イエス・キリストはなぜ死んだのか?②―十字架の政治的・ユダヤ教的理由―

今回も前回に引き続いて「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか?」を考えます。前回の記事で、その内容を以下の三つに分けました。

  1. 十字架による処刑方法とその死因
  2. イエスが十字架で死んだ政治的・ユダヤ教的理由
  3. イエスが十字架で死んだキリスト教的理由・意味

前回の内容は上記の「1.十字架による処刑方法とその死因」。言うなれば、「なぜ」の部分を考える前に「そもそものところ、十字架刑って何?」を考えた訳です。詳細は以下をご覧ください。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?①―死刑(十字架刑)の方法とその死因―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの一つ目。紀元前一世紀の哲学者キケロが「最も残酷で屈辱的な処罰」と記した十字架刑、その処刑方法と死因に迫ります。

今回(と次回)は皆さんお待ちかね(?)の「なぜ」の部分を扱います。特に今回は非キリスト教的側面から、上記の「2. イエスが十字架で死んだ政治的・ユダヤ教的理由」を考えていきます。

「3.イエスが十字架で死んだキリスト教的理由・意味」については、下記をご覧ください。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。

今回の話の流れは以下の通り。

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イエス処刑(十字架刑)にまつわる主要な人物紹介

ユダヤの総督ピラト

イエスの処刑にまつわる人物として最初に紹介するのは、イエスを実際に十字架刑に処した人物。その名はポンテオ・ピラト(またはポンティオ・ピラト、Pontius Pilate)。

Christ and Truth ("What is truth?") By Nikolai Ge - http://www.picture.art-catalog.ru/picture.php?id_picture=7515, Public Domain, Link

ピラトはもちろん実在の人物で、ローマ時代の歴史家タキトゥス(Tacitus、55年頃―120年頃)が記した「年代記(Annals)」の中に以下の箇所があります。

Christus, from whom the name had its origin, suffered the extreme penalty during the reign of Tiberius at the hands of one of our procurators, Pontius Pilatus

引用:Tacitus, “The Annals (From the Passing of the Divine Augustus),” trans. Alfred John Church and William Jackson Brodribb, Translated in 1876, 15. 44, Wikisource

私訳で失礼すると

「その(クリスチャンという)名前の由来となっているクリストゥス(訳注:キリストに同じ)は、ティベリウス帝の治世時、我らが長官の一人ポンティウス・ピラトゥス(訳注:ポンテオ・ピラトに同じ)の手によってあの極刑を受けた」

となります。

「あれ?でも、これだとイエスが十字架刑に処されたかどうかは分からないんじゃないか?」

と思われた方。確かにその通りで、ここには「あの極刑(the extreme penalty)」とあるだけで「十字架刑(crucifixion)」かどうかは明言されていません。

しかしながら、もう少し後の時代、2世紀中葉の風刺詩人であるサモサタのルキアン(Lucian of Samosata、125年頃―180年頃)という人はイエスのことを「はりつけにされた詭弁家(crucified sophist)」と呼んでいます。1

このことから、タキトゥスのいう「あの極刑」というのは「十字架刑」であろうことが分かります。

ちょっと脱線しましたが、ピラトの話に戻ります。

ピラトは紀元26年、ローマ皇帝ティベリウスからユダヤ地方の総督(prefect)(文献によっては長官(procurator))に任命されました。総督(または長官)として、ピラトにはユダヤ地方の軍隊(約120の騎馬隊と2,500-5,000の歩兵隊)の指揮権および民衆に対する生殺与奪の権が与えられていました。これは、ユダヤ人が誰かを死刑に処すためには、ピラトの許可が必要だったことを意味します。2

また、ピラトはユダヤ人の宗教観を毛嫌いしていたようで、ユダヤ人との宗教的な対立・衝突もしばしば。 3

ユダヤ人哲学者フィロン(紀元前20年頃―紀元後50年頃)はそんなピラトの性格を「非常に激情的で絶えず激高的」と記し、4 その統治を特徴づけるのは「汚職、横柄な言動、強奪、他者への侮辱、残忍さ、審理や判決無しで繰り返される処刑(殺人)、終わりがなく不当で耐え難い残酷さ」だとも言っています。5

大祭司カヤパ(カイアファ)

ユダヤの総督ピラトによってイエスに十字架刑の判決が下される数時間前、実はユダヤ人だけで構成される議会が招集されていました。6

そこでのイエスに対する判決は冒涜罪というもの(参考:マルコの福音書14章64節)。

「冒涜」という言葉はあまり馴染みがないかもしれませんが、聖書では

あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない【出エジプト記20章7節】
神をののしってはならない【出エジプト記22章28節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)134、140頁

という掟があり、神の名を冒涜する者は死罪(石打ちの刑)とされていました(参考:レビ記24章15-16節)。

ただし、イエスが生きていた当時のユダヤ社会においては、神への「冒涜」というのはもう少し広い意味合いをもっていたようです。例えば、神を汚す如何なる言葉に対しても冒涜罪が適用されていましたし、神だけが持つはずの性質や権威(罪を赦す権威など。参照:マルコの福音書2章7節)を自分も持っていると主張することも神への冒涜とされました。 7

イエスに対しては、この後者の場合の広い意味での「冒涜罪」が適用されました。

さて、このイエスを冒涜罪に定めたユダヤ人の議会を取りまとめていたのが時の大祭司カヤパ(またはカイアファ、Caiaphas)です。彼は紀元18年に当時のユダヤ総督ウァレリウス・グラトゥス(Valerius Gratus)から大祭司に任命されていました。8

Christ Before Caiaphas By Matthias Stom, Public Domain, Link

それにしても、不思議ではありませんか?

ユダヤ人の議会において、このとき既にイエスは冒涜罪の咎で死罪(石打ちの刑)とされていたのです。にもかかわらず、最終的にはローマのユダヤ総督ピラトがイエスを十字架刑に処している…。

なぜ異なる二つの体制(ユダヤ人議会とローマのユダヤ総督)の下で、立て続けに(数時間のうちに)審議がなされているのか?

その理由は、上でも少し触れたように、当時のユダヤ地方において生殺与奪の権、ひいては死刑を執行する権限を与えられていたのはユダヤ総督のピラトただ一人だったからです(参考:ヨハネの福音書18章31節)。

つまり、ユダヤ人たちは死刑を執行したくても、ユダヤ総督であるピラトの許可・同意なしには死刑を執行できなかったという訳です。

祭司長、律法学者、長老たち

イエスの処刑に絡んで最後に登場するのは、カヤパが招集したユダヤ人議会の構成メンバー。彼らは祭司長、長老、律法学者といった肩書をもち、ユダヤ教の指導者層の人々です (参考:マルコの福音書14章53節)。

祭司長(chief priest)というのは、大祭司職の経験者や大祭司を輩出した家族のメンバーで構成される上流階級層で、ユダヤ教の最高法院(Sanhedrin)の主要メンバー(参照:使徒の働き4章6節)。 9

長老(elder)も同じく最高法院の構成メンバーで、部族・氏族を代表する祭司や一般貴族を指します。 10

律法学者(teacher of the law)はその名前の通り旧約聖書の「律法」の専門家です。彼らも最高法院の一角を占めていました(参照:使徒の働き5章34節)。

The Sanhedrin By Unknown - People's Cyclopedia of Universal Knowledge (1883), Public Domain, Link

この他にもイエスの処刑にまつわる人物を何人か挙げることができます(例えば、イエスを裏切ったユダ、イエスとの関係を否定した弟子のペテロ、暴動と人殺しの咎で投獄されていたバラバなど)。が、話がややこしくなるので、今回はひとまずこれくらいで。

イエス処刑の政治的理由

では、いよいよイエス処刑の政治的理由について。

これは当時のユダヤ総督ピラトとユダヤ民族の関係を考えると見えてきます。

先にも書きましたが、ピラトは着任以来、何度となくユダヤ人たちと対立・衝突していました。特にイエス処刑の少し前と思われる紀元31年頃、エルサレムで起きた特権階級を中心とした抗議運動の故に、ピラトはティベリアス帝からお叱りを受けていました。11

ですから、ピラトにしてみれば、

「もし、またエルサレムで抗議運動・暴動が起こるなら、今度は自分の首が危うくなるかも…」

といった状況です。

そんな時にやってきたのがユダヤ教の過越(すぎこし)の祭り。この祭りはユダヤ教の三大祭りの一つで、パレスチナ地方一帯からユダヤ人たちがエルサレムに集まってきます。このため、街は人とモノで溢れかえり何が起こってもおかしくはないカオス的な状況と化します。つまり、ユダヤ人たちがエルサレムで暴動を起こすには過越の祭り以上の好機はないと言えます。

その過越の祭りの最中、ピラトのもとに祭司長たちがイエスという名の男を連れて来ます。その罪状は

(イスラエルの)民を惑わし、カエサルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っている【ルカの福音書23章2節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)169頁

というもの。要するに、ローマ帝国に対する反逆者を連れてきたと言っている訳です。

ここで、

あれ?冒涜罪じゃなくて反逆罪なの?

と思われる方は多いと思います。

先にも書きましたが、ユダヤ人の議会において、イエスに対しては既に冒涜罪という判決が下されていました。それなのに、ここではローマ帝国に対する反逆者としてイエスをピラトのもとに連れてきている訳です。

「冒涜罪?反逆罪?一体、どっちが本当なの?」という声が聞こえてきそうです。

が、結論から言うと、

「どちらでもよかった」

というのがユダヤ人たちの本音でしょう。

このことについては、次節「イエス処刑のユダヤ教的理由」で詳しく触れますので、ここでは一旦置いておきます。

いずれにしても、ユダヤの総督ピラトにとっては、ユダヤ人の指導者たちがローマ帝国に対して反逆を起こす可能性のある人物を連れて来たとあっては放っておくことはできません。しかも、そのタイミングが最も暴動が起こりそうな過越の祭りの最中とあってはなおさら。

ということで、早速イエスを取り調べてみるピラトですが、罪らしい罪は一向に認められない。それ故に彼は三度、イエスを釈放しようとしたと聖書には記されています(参考:ルカの福音書22章13-22節)。

ところが、です。

ピラトがイエスを釈放しようとする度に、祭司長たちと議員たち、そして民衆は

その男(イエス)を殺せ【ルカの福音書23章18節】
十字架だ。十字架につけろ【ルカの福音書23章21節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)169、170頁

と要求し続けるのです。そして、その声はますます強くなる一方。これ以上、ユダヤ人たちと交渉(というのもおかしい話ですが)を続けると、暴動へと発展しかねないと判断したのか。ピラトは遂に彼らの要求を受け入れます(参考:ルカの福音書23章24節)。

こうして、

ローマ帝国のユダヤ総督をして死に値する罪は見つからないと(少なくとも三度)宣言せしめたにもかかわらず、結局イエスは十字架刑を宣告されてしまいました。

そこに、俗にいう「正義」はありません。

あったのは、とにもかくにも暴動を鎮めて自分の地位を守らんとする

自己保身

に駆られ、一人の人を無実の罪で処刑する男の姿…。

イエス処刑のユダヤ教的理由

最後に、当時のユダヤ教(指導者層)の立場からイエスが処刑された理由を考えます。

なお、後世のユダヤ人が書いた書物でイエスについて言及しているのは比較的後年 (イエスの死後200年以上経った3世紀以降)のものしかないようです。12

対して、イエスについて書かれている聖書(新約聖書の福音書)イエスの死後、諸説はありますが、早いもの(マタイ、マルコ、ルカの福音書)で30-40年以内、遅いもの(ヨハネの福音書)でも50-60年以内に書かれたとされています。 13

このため、全体的に見て新約聖書の方が後世のユダヤ人が書いた書物よりも歴史的信憑性が高い(もちろん意見の偏りは見られるでしょうが)と判断できますので、以下では聖書の記述を基に話を進めます。 14

さて、ユダヤ教の立場からイエスが処刑された理由を考えると聞いて、鋭い読者の方は

えっ、でもちょっと前に、ユダヤ人の議会でイエスには『冒涜罪』という判決が下されたと書いてなかったっけ!?もしそうなら、イエスが神を冒涜したからというのがユダヤ教的な処刑の理由じゃないの?

とおっしゃるでしょう。

確かに、聖書にはユダヤ人たちの間の最終的な結論として、イエスに対して「冒涜罪」という判決が下されたと記されています(マルコの福音書14章64節)。が、実情はそれほど簡単ではありません。

実は、冒涜罪という判決が下される前に、イエスを殺そうとする計画がユダヤ教指導者たちによって立てられていたと聖書は語るのです。

ええええっ、「聖なる書物」と思っていた聖書に、そんなにヒドイ人たちのことが書かれているの!?

と思われた方。

そうなんです。聖書には聖人君子についての話というより、ごくごく普通の人間の非常にドロドロとした日常が淡々と描かれているのです。

ただし、

そんな普通の人間の日常に非日常的な存在である神様がどのように関わっておられるかも書かれている

のが聖書なのです。

論より証拠、聖書には次のように書かれている箇所があります。

祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。群衆がみなその教えに驚嘆していたため、彼らはイエスを恐れていたのである。【マルコの福音書11章18節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)91頁

ここに前出の祭司長や律法学者が出てきていますが、彼らはユダヤ人の指導者層の人々。そんな彼らが「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」というのです。

その理由はというと、イエスの教えに群衆が驚嘆していたため、指導者たちはイエスを恐れていたから。

ここで問題となっているイエスの教えというのは、エルサレムの神殿に関する教えです(参照:マルコの福音書11章15-17節)。その詳細は割愛しますが、これはユダヤ教指導者たちの神殿運営に対する非難であり、ひいては指導者層のもつ権威への挑戦でもある内容でした。15

そのようなイエスの教えに群衆は(良い意味で)驚嘆したというのです。しかも他の聖書個所には、エルサレムの人々はイエスの教えに「熱心に耳を傾けていた」(ルカの福音書19章48節)とも記されています。ユダヤ教指導者たちの心中が穏やかであるはずがありません。

つまり、ユダヤ教指導者たちは自分たちの立場・権威を脅かすイエスの存在を恐れていたのです。そして、自分たちの地位を守らんとするためにイエスを殺そうとしたことが分かります

そこに、「正義」や「愛」はありません。

あったのは、自分たちの立場・権威を守らんとする

自己保身

に駆られ、本来の宗教指導者としての道を見失っている人々の姿。16

まだあります。

別の聖書個所では、以下のように記されています。

祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者(イエス)が多くのしるし(奇跡)を行なっているというのに。あの者(イエス)をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」【ヨハネの福音書11章47-48節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)207頁

そして、しばらくやり取りが続いた後の結論がこう記されています。

その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ【ヨハネの福音書11章53節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)207頁

ここで「彼ら」というのは最高法院のメンバー、つまりはユダヤ教指導者たちです。そして、この箇所から分かる彼らのイエス暗殺計画の動機は、自分たちの土地や国民がローマ人から取り上げられるのを防ぐこと。

でも、

なぜ全ての人がイエスを信じるようになると、ローマ人がやって来て彼ら(ユダヤ人)の土地や国民を取り上げてしまうのか?

その理由は、民衆がイエスに扇動されてローマ帝国に反乱を起こすかもしれないと考えたから。

つまり、民衆が(イエスを筆頭に)ローマ帝国に対して反乱を起こすようなことがあれば、ローマ帝国から(ある程度の)自治権を認められている最高法院のメンバーとしての責任が問われる。となると、彼らの政治的な立場が危うくなるという訳です。17

従って、ここにあったのも同じく、自分たちの政治的な立場を守らんとする

自己保身

に駆られた人々の姿です。

ここまでの話をまとめると、要するに、

イエスに冒涜罪もしくはローマ帝国への反逆罪が宣告される前から、ユダヤ教指導者たちはどうにかしてイエスを殺そうと目論んでいた

というわけです。

ですから、ユダヤ教指導者たちにとっては冒涜罪であろうが反逆罪であろうが、イエスが処刑されさえすれば、ぶっちゃけ、「どちらでもよかった」と言えます。

そして、そんな宗教指導者たちを突き動かしていたのは「正義」や「愛」ではなく、自分たちの地位や権威を守ろうとする

自己保身

だったのです。

まとめ

今回のテーマは前回に引き続いて「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか?」。その中でも特にイエスが十字架で死んだ政治的・ユダヤ教的理由を見てきました。

イエスが十字架で死んだ政治的理由を理解するために着目した人物はポンテオ・ピラト。彼は時のローマ皇帝ティベリアスからユダヤ地方の総督に任命されていました。そして、ピラトがイエスを十字架刑に処した理由はローマ帝国への反逆罪に対する罰を与えるため。

対して、イエスが処刑されたユダヤ教的理由は神への冒涜罪に対する罰を与えるため。そして、その判決に関わったのは大祭司カヤパ、祭司長たち、長老たち、律法学者たちといった宗教指導者層の人々

しかし、それらの理由はあくまでも表向きの理由。

その背後にあった本当の理由は主として、自分たちの地位や権威を守ろうとする

自己保身。

言うなれば、

時の政治的・宗教的指導者が「正義」や「愛」を追求した結果ではなく、彼らの自己保身のために無実の罪を背負わされ、その当時「最も残酷で屈辱的な処罰(a most cruel and ignominious punishment)」18を受けたのがイエス・キリストだったのです。

三回シリーズの最終回となる「3.イエスが十字架で死んだキリスト教的理由・意味」については、下記をご覧ください。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。

参考文献および注釈

  • Basser, H. W. “PRIESTS AND PRIESTHOOD, JEWISH.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.
  • Blomberg, Craig L. Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey. Second edition. Nashville, Tenn.: B & H Academic, 2009.
  • Carson, D. A. The Gospel According to John. Reprint edition. The Pillar New Testament Commentary. Leicester, England; Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990.
  • Cicero, Marcus Tullius. “Against Verres,” translated in 1903. Wikisource.
  • Dennis, J. “DEATH OF JESUS.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
  • Edwards, James R. The Gospel According to Mark. The Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Apollos, 2002.
  • Evans, Craig A. “CAIAPHAS OSSUARY.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.
  • Jacobs, Joseph, Kaufmann Kohler, Richard Gottheil, and Samuel Krauss. “JESUS OF NAZARETH.” Jewish Encyclopedia. New York, NY.: Funk & Wagnalls Co., 1904. Accessed December 26, 2017. http://www.jewishencyclopedia.com/articles/8616-jesus-of-nazareth.
  • Lucian of Samosata. “Lucian of Samosata : The Passing of Peregrinus.” Translated by A. M. Harmon. Accessed December 21, 2017. http://www.tertullian.org/rpearse/lucian/peregrinus.htm.
  • Philo. “On the Embassy to Gaius,” n.d. Wikisource.
  • Rapske, Brian M. “ROMAN GOVERNORS OF PALESTINE.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.
  • Schäfer, Peter. Jesus in the Talmud. Princeton, N.J.; Woodstock, Oxfordshire: Princeton University Press, 2007.
  • Tacitus. “The Annals (From the Passing of the Divine Augustus).” Translated by Alfred John Church and William Jackson Brodribb, Translated in 1876. Wikisource.
  • Thompson, J. A. “SANHEDRIN.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  • Twelftree, G. H. “SANHEDRIN.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
  • Wheaton, D. H. “PILATE.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  1. Lucian of Samosata, “Lucian of Samosata : The Passing of Peregrinus,” trans. A. M. Harmon, 13, accessed December 21, 2017, http://www.tertullian.org/rpearse/lucian/peregrinus.htm.
  2. D. H. Wheaton, “PILATE,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 929.
  3. 詳細は下記を参照。Brian M. Rapske, “ROMAN GOVERNORS OF PALESTINE,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 981.
  4. Philo, “On the Embassy to Gaius,” n.d., 38. 303, Wikisource.
  5. Ibid., 38. 302.
  6. この議会は真夜中に召集されているため、通常は日中に開かれる最高法院(Sanhedrin)の前の予備審議的な位置づけと考えられる(比較:マルコの福音書14章53節と15章1節)。G. H. Twelftree, “SANHEDRIN,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 1064.
  7. J. Dennis, “DEATH OF JESUS,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 176.
  8. Craig A. Evans, “CAIAPHAS OSSUARY,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 179.
  9. H. W. Basser, “PRIESTS AND PRIESTHOOD, JEWISH,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 826.
  10. J. A. Thompson, “SANHEDRIN,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 1060.
  11. Rapske, “ROMAN GOVERNORS OF PALESTINE,” 981.
  12. Craig L. Blomberg, Jesus and the Gospels: An Introduction and Survey, second edition. (Nashville, Tenn.: B & H Academic, 2009), 432–433; ユダヤ教の人々のイエス理解についての詳細は下記を参照。Joseph Jacobs et al., “JESUS OF NAZARETH,” Jewish Encyclopedia (New York, NY.: Funk & Wagnalls Co., 1904), accessed December 26, 2017, http://www.jewishencyclopedia.com/articles/8616-jesus-of-nazareth.
  13. Blomberg, Jesus and the Gospels, 138, 153, 171, 197.
  14. 参考まで、7世紀ごろに編纂されたと言われるバビロニア・タルムード(Babylonian Talmud)という書物には、イエスは魔術を行い、人々を惑わして偶像礼拝(神以外のものを拝むという意味で、神への冒涜行為とも理解される)をさせようとしたために処刑された(十字架刑ではなく、石打ちで殺された後に木につるされた)と記されている。Peter Schäfer, Jesus in the Talmud (Princeton, N.J.; Woodstock, Oxfordshire: Princeton University Press, 2007), 64ff.
  15. 詳細は下記を参照。James R. Edwards, The Gospel According to Mark, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids, Mich.: Apollos, 2002), 343–345.
  16. ここには少なからず「ねたみ」の感情もあったと思われます。事実、総督ピラトは祭司長たちがねたみからイエスを訴えたことを知っていたと記している箇所(マルコの福音書15章10節)があります。
  17. 詳細な解説は下記を参照。D. A. Carson, The Gospel According to John, Reprint edition., The Pillar New Testament Commentary (Leicester, England; Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990), 420–421.
  18. Marcus Tullius Cicero, “Against Verres,” translated in 1903, 2. 5. 64. 165, Wikisource.
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