「全てを神の栄光のために」:2021年9月5日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

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目次

導入

Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では2021年の年明けからローマの信徒への手紙からの説教を続けていますが、今日から15章に入ります。

残すは16章のみですので、手紙の終わりが見えてきました。

少し乱暴な表現かもしれませんが、ローマの信徒への手紙全体の内容は1章16-17節を主題聖句としていると言えなくありません。

実際、ローマの信徒への手紙の1-11章までは1章16-17節でパウロの語る「救いとは何か」「神の義とは何か」が記されています。

そして12章から15章13節までは「正しい者は信仰によって生きる」(1章17節)とは具体的にどのような生き方かを説明していると理解できます。

ローマの信徒への手紙全体の構成を考えると、

今日の聖書個所の後半部分(ローマの信徒への手紙15章7-13節)はローマ12章から続「正しい者は信仰によって生きる」生き方に関する結論部分であり、手紙全体のまとめ

でもあると言える内容となっています。今日の個所を通して、

パウロがローマに住む人たちに伝えたかった「福音」とは何か?

を共に確認していきましょう(1章15節)。

自分ではなく人のために

今日の個所はローマの信徒への手紙14章から話が続いていて、15章1節でパウロの語る「強い者」とは「信仰の強い者」のことです。

対して、15章1節の「強くない者」というのは「信仰の弱い人」(14章1節)のことです。

信仰の強い人と弱い人、どちらもイエス様を信じる信仰によって救われている

点において同じです。けれども、

日常生活の具体的な過ごし方について異なる価値観・考えをもっていました(14章2, 5-6, 21節)。

そして

互いに互いの行いを裁き合ったり、見下したりしていた

ようです(14章3, 10, 13節)。そんなローマのクリスチャンたちの中でも特に

信仰の強い人に向けてパウロは、自分を喜ばせるのではなく信仰の弱い人の弱さを担う

ようにと勧めています(15章1節)。信仰の弱い人の「弱さ」というのは「聖書知識の少なさ」と言えます(参考:14章14, 20節)。

「弱さ(聖書知識の少なさ)を担う」というのは「相手の聖書理解に合わせて、相手の信念・信仰の妨げとならないような行動をとる」ことです(参考:14章13-21節)。

人間は誰しも自分のもっている知識を誇示して、人から一目置かれたいと思う

ものだと思います。しかしながら、

私たちのもつ聖書知識は、人からの賞賛を得たり優越感を感じたりすることによって自分を喜ばせるためのものではありません。
クリスチャンのコミュニティ全体の成長のために善いことを行い、周りの人を喜ばせるために用いる

必要があります(15章2節)。

イエスのように

自分のためではなく他人のために生きる

それはイエス様の生き方そのものだとパウロはローマの信徒への手紙15章3節で語ります。

イエス様は聖書知識だけでなく人として必要なものを全て兼ね備えていた完璧な人、パウロの言葉を借りるならば「この世で最も強い者」です。

この世で最も強いイエス様はその生涯を通じて、自分のためではなく神様そして人のために生き抜かれたお方

です。その

イエス様の生き様に倣って、私たちもまた自分のためではなく神様そして人のために生きる

必要があります(比較:ローマの信徒への手紙14章8節)。

とはいえ、

イエス様のように自分のためではなく神様と人のために生きる生き方には困難がつきもの

です。事実、自分の方が正しいと思っている事柄に対して、相手の立場・考えを思いやったり、相手をつまずかせないように相手に合わせて行動したりするのは決して簡単なことではありません。

神様・聖霊の助けが必要です。
神の言葉である聖書を通して、導きと忍耐と慰めを受ける必要があります(ローマの信徒への手紙15章4節)。

聖書には様々な人物が登場します。

彼らはイエス様を除くと皆、いわゆる「聖なる人」とは程遠い生活をしていました。にもかかわらず、

神様は平凡で弱く不完全な人たちを通して、御自分の最高最善の御計画を確かに成し遂げていかれるお方

であるということを何度となく教えてくれるのが聖書という書物です。

そこに記されている

神様の愛と恵みと憐れみ、そして絶対的な主権と全知全能性を味わい知ることによって、私たちは慰めを受け、困難を耐え忍ぶ力を得る

ことができます。ここに希望があります。

神の栄光のために

さらに、私たちは

神様の助けによって考えや意見の異なる他のクリスチャンたちとの間にも一致と調和を保つことができる

ようになります(ローマの信徒への手紙15章5-6節)。ここで注目すべきは、

クリスチャン同士の間に一致と調和が保たれること自体が最終的な目的ではない

ということです。私たち

人間が造られたのは、造り主である神様をほめたたえるため、神様に栄光が表れるようになるため

です(参考:イザヤ書43章7節;詩編148編)。それだから、

神様の栄光のために神様・イエス様が受け入れてくださったように互いに相手を受け入れる

ようにパウロは勧めます(ローマの信徒への手紙15章7節)。

この世の全ての人々は、アダムとエバ以来、創造主である神様から遠く離れ、自分たちが創造された本来の目的を見失っていました(ローマの信徒への手紙5章12節)。

人は、神様が本来受けるべき栄光を神様以外のものに与え続けてきた

のです(1章23節)。

その結果、人々を待ち受けていたのは神様の怒りでした(2章5-11節)。

しかし、神様は神様から離れて神様の怒りを受ける定めにあった人々を救い出すため、アブラハムを選び彼と彼の子孫を通して全ての人を祝福すると約束されました(創世記12章3節; 22章18節;比較:ローマの信徒への手紙4章13節)。

そして遂には、アブラハムと交わした約束を実現するため、

神様は御自分の独り子イエス様をこの世にお遣わしになりました(ローマの信徒への手紙15章8節)。

このイエス様を信じる信仰によって、私たちは神様の前に正しい者とされます(ローマの信徒への手紙3章28-30節; 6章4-8, 22-23節; 10章9節)。

そして、それまで途絶えていた神様との絆が回復し、神様の子供とされ、神様と共に永遠に生きるようになります(ローマの信徒への手紙5章1-2, 21節; 8章15-17節)。

そこにはユダヤ人も異邦人も区別なく神様をほめたたえている姿があります(15章9-12節)。

これが聖書の語る「救い」であって、人間の本来あるべき姿が回復された状態です(比較:ヨハネの黙示録5章13節; 7章9-10節)。

この

聖書の語る救いは神様の一方的な恵みと憐れみによるもの

です。

信仰によって救われた者には、その神様の恵みと憐れみに答えるべく、神様の望まれる新しい生き方を歩む

ことが求められています。神様の望まれる新しい生き方とは、一言で言えば、

自分の全てを神様の栄光のために献げる

生き方です(ローマの信徒への手紙12章1節)。

結論

聖書の語る「福音」はいわゆる「天国行きの切符」の入手方法を教えてくれるだけのものではありません。

今のこの世において、私たちがどのように生きるべきかをも教えてくれる

ものです。神様の愛と恵みと憐れみによって、イエス様を信じる信仰によって人間の本来あるべき姿を回復した私たちには

イエス様のように自分のためではなく神様と人のために生きる

ことが求められています。それは

自分の全てを神様の栄光のために献げる生き方

です。

それは例えば、

  • 神様から与えられている賜物に感謝し、それらを自分のためではなく教会全体のために用いること (ローマの信徒への手紙12章3-8節)
  • 神様・イエス様の愛に感謝し、神様・イエス様が愛してくださっているように周りの人たちを愛すること (12章9-21節; 13章8-10節)
  • 神様の絶対的な主権に信頼し、神様の御心に反しない限りで政治的指導者に従うこと(13章1-7節)
  • キリストが再び来られるという神様の約束を覚え、誘惑に負けないように日々、品位をもってイエス様と共に生きること(13章11-14節)
  • 神様の思い・考えからズレていた自分を受け入れてくださった神様に感謝し、自分とは異なる思い・考えをもったクリスチャンを受け入れること(14章1節—15章7節)
  • 神様の愛と恵みと憐れみに感謝して、神様をほめたたえること(15章8-13節)

などです。もっとありふれたところでは、

  • 日々、与えられている神様からの恵み・祝福に感謝し、神様をたたえること
  • 日常的に起こるちょっとした出来事の中に神様の働きを覚え、神様をたたえること
  • 神様の絶対的な主権と救いの御業に信頼し、家族や友人が救われるように祈ること

などです。いずれにしても、

私たちの力や意思だけでは限界があります。
いついかなるときも聖霊の助けを求めてください。
いついかなるときも共にいてくださっているイエス様により頼んでください。

そして、

いつもいかなるときも惜しみなく注がれている神様の愛と恵みと憐れみを忘れないでください。

神様の歓心を買うために生きるのではありません。

神様に愛してもらうために生きるのでもありません。

神様に受け入れられるために生きるのでもありません。

神様はあなたの髪の毛の数を知っているほどにあなたのことを気にかけておられます。

神様は御自分の身に代えても惜しくないほどにあなたを愛していらっしゃいます。

神様は弱く不完全なあなたをありのままで受け入れてくださっています。

イエス様を信じる信仰によって、あなたはもう既に

全ての罪が赦されています。

神様の子供とされています。

神様と共に永遠に生きることが約束されています。

その

神様の一方的な愛と恵みと憐れみを受けた者として、あなたのもてる全てを神様の栄光のために献げることができますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
    • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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