聖霊とは誰・何か?精霊とは違う?何をする?―聖霊の性質と働き・役割―

キリスト教には三位一体説というのがあります。端的に言うと

唯一まことの神は
父、子、聖霊という三つの異なる位格をもっていて、
それら三つはそれぞれ100%神である

という教えです。1

これら三つの中で父としての位格をもつ神は、俗にキリスト教(聖書)の「神」というときの神を指します。そして、子としての位格をもつ神は、イエス・キリストのことを指します。

これらの「神」とイエスについては、何となくイメージもわきやすいと思いますが、もう一つの神の位格である「聖霊」というのはあまり馴染みがないと思います。

実際、日本では「せいれい」というと恐らくは「精霊」という漢字を思い浮かべる方が多いと思いますが、三位一体の一つである聖霊は「聖」なる「霊」で「聖霊」と書きますのでご注意ください。

という訳で、今回のテーマは「聖霊」について。特に聖霊の性質と働き・役割についてみていきます。

話の流れ(目次)は以下の通り。

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聖霊の性質

冒頭で「精霊」ではなく「聖霊」だと書きました。が、日本人の思い浮かべる「精霊」というのは、何となく漠然とした目に見えないパワーや霊の塊であったり、木の精や森の精などに代表される不思議な力をもった妖精(フェアリー)のような存在だと思います。

事実、広辞苑(第五版)には以下の説明がありました。

精霊…①万物の根源をなすという不思議な気。精気。②草木・動物・人・無生物などの個々に宿っているとされる超自然的な存在。③肉体または物体から解放された自由な霊。死者の霊魂。

出典:新村出記念財団『広辞苑 第五版』(岩波書店、2002年)

上記に記されている「精霊」とは全く異なる存在なのが、キリスト教の「聖霊」です。

今回の記事では聖霊のもつ性質の中でも以下の二つに着目します。

  • 人格
  • 神性

人格をもった聖霊

最初に紹介する聖霊の持つ性質は「人格(personality)」。言うなれば、

聖霊は「気」やエネルギーのような類のモノではなくヒトの性質・特質を持った存在

であるということです。このため、英語で聖霊(the Holy Spirit)を表す人称代名詞はitではなくheとなります。2

でも、ヒトの性質・特質ってなんだ?

と思われると方は多いと思いますので、もう少し具体的に言うと、

聖霊は動植物の中でも人間だけがもつとされている知性(intelligence)、意思(will)、感情(emotions)をもつ存在

だと言えます。3

実際、聖霊が人格をもっていることに関する聖書内の記述は以下のようなものがあります。4

  • 聖霊は人々を教え、思い起こさせる(ヨハネの福音書14章26節)
  • 聖霊は人に力を与える(使徒の働き1章8節)
  • 聖霊は人に語りかける(使徒の働き10章19-21節)
  • 聖霊は思いをもつ(ローマ人への手紙8章27節)
  • 聖霊は霊的な賜物を自分の思うままに人々に分け与える(コリント人への手紙 第一12章11節)
  • 人は聖霊を悲しませることができる(エペソ人への手紙4章30節)
  • 人は聖霊に逆らうことができる(使徒の働き7章51節)
  • 人は聖霊を冒涜することができる(マタイの福音書12章31節)

神性をもった聖霊

聖霊は人が持つ性質(「人格」)をもった存在ですが、いわゆる「人間の霊」とは異なり、唯一まことの神だけがもつとされる性質(「神性(deity)」と呼びます)5ももっています6

聖霊がもつ神固有の性質とは、例えば、以下のようなものが挙げられます。

  • 全知性(omniscience):全てのことを知っている(コリント人への手紙第一2章10-11節)7
  • 永遠性(eternity):永遠の昔から永遠の未来にわたるまで存在している(時間の概念を超えた存在) (へブル人への手紙9章14節;比較:へブル人への手紙1章10-12)8
  • 遍在性(omnipresence):同時にあらゆる場所に存在する(空間に束縛されない存在)(詩篇139篇7-10節)9

また、聖書には、聖霊を欺くことが神を欺くことと同じとみなされている箇所(使徒の働き5章1-4節)があったり、聖霊が天地万物の創造にも関わっていることが分かる箇所があります(創世記1章2節;詩篇104篇30節)。

以上のようなことから、聖霊は神に等しい存在であることが分かります。

ちなみに、

私たちの造り主なる神に等しい存在である聖霊がイエスを信じる人々のうちに住んでくださる

と聖書は語ります(ローマ人への手紙8章9-11節)。10

また、私たちは神の御心や計画が分からず、何をどう祈れば良いか分からない存在です。が、そんな

私たちが神に対して祈るとき、神である聖霊が私たちと神との間をとりなしてくださる

と聖書は語ります(ローマ人への手紙8章26-27節;比較:へブル人への手紙7章25節)。11

聖霊の働き・役割


それでは、人格(知性、理性、感情などといった人間固有の性質)と神性(全知、永遠、遍在といった神固有の性質)をもつ聖霊が私たちの生活に果たす役割・働きは一体何でしょうか。

今節では聖霊が果たす以下の5つの役割・働きについて考えます。12

  • (新しい)命を与える聖霊
  • 力を与える聖霊
  • 明らかにする聖霊
  • 聖くする聖霊
  • 結び合わせる聖霊

(新しい)命を与える聖霊

前節において、聖霊は天地万物の創造にも関わっている聖書箇所があると書きましたが、聖霊の働きの一つとして万物に命を与えることが挙げられます。13

ヨブ記34章14-15節に以下のように書いてあります。

もし、神がご自分だけに心を留め、
その霊と息をご自分に集められたら、
すべての肉なるものはともに息絶え、
人は土のちりに帰る。
【ヨブ記34章14-15節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉920頁14

ここに記される「その霊」というのは「神の霊」即ち「聖霊」のこと。そして、もし神が自分の霊(聖霊)と息をこの世から取り去ってしまったら、命あるものは全て息絶えてしまうといっています。

裏を返せば、

聖霊(と神の息)のおかげで、この世に「命」が存在し、保たれている

と言えます。

また、万物に命を与える聖霊はイエスを信じる者に(永遠の)命を与え(ヨハネの福音書6章63節)、イエスを信じる者は聖霊によって新しく生まれると聖書は語ります(ヨハネの福音書3章5-8節)。15

ここの「聖霊によって新しく生まれる」(キリスト教用語で「新生(regeneration)」)というのはもちろん比喩的な表現で、

イエスを信じることによって、それまで切れてしまっていた神との絆が回復し神の子供とされることに伴う劇的な変化

を意味します(比較:ヨハネの福音書1章12-13節)。16

さらに言うと、

イエスを信じるようになるためには、神の望んでいないことをしてしまった(神に対して罪を犯した)が故に、神との絆が切れてしまっていることに気付く必要があります。

が、この「気付き」を与えてくれるのが聖霊でもあります(参考:ヨハネの福音書16章8-9節)。

つまり、

イエスを信じて救われる(神との絆が回復して神の子供とされる)ためには、聖霊の働きが必要不可欠

であると言えます。17

力を与える聖霊


万物に命を与え、イエスを信じる者には(永遠の)命を与える聖霊は、神のために働くのに必要な力も与えてくれます。18

旧約聖書において、イスラエルの民が聖所(神の住む天幕と中に収める祭具類)を建設する際、神はベツァルエルという人物に「知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされ」(出エジプト記35章31節)、人を教える力も与えた(出エジプト記35章34節)と記されています。

その結果、彼を中心として、聖所建設は滞りなく進められていきました。聖霊によって聖所建設に必要な力が全て与えられたと言えます。

また、事あるごとにイスラエルの指導者たちには神の霊(聖霊)が下り、その民を導くための力が与えられたことが記されています(例:士師記3章10節;6章34節;11章29節;11章29節;14章6節;サムエル記第一11章6節;16章13節)。

新約聖書において、イエスは多くの人々を癒したり悪霊を追い出したりと、様々な奇跡を行いました。そのイエスの宣教活動は、聖霊がイエスに下ってから始まっていますので(ルカの福音書3章22節)、イエスの活動に聖霊が大きく働いていたことは間違いありません。

聖霊はイエスだけでなくイエスの弟子たちにも下っています(使徒の働き2章4節)。そして、イエスの弟子たちもまた様々な奇跡を行い(使徒の働き6章5, 8節)、迫害にも怖じることなく大胆にイエスが救い主であることを宣べ伝えています(使徒の働き4章8節;6章10節)。

さらに、聖霊はイエスを信じる者に「御霊(みたま)の賜物」を与えてくれます(参照:コリント人への手紙第一12章)。

聖書に記されている「御霊の賜物」とは以下のようなものです。

参照
聖書個所
ローマ人への
手紙
12章6-8節
コリント人への
手紙第一
12章4-11節
エペソ人への
手紙
4章11節19
ペテロの手紙
第一
4章11節
御霊の
賜物
預言知恵使徒語り
奉仕知識預言者奉仕
教育信仰伝道者
勧め癒やし牧師・教師
施し奇跡を
行う力
指導預言
慈善霊を
見分ける力
異言
異言を
解き明かす力

ここで幾つかの注意事項20

  • 聖書は、「賜物」が生まれつき与えられているものか、人生のある時点で特別に与えられるものかは明記していない。
  • 上記一覧内の「奉仕」や「信仰」というものは、全てのクリスチャンが持ち合わせているはずであろうものなので、「賜物」として与えられる場合、それらは特別に優れた類のものだと考えられる。
  • 上記4つの聖書個所に記されている「賜物」の中には、他の3つの聖書個所に挙げられていない「賜物」が少なくとも一つ存在している(例えば、ペテロの手紙第一 4章11節内の「語り」という賜物)。このため、上記の一覧内に記されている「賜物」以外にも「賜物」がある可能性は否定できない(上記一覧内の賜物が全てではないと思われる)。
  • 「賜物」は原則として、個人のためではなく皆(教会)の益となるため、また教会の成長のために与えられている(コリント人への手紙第一12章7節;14章4-5, 12節)
  • 全ての種類の「賜物」をもっている人は一人もいないため、皆の協力が必要である(コリント人への手紙第一12章14-21節)。
  • ある特定の「賜物」を全ての人がもっているとは限らない(コリント人への手紙第一12章28-30節)。
  • 他と比べて目立たない「賜物」もあるが、全てが重要な賜物である(コリント人への手紙第一12章22-26節)
  • 全ての「賜物」は聖霊の御心によって与えられる(功績や努力によらない)(コリント人への手紙第一12章11節)

このような「御霊の賜物」の話を聞くと、大多数の人は

えっ、こうした「賜物」は今でもクリスチャンに与えられるの?

という疑問を抱かれると思います。

御霊の賜物が現代においても与えられるかどうかについては正直、クリスチャンの中でも意見が分かれるところですので、この記事では深くは立ち入りません。 21が、個人的には

賜物が与えられても与えられなくても、個人個人が自分のためではなく神様と人とを愛するように生きることが一番大事

だと思っています。実際、「賜物」の話が比較的詳しく記されている聖書個所(コリント人への手紙第一12章―14章)において、

愛が無ければどんな「賜物」も無益だから、愛を追い求めなさい

と記されています(参照:コリント人への手紙第一12章31節―14章1節)。

明らかにする聖霊

聖霊は命と力を与えるだけでなく、様々な事柄を明らかにしてくれます22

例えば、聖霊が下った人が神の言葉を告げ知らせる(預言する)場面が聖書には数多く記されていますが(例:民数記24章2節;エゼキエル書11章5節;ゼカリヤ書7章12節)、預言によって、神の意志・計画・御旨などが明らかにされます

また、聖霊は「真理の御霊(みたま)」とも呼ばれ、人々に真理を明らかにする存在でもあります(ヨハネの福音書16章13節)。なお、ここでいう「真理」とは主としてイエスのことで、聖霊はイエスについて証(あかし)するとも言われています(ヨハネの福音書15章26節)。

実際、聖霊が明らかにしてくれなければ、「隠された神の知恵」や神のことを理解することはできないと聖書は語ります(参照:コリント人への手紙第一2章6-12節)。

ここで一つ注意事項

聖霊は確かに「隠された神の知恵」や神・イエスのこと(真理)を明らかにし、私たちの理解を助けてくれます。が、ここで聖霊が明らかにしてくれることというのは、聖書には既に全て書かれていることに過ぎません(参照:ヨハネの福音書14章26節)。

ただ、既に書かれているにもかかわらず、

それまでイマイチ理解できなかったことや腑に落ちなかったことが、ある日突然、霧が晴れたかのように理解出来たり、ストンと腑に落ちる

ことがあります。それがここでいう聖霊の働き・助けであり、聖霊が明らかにしてくれることです。23

言い方を変えると、

聖書に書かれていないことが聖霊によって新たに明らかにされることはない

と言えます(キリスト教系の新興宗教などで用いられる聖書以外の「聖書」は存在しない)。

聖霊が明らかにしてくれることはまだまだあります。

聖霊はイエスを信じる人たちを導いてもくれますので、どのように生きるべきかを明らかにしてくれます(参考:ガラテヤ人への手紙5章16-26節)。

イエスを信じる信仰が故に他の人から宗教的な弾圧・迫害を受けるとき、迫害者に対して語るべき言葉を聖霊が明らかにしてくれる(教えてくれる)とも聖書には記されています(ルカの福音書12章11-12節)。

聖霊によってある情報が特定の人に明らかにされることもあります。

シメオンという人物はイエスを見るまでは決して死ぬことはないと聖霊によって告げられていましたし (ルカの福音書2章26節)、パウロはエルサレムで苦しみに遭うことを聖霊によって知らされていました(使徒の働き20章22-23節)。

この他にも聖霊によって明らかにされることで、私たちが深く味わい知ることができるものとして以下があります。24

  • 罪(ヨハネの福音書16章8節)
  • 義(ヨハネの福音書16章8節;ローマ人への手紙14章17節
  • さばき(ヨハネの福音書16章8節)
  • 愛(ローマ人への手紙5章5節)
  • 平和(ローマ人への手紙14章17節)
  • 喜び(ローマ人への手紙14章17節;テサロニケ人への手紙第一1章6節)
  • 知恵(申命記34章9節;イザヤ書11章2節)
  • 自由(コリント人への手紙第二3章17節)
  • 希望(ローマ人への手紙15章13節;ガラテヤ人への手紙5章5節)

最後に、聖霊がイエスを信じる人たちに明らかにしてくれること(確信を与えてくれること)として、

イエスを信じる人たちは神の子供であること(ローマ人への手紙8章16節)

および

イエスを信じる人たちが互いに愛し合うとき、イエスを信じる人たちが神のうちに留まり、神もまたその人たちのうちに留まること(ヨハネの手紙第一3章23-24節;4章12-13節)

が挙げられます。

聖くする聖霊


聖霊という名前からも分かるように、聖霊の特質の一つとして「聖」であることがあります。 25そして、聖霊はイエスを信じる人々を聖(きよ)くする存在でもあります。

なお、ここでいう「聖くする」というのは、大きく二つの段階があります。

一つ目は、先の「2.1 (新しい)命を与える聖霊」でみた

  • イエスを信じたときに「聖霊によって新しく生まれる(新生)」という意味で聖くされる段階。

二つ目

  • イエスを信じた後、イエスに似たものへと変えられていくという意味で聖くされていく段階(キリスト教用語で「聖化(sanctification)」と言います)。

まず一つ目の段階についてですが、「聖霊によって新しく生まれる(新生)」というのは、

イエスを信じることによって、それまで切れてしまっていた神との絆が回復し神の子供とされることに伴う劇的な変化

であることをみました。ここで、私たちがイエスを信じて神との絆が回復し神の子供とされることに伴う劇的な変化の中には、罪が私たちを支配しなくなることが含まれます(参考:ローマ人への手紙6章14節)。

これはつまり、

神の望むことを行おうと決心して生活様式を改め(悔い改め)、イエスを信じて従っていこうと決心するならば、神の望まないこと(罪)を進んでしようとは思わなくなる

ということ。

この私たちの心のうちに起こる変化は聖霊によってもたらされるもので、聖霊によって聖くされた結果だと言えます。26

また、私たちがイエスを信じて神との絆が回復し神の子供とされるとき、私たちは「神のものとされた」と言うことができます(比較:ペテロの手紙第一2章9節)。

そして、聖書の中では「神のもの」は「聖なるもの」とみなされますので、27 この意味において、聖霊はイエスを信じる人たちを聖くするということができます。28

余談ですが、聖書の中ではしばしばクリスチャンのことを「聖なる者」とか「聖徒」と形容することがあります。

しかし、それは決して清く正しく美しい立派な人々のことを指すのではなく、イエスを信じる信仰によって「神の子供」とされ「神のもの」となった人々のことを指しているだけで、神の子供とされた後でも罪は犯す弱く不完全な存在です(参考:ヤコブの手紙3章2節;ヨハネの手紙第一1章8節)。

聖霊がイエスを信じる人々を聖くする第一段階はイエスを信じた瞬間に起こるものでしたが、第二段階目はイエスを信じた後に継続して起こり続けるものです。

イエスを信じた後に聖霊によって継続的に起こり続けることというのは、「イエスに似たものへと変えられていく」こと (参照:ローマ人への手紙8章29節;コリント人への手紙第二3章18節)。29

なのですが、ここで

「イエスに似たものへ変えられていく」ってどういうこと?

という声が聞こえてきそうです。

「イエスに似たもの」となるというのは、見た目がイエスのようになるという訳ではもちろんありません。見た目ではなく内面的な性格や性質がイエスに似たものへと変えられていくという意味です。

具体的にいえば、例えば、「御霊(みたま)の実」と呼ばれる「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ人への手紙5章22-23節)といった性質・性格をもったものへと変えられていくことを意味します。

簡単に言ってしまえば、

イエスのように感じ、考え、行動するように変えられていく

と言えると思います。

人間の知恵や努力で自分の性格や性質がそう簡単に変わるはずがないことは誰もが経験済みのことだと思いますので、これはまさに神業ならぬ聖霊業(三位一体の神なので、結局、どちらも同じですけど)に他なりません。

へぇ、ということは、自分で努力したりしなくても勝手に聖霊が性格・性質をイエスに似たものへと変えてくれるってことかな

と思いたくなりますが、世の中、そんなに甘くは(?)ありません。人間側が果たすべき役割もあります。

イエスに似たものに変えられるために人間側が果たす役割は大きく二つの種類に分けられます。その二つとは以下の通り。30

  • 受動的な役割:神に信頼し自らを聖霊の働きに委ね、イエスに似たものへ変えてくれるように祈り求める(比較:ローマ人への手紙6章19節;12章1-2節)
  • 能動的な役割:情欲などにおぼれずに聖さ(神・イエスのようになること)を追い求める(比較:テサロニケ人への手紙第一4章3-8節;へブル人への手紙12章14-17節;ヨハネの手紙第一3章3節)

上記二つの役割のどちらか一つだけでは不十分です。

受動的な役割だけを強調すると、神に祈るだけで、後は何もしない(好き勝手にふるまう)ことになります。

能動的な役割だけを強調すると、聖霊の助けを求めず・軽視して、自らの努力に頼りがちになってしまいます。

大事なことは、

聖霊の助けを祈りつつ、神の望んでいることをしようと努める

ということ。神・聖霊が果たす役割と人間が果たす役割のどちらも欠かすことはできませんのでご注意ください。

結び合わせる聖霊


ここまでに紹介した以下の4つの聖霊の働きは全て、イエスを信じる一人一人に対するものでした。

  • (新しい)命を与える聖霊
  • 力を与える聖霊
  • 明らかにする聖霊
  • 聖くする聖霊

しかし、最後に紹介する聖霊の働きは一人一人を結び合わせる聖霊の働きです。31

聖書にはイエスを信じる者たちが「一つのからだ」にたとえられる箇所がありますが、その中でもコリント人への手紙第一12章13節には次の様に記されています。

私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだになりました。【コリント人への手紙第一12章13節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉345頁

ここで「バプテスマ」というのは「洗礼」という儀式を意味する言葉ですが、この箇所では儀式そのものではなく、「聖霊による回心(conversion)」を指していると理解できます。32

つまり、

一つの聖霊の働きによってイエスを信じ回心した人たちは一つのからだになる

と言っていることになります。

聖霊によって、イエスを信じる人たちが結び合わされ、一つの共同体(教会)が出来るという訳です。

事実、最初期(イエスが死んで復活した直後)のクリスチャンたちに聖霊が下って、彼らが一つの共同体を築いていた様子が聖書には記されています(使徒の働き2章44-47節)。

ここで注目すべきは、「ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も」関係なく、イエスを信じる人たちが一つの共同体を築き上げたこと。

これは当時の文化を考えるとまずあり得ないこと。特に、ユダヤ人たちは自分たちの民族以外を宗教的に汚れた存在とみなしていましたので、一緒に食事をすることはもちろん、一つの共同体を作ることは到底考えられないことでした。

しかし、ユダヤ人と非ユダヤ人を隔てていた「敵意」をイエス・キリストが十字架によって滅ぼし (エペソ人への手紙2章15-16節)、両者の間には「御霊による一致」がもたらされたと聖書は語ります(エペソ人への手紙2章18-22節;4章3-4節)

聖霊の働きによって、本来であれば到底相容れない存在であった人々が結び合わされ、一つの共同体を築き上げる

ことができるのです。

まとめ

今回は三位一体の一つの位格である「聖霊」について、特に聖霊の性質と働き・役割を紹介しました。

聖霊の性質としては、

聖霊は動植物の中で人間だけがもつ性質(知性、理性、感情)と神だけがもつ性質(全知性、永遠性、遍在性など)を兼ね備えている

ことをみました。

つまり、人格と神性の両方をもつのが聖霊の特質だと言えます。従って、キリスト教(聖書)の教える聖霊は、俗にいう「精霊」とは全く異なる性質をもつことが分かります。

聖霊の働き・役割として、今回の記事で紹介したことをまとめると以下の通り。

  • (新しい)命を与える聖霊
    • 万物に命を与える
    • イエス・キリストを信じる人に(永遠の)命を与える(新しく生まれる)
    • 神の望んでいないことをしてしまった(罪を犯した)ことを人々に気付かせる
  • 力を与える聖霊
    • 神のために働く力を与える(知恵、英知、知識、教育、預言、奉仕、勧め、施し、指導、慈善、信仰、癒やし、奇跡を行う力、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力、語りなど)
  • 明らかにする聖霊
    • 罪、義、さばき、愛、平和、喜び、知恵、自由、希望などについて明らかにする
    • 人々に預言(神の言葉)を与え、神の意志・計画・御旨などを明らかする
    • 人々に「隠された神の知恵」や真理(神・イエスのこと)を明らかにする
    • イエスを信じる人の人生を導く
    • イエスを信じる信仰の故に宗教的弾圧・迫害を受けるとき、迫害者に対して語るべき言葉を教えてくれる
    • イエスを信じる人は神の子供であるという確信を与える
    • イエスを信じる人が互いに愛し合うとき、その人たちが神のうちに留まり、神もまたその人たちのうちに留まるという確信を与える
  • 聖くする聖霊
    • 神の望むことを行おうと決心して生活様式を改め(悔い改め)、イエスを信じて従っていこうとするとき、神の望まないこと(罪)を進んでしようとは思わなくなる気持ちを与える
    • イエスを信じた人を神のもの(聖なる者)とする
    • イエスを信じた人をイエスに似たもの(イエスのように感じ、考え、行動する人)に変えていく
  • 結び合わせる聖霊
    • イエスを信じる人々を結び合わせ一つの共同体を築き上げる
  • その他
    • イエスを信じる人のうちに住む
    • イエスを信じる人が神に祈るとき、神との間をとりなす

以上になりますが、もちろん、上記の内容で聖霊の働き・役割の全てを紹介できた訳ではありません。

しかし、いずれにしても、聖霊は私たちの人生のあらゆる場面において働いていることが何となく分かって頂けたと思います。

イエスを信じる前には、聖霊によって私たちは神の望んでいないことをしてしまった(罪を犯した)ことに気付かされ、神の望むことを行おうと生き方を改めようとするきっかけが与えられます。

イエスを信じた時には、聖霊によって私たちは、それまで切れてしまっていた神との絆が回復し神の子供とされることに伴う劇的な変化を体験します(新生)。

イエスを信じた後には、聖霊によって私たちはイエスのように感じ、考え、行動するように変えられていきます(聖化)。

実は、私たちの非常に身近で働かれている聖霊なる神について、この記事を通して少しでも理解が深められれば幸いです。

参考文献および注釈

  1. 「三位一体説」については「キリスト教の三位一体説とは何か?聖書には書いてない!?矛盾してる?」を参照ください。
  2. なお、新約聖書が書かれたギリシャ語では「霊」を表す言葉は中性名詞です(ギリシャ語の名詞には男性、女性、中性名詞が存在します)。このため、ただの「聖なる霊」という場合は中性名詞扱いとなります。ところが、三位一体の位格の一つである「聖霊」を意味するとき、新約聖書の記者たちは「聖霊」を中性名詞扱いではなく男性名詞扱いしています。このことからも、聖霊が人格をもった存在であることが示唆されていると言えます。Millard J Erickson, Christian Theology, 3rd ed. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013), 784.
  3. Ibid., 786.
  4. 詳細は下記を参照。ibid.; John M. Frame, Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology (Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006), 161.
  5. キリスト教の神の性質について、詳しくは下記の記事を参照。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?①―造り主なる神の性質-」「キリスト教(聖書)の神はどんな神?②―救い主なる神の性質-」「キリスト教(聖書)の神はどんな神?③―裁き主なる神の性質-」
  6. 詳細は下記を参照。Frame, Salvation Belongs to the Lord, 160; Erickson, Christian Theology, 782–783.
  7. 詳しくは下記の記事を参照。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?③―裁き主なる神の性質-:2.裁き主なる神の全知性(omniscience)」
  8. 神が時間の概念を超えた存在であることについて、詳細は下記のブログを参照。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?①―造り主なる神の性質-:1. 造り主の超越性(transcendence)」
  9. 神が空間に束縛されない存在であることについて、詳細は下記のブログを参照。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?①―造り主なる神の性質-:1. 造り主の超越性(transcendence)」
  10. ここの「聖霊が人々のうちに住む」というのは、俗に言う霊(悪霊)があるモノ・ヒトに「宿る」または「憑りつく」というのとは異なります。大きく異なる点は、霊が宿るまたは憑りつくという場合、対象となっている霊は同時に複数のモノ・ヒトに宿るまたは憑りつくことはできませんが、聖霊というのは同時に複数の人のうちに住むことができるという点です。
  11. 私たちが祈るときの聖霊のとりなしについて、興味のある方は例えば下記参考文献のローマ人への手紙8章26-27節の注解を参照。Douglas J. Moo, The Epistle to the Romans, The New International Commentary on the New Testament (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996).
  12. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 634–652.
  13. 詳細は下記を参照。ibid., 636.
  14. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 新改訳2017』から引用。
  15. 詳細は下記を参照。ibid.
  16. 詳細な説明は下記参考文献のヨハネの福音書3章5-8節の注解を参照。D. A. Carson, The Gospel According to John, Reprint edition., The Pillar New Testament Commentary (Leicester, England; Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990).
  17. イエスを信じてクリスチャンとなるときの聖霊の働きについて、興味のある方は下記を参照。Erickson, Christian Theology, 795.
  18. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 636–639.
  19. 厳密には、「賜物」ではなく賜物をもった人々たちの「役職」を記しています。
  20. 詳細は下記を参照。Erickson, Christian Theology, 797–798.
  21. 賜物が現代でも与えられるかどうかについて、興味のある人は例えば下記を参照。ibid., 798–803.
  22. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 640–645.
  23. 私たちの聖書理解を助けてくれる聖霊の働きについて、具体例を交えて説明してくれるものとして、例えば下記を参照。R. C. Sproul, Who Is the Holy Spirit?, #13 in the Crucial Questions Series edition. (Orlando, Fla: Reformation Trust Publishing, 2012), 66–67.
  24. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 644.
  25. もちろんですが、「神聖さ(holiness)」は神の性質の一つでもあります。詳しくは下記の記事を参照。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?③―裁き主なる神の性質―:3.裁き主なる神の神聖さ(holiness)」
  26. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 747–748.
  27. 聖書において「聖別する」という表現は「神のものとするために選り分ける」という意味を持ちます。Erickson, Christian Theology, 897.
  28. 詳細は下記を参照。ibid., 897–898.
  29. 詳細は下記を参照。ibid., 899–900.
  30. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 753–756.
  31. 詳細は下記を参照。ibid., 645–647.
  32. 詳細な説明は下記を参照。Gordon D. Fee, The First Epistle to the Corinthians, The New International Commentary on the New Testament (Grand Rapids; Exeter, England: Eerdmans; Paternoster Pr, 1987), 603–606.
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