礼拝説教の要旨です(実際の説教音声[英語通訳付]はこちら)。
- 日時:2023年6月18日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「聖霊のもたらす喜び」
- 聖書個所:ガラテヤの信徒への手紙5章22-23節1
導入
先週の日曜日からTokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では「御霊の実」についての説教が始まりました。
前回は「愛」についてで、今回は「喜び」についての説教です。
皆さんは
もしくは
と尋ねられたら、何と答えるでしょうか。
その内容は異なるとしても、誰もが
のではないかと思います。特に、その
ものでしょう。しかしながら、このような「喜び」は自分の周りの環境・結果に大きく左右されます。
自分の夢・目標が無事に達成できた時は良いですが、その夢・目標が達成できなかったときには反対に大きな悲しみや悔しさを感じてしまいます。
一生懸命頑張ったにもかかわらず、夢や目標がかなわずに落ち込んでいるとき、または人間関係で深く傷ついているとき、
いつも喜んでいなさい。【テサロニケの信徒への手紙一5章16節】
出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(新)370頁
という聖書の言葉によって更に打ちのめされてしまったという経験がある人は少なくないのではないかと思います。
今日の聖書個所はいつも喜ぶように命じる神様の戒めを守ろうとするときに欠かすことのできない視点を与えてくれます。
それは
という視点です。
今日は、今日の聖書個所以外にも幾つかの聖書個所を足掛かりにしつつ、「聖書の語る喜び」について共に考えたいと思います。
霊の結ぶ実
まずは今日の聖書個所の内容を簡単に確認しておきます。
ガラテヤの信徒への手紙5章22節でパウロの語る「霊」とは私たち人間のうちに存在する霊のことではありません。
イエス様を救い主だと信じる人たち全てに与えられる神の霊、聖霊のことを指しています(ガラテヤの信徒への手紙3章5-14節)。
このイエス様を信じる者に与えられる聖霊は私たちを助け導いてくださいます(ガラテヤの信徒への手紙3章2-5節)。
それだからパウロは5章16節で「霊によって歩む」ように勧めています。
「霊によって歩む」とは、
ことを意味します。
世間ではしばしば、私たちの内側には理性と感情(本能)があって、本能的な欲求を理性によって上手にコントロールできる人が分別のある人だと言われます。
対して聖書は、
だと語ります(ガラテヤの信徒への手紙5章16-17節)。
ようになります。それ故にこれらは「霊の結ぶ実」と呼ばれます。
神の救いの喜び
今日はこれらの「霊の結ぶ実」の中でも特に「聖書の語る喜び」についてもう少し詳しく考えます。
「喜び」や「楽しみ」という言葉が出て来る聖書個所を見ていくと、それらが
ことが多いということに気付かされます(参考:レビ記23章39-40節;申命記12章6-7, 12, 18節; 14章26節; 16章10-11, 15節; 26章11節;詩編14編7節; 16編7-11節; 21編1節; 30編1節; 34篇2-5節; 35篇9, 26-28節; 40編17-18節; 46編5-7節; 53編7節; 63編8節, 64編11節; 68編2-4節; 69編30-34節; 70編2-6節; 92編5-10節; 97編1-12節;イザヤ書49章8-13節; 61章10節; 65章17-25節;ハバクク書3章18節;ゼファニヤ書3章14-20節;ゼカリヤ書10章6-7節)。
それが神の民に求められていることだと聖書は語ります。
奪い去られない喜び
新約聖書において、神様の救いの御業はイエス様の十字架と復活の御業によって実現します。
その救い主イエス様は最後の晩餐の席で、ご自分が十字架にかかって死ぬのを見て、弟子たちが嘆き悲しみ、苦しみにさいなまれるだろうと預言されます(ヨハネによる福音書16章16-20節)。と同時に、その直ぐ後に続けて、
ともおっしゃっています(ヨハネによる福音書16章22節)。
十字架で死んでよみがえられたイエス様と個人的に出会うことで与えられる喜びは、神様・イエス様の救いの御業がもたらす喜びそのものです。
そして、その
とイエス様はおっしゃる訳です。
このイエス様の言葉通りのことが初代教会の人々の上に起こりました。
彼らは様々な迫害に遭いましたが、神様の救いの御業がもたらした喜びは誰にも奪い去られることはありませんでした(参考:使徒言行録5章40-41節; 8章1-8節; 13章50-52節;コリントの信徒への手紙二6章4-10節;フィリピの信徒への手紙1章16-19節;コロサイの信徒への手紙1章24節;ペトロの手紙一4章12-19節)。
結論
自分の成し遂げたことを喜ぶのではなく、神様が成してくださった御業を覚えて喜ぶ。
自分の夢や目標が達成されたから喜ぶのではなく、神様の御旨やご計画が成し遂げられたから喜ぶ。
それが聖書の語る「喜び」の在り方だと言えます。
その意味で、
です。
仮に喜びを得ることがあったとしても、それは一時的なものです。
状況や環境が変わればその喜びは直ぐに失われてしまいます。
対して、
だからです。
神様はあなたが他の人より優れているから愛してくださるのではありません。
あなたが特別なことができるから愛してくださるのでもありません。
あなたが神様の喜ぶことをたくさんしたから愛してくださるのでもありません。
のです。その
あなたがまだ神様のことを知らなかったとき、
神様の思い・考えよりも自分の思い・考えを優先させて生きていたとき、
あなたを滅びから救い出すために
イエス様はその命を十字架の上に捧げてくださいました(ローマの信徒への手紙5章6-8節)。
この
冒頭でも話したように、聖書は私たちにいつも喜ぶようにと命じています(テサロニケの信徒への手紙一5章16節)。
しかしながら、これは理性または俗にいう「ポジティブシンキング(前向き思考)」によって、物事を前向きにとらえて、どんな状況でも喜び・楽しみを見つけなさいという勧めではありません。
苦しみや悲しみの中にあって、否定的な感情を押し殺して見せかけの笑みを浮かべなさいという勧めでもありません(比較:ローマの信徒への手紙12章15節)。
からです。
聖書がいつも喜ぶように勧めるとき、私たちはその
必要があります。
それだからこそパウロはいつも喜ぶように勧めた直後に絶えず祈るようにとも勧めているのだと思います(テサロニケの信徒への手紙一5章17節)。
どのような苦しみや悲しみ、痛みの中にあったとしても、
神様に初めて出会ったときのことを思い出してください。
神様の愛に初めて触れたときのことを思い出してください。
神様によって苦難・困難から救い出されたときのことを思い出してください。
そうすれば自然と神様に対する感謝の言葉が沸き上がってくるはずです(比較:テサロニケの信徒への手紙一5章18節)。
と言われても、
と言う方もたくさんいらっしゃると思います。
そんな方は是非、
神様に対する感謝や賛美だけでなく、神様に対する疑いや戸惑い、怒りや憎しみ、世の中に対する不安や恐れ、それら全てを祈りの中で正直に神様に打ち明けてみてください。
神様はあなたの心の内を全てご存知なお方です。
あなたの中の良い思い・考えだけでなく、良くない思い・考えも全て神様はご存じで、その上であなたの全てを受け入れ、愛してくださっています。
しかも
でしょう(フィリピの信徒への手紙4章6-7節)。
参考文献および注釈
- Alexander, T. D., and B. S. Rosner, eds. New Dictionary of Biblical Theology. Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000.
- deSilva, David A. The Letter to the Galatians. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2018.
- Hawthorne, Gerald F., Ralph P. Martin, and Daniel G. Reid, eds. Dictionary of Paul and His Letters: A Compendium of Contemporary Biblical Scholarship. Leicester, England; Downers Grove, Ill: Inter-Varsity Pr; InterVarsity Pr, 1993.
- Moo, Douglas J. Galatians. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013.
- Wood, D. R. W., I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman, eds. New Bible Dictionary. 3rd edition. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, 1996.
- Wright, David F., Sinclair B. Ferguson, and J. I. Packer, eds. New Dictionary of Theology. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, 1988.