「復活の喜び、そして希望」:2024年4月7日(日)礼拝説教要旨
もし皆さんの中で神様の働き・臨在を感じられず、不安や恐れを覚えている方がいらっしゃるのであれば、今一度、ご自分の中に働いておられる聖霊の働きに注意を向けてみください。あなたの生活の中に確かに表れている神様の力と主権に心開かれ、主にある喜びと希望をもって歩み続けることができますように。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
もし皆さんの中で神様の働き・臨在を感じられず、不安や恐れを覚えている方がいらっしゃるのであれば、今一度、ご自分の中に働いておられる聖霊の働きに注意を向けてみください。あなたの生活の中に確かに表れている神様の力と主権に心開かれ、主にある喜びと希望をもって歩み続けることができますように。
絶対的主権者なる神様に信頼し、今その場所であなたにしかできないこと、あなたに任せられていることに忠実に歩んでみてください。あなたは独りではありません。イエス様がいつも共にいて、あなたを守り導き、あなたを含む体全体を繋ぎ合わせ、愛の内に成長させてくださっています。
誰にも自分の弱さをみせることができず、いつも自分を偽っているあなたの心の内を神様は誰もよりもご存知です。そんなあなたに神様は「大丈夫、私はあなたのことを分かっているよ。私はあなたを愛しているよ」と語り掛けてくださっています。その神様の愛が表されているのがイエス様の十字架です。
生きる希望や助かる望みさえ見出せない状況にあったとしても、神様は確かにあなたと共におられ、あなたと一緒にその苦しみを経験され、あなたの人生における神様の御計画を成し遂げようとされておられます。神様はおっしゃっています。「元気を出しなさい。私はいつもあなたと共にいる」と。
イエス様は私たちがこの世で経験するような苦しみや悲しみ、不都合さを自らも経験されました。そのお方が今、あなたと共にいて、あなたを励まし、慰め、力づけてくださっています。暗い世の中にあって、あなたといつも共にいてくださっている「光」に気付くことができますように。
十字架刑(磔刑、たっけい)は実は非常に屈辱的で残酷な処罰でした。今回はこの十字架刑の屈辱・残酷性に着目しながら「なぜイエス・キリストはそんなにも屈辱的で残酷な処罰を無実の罪で受ける必要があったのか」を考えます。イエスが十字架で死んだ理由・意味は一体何か。
今回は、イエス・キリストが十字架刑(磔刑)で死んだ歴史的な証拠があるかどうかを調べるため、イエスの死後150年以内に書かれた聖書以外の文献に焦点をあてました。日本では弥生時代にあたる約2000年前の出来事の信憑性に迫ります。
窒息、出血多量、ショック死、心不全・心臓麻痺、不整脈、失神などなど、十字架刑の死因は一つでなく色々な可能性が考えられる!?今回は、十字架刑によってどのようにして人が死に至るのかを紹介しつつ、なぜ死因の特定が難しいのか、その理由も考えます。
十字架はアクセサリーにもよく使われていますが、実は昔の死刑執行の道具だったことをご存知の方は少ないかもしれません。今回はイエス・キリストが処刑された十字架刑(磔刑、たっけい)とはどのような処刑方法だったのか、その主な目的とは何だったのかを紹介します。
Even in excruciating pain on the cross Jesus did not think about Himself, but God’s mission and His people. It was possible because of His love for God and His people. Jesus thinks more about others than Himself, and loves us the way we are. And He wants us to love one another as He has loved us.