「主を信頼して待ち望む」:2023年1月8日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

新しい一年が始まりましたが、皆さんにとってこの一年はどのような年になりそうでしょうか。

世の中的には新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が始まって丸三年が経ちました。

「コロナとの共生(Withコロナ)」を真剣に考える時期に来ているように感じますが、「コロナとの共生」なるものが具体的にどのような状態・生活なのかはまだ誰にも分かりません。

誰もが手探りで、新しい状態・生活を見つけていく必要があります。

そのように

先の見通せない、漠然とした不安の中にあって、私たちはどのように歩んでいけばよいのでしょうか?

今日はイザヤ書の御言葉を通して、

先の見通せない、漠然とした不安の中にあって、いつか必ずもたらされる神様の救いを思い起こし、日々、神様に信頼して歩むことの大切さ

を再確認していきましょう。

主に立ち帰る

イザヤ書に記されている預言がなされた時代、

イスラエル民族(北イスラエル王国の人々)は他民族に征服されて自分たちの土地を失い「捕囚」状態

となってしまっていました。その根本原因は、

人々が神様に従わなかった

からです(参考:列王記下17章5-8節)。

神に対して罪を犯したという霊的な問題が他民族による支配(捕囚)という物理的な問題へと波及していった

訳です。

ということは、他民族の支配から救い出してもらうためには

まず自らの罪を認め、神様の下に立ち帰る(悔い改める)

必要があることになります。それだから、イザヤ書55章6-7節でイザヤは、ただ現状から救い出してもらうように神様に尋ね求めるだけでなく、

悪い道や思いを捨てて、神様のもとに立ち帰るように

と勧めている訳です。

人生における問題を根本から解決するためには、私たちの造り主である神様との関係を正す

必要があります。そのためには、私たちの思いや考えを第一にする道(生き方)ではなく

神様の思いや考えを第一にする道を歩む

必要があります。このときに自分の歩んでいる方向を変えること、生き方や考え方そのものを改めることを聖書では悔い改めと呼びます。そして、

私たちがそれまでの生き方・考え方を改めて、神様を第一として生きようとするとき、憐れみ深い神様は私たちの罪を赦してくださいます。

主を信頼する

でも

なぜ、自分の思いや道を捨て、神様に立ち帰る必要があるのでしょうか?

その理由の一つは、

神様の思い・道は私たち人間からすれば全くの別次元のもの、私たちの想像もつかないほどのもの

だからです(イザヤ書55章8-9節)。

さらに、その

神様の思い・道は、私たち人間の場合とは異なり、必ず実現する

と聖書は語ります(イザヤ書55章10-11節)。

私たちが自分の思いや道を捨て、神様に立ち帰る必要があるのは、

神様は私たち人間には想像もつかない方法でご自分の望み・計画を必ず成し遂げられるお方

だからです。

神様ほど信頼に足るお方は他にいません。
私たちが神様に全幅の信頼を置くことを神様は願っておられます。

主の救いを待ち望む

神様の言葉(預言)が必ず実現するというのは神様の言葉全てに当てはまる真理です。

けれども、この個所では特に人間の魂の救いに関する神様の言葉に焦点があてられています(参考:イザヤ書55章2-3, 7節)。

実際、イザヤ書55章12-13節には、

神様がもたらす最終的な救い

の状態が描かれています(比較:イザヤ書35章1-10節; 41章17-20節)。

神様によってこの地に完全な救いがもたらされるとき、荒れ果てた大地に緑が生い茂り、全地が喜びと平和で満たされるようになる

と神様の言葉である聖書は約束します。

そして、その神様の言葉(預言)は私たち人間の想像もつかない方法でいつか必ず実現します。

だからこそ、

自分の思いや道を捨てて神様に立ち帰り、神様を信頼して、その救いを待ち望むように

と神様は私たちにおっしゃるのです。

結論

イスラエル人は神様に従わず、神様に対して罪を犯し、神様との関係が壊れ、罪の支配下に入ってしまいました。

その結果、彼らは神様から与えられていた土地から追い出され、他民族の支配下に置かれるようになってしまいました。

けれども、神様はそんな彼らを見捨てることなく、預言者イザヤを通して、彼らに

神様のもとに帰ってくるように、それまでの生き方・考え方を改めて、神様を第一として生きるように

と勧めます。

そして、その勧めに応じて彼らが

悔い改めるならば、憐れみ深い神様は彼らの罪を赦し、壊れてしまった神様との関係が回復され、彼らの魂は生きるようになる

と約束してくださっています。

しかも、その

神様の救いの約束(計画)は私たち人間の想像をはるかに超えるかたちで必ず実現する

とも聖書は記します。

事実、その

神様の救いの約束(計画)は神の御子イエス様がこの世に来られ、私たちの罪の身代わりとして十字架で死んでよみがえるという形で現実のものとなりました。

その当時の人は誰一人としてメシア(救い主)が十字架刑に処されるとは思っていませんでした(比較:マタイによる福音書16章21-22節;イザヤ書53章4-8節)。

しかも、死んだメシアがよみがえるなどとは想像さえしていませんでした(参考:ルカによる福音書24章19-24節)。

けれども、

神様は私たち人間の想像をはるかに超えたかたちで、神の御子イエス様の十字架と復活という御業を通して、その救いの約束(計画)を成し遂げられた

のです。

現在のようになかなか先が見通せず、何が起こるか分からない不安と恐れの中にあって「絶対確実」と言えることは、

神様の言葉(預言)は必ず実現する

ということです。特に

神様の救いの約束(計画)はどんなことがあったとしても必ず実現します。

そして、その

神様の救いはイエス様が再びこの世に来られるときに完全に実現する

と聖書は語ります(参考:マタイによる福音書25章31-46節;コリントの信徒への手紙一15章20-26節;ヨハネの黙示録22章12-15節)。

そのときには先のイザヤ書55章12-13節に描かれていたような世界、荒れ果てた大地に緑が生い茂り、全地が喜びと平和で満たされる世界が実現します(比較:ヨハネの黙示録22:1-5)。

しかしながら、イエス様が再びこの世に来られ完全なる救いが実現するまで、

今のこの世における様々な悩み苦しみが完全に無くなることはありません。

と言われてしまうと、今のこの世には希望も何もないように思えてきます。

でも、もちろん、

今のこの世における様々な悩み苦しみが今よりも少なくなる・軽くなる

ことはあり得ます。

例えば、今のその悩み苦しみの主原因があなた自身の過ち・間違いによるものであるならば、

あなた自身が過ち・間違いを認め、きちんと謝罪と償いをする

ことによって、その悩み苦しみは解決・改善に向かっていくはずです。

そして、

神様はその関係改善に必要な勇気と力を与えてくださいます。

しかし時には、

あなた自身の過ち・間違いとは関係のないところで悩み苦しみが襲ってくる

ことがあります。

あなたの信仰・生き方を訳もなく憎んだり不快に思ったりする人たちがいる

からです(参考:ヨハネによる福音書15章18-21節)。

このような苦しみはあなた一人の力だけではどうにもならない類のものです。

あなた自身は何も悪いことをしていないにも関わらず、あなたの信仰・生き方によって苦しみや悲しみ、痛みを感じることがあるならば、是非、

イエス様の十字架を思い起こしてください。

イエス様ご自身が十字架の上でいわれのない苦しみや悲しみ、痛みを経験されました。

それは

私たちを罪の支配から解放するためだけなく、悩み苦しむ私たちを助けるため、また私たちに模範を残すため

でもありました(ヘブライ人への手紙2章18節;ペトロの手紙一2章20-21節)。

この世においては神様の望む「善」を行ったとしても苦しみを受けることがあります。

なぜこんな仕打ちを受けないといけないんだ
神様は自分を助けてはくれないのだろうか

と思うこともあるでしょう。でも、たとえどれほど理不尽で不当な苦しみを受けることがあったとしても、

あなたは独りではありません。

神の御子イエス様もまた理不尽で不当な苦しみを経験されました。

イエス様はあなたの今のその苦しみ、悲しみ、痛みを誰よりもご存知

です。そして、

たとえ何があったとしても、イエス様はあなたを決して見放すことなく、いつもあなたと共にいてあなたを慰め、励まし、導いてくださいます。

先の見通せない不安に満ちた今の世にあって、たとえどれほどの苦難・困難に直面することがあったとしても、

いつか必ず実現する神様の完全な救いを待ち望みつつ、神様に全幅の信頼を置きながら、イエス様と共に歩み続けることができますように。

参考文献および注釈

  • Oswalt, John N. Isaiah. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2003.
  • Paul, Shalom. Isaiah 40-66: A Commentary. The Eerdmans Critical Commentary. Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2012.
  • Smith, Gary V. Isaiah 40-66. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Broadman & Holman, 2009.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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