礼拝説教の要旨です。
- 日時:2021年2月7日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「あるべき姿」
- 聖書個所:ローマの信徒への手紙1章24-32節1
導入
私たちの人生には苦難・苦労がつきものです。
クリスチャンであろうとなかろうと誰もが人生における苦しみや悲しみ、痛みを経験します。そのような辛い出来事を経験すると誰もが
と疑問に思いたくなってしまいます。
と思う人もいるでしょう。今日の聖書個所はそのような私たちの疑問に対して、一つの答えを与えてくれる個所となっています。
今日、皆さんと共に考えたいことは二つです。一つ目は、
そして、
です。
被造物に認められる神性
今日の聖書個所は「そこで」という言葉で始まっています(ローマの信徒への手紙1章24節)。このことから、今日の話はそれまでの話(18-23節)の続きであることが分かります。
それまでの話の内容を一言でいえば、
です。
です(21-23, 25節)。この個所で面白いのは異邦人たちもまた聖書の神様のことを知っているとパウロが語っているところです(19-20節)。
現代においては科学技術が発達したため、非科学的なもの(科学が証明できないこと)は存在しないと公言する人が増えています。
私もそのような科学至上主義の一人でした。
けれども、そのような科学優位の時代にあっても日本では多くの人が占いを気にしたり、神社仏閣で厄除けをしたり、お守りを買ったりします。
ほとんど無意識のうちに、
ことの表れだと言えます。被造物の中に確かに認められるその「何か」をパウロは「神性」という言葉で表現しています。
神を神として崇めない人々
日本には「八百万の神々」がいると言われています。この世には数えきれないほどの「神」が存在しているという信仰です。
このため、人間も含め色々なモノが「神様」として神社に祀られています。
まさに
不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や鳥や獣や地を這うものなどに似せた像と取り替えた【ローマの信徒への手紙1章23節】
出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(新)269頁
のが日本人だと言えます。
ここで注意したいことが一つあります。
それは、
ということです。
お金や権力、家族や親友、人から認められることや愛されることなどなど、あなたの人生において、
となってしまっているかもしれません。また、科学や占いなど、
だと言えます。なお、ここで私は
私自身、科学者を志していましたし、いまでも科学は大好きです。しかしながら、
言うなれば、
とも言えます。
です。
あるべき姿でなくなった世界
では、
その答えが記されているのが今日の聖書個所です。特にパウロはローマの信徒への手紙1章29-31節で、人々が様々な悪を行うようになったと説明しています。
人々が神様を神様として崇めず、感謝もせず、神様以外のモノをより大事にしたり神様以上に信頼したりすることは、神様と人間との間の本来あるべき姿ではありません。
です(21、25節)。しかし、
のです。ここに、冒頭で投げかけた一つ目の問い「なぜこの世は苦しみや悲しみ、痛みに満ちているのか」に対する答えがあります。即ち、
のです。そして、そんな
です(32節;参考:ローマの信徒への手紙2章5-8節;6章23節)。
結論
それは、私たちが行う「偶像礼拝」という「罪」が招く必然的な結果です。
仮に神様が何もしてくれないとしても、私たち人間は神様に文句を言える立場にはありません。
が、しかし、
です。事実、
私たちが救われるのはただ一方的な神様の恵みによるものです。
です。
に過ぎません(比較:ローマの信徒への手紙1章29-31節)。
にもかかわらず、
のです。お見捨てになるどころか、
それ故に
のです(参考:ヘブライ人への手紙2章18節)。
残念ながら、この世で生きる限り私たちはこの世の苦しみや悲しみ、痛みから逃れることはできません。けれども、
また、イエス様を救い主と信じ従おうとする私たちにはこの世にあって、決して消えることのない希望があります。それは
です(参考:コリントの信徒への手紙一15章51-55節;ヨハネの黙示録21章1-4節)。そのとき、
ある意味、
のです。
これこそが神様が最終的にもたらそうとされているこの世の救いです。
その保証となるのがイエス様の復活です(参考:コリントの信徒への手紙一15章20-26節)。
今、自分のうちに
を探ってみてください。
神様より大事にしているものはないでしょうか。
神様以上に信頼してしまっているものはないでしょうか。
神様の恵みによって生かされていることを忘れ、自分の力や努力によって生きているかのように思うことはないでしょうか。
神様を神様として崇めず、感謝もせず、神様以外のモノをより大事にしたり神様以上に信頼したりすることがあるならば、今一度、
その過ちを認め、神様のもとに立ち返るならば、真実で正しい神様はあなたを赦し、あらゆる不正から清めてくださいます(ヨハネの手紙一1章9節)。
もし今現在、苦しみや悲しみ、痛みの只中にいらっしゃるならば、
あなたの苦しみや悲しみ、痛みを誰よりもご存知なお方がいつもあなたの傍にいて、あなたを慰め、励まし、力づけてくださっています。
あなたの経験している苦しみや悲しみ、痛みは永遠に続くものではありません。
いつの日か
日がきます(ヨハネの黙示録21章3-4節)。その日は
です。
参考文献および注釈
- Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
- Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.