「闇の中の光」:2019年12月1日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です。

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導入

「平和ボケ」しているといわれることもある日本ですが、世の中から暗いニュースが無くなることはありません。

自然災害や異常気象による被害、

政治家や大企業のトップたちの不祥事、

職場での過労死、パワハラ、セクハラ、マタハラ、

学校内のいじめや家庭におけるDVに幼児虐待など。

気が滅入ってしまう暗いニュースばかりです。

今日はこの暗い世の中にあって明るい光を輝かせてくださるお方について、共に学びたいと思います。

神の恵みがもたらす光

今日の聖書個所にはイザヤという預言者が紀元前700年頃に語った預言が記さています。

その当時、北イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅ぼされようとしていました

他民族によって自分たちの住んでいた国が侵略される

これ以上の悲劇・惨劇はないと言って良いかもしれません。

でも、

なぜ神の民であるはずのイスラエル民族が他民族の侵略を許すことになってしまったのでしょうか?

その理由は、彼らがおごり高ぶって神様に立ち帰らず(イザヤ書9章7-12節)、神様を無視して悪を行い(9章16節)、不正や略奪の限りを尽くしていた(10章1-2節)からだと聖書は語ります。

そんなイスラエル民族に対して、神様は異民族であるアッシリアを用いて裁きをくだそうとされていた訳です(10章3-4節)。

ある意味、イスラエル民族の不徳・悪行が招いた当然の報いとして、彼らは異民族から辱めを受け(8章23節)、暗闇の中を歩くことになってしまった。

にもかかわらず、神様はイスラエルに光をもたらし、深い喜びと大きな楽しみを与えると約束されています(9章1-2節)。

神様の恵み以外の何物でもありません

神の熱意がもたらす光

神様に従わなかったイスラエルの民が当然の報いとして受けていた悲惨な状況から彼らを救い出すため、

絶望の闇の中を歩んでいる人々に光をもたらすため、

辱めや悲しみを喜びと楽しみに変えるため、

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。【イザヤ書9章5節】

出典:共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』(日本聖書協会、2010年)(旧)1074頁1

とイザヤは預言します。

しかもその子には権威があって、神様に等しい特別な存在であることがほのめかされています(比較:イザヤ書10章21節)。

さらにイザヤは、そのみどりごがイスラエルの王となって、正義と恵みの業によって永遠に治めることが預言します(9章6節)。

このみどりごこそが聖書の語る全人類のメシア(救い主)です。つまり、

神様はメシア(救い主)をこの世に生まれさせ、彼を通して絶望の闇の中を歩んでいる人々に光をもたらし、辱めや悲しみを喜びと楽しみに変えると約束されている

訳です。そして、その約束は「万軍の主」と形容される偉大な全知全能の神様の「熱意」によって、必ずや果たされると聖書は宣言します(6節)。

そこに表れているのは私たち人類を何があっても救い出すという神様の熱意・決意、また私たちを愛してやまない神様の姿ではないかと思います。

神の主権がもたらす光

このイザヤ書の預言はメシア(救い主)であるイエス様の誕生によって成就されました(完全な成就はイエス様の再臨を待つ必要があります)。

けれども、その預言の成就までには約700年という年月が経っていました。

神様は絶対的な主権をもったお方ですから、御自分が約束なさったことを必ず果たされます。しかし、多くの場合、

神様が約束を果たされるタイミングは私たちの想像と理解を超えたもの

です。神様が約束を果たされるタイミングだけでなく、

その手段・方法もまた私たちの想像をはるかに超えたもの

です。イザヤ書の預言を成就するため、

神御自身が人となって地上に来られ、私たち人間の罪をその身に背負って十字架に架かり、死んでよみがえられました。

それによって、

永遠の滅びに至る闇の中にあった私たちがイエス様を信じる信仰によって永遠の命を得ることができるようになりました。

神様・イエス様は私たちの想像と理解をはるかに超えた方法で闇の中の光となられたのです。

結論

神様はどんなことがあっても絶対に私たちを見捨てることをなさらない恵み深いお方です。

たとえ私たちが神様に対しておごり高ぶり、神様を無視して自分たちの好き勝手に歩んだ結果、暗い闇の中を歩むことになったとしても、です

神様はどんなことがあっても絶対にイエス様を信じる私たちを永遠の滅びに至る闇の中から救い出してくださるお方、それほどまでに強い熱意をもって私たちを愛してくださっているお方です。

事実、闇の中の光となるため、子なる神イエス様が人となってこの世に来られ、十字架で死んでよみがえられたのです。

神様はどんなことがあっても絶対に御自分の御計画を果たすことができる全知全能な主権者です。

ただ、その御計画を果たすためのタイミングと手段・方法は私たち人間の想像と理解をはるかに超えたものです。

神様の前に格好をつける必要はありません。下手に気を遣って、空気を読む必要もありません。神様は私たちの心の内を全てご存知だからです。

神様の前にありのままの自分をさらけ出して自分の罪深さを告白し、神様・イエス様のために自分の人生をやり直したいと、ただただ神様の憐みにすがるとき、神様の霊である聖霊があなたのうちに住んでくださいます。
あなたはもはや闇の中を歩くことがなく、イエス様という光を得て、イエス様と共に新しい人生を歩み始めています。

ひょっとしたら、その「光」は自分が思い描いていたような光り方をしてくれないかもしれません。

その光の示す道に戸惑うことがあるかもしれません。

しかし、

その光こそがあなたに命を与え、この暗い世の中にあって、あなたが最もあなたらしく光り輝くことのできる生き方を示してくれる光

なのです。イエス様はおっしゃっています。

わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。【ヨハネによる福音書8章12節】

出典:共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』(日本聖書協会、2010年)(新)181頁

参考文献および注釈

  • Oswalt, John N. Isaiah. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2003.
  • Smith, Gary V. Isaiah 1-39. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: B & H Pub Group, 2009
  1. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき』から引用。
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