この前のゴールデンウィークにはJapanese Christian Fellowship Network (JCFN)主催のGlobal Returnees Conference 2018 (GRC18)なるものに参加してきました。
これには「Global(全世界の)」というちょっと仰々しい(?)名前がついてますが、一言でいえば、全世界(外国)に出かけていってクリスチャンになり、日本に帰国した「Returnees(帰国者クリスチャン)」向けの集会です。
参加者は大人も子供も含めて400名足らずだったと思われますが、初めて参加した人は恐らく(私もそうでしたが)、
と思ったのではないでしょうか。
何しろ日本にいるクリスチャンの数は全人口の約1%と言われていますから、周りをざっと見回して日本人が100人いたとしても、その中でクリスチャンはたったの一人。学校や職場でクリスチャンを見つけるのは至難の業です。1
それがクリスチャンだけで一度に400名近くも集まり、会場となったホテルは貸し切り状態となっていましたので、そこで出会う人はまず間違いなくクリスチャンというある種、異常な状況。びっくりしない方が無理というものです。
その集会の詳しい内容は主催者のウェブサイトを参照して頂くとして、この記事ではGRC18を通して改めて考えさせられたこと、特に帰国者クリスチャンと日本の地域教会の関わり方についてを記そうと思います。
話の流れ(目次)は以下の通り。
帰国者クリスチャンを受け入れる難しさ
それにしても、そもそものところ
と思われる方がいらっしゃるかもしれませんので、簡単に説明すると、
のことを指します。そして、彼らは日本に帰って来たときに様々な「逆カルチャーショック」というヤツを経験します。
その逆カルチャーショックの原因と問題及び対策については、私が以前に書いた下記の記事をご覧ください。
上記の記事にも書きましたが、帰国者クリスチャンが経験するこの逆カルチャーショックというものはまさに十人十色。
というのも、それぞれが滞在した外国の文化が違いますし、関わったクリスチャンの教団・教派の特色・文化が違うからです。
例えば、アメリカのカトリック教会を通してクリスチャンになった人とドイツのプロテスタント(例えばルター派)教会の影響を受けてクリスチャンになった人では、日本に帰ったときに感じる逆カルチャーショックの内容・度合いは異なります。
また、帰国者クリスチャンの中には帰国直前にクリスチャンになった人もいれば(大多数はこのケースがあてはまると思います)、海外でクリスチャンになってしばらくしてから帰国した人もいます。
要するに、
という訳です。
これは、裏を返せば、帰国者クリスチャンが日本で受ける逆カルチャーショックから出来るだけスムーズに立ち直るために有効な方法は一人一人異なるであろうということ。
つまり、帰国者クリスチャンを受け入れるにあたって、全ての帰国者クリスチャンに有効な「帰国者クリスチャン受け入れマニュアル」と呼べるものは作れないということです(もちろん、大きな指針を与えてくれるという意味において、「マニュアル」作りは有用です)。
また、帰国者クリスチャンが日本で受ける逆カルチャーショックが少なそうな教会を探すのが難しいとも言えます。
ここに日本の地域教会が帰国者クリスチャンを受け入れる難しさがあります。
ちなみに、この受け入れの難しさを物語るのが、帰国者クリスチャンの「8割が帰国後2~3年の内に教会を離れてしまう」という現実なのかもしれません。2
帰国者クリスチャンを受け入れる重要さ
さて、帰国者クリスチャンを日本の地域教会で受け入れるのがそんなに難しいなら、発想を変えて、
と思われる方は多いと思います。実際、既に色々な所にバイリンガル(主に日英)で国際色豊かな教会がありますし、そういうところは帰国者クリスチャンが比較的馴染みやすいのは確かです。
グローバル化が叫ばれるようになって久しい今日、このようなインターナショナルな教会の果たす役割は益々重要になっています。
が、しかし、です。
この日本にはまだまだ「インターナショナル」や「グローバル」といった言葉が苦手な人、馴染めない人がたくさんいるのもまた事実です。3
また、たとえ留学や駐在で海外にしばらく滞在したとしても、
と相変わらず日本が大好きな人や(私のように)日本が嫌いだったけど好きになってしまった人も少なからずいます。
そのような人たちは日本の地であえて国際色豊かな教会に足を運ぼうとはしないと思います。
つまり、長い目でみたとき、インターナショナルな教会は日本(特に地方)に住む日本人の間にはなかなか広がっていかないであろうことが予想されます。
言い換えるならば、
だと言えるでしょう。4
とはいえ、もちろん、帰国する日本人クリスチャンの数が今後どんどん増えていき、彼らの所属するインターナショナルな教会がより一層大きくなっていくことで、日本人クリスチャンの人口が増えていく、ということは十二分にあり得ます。
でも、そうなったとき、そこにはとてつもなく大きな「壁」が存在してしまうことになる気がするのです。その壁とは、
と思われるかもしれません。
しかし、イエスはそのような文化や考え方の違いから生まれる「壁」を取り除くためにこの地上に来られたと聖書は語るのです。
実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。【エペソ人への手紙2章14-16節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉386頁
この箇所で「私たち二つのもの」というのはユダヤ人と異邦人(非ユダヤ人)を指します。両者には民族的、宗教的、文化的な違いがありました。それらの二つの間の「隔ての壁である敵意」がキリスト(イエス)の十字架によって打ち壊され、二つのものが一つのからだ(新しい一人の人)となり、平和が実現されたと聖書は語っています。
要するに、
という訳です。
なぜなら、イエス自身が文化・民族・宗教の隔たりを超えて全ての人を分け隔てなく愛し、全人類のために十字架に架かって自分の命を捨てたから。
日本の文化というのは、異質な存在を受け入れ難い文化。「出る杭は打たれる」ということわざがあるほどです。そのような文化の中で、それぞれの違いを認めるというのは、たとえクリスチャン同士であっても難しいことだと思います。
しかし、少し視点を変えて、「皆が同じ神様・イエス様を信じ、同じように愛されている神の家族の一員なんだ」という意識を深めると、「出ていた」と思っていた杭は実は一本だけではなく、自分のも含め周囲の全ての杭が出ていたということに気付くことができるのかもしれません。
人が集まる時、そこには何となく気の合うグループ(輪もしくは和?)ができます。そして、一旦できてしまったグループに対して、グループの外にいる人が中に入ることは難しいし、グループの中から外に出て行くことも難しい。
これは日本に限らず、程度の差はあれ、世界中のどこでも見られる光景でしょう。この地上に生きている限り、何かのグループに属して生きることは避けられないのかもしれません。
しかし、
ようにも思えます。
そのためにはまず教会が変わる必要があるでしょう。
教会内において、「異質」な存在と思える人たち、自分たちとは合わないなと思えるような人たち、自分たちとは住んでいる世界が違うと思うような人たちを「互いに」受け入れることが大事だと思います。
このとき、教会内で「異質」な存在を受け入れられるかどうかの試金石とも言えるのが帰国者クリスチャンではないでしょうか。
ただし、言うまでもないことですが、日本の地域教会だけが帰国者クリスチャンを受け入れようとするのではなく、帰国者クリスチャンの方もまた地域教会の在り方(文化や伝統など)を受け入れる必要があります。あくまで「互いに」受け入れようとする態度が重要です。
なお、ここでいう「異質さ」とは性格・文化・社会的身分などの違いによるものだけではなく、世代の違いからくるものも含まれます。
ある特定の年代の人だけが集まる教会(若者だけもしくは年寄りばかり)というのは、確かに居心地は良いものです。しかし、その居心地の良さは知らないうちにどこかで誰かが「壁」を作ってしまった結果、生まれたものなのかもしれません。
教会内だけではなく教会外においても、教団・教派の違いを「互いに」受け入れ、一つの「神の家族」として一致団結し協力する必要があると思います。
ここでもまた、帰国者クリスチャンの存在が教団・教派を超えた(超教派的な)協力ができるかどうかの試金石となると思います。
というのも、帰国者クリスチャンたちが海外でお世話になった教会の教団・教派は多種多様であるため、日本に帰って来た帰国者クリスチャン全員を一つの教団・教派で受け入れるのは到底不可能だからです。
帰国者クリスチャンを受け入れるためには、教団・教派を超えた(超教派的な)協力・ネットワーク作りが必要不可欠なのです。
まとめ
今回の記事では、帰国者クリスチャンと日本の地域教会の関わり方について考えました。
日本の地域教会において、帰国者クリスチャンを受け入れることが難しい理由の一つは
が挙げられます。これはつまり、帰国者クリスチャンが日本で馴染みやすい教会を探すのが難しいとも言えます。
それならばいっそ、帰国者クリスチャン向けに新しい教会を作れば良さそうにも感じます。が、そうすることで日本の教会内外で望まれざる「壁」ができてしまうのではないかと感じます。というのも
からです。
この点において、二つの試金石があるように思います。その二つとは、
- 日本の地域教会と帰国者クリスチャンの双方が互いを受け入れられるかどうか
- 帰国者クリスチャンを受け入れるため、日本の各教団・教派が互いを受け入れ協力できるかどうか
そして、
と期待します。
とはいえ、いきなり大きなことを始める必要はないと思います。
それよりもまずは自分の目の前にいるその人のために、自分ができることが何かを尋ね求めること。そこから全てが始まっていくのではないでしょうか。
参考文献および注釈
- Dale, Kenneth J. “Why the Slow Growth of the Japanese Church.” Missiology 26, no. 3 (July 1998): 275–288.
- 本川裕. “世界的「反グローバル化」の流れは統計にも表れている.” ダイヤモンド・オンライン. Last modified April 26, 2017. Accessed May 10, 2018. http://diamond.jp/articles/-/126126.
- 第6回日本伝道会議「日本宣教170➤200プロジェクト」. 『データブック 日本宣教のこれからが見えてくる ―キリスト教の30年後を読む』. 東京: いのちのことば社, 2016年.
- “ミッション.” Accessed May 10, 2018. http://jcfn.org/jcfnhome/index.php?option=com_content&view=article&id=767&Itemid=804&lang=ja.
- 2014年度の日本のキリスト教徒(カトリック、正教会、プロテスタント)の総数は約101万人、全人口比で0.81%。第6回日本伝道会議「日本宣教170➤200プロジェクト」,『データブック 日本宣教のこれからが見えてくる ―キリスト教の30年後を読む』(東京: いのちのことば社, 2016年), 12頁.
- GRC18では「根拠のあまりない現実」として紹介されていましたが下記を参照。“ミッション,” accessed May 10, 2018, http://jcfn.org/jcfnhome/index.php?option=com_content&view=article&id=767&Itemid=804&lang=ja.
- 世界的な「反グローバル化」の流れについて、および世界と日本のグローバル化に対する意識の違いについて、興味のある方は例えば下記を参照。本川裕, “世界的「反グローバル化」の流れは統計にも表れている,” ダイヤモンド・オンライン, last modified April 26, 2017, accessed May 10, 2018, http://diamond.jp/articles/-/126126.
- 海外宣教師の働きの限界と可能性について興味のある方は、戦後の日本で40年以上、宣教活動を続けてきた宣教師の一人が記した下記文献を参照。Kenneth J. Dale, “Why the Slow Growth of the Japanese Church,” Missiology 26, no. 3 (July 1998): 287–288.