「必ず来る終わりの時」:2021年10月24日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

突然の質問ですが、皆さんは、

この世の中は「正直者が馬鹿を見る」世界だと思いますか?

あくまでも個人的な印象ですが、損得だけを考えると確かに悪賢い人たちが得をして、正直な人たちは損をするのが世の常ではないかと思います。

実際、世の中のいわゆる「不祥事」と呼ばれる出来事のほとんどは、悪賢い人が上手く立ち回って得をしようとした結果、生じた出来事であるように思います。

程度の差はもちろんありますが、このような

不正・不法行為は私たちの生活の中にも溢れている

と思います。

バレなければ大丈夫
これくらいのことは皆がやっている

と自分に言い聞かせながら、ついつい悪乗りしてしまった経験がある方は少なくないのではないかと思います。

ここで厄介というか不思議なのは、それらの

不正・不法行為が意外に見つからない

ということです。

なぜ世の中の不正や不法行為の多くは野放しになっているのでしょうか?
なぜ正直者が馬鹿を見ることが多いのでしょうか?
神様は世の中の悪を正しく裁かれるお方ではないのでしょうか!?

今日の聖書個所は、私たちのそのような疑問に答えを与えてくれる個所となっています。

必ず来る定めの時

ハバククが生きた時代もまた不正や不法行為が溢れ、その多くは野放しにされていました(ハバクク書1章2-4節)。

その状況から救われるように、またその状況に対して神様の裁きが下されるようにハバククは神様に助けを求めていました。

すると神様はカルデア人(新バビロニア王国)を用いて、イスラエル民族(南ユダ王国)を滅ぼすと答えられます(1章5-6節)。

この神様の答えはハバククには信じがたい驚くべきものでした。なぜなら、

カルデア人はイスラエル人以上に悪いことを行っていた

からです(1章13節)。

悪を行ったイスラエル民族が裁かれるのは仕方ないとしても(1章12節)、

悪をもって悪を征したところで、悪そのものがこの世から無くなる訳ではありません。

むしろ、

悪が更に栄え、状況は前よりもっと悪くなってしまいます(1章14-17節)。

また、イスラエル民族の中にわずかながらでもいたであろう、ハバククのように神様に忠実な人たちの苦しみは更に増すことになってしまいます。

言うなれば、

正直者が更なる馬鹿を見る

ことになる訳です。困惑したハバククが次にとった行動は、

神様の更なる答えを待つ

というものでした(2章1節)。

神様からの更なる答えを待つハバククに対し、まず

神様はこれからハバククに見せる幻を板の上に書き記すように

と命じます(2章2節)。「幻」と聞くと視覚的な映像を思い浮かべるかもしれませんが、原語のヘブライ語の言葉は「啓示」もしくは「神託」とも訳せる言葉です。

その神様からの幻・啓示は、

神様が定めた「時」に関するもの、特に「終わりの時」について告げるもの

でした(2章3節)。さらに、神様の定められた「時」というのは、

私たち人間の視点では遅いと感じることがあるかもしれないけれども、神様の視点からみると遅れることなく必ずやってくる

だから

遅くなっても待ち望め

と神様は命じられます(2章3節)。

必ず来る終わりの時

どんなに遅いと思っても必ずや訪れる終わりの時…その終わりの時に関する神様からの幻・啓示はハバクク書2章4節に記されています。

ここの後半部分に出てくる「信仰」とは、ハバクク書3章17-19節に示されているように、

どんな状況にも左右されることのない神様に対する絶対的な信頼

だといえます。そして、

そのような信仰をもつ「正しい人」は裁きによって滅びることなく生きる

と聖書は語るのです。

対して、ハバクク2章4節の前半部分と5節に記されているように、

神様の目から見て正しくない人(特にカルデア人)は高慢で、満足することなく、多くの人々を自分の利益のために搾取するような人

だと言えます。このような人々はいつまでも野放しにされている訳ではなく、その

「終わりの時」、つまりは裁きの時が必ずやってきます。

その終わり(裁き)の時の様子について詳しく記されているのが2章6-20節です。具体的には以下に関する裁きです。

  • 略奪(2章7-8, 17節):人や土地・財産を略奪した人は、いずれ自分が略奪される
  • 不正(2章9-12節):不正を行って得た財産は、たとえそれが家族のためにしたことであっても長続きしない
  • 流血・暴力(2章8, 12, 17節):人に暴力をふるったり殺害したりする人は必ずその報いを受ける
  • 恥辱(2章15-16節):不当に人に恥をかかせようとする人は、いずれ自分が辱めをうける
  • 偶像礼拝(2章18-19節):人間が作った偶像により頼もうとする人は、遅かれ早かれ、その期待を裏切られる

これら全てを一言でまとめるとするならば、

自分が蒔いた種は自分で刈り取る

と言えるでしょう。この

カルデア人に対する終わり(裁き)の時は確かにやって来ました。

しかしそれは、ハバククが生きている間のことではなかったと思われます(ハバククが預言を受けてから約60年後、新バビロニア王国はペルシア帝国に滅ぼされます)。

結論

この世においてはなぜ正直者は馬鹿を見、不正や不法行為が野放しにされることが多いのか?

この疑問に対して聖書は、

世の中の不正や不法行為はいつの日か必ず裁かれる

と答えます。さらに、

「正しい人」は裁きによって滅びることなく生きる

とも教えます。語弊を招く表現かもしれませんが、

「正直者」は最終的には馬鹿をみなくなる

という訳です。なお、ここでいう

「正しい人(正直者)」とはイエス様を救い主と信じる信仰によって神様の前に正しいとされ、どんな状況にあっても神様に信頼しつつ神様の望まれる生き方を全うしようとする人

のことを意味します。

世の中の不正や不法行為が裁かれ、信仰による「正しい人」が馬鹿を見ることがなくなる終わりの時は必ず訪れます

その確証・保証を与えてくれるのが

イエス様の十字架と復活

という出来事です。

神様は世の悪を見過ごすことができない義なるお方、罪を罰せずにはおけない聖なるお方

です。と同時に、

世の人々が罪の罰で滅んでいくのを放っておけない愛なるお方

でもあります。それ故に、

自らが犯した不正や不法行為の裁き(罰)の故に滅びゆこうとする人間を救うため、神様自らが人の姿を取ってこの世に来られ、その罪を背負って十字架に架かってくださった

のです。本来、私たちが受けるべきだった裁き(罰)をイエス様が代わりに受けてくださった訳です。

このイエス様の十字架という出来事は見方を変えると、

正直者が馬鹿を見ることの最たる例

と言えなくありません。というのも、

何も悪いことをしていない「正直者」の典型と呼べるお方が世の悪賢い人たちの策略によって「反逆者」の汚名を着せられ、当時最も残酷かつ屈辱的な刑罰に処せられた

からです。ところが、

話はこれで終わりません。

イエス様は死んで葬られた後、三日目によみがえられたのです。

イエス様という「正直者」が死も含めた世の中の悪に完全に打ち勝った

訳です。このイエス様の復活という出来事によって

神様は確かに、信仰による「正しい人」が馬鹿を見ることのない世界を実現することができることをお示しになった

と言えます。そして、

イエス様が再びこの世に来られるとき、世の中の全ての不正や不法行為が裁かれ、信仰による「正しい人」は神様と共に永遠に生きるようになる

とも神様は約束してくださっています(参照:マタイによる福音書25章31-46節;ヨハネの黙示録20章11節—21章4節)。

この世においては、不正や不法行為が野放しにされ、正直者が馬鹿を見るように感じてしまうことが多くあります。

けれども、

聖書の神様は、この世の全ての悪を裁かれる聖なるお方

です。そのことがイエス様の十字架に表されています。また、

信仰による「正しい人」が馬鹿を見ることのない世界をもたらすことのできる全知全能で善なるお方

でもあります。そのことがイエス様の復活に表されています。ただ、

その「終わりの時」がいつ来るのかを私たちは知り得ることができません。

もしかしたらハバククのように、

自分が生きている間には神様の裁きをみることはないかもしれません。

苦しみや悲しみ、痛みから完全に解放されることなくこの世での生涯を終えることがあるかもしれません。

「それでも」

とハバククは語ります。

それでも、私は主にあって喜び/わが救いの神に喜び躍る。神である主はわが力/私の足を雌鹿のようにし/高き所を歩ませてくださる。【ハバクク書3章18-19節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(旧)1446頁

たとえ今現在、どんなに辛く悲惨な状況にあったとしても、

イエス様はいつもあなたと共にいて、あなたを慰め、励まし、強めてくださっています。
たとえどんな状況にあっても神様に信頼しつつ、イエス様と共に歩み続けることができますように。

そして、

必ずや来る終わりの時を待ち望むことができますように。

参考文献および注釈

  • Barker, Kenneth L. Micah, Nahum, Habakkuh, Zephaniah: An Exegetical and Theological Exposition of Holy Scripture. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 1998.
  • Bruckner, James. Jonah, Nahum, Habakkuk, Zephaniah. Fifth Impression edition. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2004.
  • Robertson, O. Palmer. The Books of Nahum, Habakkuk, and Zephaniah. 2nd edition. The New International Commentary on the Old Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1990.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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