「御言葉を行う人になりなさい」:2023年10月15日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

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導入

残念ながら、

この世から争いや紛争が無くなることはありません。

争いや紛争が起こる理由は千差万別で、様々な要因が複雑に絡み合っています。

しかしながら、そのような複雑な状況も、つまるところは

人間同士の意見・考えの違い

にその根本原因があると言っても過言ではないと思います。

実際、私たちの生活を見渡してみると、この人間同士の意見・考え方の違いに端を発した「いざこざ」が至る所で見受けられます。

教会内においても、決して人間同士の「いざこざ」や問題がない訳ではありません。

この世の中で生きる限り、

教会の内外を問わず、人間関係に悩まされることは避けて通ることができない

と言えます。

今日からクリスマスシーズンの始まりまでの間、Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)ではヤコブの手紙から説教をしていきます。

この手紙全体を読んでいただくと分かりますが、この手紙が宛てられた人たちもまた

人間関係に悩み苦しんでいた

ことが分かります。

ヤコブは、そのように

人間関係に悩み苦しんでいるクリスチャンたちに対して、神様の望まれる生き方がどのようなものか

を記しています。

今日はこのヤコブの手紙を通して、

人間関係で悩み苦しむ世の中にあって、私たちクリスチャンがどう生きるべきか?神様の望まれる信仰生活とは何か?

を共に考えていきましょう。

神の言葉を聞いて実践する

ヤコブが手紙を宛てた人たちの悩み苦しみは主に、

裕福な人たちと貧しい人たちとの間の身分の違いからくる悩み苦しみ

だと考えられます(参考:ヤコブの手紙1章9-11節; 2章1-13節; 5章1-6節)。

そして恐らくですが、この身分の違いからくる対立は

お互いに悪口を言い合うだけでなく(3章1-12節; 4章11-12節)、時として相手を殺してしまうほどに熱を帯びていた(4章1-2節)

ようです。

このようにある意味、手の施しようのないほどに悪化してしまった教会内の人間関係を耳にしたヤコブは、その状況を回復すべく「ヤコブの手紙」を書いた訳です。

そして特にヤコブは、今日の聖書個所となるヤコブの手紙1章19節で

聞くに速く、語るに遅く、怒るに遅くある【ヤコブの手紙1章19節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(新)412頁

ように勧めています。

始めの「聞くに速く」というのは、前後の文脈を考えると、

相手の話だけでなく、神様の言葉にもしっかりと耳を傾け、かつその御言葉を実践する

ことが含まれていると理解できます(参照:1章18, 21-22, 25節)。

神の義を実現する

次の「語るに遅く」についても、文脈および当時の人々の状況を考慮すると、

人々を呪ったり裁いたりする言葉、また嘘や悪口を言うことを控える

という意味だと理解できます(参考:ヤコブの手紙3章9-10, 14節; 4章11節)。

最後の「怒るに遅く」はそのままの意味ですが、文脈を考えると、特に

忍耐する、耐え忍ぶ

ことと言えます(参考:1章3-4, 12節; 5章7-11節)。そして、そのように勧める理由は、

人の怒りによって神の義が実現されることはない

からだとヤコブは記します(1章20節)。

ここの「神の義」というのは、この後の個所を読んでみると、

イエス様を信じ救われた人々が御言葉を行うことによって実現されていく社会正義

であることが分かります(比較:1章27節; 2章1-6節; 3章17-18節)。

結論

ヤコブが手紙を宛てた当時のユダヤ人クリスチャンたちは互いに悪口を言い合うだけでなく、時として相手を殺してしまうほどに教会内の人間関係が悪化してしまっていました。

そのように人間関係で悩み苦しむ教会内のクリスチャンたちに対してヤコブは、

話し相手だけでなく神様の言葉にもじっくりと耳を傾け、その御言葉を実践するように

と勧めます。

さらには、

直ぐに怒りの感情を爆発させることなく耐え忍び、人々を呪ったり裁いたりする言葉、また嘘や悪口を言うことを控えるように

とも勧めます。

ここで重要なことは

神様の言葉を聞いて実践する

ことです(ヤコブの手紙1章22, 25, 27節)。が、

そんなことは言われなくても分かっている。一番の問題は、頭では分かっていても実際に行動できないことだ。

と思う人は決して少なくないと思います。

では、

御言葉を聞くだけでなく実際に行うようにするために私たちはどうすればよいのでしょうか?

御言葉を聞いて実践するために大切なことに関して、今日の聖書個所から少なくとも三つのことが言えます。

一つ目

この世の価値観や考え方に染まらないように気を付ける

ことです(参照:ヤコブの手紙1章27節)。

この世の社会問題の只中に身を置きながら、その社会の価値観や考え方に染まることなく自分を守るためには、

絶えず御言葉に触れる機会を作る

必要があります。また

神の家族である教会の中に身を置いて、神の言葉をもって互いに励まし、慰め、力づける

必要があります。このように

様々な機会を利用して御言葉を覚え、一つ心で御言葉を見つめ、御言葉から離れないようにする

こと、それが御言葉を聞いて実践するために大切な二つ目のことです(参照:1章25節)。

あなたは今、仕事や家庭の忙しさの中で心の余裕がなくなり、神様との時間、また神の家族との時間がなくなってはいないでしょうか。

仕事も家庭ももちろん大事です。

でも、

神様との時間、神様の御言葉に耳を傾ける時間、神の家族との交わりの時間もそれと同じかそれ以上に大切

です。

神様との時間、神様の御言葉に耳を傾ける時間、神の家族との交わりの時間が少なくなってくると、世の価値観や考えに流されるようになり、御言葉を行うことは不可能になってしまいます。

忙しい生活の中の隙間時間でも構いませんから、神様に祈る時間、聖書を読む時間をもってみてください。

また

教会内のスモールグループや聖書勉強会、交わりの時間にもできる限り参加してみてください。

御言葉を聞いて実践するために大切なことの三つ目は、

自分の知恵や力に頼らずへりくだって聖霊の助けにすがる

ことです。1章21節でヤコブは私たち

イエス様を信じ従おうとするクリスチャンにはもう既に御言葉が植え付けられている

と語ります。しかも、その御言葉は私たちを救うことができる御言葉です。

これはつまり、

イエス様を信じ従おうとする私たちは既に救われている

ということを意味しています。

ただ、

救いの御言葉が植え付けられて(救われて)終わりではなく、
あらゆる汚れや悪を捨て去って、救いの御言葉を謙虚に受け入れる必要がある

とヤコブは言っている訳です。聞き慣れたキリスト教用語で言い直すならば、

自らの罪を悔い改め、神様の前にへりくだって神様中心の生き方をする必要がある

という訳です。

神様を中心として神様を第一とする生き方、即ち、御言葉を聞くだけでなく御言葉を行う生き方は決して簡単な生き方ではありません。

事あるごとに自分の弱さ・至らなさを覚え、犯した過ち・罪を悔い改め、へりくだって聖霊の助けにすがり続ける

必要があります。そうすることで、少しずつではありますが、

聖霊の助けと働きによって自らの行いが変えられていきます。

これこそ、神様が私たちに望まれる信仰生活の在り方です。

人間関係で悩み苦しむ世の中にあって、あなたは自分の思い・考えではなく神様の思い・考えを第一にして生きているでしょうか。

自分の思い・考えではなく、神様の思い・考えを第一にして生きようとするときに大切なことは、

神様がどれほどあなたを第一に思っていてくださっているかを思い起こす

ことです。

神様はご自分の命に代えても惜しくないほどにあなたを愛してくださっています。

神様はあなたが神様中心の生活をするから愛してくださる訳ではありません。

神様はただあなたの存在そのものを無条件に受け入れ、愛し、必要としてくださっています。

イエス様の十字架には、その神様の大いなる愛が示されています。

それほどまでにあなたを愛している神様があなたに望んでいらっしゃること、それは

聞くだけでなく、実際に御言葉を行う人になる

ことです(ヤコブの手紙1章22節)。

参考文献および注釈

  • McCartney, Dan G. James. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich., 2009.
  • McKnight, Scot. The Letter of James. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans Pub. Co., 2011.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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