「まずは認めるところから」:2020年5月24日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の礼拝説教の音声はこちらから)。

全国に発令された緊急事態宣言を鑑み、Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)ではオンラインで日曜礼拝を行っています。
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導入

今日の聖書個所にはヨセフは一度も登場しません。

しかし、創世記37章から50章に出てくる「ユダの話」に着目すると欠かすことのできない話が出てきます。

ユダという人物は自分の思いや考えを第一に優先する、かなり自己中心的な人物でした。しかし、

そんなユダが後には、父ヤコブとヨセフの弟ベニヤミンのために自らを犠牲にしよとする人物へと変えられます(参考:創世記43章1-10節;44章18-34節)。
ユダの身になぜこのような人格的な変革が起きたのか?

その手がかり・ヒントをくれるのが今日の聖書個所です。

自分を第一に優先するユダ

創世記において、アブラハムの一族が同族以外の者と結婚することはあまり良いこととして描かれていません(比較:創世記28章1節)。

ですから、父ヤコブとしては恐らく、自分の息子たちにもカナン人の娘を妻としてめとってほしくなかったと思われます。

にもかかわらず、ユダはカナン人の妻をめとります(38章2節)。そのはっきりとした理由は分かりませんが、

父親の気持ちを尊重せず、自分の思い・考えを優先するユダ

の態度が見て取れます。

その後、ユダにはエル、オナン、シェラという三人の息子が生まれます(38章3-5節)。

そして長男のエルはタマルという女性と結婚します(6節)。が、彼は主の目に悪いことを行ったため死んでしまいます(7節)。

するとユダは次男オナンに死んだ兄の妻との間に子孫を残して、兄弟としての義務を果たせと言います(8節)。

神様がアブラハムと結んだ約束・契約はアブラハムと彼の子孫に対するもの、特にアブラハムからイサク、ヤコブへと続く血筋に対するもの

でした(参考:創世記17章3-8、19節; 26章3-5節; 28章13-16節)。

このため、

アブラハムから続く血筋・血統を絶やさないことと神様の約束を絶やさないことはイスラエル民族にとってほぼ同じ意味をもっていた

と言えます(比較:申命記25章5-10節)。

この意味で、オナンが兄エルの跡取りを残そうとしないことは神様に対する罪とされ、オナンは死んでしまいます(創世記38章10)。

タマルと結婚した二人の息子が立て続けに死んでしまった中、

あくまでも神様を信頼してシェラをタマルと結婚させるかどうか、それともシェラの身の安全を優先させるか…

神様を取るか息子を取るか、ユダにとって、究極の決断と言えるかもしれません。

結果、ユダは神様ではなく息子シェラを選びました(14節)。

けれども、他の二人の息子が死んだときに涙一つ流した様子が記されていないことを考えると、

ユダは息子の身を心配していたというより、自分の財産を受け継ぐ跡取りがなくなってしまうことを恐れていた

のかもしれません。

罪を認め悔い改めるユダ

そうこうするうちにユダの妻が亡くなります。

そして、妻の喪が明けて間もなく、ユダは売春婦に化けたタマルと関係をもったことが記されています(創世記38章12-19節)。ここには、

亡き妻に対する愛情よりも自らの性的欲求を優先するユダ

の姿が見て取れます。

結婚相手以外と性的関係をもつことに対して聖書は非常に否定的

です(申命記22章13-29節)。

婚約中であれ、婚約者以外の男性と関係をもつならば、二人とも石打ちで死罪です(申命記22章23-24節)。

息子の妻と関係をもつならば、どちらも死罪にあたります(レビ記20章12節)。

タマルの場合、形の上ではユダの三男シェラとの結婚が約束されていました(創世記38章11節)。このため、「婚約者」シェラ以外の男性と関係をもつことで死罪とされても文句は言えません(比較:24節)。

ユダの場合、ただの売春婦だと思っていた相手が息子の妻タマルだった訳です。姦淫の罪でタマルが死刑にあたるならばユダ自身も死刑を免れません

しかも、ある意味、

タマルは自分の身の安全よりも神様の望み(血筋・血統を保つ)を優先したのに対して、ユダは神様よりも自分の思い・願いを優先した

訳です。

言い逃れはできません。

そんなユダが自らの罪を素直に認める

のです(26節)。

その後、ユダとタマルが再び性的な関係を持つことはありませんでした(26節)。

恐らく、タマルとの性的関係はユダにとって過去の自分の過ち、特に自らの自己中心性を思い起こさせるものではなかったかと思われます。

ですから、タマルとそれ以降再び関係をもたなかったということから、

ユダが自らの自己中心的な考え・思いを悔い改めた

であろうことが見て取れます。

自分よりも他人を優先するユダ

ここで、この出来事が起きた時のヨセフの年齢を考えてみます。

ヨセフがエジプトに売り渡されたのは彼が17歳の時です(創世記37章2節)。

「その頃」ユダは兄弟のもとを離れて結婚し、三人の息子が生まれました(38章1-2節)。

ここからはあくまでも私の勝手な想像の話ですが、ヨセフがエジプトに売り飛ばされてユダが結婚するまで一年が経ち、それから一年おきに息子が生まれたと仮定すると、三男シェラが生まれたのはヨセフが売り飛ばされてから4年経った頃となります。ヨセフは21歳です。

当時の結婚適齢期は定かではありませんが、仮に15歳から結婚できたとすれば、ユダがタマルと関係をもった(シェラが15-6歳になった)とき、ヨセフは36-7歳だったということになります。

この頃、エジプトでは7年間の豊作が終わり、7年間の飢饉が始まろうとしていました(参考:41章46、53-54節)。

この飢饉はエジプトだけでなくヤコブ一家が住んでいたカナンの地も襲います。そこでユダたちは食料を求めてエジプトを訪れ、ヨセフとは知らずにヨセフの前にひれ伏し食料を買い求めようとします(42章6節)。

従って、私個人の勝手な想定を多分に含みますが、

ユダがタマルと関係をもった出来事は、ユダたちとヨセフがエジプトで再会する頃に起きた

と考えることができます(比較:46章12節)。

ユダはそれまでずっと自分の考え・思いを優先させる生き方をしてきました。

彼は同じ父親の血を分けた弟ヨセフに対する憎み妬みに駆られて、ヨセフを売り飛ばし、父を騙し欺きました。

また、カナン人と結婚することを嫌っていたであろう父親の気持ちを顧みることなく、カナン人の女性と結婚します。

二人の息子が死んだ時、彼は涙することもなく、神様の望まれることよりも自分の財産を守ることを優先しました。

さらに、自分の妻に対してさほど深い愛情もなく、妻の喪が明けて間もなく自らの性的欲求を満足させるために売春婦と関係をもちました。

弟に父親、息子に妻、自分の周りにいる近しい人たちよりも自分の思い・考えを優先させてきたユダ。そんな彼が

父ヤコブと弟ベニヤミンのためを思い、自らの身の危険を顧みずエジプトの高官(ヨセフ)に訴え出る者へと変えられる

のです(参照:44章33-34節)。

結論

自分を愛する生き方から神様と人を愛する生き方へと変えられたユダ
ユダの人生になぜそのような大変革が起きたのでしょうか?

その理由は恐らく、

タマルとの出来事を通して、ユダが自らの罪を認めた

から(創世記38章26節)。そして、

自分の考え・思いを優先してきたそれまでの生き方から神様の考え・思いを優先する生き方へと方向転換した

からだと思います。

そこからユダの新しい人生が始まったのです。

人はなかなか変わらない生き物です。

他人を変えることはもちろん、自分のこともなかなか変えることができません。

何度となく同じ失敗・過ちを繰り返していると自分は生きている価値や値打ちがないのではないかと思いたくなってきます。

自分を信頼してくれている人の期待を何度も裏切ってしまうことで、相手から見放され、突き放され、誰も相手にしてくれなくなってしまうことがあるかもしれません。

でも、決して忘れないでください。

神様はあなたが同じ過ちばかりを繰り返してしまう弱く不完全な人間であることを誰よりもご存知なお方

です。

神様はあなたの良いところはもちろん、悪いところも全てご存知の上で、あなたを愛し、受け入れ、あなたといつも共にいたいと願っていらっしゃる

のです。

その愛を示すため、神様自らが人の姿を取って、十字架に架かり死んでよみがえってくださった

と聖書は語ります。

それほどまでに愛してくださっているとはいえ、

神様はあなたが自分の好き勝手に生きるのを良しとされる訳ではありません。

神様はあなたにイエス様のように生きてほしいと願っていらっしゃいます。そして、そのために必要な力と助けを与えるべく、神様の御霊である聖霊があなたのうちに宿ってくださっているのです。

あなたに求められていること。それは

まずあなたの不完全さを認めること。あなたが神様に対して犯した罪・過ちを認めること。そして、イエス様のように生きるべく、あなたの内に住む聖霊の力と助けにすがること

です。

それでもなお、罪を犯さないイエス様のような完全な生き方はできません。

でも、だからといって神様があなたを見放すこともありません。そんな不完全なあなたの全てを神様は愛し受け入れてくださっているのです。

何度となく同じ罪・過ちを犯したとしても、神様はその都度、あなたがその罪・過ちを認め、悔い改めることを願っていらっしゃいます(ヨハネの手紙一1章5-10節)。

あなたのもっているプライドや自尊心を全て神様に明け渡し、聖霊の助けにすがる。

そこから変革が始まります。

参考文献および注釈

  • Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
  • Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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