「世を愛し救う神」:2026年7月19日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

  • 日時:2026年7月19日(日)
  • 場所:軽井沢リトリートセンター
  • 説教タイトル・テーマ:「世を愛し救う神」
  • 聖書個所:ヨハネによる福音書3章1-16節1
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導入

相変わらず、世の中では様々なことが起きています。

戦争関連のニュースは尽きません。

日用品の値上がりが続いています。

伝染病や感染病の脅威・恐怖もなくなりません。

皆さん自身の生活においても、

将来に対する漠然とした不安や心配事

があるのではないかと思います。

そのような中にあって、

決して揺らぐことのない聖書の真理

に耳を傾けることは大切です。

今日の聖書個所の中でも特にヨハネによる福音書3章16節は聖書の中で最も有名な聖句の一つで、聖書の核心的なメッセージを最も端的に表現する聖句とも言われています。

今日はこのヨハネによる福音書3章16節を中心にして、聖書の核心的なメッセージ、

神様の愛と救い

について考えていきましょう。

神の国

ヨハネによる福音書3章1節では、ファリサイ派の一人で、ユダヤ人たちの指導者でもあったニコデモという人が夜、イエス様のもとに来て話しかけています。

しかしイエス様は、一見するとニコデモの言葉とは全く関係のない、「神の国」について話し始めます(3章2-3節)。

恐らくイエス様は、ニコデモがイエス様に本当に尋ねたかったことを察して、ニコデモが尋ねるよりも先に話の本題に入ったのではないかと思われます。

ユダヤ人たちにとっての「神の国」は

世の終わりに打ち立てられると旧約聖書に預言されている王国

を指します(例:イザヤ書2章2-4節; 9章1-7節; 11章1-16節; 33章22節; 42章1-9節;ゼカリヤ書14章1-9節)。

そして、

当時のユダヤ人たちは律法を忠実に守ればその神の国に入れると考えていました。

しかし、自分は本当に神の国に入ることができるのかと不安に思う人たちは少なくなかったと思われます(比較:ルカによる福音書17章20節)。

ですから、ここでイエス様が神の国について話し始められたとき、ニコデモは是が非でもその内容を理解したいと思ったと思われます。

けれども、ニコデモはイエス様の話が全く理解できません(ヨハネによる福音書3章4節)。

神による新生

ヨハネによる福音書3章3節と5節に記される、ニコデモに対するイエス様の言葉を比べると、

「新たに生まれる」ということは「水と霊とから生まれる」こととほぼ同じ

であることが分かります。

「新たに生まれる」とは「上(神)から生まれる」、つまりは「神によって新しく生まれる」と言えます(参考:ヨハネによる福音書1章12-13節)。

また「水と霊から生まれる」とは「御霊によって汚れから清められ、新しい命を与えられる」ことを意味していると考えられます(参考:ヨハネによる福音書4章10, 14節; 7章37, 39節; 9章7節; 13章5節;比較:エゼキエル書36章25-27節)。

従って、どちらも

神または神の霊によって新しく生まれる(新生する)

といった意味合いをもつことになります。

このことから、イエス様がニコデモに伝えようとしていることは

神様または神様の霊によって新しく生まれなければ(新生しなければ)、神の国に入ることはできない

と言うことができます。

イエスに対する信仰

では、

神様または神様の霊によって新しく生まれる(新生する)ためにはどうすればよいのでしょうか?

その答えはヨハネによる福音書3章14-15節に記されています。

そこでイエス様は、旧約聖書(民数記21章4-9節)の話の中の青銅の蛇のように、「人の子」、即ち、

イエス様も上げられなければならない

とおっしゃいます。

これは、青銅の蛇が竿に掛けられたように、

イエス様が十字架に架けられる必要がある

ことを意味します。

さらに、神様を信じてその蛇を仰ぎ見たものが命を救われたように、

十字架に架けられたイエス様を信じる者はイエス様によって永遠の命を得る

とおっしゃいます。

これはイエス様を信じる者は永遠の命を得るという16節の言葉と同じです。

聖書、特にヨハネによる福音書の中では

「神の国に入る」と「永遠の命を得る」というのはほぼ同じ意味

で使われています。

従って、

神様の御子イエス様を信じる者は永遠の命を得る、即ち、神の国に入る

となります。これらをまとめると、

イエス様を信じることで、神様または神様の霊によって新しく生まれ、神の国に入る

と言えます。

神の国に入るために必要なのはイエス様に対する信仰のみ

という訳です。

結論

当時のユダヤ人たちは律法を忠実に守れば神の国に入れると考えていました。

ところが、イエス様は、

神の国に入るにはイエス様を信じ、神様または神様の霊によって新しく生まれる(新生する)必要がある

とおっしゃいます。

ニコデモにとってそれは、生まれてから一度も聞いたことがない、寝耳に水の話です。

イエス様の言っていることが全く理解できなかったとしてもある意味、致し方ないと言えます。

それにしても

なぜ神様は律法を守ることによってではなく、イエス様を信じることによって神の国に入ることができるようにされたのでしょうか?

それは、

この世の誰一人として、神様の律法を全て完璧に守り切ることができないから

です。というのも聖書は、実際に人を殺したり、盗んだり、だましたりするだけでなく、

心の中で人を馬鹿にしたり、憎んだり、妬んだり、うらやんだり、だまそうと考えたりするだけでも神様の律法を破ることになる

と記しているからです(ローマの信徒への手紙1章29-32節; ガラテヤの信徒への手紙5章19-21節)。

もし

ただの一度でも、心の中で人を馬鹿にしたり、憎んだり、妬んだり、だまそうと考えたりしたことがあるとすれば、その罰(ペナルティ)は死

と聖書は語ります(ローマの信徒への手紙1章29-32節; 6章23節)。

そして、当然のことながら、死んだ者は神の国に入ることができません。

が、しかし、です。

神様はそのような状況を良しとはされませんでした。
神様は、律法を守ることができず、死んで滅びゆく定めにあった私たちを見捨てることができなかった

のです。

なぜでしょうか?

それは、

神様がこの世を、この世に生きる私たち一人一人をこの上なく愛されているから

です(ヨハネによる福音書3章16節)。その愛の故に、

律法を守ることができず、死んで滅んでいくより他なかった私たちを救うため、神様はその独り子イエス様をお与えになりました。

そして、

イエス様は、私たちが受けるべきであった罪の罰(死)を、私たちの代わりに十字架の上で受けてくださいました。

そのおかげで、

十字架に架けられたイエス様を信じるとき、私たちは滅び(死)から救われ、永遠の命を得ることができる

のです。まさに、

イエス様の十字架には神様の愛が表されています。
この世は成果を求めます。

行動や行い、実績によって、自分の価値を示さなければ、生きていくことが難しい世の中です。

成果を挙げたかどうかは、自分自身ではなく、学校や会社、周りの知人・友人の判断によるものが大きいと言えます。

ですから、自然と周りの目を気にするようになります。

周りの人から認められるために、受け入れられるために、愛されるために頑張るようになってしまいます。

今現在、将来に対する漠然とした不安や心配事をお持ちの方がいるとすれば、その根底には恐らく、

周りに対して自分がこれまで通りの成果を発揮し続けていくことができるかどうか

に対する不安や恐れがあるのではないかと思います。

変わり続ける周りの状況に対して、変わらぬ成果を発揮し続けることができるかどうかが分からない。

だから私たちは漠然とした不安や心配を感じるのではないでしょうか。

聖書は、神様が私たちを愛してくださっている

と語ります。しかも、ただ愛していると語るだけではなく、その愛の大きさを示すため、

父なる神様は子なる神であるイエス様をこの世に遣わし、子なる神イエス様ご自身が私たちの身代わりとして、十字架の上でその命を捧げてくださいました。

そうする以外に、私たちを罪の滅びから救い出す方法がなかったからです。

あなたが素晴らしい成果・功績を挙げたからでもありません。

神様の役に立つからでもありません。

あなたが何かをしたからではなく、

あなたの存在そのものが神様にとっては高価で尊いから、神様はあなたを愛してくださっている

のです。

あなたはそのままで、神様に認められ、受け入れられ、愛されています。

だからこそ神様は、あなたが死んで滅びゆくのを見過ごすことができず、あなたの代わりに十字架の上でその命を捧げてくださったのです。

それほどまでにあなたを愛し、救わんとしてくださっている神様・イエス様に信頼して、自分の思い・考えではなく、神様の思い・考えを第一にして生きて欲しい

と神様は願っていらっしゃいます。

認められるために、受け入れられるために、愛されるために頑張るのではありません。

もう既に認められ、受け入れられ、愛されているから、神様の思い・考えを第一にするように頑張る。

これが、イエス様を信じ、神様または神様の霊によって新しく生まれた人の生き方です。

変わり続ける周りの状況に振り回されることなく、決して変わることのない神様の愛が表されている十字架に目を留め、神様の思い・考えを第一にして歩み続けることができますように。

参考文献および注釈

  • Burge, Gary M. John. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2000.
  • Carson, D. A. The Gospel according to John. Reprint edition. The Pillar New Testament Commentary. Leicester, England; Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990.
  • Keener, Craig S. The Gospel of John: A Commentary. Peabody, Mass.: Hendrickson, 2003.
  • Michaels, J Ramsey. The Gospel of John. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2010.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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