礼拝説教の要旨です。
導入
今回の説教個所はマタイによる福音書7章7-11節とさせて頂きました。
この個所を選んだ理由は、この中の7章7節の御言葉が、
だからです。
このときの救いに至る体験を通して私は、
という確信を得ることができました。と同時に、
お方だということも学びました。
今日は、この
という神様のご性質について、マタイによる福音書の文脈を踏まえながら、もう少し考えたいと思います。
理想と現実のギャップ
今日の聖書個所マタイによる福音書7章7-11節は有名なイエス様の「山上の説教」(マタイによる福音書5章3節—7章27節)の一部です。
今日の個所に至るまでイエス様は様々な教えを弟子たちに向けて語られてきました。その内容を大まかに言えば、
- 兄弟に対して怒ったり、悪口を言ったりするだけでも裁きを免れることはできない(5章21-22節)
- 情欲を抱いて異性を見ただけでも姦淫を犯したことになる(5章27-30節)
- 自分の敵を愛し迫害する者のために祈りなさい(5章43-47節)
- 神様が完全であるように完全でありなさい(5章48節)
- 人に見せるために善い行いをしてはいけない(6章1-18節)
- 何よりもまず神の国とその義を求めなさい(6章19-34節)
- 人を裁くよりもまず自分の行いを悔い改めなさい(7章1-5節)
といった教え・戒めです。
私の場合、このような
「○○しなさい」
「××してはいけない」
といった話が沢山出て来ると、
というのは、
からです。そのような、ある意味、「理想と現実のギャップ」を突き付けられると、どうしようもなく惨めで、情けない気分になってきてしまいます。
「良い物」を与える神
しかも、今日の個所の後の個所でイエス様は、
ことの重要性を強調しています(7章15-27節)。
このため、山上の説教を最初から最後まで通して読んでみると、
でも、今日の個所は、神様・イエス様の望まれる生き方ができずに暗く沈んでしまいそうな気持ちに一筋の光を与えてくれる箇所です。
とはいえ、マタイによる福音書7章7-8節でイエス様は弟子たちに対して、
実際、マタイによる福音書7章11節でイエス様は、
と言っています。ここの「良い物」というのは、私たちの目から見て私たちにとって「良い物」ではなく、
と言えます(比較:ヤコブの手紙4章3節;ヨハネの手紙一5章14節)。
ギャップを埋める神
では、
ヨハネの手紙一5章14節には、
と記されています。このヨハネの手紙一5章14節とマタイによる福音書7章11節を比べてみると、神様の目から見て私たちにとって「良い物」というのは
即ち、
神様が私たちに願い求めているコト・モノ
神様が私たちに身に着けて欲しいと願っているコト・モノ
神様が私たちに手に入れて欲しいと願っているコト・モノ
と言えます。
それは、「山上の説教」の文脈の中で考えると、
ことです。その意味で、神様の御心に適った祈りというのは、
だと言えます。
理想と現実のギャップの狭間でもがき苦しみながらも神様の前にへりくだって、その助けにすがるとき、
結論
私たちの目からではなく、
神様の目から見て私たち人間にとって「良い物」というのは「神様の御心に適ったコト・モノ」。
それは、「山上の説教」の文脈で言えば、イエス様の教えをただ聞くだけでなく、
ことです。別の言い方をすれば、「山上の説教」に記されているような、
ということになります。
ここで大事なことは、
ことです。
ことが大切です。
神様・イエス様はあなたが何かできるから愛してくださるのではありません。
あなたが特別な才能を持っているから愛してくださるのでもありません。
あなたが何か特別なことを成し遂げたから愛してくださるのでもありません。
もちろん、あなたが何かできるようになることを、神様は誰よりも喜んでくださっています。
でも、
たとえ何度となく失敗することがあったとしても、
たとえ何度となく神様の期待を裏切ってしまうようなことがあったとしても、
もう今度こそは神様も自分に愛想をつかしてしまったに違いないと思うようなことをしてしまうことがあったとしても、
たとえ何があったとしても、
どんなことをしてしまったとしても、
その
そして、
私が救われたときの体験に関して言えば、救われる前に私が神様に願い求めたことは
というものでした。
これは明らかに、イエス様の教えを聞いて、それを行うことができるようになるように求めるものではありません。
けれども、ある意味で神様の御心に適ったものであったと言えるかもしれません。
というのは、このときの私の祈りは、
だったからです。
神様の御心、神様が私たち人間に願い求めていることの最たるものは、
ことです。
もしあなたが今、神様・イエス様のことがまだよく分からず、イエス様を信じる決心がつきかねているのであれば、是非、
直ぐに答えは得られないかもしれません。
でも、神様はきっと私の時と同じように、神様のタイミングと神様の方法であなたのその祈りに答えてくださいます。
また、もしあなたが今、親戚や友人・知人の救いのために祈っていらっしゃるのであれば、
イエス様はあなたに
と言ってくださっています。
参考文献および注釈
- Carson, D. A. Jesus’ Sermon on the Mount and His Confrontation with the World: An Exposition of Matthew 5-10. First Edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 1999.
D. A. Carson, Baker Books; Repackaged edition (2018/11/6) - Keener, Craig S. The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009.
Craig S. Keener, Eerdmans Pub Co (2009/7/24) - France, R. T. The Gospel of Matthew. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: William B. Eerdmans Pub., 2007.
R. T. France, Eerdmans Pub Co (2007/7/11) - Reeves, Rodney. Matthew. The Story of God Bible Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Academic, 2017.