「救いをもたらす神」:2021年10月3日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です。

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導入

Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)では2021年の1月からローマの信徒への手紙からの説教を続けてきましたが、今日がその最終回となります。

今日の聖書個所には手紙全体の主要なテーマに関わるキーワードが幾つかちりばめられています。

今日はそれらのキーワードを足掛かりとしながら、手紙全体の内容を振り返りたいと思います。そして、

パウロが当時のローマのクリスチャンたち、そして現代に生きる私たちに伝えたかったことは何か?

を共に考えていきましょう。

福音によって強める神

まず一つ目のキーワードは「福音」です。

「福音」というと、まだイエス様を信じていない人が聞くものと考える人がほとんどではないでしょうか。

しかしながら、ローマの信徒への手紙16章25節でパウロは、

イエス様を既に信じている人たちを神様が福音によって強める

と言っています。でも

なぜ福音によって、私たちクリスチャンは強められることができるのでしょうか?

その答えのヒントがローマの信徒への手紙1章16節にあります。そこでパウロは、

福音は信じる全ての人に救いをもたらす神様の力

だと言っています。

聖書の語る「救い」には3つの側面があります。

一つ目はイエス様を信じたときにもたらされる「救い」です。これは

イエス様を信じる信仰によって、全ての罪が赦され、神様の前に義と認められ、神様の子供とされること

です(ローマの信徒への手紙3章21-25節; 8章14-17節)。

二つ目の「救い」の側面はイエス様を信じた後のクリスチャン生活の中にみられるものです。これは

イエス様を信じた者のうちに住む聖霊の助け・力によってイエス様に似た者へと変えられていくこと

です(コリントの信徒への手紙二3章18節;比較:ローマの信徒への手紙6章4-11節; 8章4-11節; 12章2節)。

三つ目の「救い」の側面はイエス様が再び来られる世の終わりのときにもたらされる完全な救いです。

イエス様が再びこの世に来られるとき、イエス様を信じる者はイエス様が復活されたときにもっていた「栄光の体」をもってよみがえり、新天新地で神様と共に永遠に生きる

ようになります(フィリピの信徒への手紙3章20節;コリントの信徒への手紙一15章51-55節;ヨハネの黙示録21章1-5節;比較:ローマの信徒への手紙8章19-23節; 13章11節)。

神様がイエス様を既に信じている者たちを福音によって強めるというのは「救い」の二つ目の側面である「キリストに似た者へと変えられていくこと」と関係があります。

なぜなら、

私たちは福音を聞くことで、自分たちが神様の恵みによって生かされていること、神様の恵みによって生きるしかないことに気付かされる

からです。人は自分が神様の愛と恵みと憐れみによって生かされていることに気付かされるとき、

自らの弱さを素直に認める

ようになります。

神様の霊である聖霊の助けにすがる

ようになります。

自分の内に住む聖霊から力を受け(神様に強められ)、キリストに似た者へと益々、変えられていく

ようになります(比較:コリントの信徒への手紙二12章9節)。

信仰による従順へと導く神

私たちは福音によって、神様の恵みによって生かされていること、神様の恵みによって生きるしかないことに気付かされます。

そしてそれまで以上に聖霊の力・助けにより頼むようになるとき、

私たちはイエス様のように神様に対して従順な者へと変えられていきます(フィリピの信徒への手紙2章6-8節)。

パウロはこの姿を「信仰による従順」という言葉で表現しています(ローマの信徒への手紙16章26節;比較:ローマの信徒への手紙1章5節)。これが二つ目のキーワードです。

福音を聞き、イエス様を信じる信仰によって、全ての罪が赦され、神様の前に義と認められ、神様の子供とされる。

これは、クリスチャンとして生きる人生のスタート地点であって、ゴールではありません。

イエス様を信じて終わりではない

のです。ある意味、信じてからが本番だと言えます。私たちが

この世で生きている間の目標・ゴールはイエス様に似た者へと変えられていくこと
イエス様のように、自分中心ではなく神様を中心として、聖霊の助けを受けながら神様の望まれる生き方を全うすること

です。その生き方を可能にする原動力は「救い」をもたらす神の力、福音です。

知恵ある唯一の神

福音によって強められ、キリストに似た者へと変えられていく。

これは私たちの努力や才能によるものではありません。

知識や経験によるものでもありません。

血縁関係や人間関係によるものではありません。

全ては一方的な神様の愛と恵みと憐れみによるものであって、神様の壮大な救いの御計画の一部

です。この

神様の壮大な御計画の中核をなすのが救い主イエス様の十字架と復活

です。
神様の救いの御計画の全貌は、この世の知恵や常識、人間の知識や経験では想像することさえできませんでした(参考:使徒言行録2章31-36節;ローマの信徒への手紙9章30-33節; 10章18-21節)。

けれども、今やその

救いの御計画が三位一体の神様御自身の手によって明らかにされ、完全に実現されようとしています。
神様の知恵と知識は人知をはるかに超えたもの

です(11章33-36節)。しかも、

人知を超えた知恵と知識を持つ神様は御自分の救いの計画を必ず果たす絶対的な主権を持ったお方

でもあります。それ故パウロは、

全ての栄光が神様にあるように

という祈りをもって手紙を締めくくるのです(16章27節)。

結論

福音は信じる全ての人に救いをもたらす神の力

です。福音によって、

私たちはもう既に与えられている神様の愛と恵みと憐れみに気付かされるようになります。

自分の弱さを素直に認めることができるようになります。

神の霊である聖霊の助けにすがるようになります。

聖霊の働きによって、イエス様に似た者へと変えられていくようになります。

私たちは一方的な神様の愛と恵みと憐れみによって救われる

のです。

この神様の壮大な救いの御計画が三位一体の神様御自身の手によって明らかにされました。

その救いの御計画は、イエス様が再びこの世に来られるとき、神様の手によって完全に実現されます。

イエス様を信じる私たちにできることは、この

偉大な神様をほめたたえる

ことです。そして

聖霊の助けにすがりながら、イエス様のように神様の望まれる生き方を全うする

ことです。

その具体的な生き方に関しては、例えば、ローマの信徒への手紙の12章から15章を参照してください。そこに書かれていることが全てではありませんが、神様の望まれる生き方がどのようなものかを知るヒントが与えられるはずです。

ただし、ここで絶対に忘れてはいけないことが一つあります。

それは福音です。

神様は、あなたが神様の役に立つからあなたを愛してくださる訳ではありません。

教会でたくさん奉仕をしたから愛してくださる訳でもありません。

周りの人をたくさん愛したから愛してくださる訳でもありません。

誘惑にたくさん打ち勝ったから愛してくださる訳でもありません。

互いに相手を受け入れたから愛してくださる訳でもありません。

毎週欠かさず礼拝に出席したから愛してくださる訳でもありません。

神様はあなたが何をしようとも、どこにいようとも、いつも変わらずにあなたを愛し続けてくださっています。
神様はあなたのことを無条件で愛してくださっている

のです。事実、神様はあなたが神様を知らなかったときや敵対していたときでさえ、あなたのことを愛してくださっていました。その

神様の無条件の愛が表されているのがイエス様の十字架

です(ローマの信徒への手紙5章8節)。

私たちが信じて救われるのは神様の恵みです。
信じた後に聖霊の働きによってイエス様に似た者へと変えられていくのも神様の恵みです。
イエス様が再びこの世に来られるとき、栄光の体をもってよみがえり、神様と共に永遠に生きるようになるのも神様の恵みです。

罪にまみれていた私たちが聖霊の働きによって内側から造り変えられ、最終的には栄光の体を与えられる。その意味で私たちは皆、「神の作品」です(エフェソの信徒への手紙2章10節)。

他の人とその出来栄えを比べる必要はありません。
皆が同じ神様によって造られた唯一無二の存在

だからです。

その出来栄えを比べて優越感に浸ったり不平不満を言ったりするのは、創造主なる神様をけがすことにもなります。

大事なことは、

神様の恵みによって既に与えられているものに感謝しつつ、神様がそれぞれに望まれている生き方・使命を全うする

ことです(参考:マタイによる福音書25章14-30節)。

今の世の中は消費社会です。

こちらが望んでいなくても周りの人と比べさせられる社会です。

自分が持っていないもの、経験したことがないことに目を向けさせられる社会です。

それによって、少しでも多くのモノやコトを消費させようとする社会だからです。

その結果、私たちは皆、自分が持っていないモノやコトに非常に敏感になってきます。

持っていない自分に劣等感を感じたり、嫌悪感を覚えたりすることさえあるかもしれません。

でも

神様は持っていないあなたを責めたり、嫌いになったりするお方ではありません。

あなたが何かを持っているかどうか、何かをしたかどうかは関係ありません。

神様はあなたのありのままを受け入れ、愛してくださるお方

です。

持っていないものではなく、もう既に与えられている神様の愛と恵みと憐れみに目を向けてください。
あなたは神様が誇りに思う唯一無二の「神の作品」

なのです。全ての栄光が神様に世々限りなくありますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
    • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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