聖書に読み方はある?読む時の注意点は?③ー聖典としての聖書ー

前回と前々回は「聖書の読み方」について、以下の二つを考えました。

聖書に読み方はある?読む時の注意点は?①ー古典としての聖書ー
全世界での発行部数がギネス記録になるほど世界中で読まれている(買われている?)書物。そんな聖書の「読み方(聖書を読む時の注意点)」を3回シリーズで紹介。一回目は古代の近東地方で書かれた「古典としての聖書」の性質に焦点をあててみていきます。
聖書に読み方はある?読む時の注意点は?②ー文学としての聖書ー
全世界での発行部数がギネス記録になるほど世界中で読まれている(買われている?)書物。そんな聖書の「読み方(聖書を読む時の注意点)」を3回シリーズで紹介。二回目は人の言葉(言語)で書かれた「文学としての聖書」の性質に焦点をあててみていきます。

言うなれば、これまでの二つの記事では、聖書を「大昔に書かれた古典文学作品の一つ」として捉え、聖書を書いた作者が伝えんとするメッセージを理解するために注意すべきことをみてきました。

しかし、皆さんご存知のように、聖書はキリスト教の「聖典」でもあります。従って、神の言葉が記された「聖典としての聖書」の読み方(読む時の注意点)を考えない訳にはいきません。

という訳で、今回は三回シリーズの最終回として、「聖典としての聖書」を考えます。

そして、最後の「まとめ」では、以下の問いに対する総合的な回答を記すつもりです。

大昔に書かれた「古典」でもあり、人の手によって書かれた「文学」でもあり、神の言葉が書かれた「聖典」でもある聖書を読む時に注意することとは何か?

話の流れ(目次)は以下の通り

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予備知識:聖典と正典


「聖典としての聖書」の読み方(読む時の注意点)を考える前に、言葉の意味を確認しておこうと思います。というのも、聖書に関しては、「せいてん」という読み方が同じで意味が異なる二つの言葉が存在するからです。

その二つとは「聖典」「正典」です。

「広辞苑(第五版)」によると以下の説明がされています。

聖典…その宗教の教理・教条・戒律・儀軌などを記した書物。仏教の経典、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランなど。

出典:新村出記念財団『広辞苑 第五版』(岩波書店、2002年)

正典…(canon)教会・教団に公認され、信仰の基準となる文書。旧約聖書は1世紀末に、新約聖書は4世紀末に正典化がなされた。カノン。

出典:新村出記念財団『広辞苑 第五版』(岩波書店、2002年)

上記からすぐに分かることは、「聖典」は宗教一般に使われる表現なのに対し、「正典」はキリスト教の聖書に対してのみ使われる言葉だということ。

また、「正典」の方は「教会・教団に公認され」という言葉が示す通り、キリスト教の教会・教団(カトリック、正教会、プロテスタント)によって、正典の中身が微妙に異なります。1

そして、この記事では「正典」ではなく、より一般的かつ包括的な「聖典」としての聖書を考えます。2

ちなみに、余談ですが、仏教の聖典である経典は英語でscripture(s)またはsutra(s)と書き、キリスト教の聖典である聖書も英語でthe Scripture(s)と書くことがあります。

なお、聖書の中で「聖書」という言葉が出て来る場合、英語だとthe Bibleではなく全てthe Scripture(s)となっています。このscriptureという言葉は、ギリシャ語のgraphē(「文書、書物」を意味する)のラテン語訳scripturaから派生した言葉のようです。3

究極的な作者の存在に注意

神の言葉

さて、いよいよ本題に入ります。が、キリスト教の聖典としての聖書の読み方(読む時の注意点)を考えるにあたって、まず最初に押さえておくべきポイントがあります。

そのポイントとは、

聖書の究極的な作者は天地万物の造り主なる唯一の神である

ということ。

なぜそう言えるのかという理由の一つは、

聖書という書物は
長い年月にわたって、
様々な場所で、
たくさんの作者によって、
多彩な文学様式(ジャンル)で書き記された
数多くの文書が収められた文書集

なのにも拘わらず、その中に一つの統一的なテーマ「神が人を救う物語」を見出すことができるからです。

詳しくは下記のブログ記事に書きましたので、ご興味のある方はご参照ください。

聖書は信頼できる書物か?①―聖書の概要:構成と内容(5W1H)―
「聖書は信頼できる書物か」について考える三部作シリーズの一つ目は聖書の5W1Hについて。聖書の中身(What)、記述形式(How)、作者(Who)、作成年(When)、作成地域(Where)、作成理由(Why)。あなたはどれくらい知ってましたか。

また、聖書の中には次のように記している箇所があります。

聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。【テモテへの手紙第二3章16節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉428頁

聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。【ペテロの手紙第二1章20-21節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉474頁

ここに「預言」という言葉が出てきてますが、預言とは「神から預かった言葉」、つまり「神が人間を通して語った言葉」です。

従って、そのような預言はもちろん、

聖書に記されている言葉は全て、神の霊感(もしくは神の霊である聖霊)によって動かされた人が書き記した「神の言葉」

だと言っていることになります。4

なお、「聖霊に動かされた人たち」が書き記したというのは、聖霊(神の霊)が人にのりうつり、その人の身体を操りながら勝手に書き記したということではありません。

もしそうであれば、聖書が作者や時代によって多様な文体・文学様式で書かれていることを説明することは難しいでしょう。

むしろ、

聖霊(神の霊)によって、ある人に神からのメッセージ(言葉)が与えられ、その人はその人なりの文学的素養や社会的・文化的・歴史的知識を駆使しながら、その人なりの方法(文体や文学様式)で神からのメッセージ(言葉)を書き記した

と考える方が、聖書が多種多様な形式で書かれていることに納得はしやすいと思います。5

神が聖霊(神の霊)によって人間を動かし、聖書の言葉を書き記したとすると、私たちが聖書を読む時に注意すべきことが少なくとも二つあります。

神の霊(聖霊)の助け

一つ目は、

聖書の内容を理解するためには聖霊(神の霊)の助けが必要

だということ。

キリスト教的に言えば、神様の前にへりくだり、神様の霊(聖霊)の助けを祈り求めること。これは聖書を読む時にとても重要なことです。6

ただし、ここが難しいところですが、聖霊(神の霊)の助けだけを祈り求めていれば、聖書について何も勉強しなくても、書かれていることが全て理解できるようになる訳ではありません。人間の側にも努力するところが多分にあります。

ただ、人間の側で100%の努力をしても足らないところ、理解できないところが聖書を読んでいると必ず出て来ます。そこを補ってくれるのが聖霊(神の霊)の力・助けとなります。

少し専門的になりますが、聖書を読む時の聖霊(神の霊)の役割・助けについては、以下のようなことが言えます。7

  1. 聖霊は聖書の作者が受けたような啓示(神からの語りかけ)を読者には与えてはくれない
  2. 聖霊は読者の解釈に誤りがないことを保証しない
  3. 聖霊はある特定の人物に特別な洞察力を与えない
  4. クリスチャンでなくても正しい聖書の読み方を用いて聖書の意味を理解することはできるが、聖霊の助けがないと、聖書の教えを自分の生活に適用しようとはしない
  5. 聖霊の助けさえあれば他の助け(辞書や注解書など)がいらないわけではない
  6. 聖霊は読者の常識や論理性を否定しない
  7. 聖霊は通常、(聖書理解のための)突然のひらめきを与えてはくれない
  8. 聖書解釈における聖霊の役割は、神の助けを通した正しい理解(Illumination)に至るプロセスの一端を担うものである
  9. 聖霊は全ての聖書箇所を等しく明確に解き明かしてはくれない
  10. 聖霊は読者の包括的な聖書理解を保証しない
  11. 聖書を読む側の人間の霊的信仰も重要である
  12. 霊的な備え(祈りなど)を怠ると正しく解釈できないことがある
  13. 聖書を理解することは聖書学者の専売特許ではない
  14. 聖書理解において、勤勉に勝るものはない

神が主役

神が聖霊(神の霊)によって人間を動かし、聖書の言葉を書き記しているとしたとき、私たちが聖書を読む時に注意すべきこと。その二つ目は、

聖書のほとんどの箇所で、神(またはイエスおよび聖霊)が主語・主体・主役になっているということを意識しながら読む

ということ。

別の言い方をすれば、

聖書を読みながら、「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む

と、聖書のメッセージが理解しやすくなると思います。8

が、しかし、です。

少し聖書を読んだことがある人は分かると思いますが、実は、聖書を読みながら「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」について考えることは意外に難しいことです。

というのも、聖書に出てくる話を読んでいるうちに、ついつい神やイエスよりも別の人物に目がいってしまうから。

しかも、神やイエスが登場人物として出てきている箇所はまだ良いのですが、結構な割合で神やイエスが全く出て来ない箇所があります。ので、そういう箇所では特に「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」を意識しながら読む必要があります。

そうでないと、聖書を読みながら「(イエス以外の)あの人物のようになろう」とか「あの人物のやり方は見習わない方がいいな」といった倫理道徳的な「教訓」だけを得て終わることになりかねません。

ここで誤解しないで頂きたいのですが、聖書を読んで倫理道徳的な教訓を得てはダメだと言っている訳ではないありません。むしろ、聖書から倫理道徳的な教訓を学んで日常の生活に活かすことは非常に大事なことです。

が、しかし、

倫理道徳的な教訓を聖書の(イエス以外の)登場人物から導き出すことは、ほとんどの場合、聖書の作者のメッセージとはズレていることが多い

のが実情だと思います。

なぜなら、聖書に出て来る(イエス以外の)登場人物は、どんな有名人(アブラハム、モーセ、ダビデ等)であっても、必ずどこかに欠点をもった(等身大の)人物として描かれているからです。9

でも、だからこそ、イエスがこの世にやって来て、罪のない完全な人間として、人々の罪を背負って十字架に架かる必要があったと聖書は語るのです。

聖書には、映画や小説に出て来るような「英雄」や誰もが羨むような理想的な人物はイエスを除いて一人もいません。

そのことを忘れ、イエス以外の登場人物を「お手本」にしようとすることは、聖書の究極的な作者である神の意図・思いとはズレてしまう可能性が非常に高くなりますので、注意が必要です。10

究極的な作者のメッセージに注意

神からの語りかけ

今回の記事も含め、これまで私が書いたブログの記事では何度となく「聖書が語らんとするメッセージを理解しようとすることが大事」だと書いてきました。

しかし、聖書に限らず、どんな書物であれ、そこに書かれている「文章の意味するところ、語らんとするメッセージは何か?」という問題を真面目に考え出すと結構、複雑な話になってきます。11

例えば、以下のような疑問や問いかけに対して、明確な答えを与えることは意外に難しいのではないかと思います。

そもそものところ、文章を書いた作者は、その文章に意味を持たせようとしたのか?
文章の意味するところは、作者の意図とは関係なく、書かれている文章そのものの中に埋め込まれているのではないか?
文章の「意味」は、多かれ少なかれそれを読む読者の概念や考え方に影響を受けるので、文章の意味は読者が「創り出すもの」ではないか?

特に昨今は「ポストモダニズム」の影響が強くなってきてますので、

文章を読んだ感じ方は人それぞれなんだし、どれが『正しい』『間違っている』で喧嘩せずに、それぞれの意見や考え方を尊重しようよ

といった意見が強くなってきているのを感じます。

しかし、このようなポストモダニズムの態度で聖書を読もうとすると、自分が感じたものが全て「正しい」となってしまい、ある意味、「何でもあり」の聖書解釈になってしまいます。12

裏を返せば、聖書の読み方(読む時の注意点)は「自分の好きなように読めばよい、以上!」ということになります。

一般の文学作品を読んでいるのであれば、それでも良いかもしれませんが、聖書にまでそのような読み方を適用しようとすると色々と問題が出てきます。

というのも、

聖書の究極的な作者である神は、聖書を通して、時と場所を超えた普遍的なメッセージを現代の私たちに語ることができるお方

だからです。13

言い方を変えると、聖書は「神は今、この私に~するように願っている」という迫りを与えるものだとも言えます。聖書は私たちに「人生の指針を与える」と言われる所以です。

もちろん、聖書が「神の言葉」ではなく、一つの「文学作品」に過ぎないと思っている人が「ポストモダニズム」の読み方をするのに問題はないでしょう。あくまでも「私は~だと思う」で済むからです。

しかしながら、聖書が「神の言葉」であると言いながら(信じながら)、自分の好きなように聖書を読み、自分が聖書から感じたことを「神は~だと語っている」とするのは、時として非常に危険です。

神の権威を利用して、自分の(勝手な)意見・解釈を正当化しようとする(自分が『神』になる)ことにつながる危険性がある

からです。

例えば、極端な例ですが、聖書には

あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろったままで永遠の火に投げ込まれるよりよいのです。【マタイの福音書18章8節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉36頁

と書いてある箇所があります。

もし、ここを読んで、「神様はこの言葉を文字通りに実行することを自分に望んでいる!」と解釈するのであれば、きっとその人の両手両足は直ぐに無くなってしまうでしょう。

しかも、そのような自分の(勝手な)解釈を「神が望んでおられるから、あなたもそのようにしなさい」と他人にまで強要し出したとすると、かなり悲惨な結果が待ち受けているだろうことは容易に想像ができます。

(念のため、先のマタイの福音書18章8節の言葉は、当時の人々を含め、イエスが良く用いた「誇張表現」の一つですので、文字通りに解釈することを意図した言葉ではありません。14)

ですから、もし聖書が「神の言葉」であると信じる(主張する)のであれば、

聖書を読む時には自分の思いや考えを優先する(自分の好き勝手に解釈する)のではなく、聖書の究極的な作者である神の思いや考えを第一に探ろうとする

ことが非常に大切です。

人間の思い込み

と、言うのは簡単ですが、現実的には「神の思いや考え」を知ることは案外、難しいもの。

先ほどのマタイの福音書18章8節の箇所においても、「文字通りに解釈することを神が望んでおられる!」というのが自分の思いなのか、それとも本当に神の思いなのかを判断することは、そんなに簡単なことではありません(当時の修辞法を学ぶ必要があります)。

真摯に真剣に神の思いや考えを第一に探ろうとしているにも関わらず、時として、とんだ勘違いをしてしまうことすらあり得るのです。

恥ずかしながら、私自身の経験を通しても、「これこそが神様からの語りかけだ!神様は今、自分に~をしてほしいと願っているに違いない!」と感じたことが、実は独りよがりのとんだ勘違いだったということは少なくありません。

残念ながら、私たち人間はしばしば神様からの語りかけと自分勝手な思い込みとを混同してしまう存在なのです。

でも、幸いなことに、このような「とんだ勘違い」の頻度を抑えてくれる手法があります。それは大きく以下の二点にまとめられます。15

  • 聖書が書かれた当時の人々の状況や問題を理解すること
  • 聖書における文学的特徴・手法(言語、ジャンル、比喩的表現、修辞法など)を考慮しながら、文脈に沿ってメッセージを理解すること

このとき、当時の人々の状況や問題と現代の私たちの状況や問題が似ていると感じる箇所があれば、その箇所に書かれている聖書のメッセージは現代の私たちにも向けられている可能性が高いといえます。 16ので、そのような箇所はじっくり重点的に読むと良いと思います。

しかし、時には(ほとんどの場合?)、当時の人々の状況・問題と現代の私たちの状況・問題が似ても似つかないような箇所があります。

そのような箇所では、当時の状況・問題を抽象化(一般化)して私たちの状況・問題との共通点を探したり、その箇所のメッセージを抽象化(一般化)して普遍的な原理・原則を導き出すなどして、現代の私たちに向けられた「神の言葉」を抽出できることがあります。17

が、これにはある程度の訓練というか、慣れや「コツ」が必要だと思いますので、ある程度聖書に慣れてきた人向けの読み方だと思います。

まとめ

今回は「聖書の読み方(読む時の注意点)」を考える三回シリーズの最終回。キリスト教の「聖典としての聖書」という側面に焦点をあてました。

なお、今回はシリーズの最終回ですので、前々回「古典としての聖書」、前回「文学としての聖書」の内容を踏まえた総まとめをしようと思います。

「古典」でもあり、「文学」でもあり、「聖典」でもある聖書を読む時に注意することは以下のようなものが挙げられます。

  1. 神からの語りかけと助けに期待する(祈る)
  2. 聖書に描かれる世界と現代の私たちの世界との間に存在する様々な(時間的、空間的、社会的、文化的、歴史的)隔たりを認識する(「分からなくて当たり前」くらいの気持ちで、分からないところ・分かりにくいところを飛ばしながら読み進める)
  3. 現代の私たちの「常識」「価値観」の枠組みで聖書を読もうとしない(現代の私たちの抱く疑問[特に科学的な疑問]全てに聖書が答えてくれるとは限らない)
  4. 可能な限り、当時の人々の状況・問題を想像しながら、文脈に沿って、聖書の作者がその当時読んで欲しいと思っていた読者に向けたメッセージ(の大枠)を読み取ろうとする
  5. 当時の人々の状況・問題と自分の現在の状況・問題が似ていると感じる箇所はじっくり重点的に読み進める
  6. 神やイエスが登場する箇所ではもちろん、神やイエスが出て来ない場面であっても、常に「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む

これらに加えて、ある程度聖書に慣れてきたと思う人は、聖書に関する参考書や辞書、注解書などを読みながら、以下の二つを学ぶことをお勧めします。

  • 聖書が書かれた当時の人々の地理的・社会的・文化的・歴史的背景
  • 聖書における文学的特徴・手法(言語、ジャンル、比喩的表現、修辞法など)

聖書の背景情報や文学的特徴・手法を学ぶことで、聖書の世界がより立体的になり、聖書が語らんとする神からのメッセージをより深く味わうことができるようになるでしょう。

具体的な参考資料については下記の記事を参照ください。

聖書の地理的・文化的・歴史的背景に興味がある方におすすめの本
聖書の地理的・文化的・歴史的背景を学ぶと聖書の内容が立体的になり、聖書の理解がより一層深まる。とは言われても、どこから手を付けてよいか分からない…。という方のために、聖書の地理的・文化的・歴史的背景を学ぶのに役立つお薦め書籍を紹介します。
聖書における文学的特徴・手法に興味がある方におすすめの本
聖書にみられる文学的特徴・手法(言語、ジャンル、比喩的表現、修辞法など)を知れば聖書をより良く理解できる。のかもしれないけど、実際にどのようにして聖書の文学的特徴・手法を学ぶべきかが分からないという方のために、個人的なお薦め本を紹介します。

参考文献および注釈

  • Fee, Gordon D., and Douglas K. Stuart. How to Read the Bible for All It’s Worth. Vol. 3d ed. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2003.
  • Frame, John M. Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology. Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006.
  • Greidanus, Sidney. The Modern Preacher and the Ancient Text: Interpreting and Preaching Biblical Literature. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1988.
  • Keener, Craig S. The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009.
  • Klein, William W., Craig L. Blomberg, Robert I. Hubbard Jr, and & 1 more. Introduction to Biblical Interpretation, Revised Edition. Revised & Updated. Nashville, Tenn.: Thomas Nelson, 2004.
  • Osborne, Grant R. The Hermeneutical Spiral: A Comprehensive Introduction to Biblical Interpretation. Revised and Expanded edition. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, 2006.
  • Packer, J. I. “SCRIPTURE.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.
  • 内田和彦. 「聖書は初めて」という人のための本. 東京: いのちのことば社, 1999.
  • 大島力. 聖書は何を語るか. 日本基督教団出版局, 1998.
  • “Biblical Canon.” Wikipedia, April 30, 2018. Accessed June 18, 2018. https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Biblical_canon&oldid=838982039.
  1. 中身の違いに興味のある方は、例えば下記を参照。“Biblical Canon,” Wikipedia, April 30, 2018, accessed June 18, 2018, https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Biblical_canon&oldid=838982039.
  2. 「正典としての聖書」に興味のある方は、例えば下記を参照。大島力, 『聖書は何を語るか』 (日本基督教団出版局, 1998年), 97–110頁.
  3. 詳細は下記を参照。J. I. Packer, “SCRIPTURE,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 627.
  4. ここで、「テモテへの手紙およびペテロの手紙に出て来る『聖書』という言葉は『旧約聖書』を指しているので、新約聖書は『神の言葉』とは言えないのではないか?」と思われる方は、例えば下記を参照。John M. Frame, Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology (Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006), 64–65.
  5. William W. Klein et al., Introduction to Biblical Interpretation, Revised Edition, Revised & Updated. (Nashville, Tenn.: Thomas Nelson, 2004), 17.
  6. 詳細は下記を参照。ibid., 139–141.
  7. Ibid., 503–504.
  8. 内田和彦, 『「聖書は初めて」という人のための本』 (東京: いのちのことば社, 1999年), 87–88頁.
  9. ある特定の箇所だけを読めば、イエス以外の人物でも理想的な人物として描かれているように取れなくもないところはあります。が、聖書全体を読むと、必ずしも完璧で「お手本」とすべきような人物でないことが分かると思います。
  10. 聖書の登場人物を手本にすることに潜む危険性について、興味のある方は下記を参照。Sidney Greidanus, The Modern Preacher and the Ancient Text: Interpreting and Preaching Biblical Literature (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1988), 161–163.
  11. 文章の「意味」に関する詳細な議論のまとめとして、例えば下記を参照。Grant R. Osborne, The Hermeneutical Spiral: A Comprehensive Introduction to Biblical Interpretation, Revised and Expanded edition. (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, 2006), 465–521.
  12. ポストモダニズムに則った読み方として「読者反応批評(Reader-Response Criticism)」と「脱構築(Deconstruction)」というものがあります。ご興味のある方は、下記を参照。Klein et al., Introduction to Biblical Interpretation, Revised Edition, 71–78.
  13. Gordon D. Fee and Douglas K. Stuart, How to Read the Bible for All It’s Worth, vol. 3d ed. (Grand Rapids, Mich.:Zondervan, 2003), 25.
  14. 詳細は下記を参照。Craig S. Keener, The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary (Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009), 187–188.
  15. 詳細は下記を参照。Klein et al., Introduction to Biblical Interpretation, Revised Edition, 213–272.
  16. Fee and Stuart, How to Read the Bible for All It’s Worth, 3d ed.:78.
  17. 詳細な議論は下記を参照。Greidanus, The Modern Preacher and the Ancient Text, 173–174.
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