これまで二回にわたって「聖書は考古学と矛盾しているか?」をテーマに考えてきました。
それらの内容は旧約聖書全般の非常に大まかな流れとその歴史的・考古学的背景についてでした。ですので、今回は聖書の残りの部分となる新約聖書、特にイエスの生きた時代(約2000年前)に焦点をあてようと思います。
とはいえ、イエスの時代になると、新約聖書に出て来る場所や為政者などは、歴史的・考古学的に存在が確かめられているものが結構たくさんあります(もちろん、学者の間で意見が分かれるものは少なからず存在しますし、考古学的発見が絶対的なものではありません)。1
このため、この記事では新約聖書に出て来る場所や為政者を一つ一つ取り上げて紹介するつもりはありません。その代わりに、聖書の記述と考古学的発見が矛盾しているようにみえるものに着目するつもりです。2
そうすることで、前回の二つの記事で学んだ、
ことを再確認したいと思っています。
話の流れ(目次)は以下の通り。
目次
聖書と考古学からみるイエスの誕生
イエス誕生の年代
イエスの誕生について、マタイの福音書は「ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイの福音書2章1節)と記しています。
さらに直ぐ後の箇所(マタイの福音書2章19-20節)では、イエスが生まれてまだ幼子のうちにヘロデが死んだとも記されています。
他方、考古学によると、このヘロデ王(Herod the Great)という人物は紀元前4年に亡くなったことが分かっています。3
従って、マタイの福音書の記述とあわせると、イエスの誕生は紀元前5-6年頃ということになります。
ところが、です。
このイエス誕生の年代と矛盾するような記述が聖書の別のところに出てくるのです。それは以下の箇所。
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。【ルカの福音書2章1-2節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉110頁
この後、住民登録をするためにガリラヤ地方のナザレという町に住んでいたヨセフとマリアは生まれ故郷であるユダヤ地方のベツレヘムに戻ります。そして、このベツレヘムで二人はイエスの誕生を迎えたと聖書(ルカの福音書)は記します。
The Virgin and Saint Joseph register for the census before Governor Quirinius. Byzantine mosaic at the Chora Church, Constantinople 1315–20. By Meister der Kahriye-Cami-Kirche in Istanbul - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link
従って、ルカの福音書によると、イエスが生まれたのは、ローマ皇帝アウグストゥスの時代、かつシリアの総督キリニウスが最初の住民登録を行ったときということになります。
しかし、このキリニウスという人物、確かにシリアの総督となり住民登録も行うのですが、その年代は紀元前ではなく紀元後の6-7年!マタイの福音書から分かるイエス誕生の年代とは約10年の隔たりがあることになります。4
と思うのはまだ早すぎます。
というのは、ルカの福音書で「最初の住民登録であった」と訳されている「最初の」という言葉は、「~前の」と訳することもできるからです。
つまり、先に引用した箇所「これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。」は次のように訳することができます。
このように訳すことでイエスが生まれたのは紀元後6-7年より前、かつ皇帝アウグストゥス時代の住民登録のときとなりますので、マタイの福音書の内容との齟齬はなくなります。5
と思わず言いたくなります。
確かに、現代の私たちの感覚からすると「かなり曖昧な」時間表現に思えます。が、ルカの福音書が書かれたのは2000年も前の話。日本でいえば弥生時代のことです。
従って、「西暦〇〇年」や「平成△△年」といった記憶の仕方ではなく、「〇〇の出来事が起こる前の△△のとき」という形で記録されていたとしても不思議ではありません。
むしろ、
ので、ご注意ください。
幼児「大虐殺」事件
イエスの誕生に絡んで、マタイの福音書には以下のような悲しい出来事が記録されています。
ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。【マタイの福音書2章16節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉3頁
ここに出て来る「ヘロデ」とは先に出て来た「ヘロデ王」のこと。その彼がベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子を皆殺しにしたと聖書は語ります。
The Massacre of the Innocents at Bethlehem By Matteo di Giovanni - The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH., Public Domain, Link
このとき、ヘロデが何人の幼児を殺したかは記されていません。
が、「一つの町とその周辺一帯の二歳以下の男児の数」と聞くと、現代の私たちの感覚では恐らく、数十から数百もしくは数千といった数を連想するのではないでしょうか。
そして、
と思われる方は多いでしょう。
ところが、です。
ヘロデが子供たちを大虐殺したという出来事は聖書以外の文献には記されていません。このことから、大抵の人は以下のような二者択一を思い浮かべると思います。
もしくは
しかし、考古学的な知見に基づくと第三の可能性が導かれてくるのです。その第三の可能性とは、
というもの。
実際、当時のベツレヘムの人口は多くても1000人程度だったようですので、その中で2歳以下の男の子の数となると20人は超えなかったと思われます。
また、ヘロデはその晩年、自らの王位を守るために自身の三人の息子を含め数多くの人を殺したことが書き残されています。6
もちろん、小さな町で罪のない子供たちが殺されたことは非常に悲しい出来事です。
しかしながら、ヘロデにまつわる「歴史」を書き残そうとした人にとっては、王位をめぐる疑惑や殺人事件を記録する方が優先順位が高かったというのは有り得そうな話です。
この「第三の可能性」を提供したのが考古学的知見だということを考えると、
ことが見て取れます。
聖書と考古学からみるイエスの活動
豚が溺れ死んだ土地
聖書には、イエスが大勢の悪霊を追い出した時、その悪霊が豚の中に入り、たくさんの豚が崖を下って湖になだれ込んで溺れ死んだという記述があります(マタイの福音書8章28-34節;マルコの福音書5章1-20節;ルカの福音書8章26-39節)。
An illustration of the story from c. 1000, showing the swine drowning themselves. By Unknown – illuminator - MAEiCgiJozdtnA at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, Link
この出来事も不思議ですが、それ以上に不思議なことは聖書において、その出来事の起こった場所の名称が異なっているということ。
マルコの福音書とルカの福音書では「ゲラサ人の地」とあり、マタイの福音書には「ガダラ人の地」とあります。
ちなみに、考古学的には「ゲラサ人の地」と「ガダラ人の地」はどちらも特定できていて、お互いに8キロほど離れた全く別の場所のようです。しかも、どちらも湖までは非常に遠い場所にあるようです(ゲラサ地方は湖まで約60キロ、徒歩で二日かかる道のり)。7
という声が聞こえていますが、確かに、全くその通りなのです。
が、しかし、実はマタイとマルコとルカの福音書の写本(オリジナルの原本を手書きで写したモノ)の中には、もう一つ別の地名が記されているものがあります。8
その地名とは「ゲルゲサ人の地」。
このゲルゲサ地方は考古学および(3世紀までの)教会の言い伝えによって場所が確認されていて、こちらはガリラヤ湖の北東岸地域を指します。 これはつまり、豚が溺れ死んだとされる記述との整合性が非常によく取れている地域ということになります。9
それにしても、
「ゲラサ」に「ガダラ」に「ゲルゲサ」…
舌が絡まりそうなよく似た名前ですが、当時の人もきっと混乱したに違いありません。
事実、現存する写本によっては三つの異なる地名が記されてる訳ですから、写本する過程で誤って写し取った人が少なからずいたことは確かです。
しかし残念ながら、数ある写本を見比べてみても、三つの内のどれが一番最初に書かれた福音書に用いられていたかを見極める決定的な判断材料はないようです。10
これは、
ことと言えるかもしれません。
ただし、幸いなことに、この話を通して聖書が伝えんとするメッセージに関していえば、「ゲラサ」であれ「ガダラ」であれ「ゲルゲサ」であれ、特定の地名はそれほど重要ではなく、豚が飼われている異邦人の地域(ユダヤ人は豚を食べなかった)ということが分かればとりあえずは十分だと思われます。
エリコ近郊での癒し
イエスはたくさんの病人を奇跡的な方法で癒されたと聖書は記します。その中で、エリコという町の近くで盲人を癒された話があります(マタイの福音書20章29-34節;マタイの福音書10章46-52節;ルカの福音書18章35-43節)。
Jesus healing blind Bartimaeus, by Johann Heinrich Stöver, 1861. By Marion Halft - Own work, CC BY-SA 3.0, Link
この話において、またもや聖書の中で微妙に内容が異なる箇所があります。それは、イエスが盲人を癒されたタイミング。
普通に読んでいるとまず気付く人はいないと思いますが、マタイの福音書とマルコの福音書ではイエスがエリコを「出て行く」ときに盲人を癒されたと書いてあるのに対し、ルカの福音書ではエリコに「入って行く」ときに盲人を癒された様子が描かれています。
という訳です。
が、この違いに気付く人の方が少ないと思われることからも明らかなように、その違いは聖書が語らんとするメッセージに大きな影響は与えません。
ただ、一度気になりだしたらやたらと気になってしまう顔のシミ・ソバカスのような存在と言えるかもしれません。
この違いが生じた原因に関して、幾つかの可能性が考えられます。
- イエスはエリコに入って行くときに盲人を癒し、出て行くときにも盲人を癒した(同じような出来事が二度繰り返された)
- 盲人の癒しは一度だけなされたが、「エリコ」という町が二つ存在した(エリコAを出る時に盲人を癒してからエリコBに入った)
- エリコで起こる話をクライマックスとするため、(実際はエリコを出て行くときに起きた)盲人の癒しをエリコに入る前に起きたように作者ルカが意図的に書き換えた11
最初の可能性は絶対にないとは言い切れませんが、ほとんど同じような出来事が立て続けに二度繰り返されたことになりますので、現実的にはちょっと無理があるように思います。
二つ目の可能性は一見有り得そうにありませんが、イエスの時代のエリコは、その当時廃墟となっていた(旧約聖書時代の)古いエリコの近くにヘロデ王が新しく復興したものだったことが考古学的に分かっています。12
しかしながらイエスの時代、廃墟となっていた古いエリコに人が住んでいたという証拠はないようです。また、古いエリコと新しいエリコを区別することなく同じ名称で話の中に登場させることはしないでしょうから、二番目の可能性も少し無理があるように感じます。13
となると、残るは三つ目の可能性ということになります。
しかし、この三つ目の可能性、つまりは作者のルカが出来事の内容を意図的に書き換えたとする可能性は、「神の言葉」と言われる聖書に人の手による脚色(誇張表現や省略、順序変更など)が入ることに抵抗がある人は受け入れがたいかもしれません。14
しかし、これまで何度となくみてきたように、
なのです。
ことを覚えたいと思います。
まとめ
今回のテーマは「聖書は考古学と矛盾しているか?」。これまでの二回は旧約聖書についてでしたが、今回は新約聖書、特にイエスの時代において、聖書の記述と考古学的発見が矛盾しているようにみえるものに焦点をあてました。分かったことをまとめると以下の通り。
- 一見して意味が通じない聖書箇所であっても日本語に訳される前の原語(旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語)の意味を考えると理解できることがある
- 現代の私たちの時間感覚で聖書を読もうとすると聖書が語らんとするメッセージを正しく理解できなくなる恐れがある
- 2000年以上前に書かれた聖書の原本(オリジナル)を一言一句、完全に復元することは難しいけれども、聖書が語らんとするメッセージを損なうほどではない(文字面に囚われ過ぎず、全体像・メッセージを読み取ろうとすることが大事)
- 聖書には、作者が神から受けたメッセージ(神の言葉)を伝えるために様々な脚色(誇張表現や省略、順序変更など)が入っている
- 聖書は、歴史的信憑性があるから神の言葉と言われるのではなく、人々の心に語りかけてくる(多分に脚色された)メッセージの故に神の言葉と言われる
- 考古学は聖書と矛盾するどころか、聖書を正しく理解するための補完的役割を果たし得る
以上の事柄は、そのほとんどが「聖書を読む時の注意点」と呼べるものだと思います。
聖書を読んでいると確かに、理解しがたい箇所や矛盾しているように思える箇所に出くわします。が、そういうときには、一旦聖書から目を離し、大きく深呼吸して、話の全体像(神様が語らんとするメッセージ)をつかむようにすると何か見えてくるかもしれません。
参考文献および注釈
- Edwards, James R. The Gospel According to Mark. The Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Apollos, 2002.
- France, R. T. The Gospel of Matthew. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: William B. Eerdmans Pub., 2007.
- Garland, David E. Luke. Edited by Clinton E. Arnold. The Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011.
- Marshall, I Howard. The Gospel of Luke. The New International Greek Testament Commentary. Paternoster Pr, 1978.
- McRay, J. R. “ARCHAEOLOGY AND THE NEW TESTAMENT.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.
- Morris, Leon. The Gospel According to Matthew. The Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich. : Leicester, England: Eerdmans, 1992.
- Riesner, R. “ARCHEOLOGY AND GEOGRAPHY.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
- Wiseman., D. J., and J. P. Kane. “ARCHAEOLOGY.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
- Young, S. “BIRTH OF JESUS.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
- 詳細に興味のある方は、例えば下記を参照。R. Riesner, “ARCHEOLOGY AND GEOGRAPHY,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013); D. J. Wiseman. and J. P. Kane, “ARCHAEOLOGY,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996); J. R. McRay, “ARCHAEOLOGY AND THE NEW TESTAMENT,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000).
- 「そもそも、イエスという人物が実在したのか?」については下記の記事をご覧ください。「イエスは実在したのか?証拠は?聖書以外で証明できる?」
- ヘロデに関する詳細は、例えば下記を参照。Wiseman. and Kane, “ARCHAEOLOGY,” 74–75.
- S. Young, “BIRTH OF JESUS,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 79.
- この訳し方を正当化する詳細な議論は下記参考文献のルカ2:2の注釈を参照。David E. Garland, Luke, ed. Clinton E. Arnold, The Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011).
- 詳細は下記参考文献のマタイ2:16の注釈を参照。R. T France, The Gospel of Matthew, The New International Commentary on the New Testament (Grand Rapids, Mich.: William B. Eerdmans Pub., 2007).
- James R. Edwards, The Gospel According to Mark, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids, Mich.: Apollos, 2002), 153.
- 原本と写本の関係については、下記の記事を参照ください。「聖書は信頼できる書物か?②―聖書の信憑性:原本保存の精度(写本の信頼性)―」
- 詳細は下記を参照。Edwards, The Gospel According to Mark, 153–154.
- ただし、三つの中では「ゲルゲサ」が優勢だとみることができるようです。詳細は下記を参照。ibid., 153.
- 詳細な議論は下記参考文献のルカ18:35の注解を参照。I Howard Marshall, The Gospel of Luke, The New International Greek Testament Commentary (Paternoster Pr, 1978).
- Leon Morris, The Gospel According to Matthew, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids, Mich. : Leicester, England: Eerdmans, 1992), 514.
- 下記参考文献のルカ18:35の注解を参照。Marshall, The Gospel of Luke.
- ちなみに、その地方にはイエスが盲人を癒したのはヘロデが再興した新しいエリコを出て行くときだったとする言い伝えもあるようです。Riesner, “ARCHEOLOGY AND GEOGRAPHY,” 52.