「御心を求めて」:2019年11月17日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

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導入

今日の聖書個所でもそうですが、

私たちの人生には自分が予期しなかったことや自分の力ではどうしようもないことが起きます。

今日はそのような状況でも垣間見れる神様の御業を覚え、神様の御心を求めることの重要性を再確認したいと思います。

御心を成し遂げる神

今日の聖書個所でパウロはアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦に出会います(2節)。

二人はそのとき「皇帝の命令」という自分たちの意思ではどうにもならない力によって、イタリアのローマからコリントに移り住んだばかりでした(3節)。ある意味、

神様は皇帝の命令を用いて、パウロとアキラとプリスキラの二人を出会わせた

とみることができます。

これと似たようなことがイエス様の誕生のときにも起きています(ルカによる福音書2章1-7節)。

イエス様がお生まれになったとき、皇帝アウグストゥスは全住民に住民登録をするようにとの勅令を出しました。

「皇帝の勅令」という自分の力・意思ではどうにもならない力に従う形で、ヨセフはマリアを連れてナザレという町から生まれ故郷のベツレヘムへと旅をします。

その結果、救い主(メシア)はベツレヘムで生まれるという預言が成就したのです(ミカ書5章2節)。

神様はあらゆるモノを用いて御自分の御計画を成していかれるお方

です。ただ、神様の思い・計画は私たち人間には測り知ることができません

このため、ある時には自分たちの意思や力ではどうにもならない力によって、自分たちが望んでいない方向に向かわせられているように感じることがあるかもしれません。

しかし、後から振り返ってみると

ああ、やはりあれは神様の御心・御計画だったんだな

と思えることがほとんどだと思います。

問題の渦中にあるときこそ、問題から一歩離れて、もっと大きな視点で神様の御心・思いは何かを今一度、尋ね求めてみる

必要があるのかもしれません。

御心を求める生き方

コリントにおいて、会堂長のクリスポを含め多くの人々がイエス様を信じて洗礼を受けるようになりました(8節)。

このため、これまでパウロが宣教してきた町々でもそうであったように、きっとまた迫害が強まってきてパウロは町を追い出されてしまうのだろうかと思っていると、これまでとは全く異なる話が展開されます。

イエス様が幻の中でパウロに現われ、 恐れることなく語り続けるようにお命じになったのです(9節)。

その理由として、

  • イエス様が共にいるから誰もパウロに危害を加えないこと
  • コリントの町にはイエス様を信じて付き従う人たちが大勢いること

をイエス様はパウロに伝えます(10節)。

このイエス様の言葉の通り、一年六か月という異例の長期滞在にもかかわらず (11節)、パウロは誰にも危害を加えられることなく(12-17節)、多くの人がイエス様を信じて付き従うようになり、コリントに教会が形成されていきます(コリントの信徒への手紙一1章2節)。

このような出来事を通して、

パウロの神様・イエス様に対する信仰・信頼は益々深められ、神様の御心を求める大切さを益々痛感するようになった

のではないでしょうか。

だからこそパウロはコリントの次に訪れたエフェソにおいて、自分や人々の思いではなく、神様の思い・御心を優先させたのでしょう (21節)。

結論

神様はあらゆるモノを用いて御自分の御心・御計画を成していかれる全知全能な主権者

です。しかも、その御計画の成し方はほとんどの場合、私たちの考えや思いをはるかに超えたものです。

このため、後から振り返ってみて初めて神様の御心・御計画を実感できることが多いと言えます。

ですから、仮に自分が全く予想もしていなかったことや自分の力ではどうしようもないことが起きたとしても、慌てたり取り乱したり不安に恐れおののく必要はありません。

たとえどんなことが起きたとしても神様の御心・御計画は必ず成されていくという確信をもって、自分の思いではなく神様の思い・御心を求めていく

ことが大切です。

自分や人々の思いではなく神様の思い・御心を求める生き方はイエス様の生き様によく表れています。

特に十字架刑に架けられる前夜のゲツセマネの園での祈りにおいて、

イエス様は自分の思い・願いを神様に伝えつつも最後には神様に全てを委ねておられます(ルカによる福音書22章42節)。

このイエス様の祈りを通して分かること、それは、

神様は私たちが祈れば何でもその願い・思いをかなえてくれる「打ち出の小づち」ではない

ということ。

では、

なぜ祈る必要があるのでしょうか?

それは一つには、

祈り(に対する神様の答え方)を通して神様の思い・御心を知る

ためでしょう。私たちの祈りに対して神様がどのように答えてくださるかによって、その祈りが間違った動機によるものか(ヤコブの手紙4章2-3節)、御心にかなったものか(ヨハネの手紙一5章14節)が分かります。

自分の思い・願いが必ずしもかなえられないとしても、神様に祈ることが大事だと言えるもう一つの理由は、

神様に自分の思いを全てぶつけた上で神様の御心に全てを委ねることで心に平安・平和が与えられる

からです。

どのような状況にあっても私たちが感謝をもって自分の思い・願い・求めているものを全て神様に打ち明けるとき、言葉では言い尽くせない神様の平和・平安が私たちの心を守ってくださる

と聖書は約束しています(フィリピの信徒への手紙4章6-7節)。

その平和・平安は、私たちの思いが必ずかなえられるという確信からくるものではありません。

どんなことがあっても必ずや神様の御心・御計画はなるという確信(信仰)からくる平和・平安、何があっても神様を信じて全てを委ねて付き従っていくという確固たる決意と神様への信頼感がもたらす平和・平安です。

もし皆さんの中で、直面している問題に押しつぶされそうに感じている方がいらっしゃるならば、今の自分の思い・願いを祈りの中で率直に神様に打ち明けてみてください。

そして、神様の御心が何なのかを探り求めてみてください。

神様の御心は直ぐには分からないかもしれません。

神様の平和・平安を感じないかもしれません。

でも、覚えていてください。

神様はあらゆるモノを用いて御自分の御心・御計画を成していかれる全知全能なお方、絶対的な主権をもったお方

です。そんな神様の御霊があなたのうちに住んでくださっているのです。

あなたは一人ではありません。
いついかなるときもイエス様があなたと共にいて、あなたを守り導いてくださっています。

参考文献および注釈

  • Peterson, David. The Acts of the Apostles. The Pillar New Testament Commentary. Nottingham, UK; Grand Rapids, Mich.: Apollos; Eerdmans, 2009.
  • Witherington, Ben. The Acts of the Apostles: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids; Cambridge: Eerdmans, 1998.
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