聖書は考古学と矛盾しているか?①―天地創造から青銅器時代まで―

聖書を読み始めると直ぐに目についてくるのが沢山の片仮名。ページによっては平仮名や漢字よりも片仮名の数の方が多いのではないかと思うページもあるくらいです(例えば、ヨシュア記13-19章、歴代誌第二1-9章、マタイの福音書1章1-17節、ルカの福音書3章23-38節など)。

なぜこんなにも沢山の片仮名が出て来るのかというと、まず第一に聖書の舞台は日本ではなく外国だからです。つまり、人名や地名といった固有名詞が全て片仮名で表されるというわけです。

が、もちろん、外国の話だからといって必ずしも片仮名がたくさん出て来るとは限りません。具体的な人名や地名を使わないこともできるからです (日本昔話などで「昔、ある所におじいさんとおばあさんがいました…」という風な感じです)。

にもかかわらず、聖書には様々な人名や地名が明記されている。ということは、聖書には結構具体的に誰がどこで何をしたかが記されていることが想像できます。

このため、ある程度聖書に慣れてくると

聖書に出てくるこの人やあの場所が本当に存在したのか?

という疑問が当然のごとく出てきます。つまり、聖書と考古学が矛盾しているかどうか、聖書の歴史的・考古学信憑性が気になってくる訳です。

この「聖書の歴史的・考古学信憑性」については、以前に書いた下記の記事で少し取り扱いました。

聖書は信頼できる書物か?③―聖書の信憑性:歴史的・考古学的整合性―
「聖書は信頼できる書物か」について考える三部作シリーズの三つ目。聖書の歴史的・考古学的信憑性を考えるにあたり、「歴史」とは何か(歴史の性質、歴史との接し方)から考えます。聖書の読み方(聖書を読む時の注意点)にもつながる内容です。

しかし、そこでの結論の一つは、

聖書の歴史的・考古学的信憑性を問うことは、聖書が語ろうとしている大元のメッセージを見失わせてしまう可能性がある

というものでした。でも、

なぜ聖書の歴史的・考古学的信憑性を考えることが聖書のメッセージを見失うことにつながるのか?

というと、古代社会に生きた聖書の作者は現代の私たちほどに歴史的・考古学的信憑性に注意を払っていなかったからです。むしろ、聖書の作者は自分の伝えたいメッセージを際立たせるために、少なからずの脚色(表現の誇張や出来事の順序変更など)を加えているのです。

とはいえ、これは別に聖書に限った話ではなく、(古代の)歴史作品と呼ばれるものには全て、程度の差はあれ、当てはまることです。

えっ、でも、神の言葉と言われている聖書に(人間の)脚色が入っているんだったら、神の言葉とは言えないんじゃないの?

と思われる方がいるかもしれません。確かに、聖書は「神の言葉」と呼ばれます。が、そう呼ばれるのは、聖書の語るメッセージが神様からのものだからです。書かれている内容に一切の脚色がなく歴史的・考古学的信憑性があるから、神の言葉と呼ばれている訳ではありません。

言い換えるならば、

聖書の作者は(霊感によって)神からある種のメッセージ(神の言葉)を受けて、そのメッセージを自分の知り得る歴史的情報や文学的手法を駆使して書き残した

と言えます。

従って、聖書に収められている66冊の書物の文体(脚色の付け方)は、それぞれの作者の歴史的・文化的・宗教的・文学的素養に大きく左右されます

しかしながら、書かれている内容は、神様がその作者を通して語ろうとしたメッセージが収められているという点で同じであり、66冊全てが「神の言葉」と言えるのです。1

それでは、

聖書の歴史的・考古学的背景を調べることは意味がないのか?

というと、そういう訳ではありません。むしろ、聖書に関する歴史的・考古学的知見は聖書の内容をより良く理解する助けとなります。その理由は少なくとも二つ。

  1. 歴史的・考古学的情報と聖書の記述を比べることで、聖書の作者がどこをどのように脚色したかが分かるから
  2. 考古学的知見から得られる当時の文化や社会状況は、聖書の作者が文化的・社会的に暗に仮定している (作者にとって記す必要のない当たり前な) 事柄を理解する助けとなるから

上記の二つとも聖書が本来語ろうとしているメッセージを理解するために重要な補完的役割を果たしていることが分かると思います。

ということで、今回は聖書、特に旧約聖書の歴史的・考古学的背景をみていきます。

とは言いながら、内容は非常に幅広いので、全てを語りつくすことはできません。あくまでも(旧約)聖書の中から有名(重要)と思われるところを抜粋しながら、できる範囲で「聖書が描く世界」と考古学的発見を比べたいと思います。

そうすることで、聖書の作者が何を強調しようとしているか、どんなメッセージを伝えようとしているかを探ることができればと思っています。

なお、内容が長いので記事を二つに分けています。今回は「天地創造から青銅器時代まで」、次回は「鉄器時代」を中心に話を進めます。次回の内容は下記の記事をご覧ください。

聖書は考古学と矛盾しているか?②ー鉄器時代ー
「聖書に出てくる人物や場所は実在したのか?」「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、旧約聖書の鉄器時代の歴史的・考古学的背景をみていきます。聖書の強調点は何か、聖書はどう読むべきか、聖書と考古学の望ましい関係は何かを探ります。

新約聖書(イエスの生きた時代)と考古学の話に興味のある方は、下記の記事をご覧ください。

聖書は考古学と矛盾しているか?③ーイエスの時代ー
「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、イエスに関する新約聖書の記述と考古学的発見が矛盾しているようにみえるものに焦点をあてます。聖書を読み解くために知っておきたい事柄満載の内容です。

今回の話の流れ(目次)は以下の通り。

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考古学の限定性

聖書の歴史的・考古学的背景をみる前に、考古学という学問の性質について注意すべきことがあります。それは、考古学的知見が聖書の内容をより良く理解するのに役立つとはいえ、

考古学に任せておけば過去の出来事全てが何でも分かる訳ではない

ということ。その理由は以下の通りです。

まず第一に、考古学が扱う過去の遺物は当時の社会を構成しているごく一部に過ぎません。特に、それらの遺物はあくまでも形があって目に見える「物体」(陶磁器や建物跡など)です。

従って、当時の人々の生活の目に見えない部分、つまりは思想や宗教性といった精神的な部分に関して得られる情報はどうしても限られてしまいます(思想や宗教性を知る点において、聖書を含む古文書の価値は計り知れません)。2

第二に、過去の歴史的遺物の保存状態は決して良くありません。自然な状態でも劣化・風化は起こりますし、地震や火災、津波といった自然災害が直撃すれば、一瞬にして全てが消えてなくなる(なくなってしまった)可能性もあります。

その上、近代化の波によって都市開発が進むと、土壌に埋もれていた遺跡が誰も気づかないうちに破壊されていたということもあり得ます。

従って、もし仮に、ある町が考古学的に発見されていないとしても、その町が実際に存在していなかったと結論付けるには早すぎます。

単純に自然の風化によって現存していないのかもしれませんし、その町の残骸を利用して新しい町が建てられたのかもしれません。様々な可能性を検討する必要があります。

最後に、既に発見されている遺跡についても、実際に発掘が進んでいるものは少ないようです。例えば、聖書に関連する有名な遺跡で、5-10%以上発掘が進んでいるものは稀です。3

このような考古学の実情を踏まえると、考古学から分かる歴史的状況と聖書が描き出す過去の(多分に宗教的)状況を比較する時には、少なくとも以下の二点に注意する必要があります。

  1. 考古学から得られる情報は量的にも質的にも非常に限られたものであること
  2. 現在は定説として受け入れられている考古学的説明だとしても、(遺跡の発掘が進み)新しい考古学的発見があれば、いつでも書き換えられる可能性があること

上記の二点を念頭におきながら、以下では現段階の考古学的発見から分かる聖書の世界について、簡潔に記したいと思います。4

石器時代まで(紀元前3000年以前)

聖書の話はまず神様が天地とその中に生きる動植物(人間を含む)を創造された話から始まります(創世記1章)。そこから創世記の11章まで、大雑把に言うと以下のような流れで話が進みます。

  • アダムとエバが神様の言い付けに逆らってエデンの園を追放される話(2-3章)
  • アダムとエバの子供カインとアベルの話(4章)
  • アダムの家系図(5章)
  • ノアの洪水の話(6-9章)
  • ノアの家系図(10章)
  • バベルの塔の話とノアの息子セムの家系図(11章)

しかし、残念ながら現状では、この創世記の最初の11章に出て来る人物や場所を考古学的に特定することはできていないようです。5

ただし、創世記11章の終わり(創世記11:31)に登場するアブラハム(改名前はアブラム)という人物が生きていた時代は青銅器時代(紀元前3000年から紀元前1200年ごろ)と考えられていますので、1-11章の話は青銅器時代以前に起きた出来事ということになります。

なお、創世記1-11章に出て来る話(例えば天地創造や洪水の話など)は古代の近東地方(特にメソポタミア地方)に伝わる話と似ているところがあります。

このため、聖書の話は近東地方の言い伝えの焼き直し(完全な作り話)に過ぎないと考える学者もいます。

対して、両者の間には類似点よりも相違点の方が大きいため、どちらか一方が他方を参考にしたというよりも、両者共に共通の情報源(実際に起きた出来事か別の言い伝えによるものかは判断が分かれる)に基づいていると考える学者もいます。6

いずれにしても、

聖書の話と近東地方に伝わる話の相違点に着目することで、聖書の作者が強調しようとした(脚色した)部分、つまりは聖書の語らんとするメッセージに近付くことができます。

例えば、メソポタミアの天地創造の話では、既に存在している物質世界に神々の手によって秩序がもたらされる過程が描かれています。これは、ただ一人の神が天地万物全てを (無から)造り出したとする聖書の話とは全く性格が異なるものです。

さらに、メソポタミアの天地創造において、人間は神々の必要を満たすために造られますが、聖書では人間の必要を満たす(人間に必要なものを予めエデンの園に備えてから人間を造られた)神の姿が描かれています。7

The Garden of Eden with the Fall of Man By Peter Paul Rubens - www.geheugenvannederland.nl : Home : Info : Pic, Public Domain, Link

また、メソポタミアの洪水の話の結末は洪水に生き残った人間が不老不死となります。対して、聖書では洪水を生き残った人間は不老不死とはなりません。あくまでもノアの神様に対する従順さ、そして人との契約を果たす神様の誠実さが強調されています。8

青銅器時代(紀元前3000年から紀元前1200年ごろ)

アブラハムの時代

創世記11章の終わりから登場するアブラハムはメソポタミア地方にあるウルという場所からハランに移り住みます(創世記11章31節)。そして、そこで神様からお告げを受け、現在のパレスチナ地方であるカナンの地に行くように神様に命じられます(創世記12章1-5節)。

このウルという場所は青銅器時代初期(紀元前3000-2100年頃)における文化的政治的な中心地だったようです。この地からは紀元前2500年頃のたくさんの王族(または貴族層)の墓が発掘されていて、紀元前2100年頃にはメソポタミアのウル第三王朝の中心都市だったことが分かっています(ただし、ウルの場所については諸説あります)。9

アブラハムがカナンの地に移り住んだ年代については、学者の間でも意見が分かれていて、紀元前2200-2150年もしくは紀元前2000-1950年と考えられています。10

しかし、いずれの場合であれ、聖書に描かれるアブラハムの生活様式や文化は考古学的な発見に基づく紀元前2000年頃の生活様式や文化と差異はないようです。11

さて、カナンの地に移り住んだアブラハム一族ですが、アブラハムの孫ヤコブの代でエジプトに移り住みます(創世記46章1-27節;出エジプト記1章1-5節)。特にヤコブの子ヨセフはエジプトで王(ファラオ)に次ぐ地位を得たと聖書は記しています(出エジプト記41章40-44節)。

このヨセフに関して、今のところ、確固たる考古学的裏付けは取れていません12が、ヨセフにまつわる話の文化的内容(ヨセフが売られた代金や登場人物の名前など)は当時の時代性を反映しているのは確かのようです。13

モーセの時代

次に出て来る聖書の有名人はモーセ。彼はヤコブやヨセフの時代から数えると約400年後に登場する人物です(出エジプト記12章40-41節)。その当時、エジプトで奴隷状態にあったユダヤ人たちはモーセに率いられてエジプトから出ていきます。

Moses lifts up the brass serpent, curing the Israelites from poisonous snake bites in a painting By Benjamin West - BJU Museum and Gallery, Public Domain, Link

考古学的には紀元前2000年頃からエジプトでユダヤ人が生活していた痕跡が見つかっていますので、ヤコブやヨセフの時代からモーセの頃まで、ユダヤ人がエジプトで生活していたことと辻褄があいます14

しかし、現状では、モーセにまつわる様々な出来事の信憑性を肯定もしくは否定する具体的かつ決定的な考古学的証拠はないようです。15

とはいうものの、考古学だけでなく、古動物学、儀礼研究、エジプト学、比較研究、言語学、文学分析などの分野から総合的に考えて、モーセがユダヤ人を引き連れてエジプトを脱出したのは(かなり幅がありますが)青銅器時代後期(紀元前1600-1200年)と考えるのが最も確からしいです。16

総じて、聖書に出て来る人名や地名などの固有名詞や具体的な個々の出来事に関する考古学的裏付けは乏しいですが、

アブラハムからモーセの時代に至るまで、聖書に描かれる登場人物の生活様式や文化は考古学が教える青銅器時代のものに合っている

と言えそうです。

が、しかし、です。

聖書と考古学が矛盾しているようにみえる出来事がモーセの跡を継いだヨシュアの時代に出てきます。

ヨシュアの時代

詳しい話は割愛しますが、ヨシュアとイスラエルの民は神様の命令に従う事でエリコという町を攻め落とします。その時、その町の城壁が奇跡的に崩れ落ちたと聖書は記しています(ヨシュア記6章20節)。

The battle of Jericho By Julius Schnoor von Carolsfeld, Public Domain, Link

そして、実際にエリコで昔の城壁跡が見つかったのです。が、しかし、ここに問題が発生しました。その問題とは何かというと、

城壁が崩れたとする年代について、複数の学者が異なった二つの年代を割り出した

こと。17

一つ目の仮説は、エリコの城壁が崩れたのは紀元前1400年頃だとします。

二つ目の仮説は、エリコは紀元前1550年頃に廃墟と化し(城壁も崩れ)、紀元前1100年頃までエリコに人はほとんど住んでいなかったとします。

対して、つい先ほどみたように、モーセがユダヤ人たちを連れてエジプトを出たのを青銅器時代後期(紀元前1600-1200年)とすると、モーセの跡を継いでヨシュアがエリコを攻め落としたのは紀元前1550-1150年頃の出来事となります。

従って、エリコの城壁が紀元前1400年頃に崩れたとする一つ目の仮説は、ヨシュアによってエリコが攻め落とされた(城壁が崩された)年代と適合します。

ところが、二つ目の仮説によると、ヨシュアがエリコを攻めたとき、エリコには攻め落とす城壁はもちろん人もほとんどいなかったということになってしまいます。しかも、最近の研究では二つ目の仮説の方が確からしいという流れになってきているようです。

ん?ということは、聖書と考古学は矛盾しているんだな

と結論付けたくなりますが、そう結論付けるのは早すぎます。なぜなら、聖書の作者は、ヨシュアがエリコを攻め落とした様子を正確に(脚色を加えずに)書き残したとは限らないからです。

確かに、「城壁」のある町と聞くと、町の規模も大きく攻め落とすのが困難なイメージをもちます。しかし聖書には、エリコの町の規模は記されていませんし、 18「城壁」についての高さや材質といった詳細も記されていません。

従って、先に挙げた二つ目の考古学的仮説の通り、ヨシュア時代のエリコの町は実は非常に小さく、「城壁」と呼ばれているものは家の壁に少し手を加えただけのものだったのかもしれません。19

が、たとえそうだとしても、家の壁が勝手に崩れ落ちるというのは奇跡的な出来事に変わりはありませんから、ヨシュアとイスラエルの民が神様の命令に従ったことで(奇跡的な)勝利を得たことにも変わりはありません。ただ、そこに少しばかりの脚色(強調)が加わっていたとしてもです。

ヨシュアが見たエリコの町の本当の姿は残念ながら分かりませんが、ヨシュアのエリコ攻略の話を通して、少なくとも以下の二つのことが分かります。

  1. 考古学的発見(仮説)は絶対的なものではない(考古学的手法は時と共に進化・発展するため、別の遺跡の発見や新しい測定・解析手法の導入によって、異なる複数の見解が生じ得る)
  2. 聖書の文字通りの解釈にこだわると真意を見失う可能性がある(誇張表現の可能性も考慮しつつ、作者が伝えんとするメッセージを読み解こうとする姿勢が大事)

まとめ

今回のテーマは「聖書は考古学と矛盾しているか?」でした。その中でも今回は旧約聖書の天地創造から青銅器時代までの非常に大まかな流れとその歴史的・考古学的背景をみました。分かったことをまとめると以下の通り。

【考古学について】

  • 考古学の情報は量的にも質的にも非常に限られている
  • 考古学的発見(仮説)は絶対的なものではない(複数の仮説が生じ得るし、新しい考古学的発見によって、いつでも書き換えられる可能性がある)

【石器時代の終わり(紀元前3000年)までの聖書の話について】

  • 考古学的には人名や地名の特定はできていない
  • 似たような話が近東地方にも存在しているが、聖書が描く神の姿および神と人間の関係性は他に類をみない

【青銅器時代(紀元前3000-1200年ごろ)の聖書の話について】

  • 人名や地名など、具体的な出来事に関する考古学的裏付けは乏しい
  • 登場人物の生活様式や文化は考古学的発見と整合性がとれている

【その他】

  • 聖書の文字通りの解釈にこだわると真意を見失う可能性がある

次回は下記の記事において、鉄器時代(紀元前1200年以降)の歴史的・考古学的背景を扱い、最後に全体的な「まとめ」を行います。

聖書は考古学と矛盾しているか?②ー鉄器時代ー
「聖書に出てくる人物や場所は実在したのか?」「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、旧約聖書の鉄器時代の歴史的・考古学的背景をみていきます。聖書の強調点は何か、聖書はどう読むべきか、聖書と考古学の望ましい関係は何かを探ります。

参考文献および脚注

  • Chavalas, M. W. “ARCHAEOLOGY.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Durham, John I. Exodus. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Thomas Nelson Inc, 1987.
  • Hess, Richard S. Joshua: An Introduction and Commentary. Tyndale Old Testament commentaries. Leicester, England: Inter-Varsity Pr, 1996.
  • Hill, Andrew E., and John H. Walton. A Survey of the Old Testament. 3rd edition. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2009.
  • Hubbard, Robert L. Joshua. New International Version application commentary. Grand Rapids: Zondervan, 2009.
  • Klingbeil, G. A. “HISTORICAL CRITICISM.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Longacre, R. E. “JOSEPH.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Mathews, K A. Genesis 1-11:26. The New American commentary. Nashville, Tenn.: Broadman & Holman, 1996.
  • Ortiz, S. M. “ARCHAEOLOGY, SYRO-PALESTINIAN.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
  • Packer, J. I. “INSPIRATION.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  • Wheeler, Gerald. “Ancient Egypt’s Silence about the Exodus.” Andrews University Seminary Studies (AUSS) 40, no. 2 (January 1, 2002): 257–264.
  • Wiseman., D. J. “ARCHAEOLOGY.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  1. 聖書が神の霊感(神の霊の導き)によって書かれたことについて、詳細は下記を参照。J. I. Packer, “INSPIRATION,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 507–509.
  2. 詳細は下記を参照。D. J. Wiseman., “ARCHAEOLOGY,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 69.
  3. S. M. Ortiz, “ARCHAEOLOGY, SYRO-PALESTINIAN,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 67.
  4. 詳細は参考文献を参照ください。
  5. 詳細は下記を参照。M. W. Chavalas, “ARCHAEOLOGY,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 38–40.
  6. 詳細は下記文献の"The Background"節を参照。Andrew E. Hill and John H. Walton, A Survey of the Old Testament, 3rd edition. (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2009), chap. 4. Genesis.
  7. 詳細は以下を参照。K A. Mathews, Genesis 1-11:26, The New American commentary (Nashville, Tenn.: Broadman & Holman, 1996), 91–95.
  8. 詳細は下記を参照。ibid., 98–101.
  9. 詳細は下記を参照。Chavalas, “ARCHAEOLOGY,” 41–42.
  10. 詳細は下記を参照。G. A. Klingbeil, “HISTORICAL CRITICISM,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 411.
  11. アブラハム時代の生活様式や文化の考古学的整合性について、興味のある方は例えば下記を参照。ibid., 410–411.
  12.  Chavalas, “ARCHAEOLOGY,” 46.
  13. 詳細は以下を参照。R. E. Longacre, “JOSEPH,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 475; Klingbeil, “HISTORICAL CRITICISM,” 414–415.
  14. 詳細は以下を参照。Klingbeil, “HISTORICAL CRITICISM,” 416.
  15. 詳細は以下を参照。John I. Durham, Exodus, Word Biblical Commentary (Waco, Tex.: Thomas Nelson Inc, 1987), xxv; エジプトにおいてモーセにまつわる出来事の記録が存在しない理由について、エジプトの文化的側面から考察したものとして、下記を参照。Gerald Wheeler, “Ancient Egypt’s Silence about the Exodus,” Andrews University Seminary Studies (AUSS) 40, no. 2 (January 1, 2002): 257–264.
  16. 詳細は下記を参照。Klingbeil, “HISTORICAL CRITICISM,” 406–418.
  17. エリコに関する考古学的発見の詳細については、例えば下記を参照。Robert L. Hubbard, Joshua, New International Version application commentary (Grand Rapids: Zondervan, 2009), 202–205.
  18. エリコに王がいたことはヨシュア記2:3に記されていますが、この「王」と訳されているヘブル語は「地域の指導者」を指す言葉とも理解できます。詳細はRichard S. Hess, Joshua: An Introduction and Commentary, Tyndale Old Testament commentaries (Leicester, England: Inter-Varsity Pr, 1996), sec. “e. The first assault: the capture of Jericho (5:13–6:27)”の中の"Additional note: The archaeology of Jericho"を参照。.
  19. Hubbard, Joshua, 203.
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