「成長に欠かせないもの」:2021年1月24日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちらから)。

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導入

Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では先週よりローマの信徒への手紙からの説教シリーズが始まりました。今回はシリーズの二回目で聖書個所は1章8-17節です。

今日の聖書個所において、ローマの信徒への手紙の作者パウロはまずローマに住むクリスチャンたちの信仰に対して神様に感謝しています(8節)。

その後でパウロはローマを訪れたいという自分の願いを綴っています(9-15節)。

パウロがローマを訪れたいと願う理由について、今日の個所から分かることは四つ。

  • 一つ目はローマの人たちを力づけるため(11節)。
  • 二つ目はお互いの信仰によって、互いに励ましあうため(12節)。
  • 三つ目は「実りを得る(実を得る)」ため (13節)。
  • 最後の四つ目の理由はローマに住む人々に福音を告げ知らせるためです(15節)。

そして16-17節にはパウロがローマで福音を告げ知らせたいと願う理由が記されています。

今日の個所で特に注目したいのは、パウロがローマを訪れたいと思っている三つ目と四つ目の理由です。

成長に欠かせない交わり

今日の個所の文脈を考えると13節でパウロが語る「実り」というのは、単純にイエス様を信じる信仰をもつことだけでなく、互いに力づけ、励まし合いながら、クリスチャンとして成長していくことが含まれていると思われます(比較:フィリピの信徒への手紙1章22-24節)。

実際、神様に使徒として召されたパウロの使命は異邦人たちを「信仰による従順へと導く」(ローマの信徒への手紙1章5節)ことです。

ただ単に信仰へと導くのではなく、「信仰による従順」へと導く訳です。

神様・イエス様に対する従順さというのは一朝一夕で身につくものではありません。
いついかなるときもイエス様のように、神様の望むことを最優先して神様の御心に従順・忠実に歩む

それは私たちが一生かけて追い求める生き方です。そうした神様への従順さを身に付けるための助けとなるのが

他のクリスチャンたちとの交わり

です。

お互いに力づけ、励まし合い、慰め合い、祈り合う中で少しずつ神様の望む生き方ができるようになっていく

訳です。

クリスチャン同士の交わりはクリスチャンとしての成長に欠かすことのできないもの

と言えます。

福音を告げ知らせる理由

ローマの信徒への手紙1章15節でパウロは、イエス様を既に救い主と認めて神様の望む生き方をしようとしているクリスチャンたち。しかも、その信仰が地域全体に知れ渡っているローマにいるクリスチャンたちにも福音を告げ知らせたいと言っています。

「福音を告げ知らせる」と聞けば、その対象は普通、まだイエス様を信じていない人たちを思い浮かべると思います。

けれども、ここでパウロはクリスチャンたちにも福音を告げ知らせたいと言っている訳です。その理由については幾つか考えられます。

第一に、まだ福音を知らない他の人たちに福音を告げ知らせるためにも私たちクリスチャンが福音をしっかりと聞いて・学んで理解する必要があると言えます。

第二に、私たちは皆、周りの社会・文化の影響を受けやすい存在である点が挙げられます。

現代の日本社会は非常に忙しい社会です。目の前の様々な出来事に追われて、ついつい神様のこと、イエス様のこと、聖書のことを忘れてしまうようになります。

また、知らず知らずのうちに社会的文化的価値観によって、その理解がゆがめられている可能性は否定できません。

神様・イエス様・聖書(福音)のことを忘れてしまわないため、また間違った聖書(福音)理解を正すためにも繰り返し福音を聞く必要があります。

成長に欠かせない福音

クリスチャンたちに対しても福音を告げ知らせる必要がある三つ目の理由は、福音がもたらす「救い」に関係があります。パウロがローマの信徒への手紙1章16節で語る

「救い」とは、イエス様を救い主と信じる信仰によって神様の前に正しい者とされ、神の怒りから救われ、永遠に生きる者となる

こと(参考:ローマの信徒への手紙3章28節;5章9-10節、21節)と言えます。

しかしながら、信じることによってもたらされる「救い」については、もう一つ別の側面があります。専門用語では「聖化」と呼ばれ、

信じる者の内に住む聖霊の助けによって、この世においてイエス様に似た者へと変えられていくプロセス

を指します(参考:コリントの信徒への手紙二3章18節;比較:フィリピの信徒への手紙2章12-13節)。ローマ1章のパウロの言葉を借りるとすれば、

聖化は「信仰による従順」に導かれていくプロセス

と言えなくもないかもしれません。

この聖化または信仰による従順に導かれていくプロセスは聖書の語る福音(良い知らせ)の一部をなすものと言えます。

しかもそれは、イエス様を信じてから始まるプロセスですから、イエス様を信じた人たちにも無関係ではありません。

繰り返し福音を聞くことで、私たちの内で確かに働かれている三位一体の神様の力を覚えることは有意義です。

クリスチャンになった後も福音を繰り返し聞いて学ぶことで、

福音を他の人に伝えられるほどの聖書理解を得ることができるようになります。
より正しい聖書理解を得ることもできるようになります。

さらには、

信じる者の内に住み、信仰による従順に導いてくださっている聖霊の力・助けを再確認することもできます。

総じて、

福音は、人々が信仰をもつようになるためだけでなく、クリスチャンとなった後の成長に欠かすことのできないもの

だと言えます。

結論

今日の聖書個所にはローマに住む異邦人クリスチャンたちに対する使徒パウロの熱い思いが記されています。

彼はどうにかしてローマに住むクリスチャンたちに会いたいと願っていました。それは彼らを信仰による従順へと導くという自らの使徒としての務め(ローマの信徒への手紙1章5節)を果たすためでした。

具体的には、クリスチャン同士の交わりと福音を告げ知らせることを通して、彼らが信仰による従順へと導かれることをパウロは期待していました。

弱く不完全な私たちが神様の望むことを最優先して神様の御心に従順・忠実に歩むためには、他のクリスチャンたちとの交わりが欠かせません。

お互いに力づけ、励まし合い、慰め合い、祈り合う中で少しずつ神様の望む生き方ができるようになるからです。

また、弱く不完全な私たちが神様の望むことを最優先して神様の御心に従順・忠実に歩むためには、クリスチャンになった後も繰り返し福音を聞く・学ぶことも欠かせません。

福音を繰り返し聞いて学ぶことで、聖書の神様の性質や御業をより正しく味わうことができるようになります。

それに伴って、神様の御心が何かを理解しやすくなりますし、感謝と喜びをもって神様に従おうとする気持ち(信仰による従順)も沸き上がってくるからです。

クリスチャン同士の交わりと聖書(福音)の学びは私たちクリスチャンの成長に欠かせないもの

と言えます。

あなたにとって、神様の望むことを最優先して神様の御心に従順・忠実に歩むために欠かせないものは何でしょうか?

自分の悩みや葛藤を理解し寄り添ってくれる友でしょうか。

何があっても自分を受け入れてくれる気の置けない仲間でしょうか。

神様の御心が何かを見極めることのできる知恵でしょうか。

神様のことをよりよく信頼できるようになる体験・出来事でしょうか。

それがどのようなものであれ、まずは

具体的に神様に祈り求めてみてください。

また、神様の御心に従順・忠実に歩むために欠かせないものが何かが分からない場合も同じく、まずはそれが何であるかを示してくださるように神様に祈ってみてください。

神様はそのようなあなたの祈りにきっと答えてくださいます。

最後にもう一つ。

あなたのクリスチャンとしての成長に欠かせないものが何であれ、あなたはもう既に最も大事なものを手に入れています。それは

神の御子イエス・キリスト

です。

イエス様はあなたの悩みや葛藤を理解して寄り添ってくださるお方です。
何があってもあなたを受け入れてくださるお方です。

また、

イエス様の人生、死、復活を通して、神様の御心が何か、神様が信頼に足るお方かどうかを知ることができます。

いうなれば、

イエス様のことをより良く知って、イエス様との関係が深まれば深まるほど、クリスチャンとしての成長の度合いが深められていく

と言えます。

周りのクリスチャンとの交わりを通して、また聖書のメッセージ(福音)を通して、イエス様との関係がより一層深められていきますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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