「神に目を向けて」:2023年7月16日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

  • 日時:2023年7月16日(日)
  • 場所:軽井沢リトリートセンター
  • 説教タイトル・テーマ:「神に目を向けて」
  • 聖書個所:マタイによる福音書6章25-34節1
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導入

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大がようやく収まってきました。

とはいえ、世の中に目を向けてみると相も変わらず、この世の中は様々な問題に満ちています。

実際、コロナ禍が終わり、世界経済は復調の兆しを見せていますが、その先行きはまだまだ不透明です。

イエス様が生きていた時代、圧倒的多数の人たちは生きるために必要最低限の衣食住の問題に直面していました。

そのような人々にイエス様は今日の聖書個所で「思い煩うな」とおっしゃっています(マタイによる福音書6章25節)。

現代の日本に生きる私たちは日々の衣食住のことで思い煩うことはほぼないかもしれません。

でも、全く異なる理由で、皆それぞれに衣食住について思い煩うことはあると思います。それは例えば、

人から良く見られたい

自分の好きなモノを食べたい・飲みたい・身に着けたい

といった欲求・欲望を満たすための思い煩いです。

そんな私たちに対して今日の個所は、

私たち人間が本当の意味で「生きる」とはどういうことか、また本当の意味で生きるために欠かすことのできないことは何か

を考えるきっかけを与えてくれます。

神の業に目を向ける

今日の聖書個所(マタイによる福音書6章25-34節)の話の内容はその直前の6章19-24節の内容と関連があります。

マタイによる福音書6章19-24節でイエス様は

あなたの心、あなたの目は富(物質や財産)ではなく神様の方を向いていますか?

と問いかける内容の話をされました。

特に直前の24節でイエス様は

私たちはこの世の富と神様、その両方を見ながら生活することはできず、どちらか一方を必ず選ばなければならない

とおっしゃいます。それだから

日々の衣食住のことばかりに心・目を向けるのではなく、この世を創造し、それをケアしておられる神様の御業に心・目を向けなさい

とイエス様は勧めます(25-30節)。

私たちの生活は人間が作った人工物で満たされているといっても過言ではありません。

そのようにある意味、人の手で作り上げられた世界に生きていると、私たちはついつい自分たち人間が全てを支配・管理しているような錯覚に陥ってしまいます。

しかしながら、

この世にあるモノは全て、人間が作り出したものも含め、神様が初めに万物を創造されたからこそ存在することができている

と言えます。

私たちは私たちの周りを取り囲む人間の産物に目を向けるのではなく、

人間の産物も含めたこの世のあらゆるモノが今、ここに存在することを可能にしている神様の御業に目を向ける

必要があります。

神の愛に目を向ける

神様の言葉である聖書は、

人は鳥より優れている(価値がある)

と語ります(マタイによる福音書6章26節)。それは、

人間だけが神様のかたちに造られ、人間だけが神様から万物を治めるように命じられている

からです(参照:創世記1章27-28節;比較:創世記1章22節)。

しかも、

神様にとって私たち人間はその命に代えても惜しくないほどに高価で尊く、かけがえのない存在で、他の動植物とは比べ物にならないほどに重要かつ特別な存在

です。

だからこそ、日常の問題にばかり心や目を向けて思い煩うのではなく、

私たちをこれ以上ないほどに愛し、受け入れ、助け導いてくださっている神様の愛に心と目を向けなさい

とイエス様はおっしゃっている訳です。

神の思いに目を向ける

マタイによる福音書6章31-33節を見ると、

神様は私たちの日常生活の問題をご存知

であることが分かります。

日常生活の問題というのはイエス様の時代には生きるために必要な最低限の生理的・物質的欲求に関する問題でした。

けれども現代に生きる私たちにとってはもう少し精神的な欲求に関わる問題だと言えるでしょう。

それは例えば

「安全・安心な環境で暮らしたい」

「気の合う仲間や何でも話せる親友が欲しい」

「皆に認められたい、必要とされたい」

「自分にしかできないことをやりたい」

「自分らしく生きたい」

といった欲求です。

このような欲求は、心理学者マズローによれば、段階を追って現れてくる人間の基本的な心理的行動です。

それは裏を返せば、人間は誰もがこうした精神的な欲求を満たされることを必要としていると言えます。

これはつまり、

神様は私たち人間には生理的・物質的欲求だけでなく精神的欲求も満たされる必要があることを知っている

ことを示唆しているように思います。

とはいえ、もちろん、神様は私たちのもつあらゆる物質的・精神的欲求を満たしてくれるお方ではありません。

神様はむしろ、私たちが神の国と神の義を求めるとき、私たちの欲求を神様の御心に適ったものへと変えてくださるお方

です。ここで

「神の国」というのは神様が王として支配する王国

のこと。

「神の義」というのは神様の正しさ、つまりは神様が私たちに願う正しい生き方

のことです(比較:マタイによる福音書5章6, 10, 20節;参照:マタイによる福音書5章21節-7章28節)。

従って、

神の国と神の義を求めるとは、王なる神様の思いを第一として、神様の願う正しい生き方を生きようとすること

と言えます。

私たちが王なる神様の思いを第一として、神様の願う正しい生き方を生きようとするとき、

私たちの欲求は神様の思いに沿った欲求に変えられていきます。

この神様の思いに沿った欲求というのは私たちの創造主の思いに沿ったものですから、

私たち人間が神様のデザインに適って最も人間らしく、自分らしく生きるために必要な欲求

と言えます。そして、この

創造主なる神様の思いに沿った欲求(必要)が神様によって満たされていきます。

それだから、日常の問題ばかり心や目を向けて思い煩うのではなく、

私たちの王なる神様の思いに心と目を向けなさい

とイエス様はおっしゃる訳です。

結論

この世の中で私たち人間だけが神様のかたちに創造された存在です。

その私たちが

創造主なる神様の思いを第一として、神様の願う正しい生き方を生きようとき、私たちの内なる欲求が神様の思いに沿った欲求へと変えられ、その欲求(必要)が満たされていく。

それはつまり、

私たちが神様に創造された目的に従って生きるようになる

ことを意味します。これこそ、私たちが本当の意味で「生きる」ことであり、

私たちが最も自分らしく生きる

ことだと言えます。

私たちが創造された目的に従って、最も自分らしく生きる。

神様の御業と神様の愛、そして神様の思いに目を向ける

ことが必要不可欠です。

あなたの心、あなたの目は今、どこを向いていますか?

暮らしの安心・安全にばかり心が奪われていないでしょうか。

周りの知人・友人の歓心を買うことばかりに注意が向いていないでしょうか。

上司や部下から認められようとすることばかりに気が囚われていないでしょうか。

自分らしく生きようとすることで頭が一杯になってはいないでしょうか。

もちろん、そうした思い・願いは決して悪いことばかりではありません。

けれども、

あなたのその思い・願いはあなたにとって本当に必要なものでしょうか。

神様の目から見てもあなたにとって良いことでしょうか。

その思い・願いは、あなたが最もあなたらしく生きることにつながっているでしょうか。

自分の思い・願いが神様に喜ばれるものかどうか、神様の御心に適ったものかどうかを見極めるため、まずは

あなたの創造主なる神様に目を向けてみてください。

現代の科学技術も含めたこの世のあらゆるモノが今、ここに存在できているのは万物の創造主なる神様のおかげです。

この偉大な神様はあなたを唯一無二の存在として創造し、あなたが最もあなたらしく生きることを誰よりも願っていらっしゃいます。

また神様はあなたのありのままを愛し、あなたを「友」と呼んでくださるお方です。

何があっても、いついかなるときもあなたを見捨てることなく、あなたに寄り添い、あなたを慰め、あなたを励まし、あなたを守り導いてくださるお方です。

神様はあなたにしかできないことを用いて、あなたと共にその救いの御業をこの地に広げていきたいと願っていらっしゃいます。

あなたを唯一無二の存在として創造し、あなたを愛してやまない神様の思いに目を向けることができますように。

そして、

自分の思いではなく神様の思いを第一として、神様の願う、最もあなたらしい生き方を生きることができますように。

参考文献および注釈

  • Keener, Craig S. The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009.
  • France, R. T. The Gospel of Matthew. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: William B. Eerdmans Pub., 2007.
  • Reeves, Rodney. Matthew. The Story of God Bible Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Academic, 2017.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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