礼拝説教の要旨です。
- 日時:2019年11月10日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「復活が与える確信」
- 聖書個所:使徒言行録17章16-34節
導入
今日の聖書個所には「死者の復活」のことを聞いて有り得ない馬鹿げた話だとあざ笑った者もいれば(32節)、その話をきっかけにクリスチャンになった人もいた(34節)ことが記されています。言うなれば、
ということになります。
今日はキリスト教にとって、
について一緒に考えたいと思います。
知らずに拝んでいるもの
今日の聖書個所でパウロはアテネの至るところにある偶像をみて憤慨し、ユダヤ人たちや多くの人々と論じ合うようになります(16-17節)。
その結果、彼は「アレオパゴス」と呼ばれるアテネの議会において、イエス様と復活についての福音を詳しく説明する機会を与えられました(18-21節)。
そこでパウロはまず「アテネの人たちが知らずに拝んでいるもの」が天地万物の造り主であると宣言します(24節)。1
そして、天地万物の造り主である神は
- 万物に命を与えるお方(25節)
- 人間が神を探し求めれば見出すことができる存在 (26-27節)
- 偶像とは全く異なるもの
だとパウロは説明します(28-29節)。
悔い改めを求める神
それからパウロは、天地万物の造り主である唯一まことの神の代わりに偶像を作り、その偶像にいけにえや供え物を捧げ、崇め奉ってきた人々に対して、悔い改めるように神が命じておられると語ります(30節)。
現代の日本人は「無宗教」で、宗教は何も信じていないと言う人が多いように思います。しかしながら、日本人の多くは新年には初詣に行って「神様」に対して「家内安全」「必勝祈願」「合格祈願」といった願い事をします。
また、お盆やお彼岸にはご先祖様の供養のために墓参りをします。そうしないと先祖の霊が報われずバチが当たるからといった理由です。
中には「目に見えない何か」ではなく、実際に目に見えるお金や人の力・ご利益にすがることもあるかもしれません。が、いずれにしても、
というのは誰もがすることだと思います。
この意味で、2000年前のアテネの人々であれ現代に生きる日本人であれ、
だと言えると思います。そのような人間に対して、天地万物の造り主なる神は悔い改めるように命じておられると聖書は語ります。
「悔い改める」というのは、
を意味します。自分(人間)中心から神様中心への方向転換が求められています。
イエスの復活が与える確証
でも、
それは、
とパウロは主張します(31節)。
聖書は、
と記します(コリントの信徒への手紙一15章3-6節)。人間の常識で考えて到底起こり得ないことが起こったと言うのです。
そして、それによって、多くの人がイエス様こそ本物の救い主(メシア)であり神の子であると信じるようになり、殉教する者もいました。
です(ローマの信徒への手紙1章4節)。
イエス様はただ死んでよみがえられただけではありません。復活した後は天に上げられ、神様と等しい権威・権力が与えられています(エフェソの信徒への手紙1章20-21節)。ですから、
です。
また、神様がイエス様によってこの世を正しく裁く日には、
- 自分(人間)中心に生きてイエス様を信じることのなかった人々は永遠の破滅という刑罰を受け(テサロニケの信徒への手紙二1章9節)
- イエス様を信じて神様中心の生活をしようと方向転換した人々は永遠の命にあずかる(マタイによる福音書25章46節)
と聖書は記します。この「永遠の命にあずかる」というのは、
ことを意味します(フィリピの信徒への手紙3章21節;ヨハネの黙示録21章1-4節;比較:コリントの信徒への手紙一15章51-54節)。言うなれば、
でもあるのです。
結論
イエス様が死んで復活したことによって、イエス様はただの人間ではなく子なる神であることが示されました。
その
そして、
ことが約束されています。
それら全ての確証を与えてくれるのがイエス様の復活です。
今一度、
ことを覚えたいと思います。そして、
参考文献および注釈
- Peterson, David. The Acts of the Apostles. The Pillar New Testament Commentary. Nottingham, UK; Grand Rapids, Mich.: Apollos; Eerdmans, 2009.
- Witherington, Ben. The Acts of the Apostles: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids; Cambridge: Eerdmans, 1998.