「聖霊のもたらす喜び」:2023年6月18日(日)礼拝説教要旨
聖書がいつも喜ぶように勧めるとき、私たちはその喜びの源を私たち人間ではなく神様の霊、聖霊に求める必要があります。たとえ今のこの世の中にあって、どれほどの苦しみ、悲しみ、痛みを経験することがあったとしても、神様の御業の内に喜びを見出すことができますように。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
聖書がいつも喜ぶように勧めるとき、私たちはその喜びの源を私たち人間ではなく神様の霊、聖霊に求める必要があります。たとえ今のこの世の中にあって、どれほどの苦しみ、悲しみ、痛みを経験することがあったとしても、神様の御業の内に喜びを見出すことができますように。
確かに、この世においては苦しみがあります。痛みがあります。悲しみがあります。しかし、それらの苦しみ・痛み・悲しみの中にあっても、神様との関係に根差した喜びが奪い去られることはありません。神様の愛からあなたを引き離せるものは何もないからです。
私たちは神様の期待に応え切ることができない弱く不完全な存在。なのにもかかわらず、神様は私たちを変わらずに愛し続けてくださるお方です。日常的な祈りの中で、この神様の普遍的な愛と恵みを覚え、今も生きて働いておられる主の御業に期待し、いつも喜び、感謝することができますように。