特に
と言われることがあります。
しかし、実際には「聖書=完全な歴史書」でも「聖書=完全な作り話」でもありません。
聖書が持つ宗教的文書としての視点と、考古学が持つ物質的証拠を拠り所とする視点は役割が違うため、両者を丁寧に比較することが大切です。
この記事では、旧約聖書に描かれる「鉄器時代」(紀元前1200年以降)の出来事と、考古学・歴史学が明らかにしてきた実際の文化・社会との関係を見ていきます。
なお、この記事は、過去に掲載した下記の記事の内容から要点を抽出して、キリスト教のことをよく知らない人やキリスト教初心者の方にも分かりやすいかたちになるように、簡潔に要約したダイジェスト版(まとめ)です(内容を加筆修正しているところもあります)。
興味を持たれた方は是非、上記の記事もご一読ください。
目次
鉄器時代とはどんな時代?
鉄器時代は紀元前1200年ごろから始まる時代で、パレスチナ地方(現在のイスラエル・ヨルダン辺り、聖書では「カナン」と呼ばれる地域)では、
時期です。
考古学的には、この時期のパレスチナ地方において、
ことが確認できます。
この時代、聖書のヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記などに描かれる出来事が起こったとされます。
ヨシュアと士師の時代 ― 征服と定着
旧約聖書は、モーセに続く
と語ります。そして、
とも記されています。
しかし、考古学は
一方で、紀元前12世紀ごろから、豚の骨の減少や特徴的な造りの家屋の登場などに見られる、
ことを示す痕跡が多く発見されています。
これは、聖書が描く
つまり、「聖書の物語の細部=そのまま歴史的事実」とは限りませんが、
と言えます。
サウル・ダビデ・ソロモン ― 統一王国は存在したのか?
士師の時代の後、
と聖書は記します。考古学では
した痕跡があることが確認されています。
ダビデについては、後代の記録(「ダビデの家」と記されたもの)などが見つかり、
します。しかし、その詳しい活動については研究者の間で議論があります。
従って、
のが現状です。
北イスラエル王国と南ユダ王国の分裂王国時代
ソロモンの死後、
します。
この時代になると、アッシリア・バビロニア・エジプトといった大国の記録が増え、聖書以外の資料と比較しやすくなります。
しかし、大国の文献との接点となる出来事は政治・軍事・経済的事柄が多い傾向を持ちます。
一方、聖書は宗教的評価(神に従ったかどうか)を重視しているため、政治・軍事的成功や経済的繁栄が軽く書かれることもあります。
このことから、
だということが分かります。
複数の資料を比較する必要があります。
聖書外文献と聖書の一致点―サマリア陥落・バビロン捕囚・エルサレムへの帰還
聖書外の文献と聖書の記述が明確に重なる出来事もあります。
- 北イスラエル王国の首都サマリアの陥落(紀元前722年)
- 南ユダ王国の滅亡とバビロンへの捕囚(紀元前586年)
- バビロンからエルサレムへの帰還(紀元前539年)
聖書は、北イスラエル王国の首都サマリアがアッシリアによって陥落したことに関して、地政学的・歴史的な背景(アッシリアの圧力など)をあまり強調しません。
その一方で、サマリア陥落の原因を宗教的な背信(偶像崇拝)に帰します。
また、イスラエル民族がバビロンからエルサレムへ帰還することができたのは、ペルシアの王キュロスの寛大な統治政策(支配民族を自分たちに都合よく動かすための政策の一つ)によるものです。
が、ここで聖書は、キュロスがそのような統治政策を取ったのは、神がキュロスを用いたからとします。
こうした記述から、
ことがうかがえます。
まとめ・考察:聖書と考古学の関係性
要点は次の通りです。
考古学の位置付け
考古学において、発掘されるものには限界があり、全てが保存されている訳ではありません。
このため、聖書内の特定の人物名を示す直接的証拠が出てこないとしても、その人物が存在しなかったことを証明することにはなりません。
むしろ、大枠として、
と言えます。
聖書の強調点
を持っています。
このため、聖書以外の文献が力点を置きがちな政治・軍事・経済などの説明は省略または単純化される傾向があります。
「矛盾」の見方
聖書と聖書外の資料(考古学や他国の記録)を「完全に一致させる」ことを目的とするよりも、それぞれの「目的・視点の違い」「強調点の違い」を認識することが重要です。
- 考古学:物質的証拠から「何があったか」を探る、発掘された証拠に基づく学問
- 聖書:過去の出来事を「神と人との関係」の観点で描く、宗教的・神学的メッセージを伝える文書
読み手へのアドバイス
聖書を読むとき、「ただの物語(フィクション)か」「歴史(史実)そのものか」の二元論で考えるのではなく、
とする態度が重要です。そして、聖書のメッセージを理解するには、
ことが必要となります。