
「敵を愛しなさい」:2025年6月1日(日)礼拝説教要旨
「自分の敵を愛することなんてできない」と思うとき、敵であったあなたを愛してくださった神様の愛を思い起こしてください。神様のあなたに対する愛に思いを馳せてみてください。そして、神様が愛してくださっているように、周りの人を愛することができるように祈り求めてみてください。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
「自分の敵を愛することなんてできない」と思うとき、敵であったあなたを愛してくださった神様の愛を思い起こしてください。神様のあなたに対する愛に思いを馳せてみてください。そして、神様が愛してくださっているように、周りの人を愛することができるように祈り求めてみてください。
たとえどんなことがあったとしても、これ以上耐えられないほどの苦しみ・悲しみ・痛みを経験することがあったとしても、それでも、主はあなたと共におられます。神様があなたを見捨てることは決してありません。神様・イエス様はいついかなるときもあなたと共にいて、あなたを絶えず守り導いてくださっています。
世の中においては、あなたが何をできるのか、何をしたのかよって、あなたの価値が決まります。対して神様は、あなたが何をできるのか、何をしたのかに関係なく、あなたの存在そのものにこの上ないほどの価値があるとおっしゃってくださいます。あなたはもう既に神様にこの上ないほどに愛されています。
イエス様の誕生をお祝いする今日この日、今一度、私たち人間の常識や理性、期待や想像をはるかに超えた「あり得ない神様」による「あり得ない救い」の御業を思い起こしてください。そして、その偉大なる主の御名をほめたたえ、心からの賛美を捧げてください。
たとえ神様第一の生活が出来なくても、神様の思いよりも自分の思いを優先してしまうことがあるとしても、神様の目ではなく自分の目に正しいことをしてしまうことがあるとしても、神様はあなたを変わることなく愛してくださっています。たとえ何があったとしても、神様があなたを見捨てたり、見放したり、見限ることは決してありません。
あなたは独りではありません。いついかなるときもイエス様はあなたと共にいて、あなたを守り導いてくださっています。生活の中で聞こえてくる否定的なささやきに惑わされることなく、いつも共にいてくださるイエス様の言葉に耳を傾けつつ、イエス様のように互いに愛することができますように。
たとえ何があったとしても、神様のあなたに対する愛が変わることはありません。たとえ神様のことをどれほど遠くに感じることがあったとしても、イエス様はいつもあなたと共にいて、あなたを守り導いてくださっています。神様の愛からあなたを引き離すことができるものは何もありません。
イエス様がこの世にお生まれになったのは、ご自分の命と引き換えにあなたを滅びから救いたいと思うほどにあなたを愛しておられるからです。クリスマスを明日に迎えようとする今日この日、この神様からの愛のメッセージがあなたの心に届きますように。
愛することは相手を知ることから始まります。まずは目の前のその人に挨拶をして、世間話をするところから始めてみてください。そして、損得勘定を抜きにして、その人のために自分に何をできるか、イエス様ならどうするだろうかを祈りの中で考えてみてください。
確かに、この世においては苦しみがあります。痛みがあります。悲しみがあります。しかし、それらの苦しみ・痛み・悲しみの中にあっても、神様との関係に根差した喜びが奪い去られることはありません。神様の愛からあなたを引き離せるものは何もないからです。