礼拝説教の要旨です。
- 日時:2026年1月25日(日)
- 場所:さいたま国際キリスト教会
- 説教タイトル・テーマ:「人の思いと神の思い」
- 聖書個所:ルカによる福音書7章18-35節1
導入
反対に、
その意味で、
と言えます。その結果、
と思うのは私だけではないのではないかと思います。
事実、今日の聖書個所に出て来る
特に「神様がこの世の人々をどのように救われるのか?」という
でした。今日の聖書個所を通して、
を再確認したいと思います。そして、その
ときを持つことができればと思います。
洗礼者ヨハネの思いと神の思い
まずルカによる福音書7章18節に「ヨハネ」という人物がでてきます。
彼はイエス様の弟子のヨハネではなく、俗に「洗礼者(バプテスマの)ヨハネ」と呼ばれる人物で、イエス様に洗礼を授けた人物です(ルカによる福音書3章21節;マタイによる福音書3章13-17節)。
洗礼者ヨハネは、
だと人々に伝えていました(ルカによる福音書3章16-17節)。
ところが、ルカによる福音書7章21節にあるように、ヨハネが「来るべき方(メシア)」だと思っていた
そのため、ヨハネは
のではないかと思われます(参考:ルカによる福音書7章19節)。
けれども、
でした(ルカによる福音書7章22-23節;比較:イザヤ書35章5-6節; 26章19節; 61章1節)。
イエス様は確かに、ヨハネが待ち望んでいた「来るべき方(メシア)」でした。
しかしながら、
でした。とはいえ、ヨハネが思い描いていたメシアの姿が完全に間違っていた訳ではありません。
また、
だということが分かります。
を見て取ることができます。
群衆の思いと神の思い
次に、この時の群衆たちの思いについて見てみます。
この時の群衆たちは洗礼者ヨハネのことを「預言者」だと信じ、ヨハネから洗礼を受ける人たちもいました(ルカによる福音書7章26, 29節;比較:20章6節)。
けれども、この
だとイエス様はおっしゃっています(ルカによる福音書7章26節)。
さらにイエス様はルカによる福音書7章28節の前半で、
と言っています。
それは、
だったからです(ルカによる福音書7章27節;比較:マラキ書3章1節)。
しかしながら、
です。
ことになるからです(参考:ルカによる福音書7章28節の後半)。
ここにもまた、
を認めることができます。
宗教指導者たちの思いと神の思い
最後に、宗教指導者たちの思いについて見ていきます。
当時の宗教指導者だった
とイエス様はおっしゃっています(ルカによる福音書7章30節)。
またイエス様は比喩を用いながら、
と非難しています(31-34節)。このような誹謗中傷は、
ために出てきたものだと考えられます。ここにも、
が表されています。
結論
今日の聖書個所には
がはっきりと表されていました。
ものでした。
群衆は洗礼者ヨハネのことをただの預言者だと思っていました。
けれども、洗礼者ヨハネには神様の救いのご計画において、非常に特別かつ重要な役割が神様から与えられていました。
その意味で、
でした。
また
をもたらそうとされていました。
そして
と聖書は語ります(イザヤ書55章8-9節)。
イエス様に「預言者以上の者」と言われたヨハネでさえ、神様の思いを完全には理解できていませんでした。
しかしながら、
その
そして、この
と聖書は語ります(ローマの信徒への手紙12章2節)。
祈っても、祈っても、神様がなかなか自分の祈り(願い)に答えてくれないと感じることがあれば、まずは
みてください(比較:ヨハネの手紙一5章14節)。
その祈りが神様の御心に適わない、自己中心的な祈りであるならば、神様がその祈りに答えてくださるかは分かりません(比較:ヤコブの手紙4章2-3節)。
仮に自己中心的な祈りであったとしても、神様は愛と恵みと憐れみに富むお方ですから、その祈りに答えてくださるかもしれません。
でも個人的には、答えてくれないことの方が多いような気がします。
また、あなたの祈りが神様の御心にかなった祈りであるかどうかよく分からないと思うならば、
みてください。
聖霊の助けを求めても、神様の御心が分からず、途方に暮れることがあるかもしれません。
反対に、神様の御心に適った祈りだと確信しているのに、その祈りがなかなか答えられないことがあるかもしれません。
神様が本当に自分の祈りを聞いてくださっているのか、不安になることがあるかもしれません。
そんなときは
今日の聖書個所で見たように、神様の救いの御業に対する人の思いと神様の思いは大きく異なるものです。
イエス様の時代、弟子たちも含め誰一人として救い主(メシア)であるイエス様が十字架にかかって死んでしまうとは思っていませんでした。
まして、死んだ人が復活するとは夢にも思っていませんでした。
けれども、
神様に祈っても、祈っても、祈っても、祈りが答えられず、状況がどんどん悪くなってしまうときがあるかもしれません。
どうしていいか分からず途方に暮れてしまうときがあるかもしれません。
神様が本当に自分の祈りを聞いてくださっているのか、神様が本当にいるのかさえも分からなくなってしまうときがあるかもしれません。
そんなとき、
参考文献および注釈
- Bock, Darrell L. Luke 1:1-9:50. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Baker Bk House, 1994.Darrell L. Bock, Baker Academic (1994/12/1)
- Edwards, James R. The Gospel According to Luke. Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2015.James R. Edwards, Eerdmans Pub Co (2015/5/1)
- France, R. T. Luke. Teach the Text Commentary Series. Grand Rapids, Mich.: Baker Books, 2013.