「共におられる主」:2018年6月24日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です。

礼拝の映像はこちらからご覧いただけます。

  • 日時:2018年6月24日(日)
  • 場所:MACF(Mission Aid Christian Fellowship)日曜礼拝
  • 説教タイトル・テーマ:「共におられる主」
  • 聖書個所:創世記26章23-25節

    23イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。 24その夜、主が現れて言われた。
    「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。
    恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。
    わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
    わが僕アブラハムのゆえに。」
    25イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。

    出典:共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』(日本聖書協会、2010年)(旧)41頁1

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

導入

今日、特に注目したいのは24節の言葉です。この言葉が神様からイサクに語りかけられる創世記26章の話を通して、神様がどのようなお方で、どのような方法で働かれるのかを共に学びたいと思います。

試される信仰

26章の主役はアブラハムの息子イサク。このとき、イサクが住んでいた地域(ネゲブ地方)を飢饉が襲い、食料に困ったイサクは家族と共にエジプトを目指します (比較:創世記12章10節; 42章1-3節)。その途上のゲラルという場所で、イサクは、恐らく生まれて初めて、神様から直接語りかけられます。その語りかけとは、

「エジプトに下らずにゲラルに留まっていれば、神様が自分と共にいて、祝福を与え、父アブラハムに約束した通りに、土地を与え、子孫を増やし、子孫を通して世界中に祝福が広がる」(参照:2-5節)

というもの。ここで、

皆さんがイサクの立場ならどうするでしょうか?

大人しく(?)神様の言い付けに従い、飢饉のおかげで食料が十分ではないにもかかわらず、ゲラルに留まるでしょうか?それとも、背に腹は代えられないという思いで、まずは食糧を調達するためにエジプトに下って行くでしょうか?

はっきりしない信仰

イサクがどうしたかというと、神様に信頼してゲラルに留まることにします。この箇所だけをみれば、イサクは非常に信仰の篤い立派な人物に思えます。

しかし、イサクは土地の人を恐れ、自分の身を守るために妻(の貞操)を犠牲にしようとします(7節)。しかも、神様から「あなたと共にいてあなたを祝福する」と言われたばかりなのにもかかわらずです。信仰があるのかないのか、どうにもはっきりしないイサクの態度が見て取れます。

そんなはっきりしない信仰態度をもったイサク。なのにもかかわらず神様は約束通り、イサクと共におられ彼を祝福されます(11-13節)。

しかし、イサクの祝福を妬む周りの人々との関係が悪化し (14節)、イサクはゲラルを離れ放浪の旅をすることになります(16-23節)。こうしてイサク一家はべエル・シェバという場所に到着します。そこで、再び神様がイサクに現れて語ったのが24節の言葉。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。
恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。
わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
わが僕アブラハムのゆえに。」

出典:共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』(日本聖書協会、2010年)(旧)41頁

共におられる主

24節の言葉は3-4節の言葉とよく似ていますが、一つ決定的に異なるところがあります。それは、「~するならば、―しよう」という条件付きの約束ではないというところ。3-4節の約束は「イサクがゲラルに寄留するならば」という条件付きのものでした。しかし、24節ではそのような条件はなく、ただイサクの父アブラハムの故に神様は

「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす」

とおっしゃっています。

事実、イサクがゲラルの地に留まることを決断して以来、神様はいつもイサクと共におられイサクを祝福されました。たとえイサクが神様を信頼しきれずに人を恐れ、自分を守るために妻を犠牲にするような行動を取った時でさえも、神様はイサクを見限ることなく彼と共におられました。また、神様の祝福が大きすぎたために周りの人々から妬まれ憎まれることになった時も、神様はいつもイサクと共にいて彼を祝福されました。

いつ如何なる時であっても、神様はいつもイサクと共にいて、イサクを守り導いていらっしゃった。そのことは誰の目から見ても明らかだったようです(参照:28節)。そして、主がイサクと共におられたので、ゲラルにいたペリシテ人の王アビメレクとイサクたちはお互いに害を加えないようにという契約(平和協定)を結び、和解することができました(28-33節)。

結論

今日の話を通して、神様について分かることは何でしょうか?

それは、

神様は御自分の計画・約束を必ず果たされるお方である

ということ。今日の箇所では、飢饉が襲っても食料を求めてエジプトに下らず、神様に信頼してゲラルに留まったイサクに対して、神様は彼と共にいて祝福するという約束を果たされました。しかも、イサクが神様ではなく人を恐れていた時はもちろん、イサクが人々から妬まれ憎まれさまよい続けていた時も、神様はいつも変わらずにイサクと共におられ彼を祝福されました。

今日の箇所も含め、聖書全体を通して何度となく語られていることがあります。それは、

神様は不完全で欠点だらけの人間を愛し抜かれるお方である

ということ。しかも、

神様は恵みによって、そんな不完全で欠点だらけの人間を選び、彼らを通して御自分の計画・約束を果たされていく

のです。

この神様の愛と恵みの御業がはっきりと示されているのがイエス様の十字架と復活です。私たちが不完全で欠点だらけで神様を裏切ってばかりいたからこそ、イエス様は私たちの代わりに私たちが負うべき罪の罰を担って、十字架に架かって死んでくださいました。

また、イエス様は死んだ後に復活され、御自分を信じて従おうとする弟子たちに

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20節)

ともおっしゃいました。それは不完全で欠点だらけな弟子たちを通して、神様の愛と恵みの御業を広げるためです。

神様・イエス様が「いつもあなたがたと共にいる」という約束は、イエス様の十字架と復活の故に、神様を信頼して信仰の一歩を踏み出した人であれば誰にでも当てはまる約束です。しかし、たとえ信仰の一歩を踏み出した後であっても、今日のイサクのように信仰が揺らぎ、神様ではなく人を恐れてしまうことがあるかもしれません。でも、そんなときでさえ神様はいつも変わらずあなたと共にいてくださいます。神様は不完全で欠点だらけなあなたをそのままで受け入れ愛してくださるお方です(比較:ルカによる福音書22章54-62節)。

また、あなたが人から理由もなく憎まれたり妬まれたりした時であっても、神様はいつもあなたと共にいてくださいます。「ひょっとしたら、神様が私を見捨てて天罰を与えているのかもしれない」と思うほどに辛く悲しい思いをすることがあるかもしれません。が、しかし、それは決して神様があなたを見捨てたからではありません。この世で生きる限り試練や困難に遭うことは避けられません。しかし神様は、いつ如何なる時もあなたと共にいてくださいます(比較:コリントの信徒への手紙第一10章13節)。

最後に、神様はあなたと共に神様の愛と恵みの御業を広げていきたいと願っていらっしゃいます。「神様と共に愛と恵みの御業を広げる」と聞くと、「そんな大きなこと、私にはできるはずない」と身構えるかもしれません。

でも、大きなことをなさるのは神様ですから、私たちに任されていることは実は私たちが思っているほどは大きくないのかもしれません。それは、例えば、神様があなたのことをどれほど大事に思っていらっしゃるかを思い起こし、「神様、有難うございます」と心からの感謝を捧げることから始まるのです(比較:創世記26章25節)。

不完全で欠点だらけな私たちをそのままで受け入れ愛してくださるお方、いつ如何なる時も私たちと共にいて守り導いてくださる私たちの主イエス・キリストに栄光がありますように。

参考文献および注釈

  • Waltke, Bruce K., and Cathi J. Fredricks. Genesis: A Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
  1. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』から引用。
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告