は人となってこの世に来られ、あなたが経験しているような悩みや苦しみを自ら体験されました。

イエス様は誰からも正しく理解されず、兄弟にも信じてもらえず、弟子たちには裏切られ、いわれのない罪を背負わされ、十字架刑というその当時最も残酷で屈辱的な刑罰に処せられました。

肉体的にも精神的にも極限状態の苦しみを自ら経験されたからこそ、

イエス様は苦しみの只中にあるあなたに寄り添い、励まし慰めることができる

のです(比較:ヘブライ人への手紙2章18節; 4章15節)。

あなたは独りではありません。
あなたが今、経験している辛さ悲しさ苦しさを全てご存知なお方がいついかなる時もあなたと共におられ、あなたを守り導いてくださっています。

参考文献および注釈

  • Bock, Darrell L. Luke. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1996.
  • Garland, David E. Luke. Edited by Clinton E. Arnold. The Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011.
  • Peterson, David. The Acts of the Apostles. The Pillar New Testament Commentary. Nottingham, UK; Grand Rapids, Mich.: Apollos; Eerdmans, 2009.
  • Witherington, Ben. The Acts of the Apostles: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids; Cambridge: Eerdmans, 1998.
  1. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 聖書協会共同訳 旧約聖書続編付き 引照・注付き』から引用。
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