「真実の原動力」:2022年10月30日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

皆さんの中で

人生において一度も嘘をついたことがないという方はいらっしゃいますか?

一口に「嘘」といっても色々とありますが、誰しも何らかの噓をついた経験はあるのではないかと思います。

その意味で、嘘・偽りに関する今日の説教個所はとても気になる箇所だと思います。

今日の聖書個所に記される

十戒の九つ目の戒め(言葉)を通して、神様とはどのようなお方で、私たちにどのように生きることを望んでいらっしゃるのか?

を確認していきたいと思います。

真実な証言

まず今日の聖書個所となる出エジプト記20章16節を読んでみて

「嘘をついてはならない」ではなく、

やや具体的に「隣人について偽りの証言をしてはならない」

とあるのを不思議に思われた方がいらっしゃるかもしれません(比較:レビ記19章11節;コロサイの信徒への手紙3章9節)。

その理由の一つは恐らく、

当時のイスラエル民族の社会において「証言」という行為が非常に重要な意味をもっていた

からだと思われます。実際、

当時はちょっとした日常のことでも裁判のようなものが行われていた

ようです(参考:出エジプト記18章25-26節)。

また、当時は今のように録音・録画したり、写真を撮ったり、DNA鑑定したりといった技術はもちろんありませんから、

人々の抱える問題の真偽を確かめるのはもっぱら人の証言に依存していた

であろうことは容易に推察できます。

日常のちょっとした問題解決のために裁判が開かれ「証言」が求められていたであろうことは、十戒以外の個所でも偽りの証言をしてはならないことに関する規定が記されていることからも推測ができます。

例えば、出エジプト記23章の1-3節と7-8節を見ると、

悪い人にそそのかされて偽りを言ったり、
周りのプレッシャーに負けて真実を曲げたり、
賄賂をもらって虚偽の発言をしたりすることが禁じられています。

また、出エジプト記23章の3節と6節には、

社会的に立場の弱い人だからといって、真実を曲げてまで守る必要はない

ことも明記されています(比較:レビ記19章15節)。

神様が喜ばれるのはあくまでも真実な証言

です(参考:申命記19章15-21節)。

真実な神

なお、出エジプト記20章16節において、偽りの証言をしないことの対象は「隣人について」となっています。

これは文字通り、自分の隣に住んでいる人のことではなく、

その人と面識があるなしに関わらず「誰に対しても」

といった意味合いの言葉です。では、

なぜ神様は誰に対しても偽りの証言をしてはならないという戒めをイスラエル民族にお与えになったのでしょうか?

それは、

神様というお方が偽りを嫌う真実なお方だから

だと言えます(参考:ローマの信徒への手紙3章4節;ヨハネによる福音書8章44節)。

神様というお方は偽りを嫌う真実なお方だから、その神様の民も同じく偽りを嫌う真実な民であってもらいたい

その神様の願いが出エジプト記20章16節の戒め(言葉)に込められていると言えます(比較:レビ記19章2節)。

真実の愛

ここで一つ考えてみたいことがあります。

それは、

どんな相手に対しても偽りの証言をせずに真実を語ることは、その人を愛することと関係があるか?

ということです。

なぜここで突然「愛」の話が出てきたかというと、

神様を全身全霊で愛すること、および隣人を自分のように愛することに律法全体がかかっている

とイエス様がおっしゃっているからです(参照:マタイによる福音書22章36-40節)。

神と人とを愛することに律法全体がかかっているということは、

十戒も含めた全ての律法は最終的に神と人とを愛することに行き着く

ということです。実際、

十戒の最初の四つは特に神様を愛すること、残りの六つは特に人を愛することの具体例

だと理解できます。

それでは、です。

どんな相手に対しても偽りの証言をせずに真実を語ることは、その人を愛することの一つの具体例だと本当に言えるのでしょうか?

一見すると、その人のことを愛していれば、偽ることなく真実を語るのが当然なように思います。

でも、例えば、自分の肉親(親、兄弟、姉妹、息子、娘など)に対して不利な証言をすることになる場合、誰もが真実を語ることを躊躇すると思います。

真実を偽っても相手のためになる証言をする、それがその人を「愛する」ことだ

と考える人もいらっしゃるかもしれません。

けれども聖書は、

愛と真実を切り離すことは出来ない
たとえその人を愛していたとしても真実を偽ってよい(偽りの証言をしてよい)ことにはならない

と教えます(参考:コリントの信徒への手紙13章6節)。

事実、もしもの話ですが、人を愛することは偽りの証言をすることも許すとするのであれば、愛なる神様は人を愛するが故に偽りの証言をしてよいということになります。

そうなれば、人は罪の罰を受ける必要がなくなり、全ての人が救われることになります。

それはつまり、イエス様が十字架で死ぬ必要もなくなることを意味します。

しかしながら、実際のところ、

愛なる神様は人を愛するが故に偽りの証言をすることはなさいませんでした。

そして、それで終わりではなく、

愛なる神様は人を愛するが故に自らの命を賭して、人をその罪の罰から救われた

のです。ここに聖書の教える真実の愛が表されています。

結論

神様は真実な証言を喜ぶ真実なお方

です。そのため、その

神様の民もまた真実な証言を喜ぶ真実な民であってもらいたい

と神様は願っておられます。

どんな理由・目的があるにせよ、真実を曲げてまで、ある特定の人を守ったり、貶めたりすることを神様は望んでおられません。

神様自身、愛する人間のために真実を曲げることをなさいませんでした。

そのために、愛する人間が皆、罪の罰を受けることになったとしても、です。

しかし、

人間を愛してやまない真実な神様は真実を貫き通すと同時に、自らの命を十字架に献げることによって、人間をその罪の罰からお救いになられました。

そこに真実の愛が表されています。

現代の日本に生きる私たちにとって、裁判の席に立って証言をするという機会はほぼ無いかもしれません。

しかしながら、

偽りを嫌う真実な神様はイエス様を信じて神様の民とされた私たちにもまた偽りを嫌う真実な民であってもらいたいと願っておられます。

その中には互いに嘘をつかないことも含まれます。

パウロはコロサイの信徒への手紙3章9-10節で互いに嘘をついてはならないと勧めるだけでなく、

イエス様を信じた人はそれまでの生き方(「古い人」)を改め、神様に喜ばれる新しい生き方(「新しい人」)、即ち、イエス様のように生きる

ことを勧めています。ここで注意すべき大事なことは、

私たちの努力によってイエス様のように生きるのではなく、聖霊の助け・働きによってイエス様のように変えられていく

ということです。

とはいえ、実際問題、日常生活の中で嘘偽りを言うことなく真実を語るというのは決して簡単なことではありません。

あなたにとって、真実を語るのを難しくしているものは何でしょうか?

本当のことを言うと関係が悪くなるかもしれないという恐れ・不安でしょうか。

真実を語ることによって面倒・厄介な事が増えるのが嫌だという無気力・無関心でしょうか。

ラクして儲けたい、自分をよりよく見せたいという利己的な欲求・欲望でしょうか。

いずれの場合であれ、

見習うべきはイエス様

です。

イエス様は愛に満ちたお方ですが、その愛の故に時には人々に厳しい真実の言葉を語りました。

それを聞いた人たちの中にはイエス様を憎んで殺そうとする人たちもいたほどです。

それでも、イエス様が真実を語るのを止めなかったのは

人々を愛しておられたから、イエス様の言葉を聞いた人々が悔い改めて神様の下に立ち返ることを願っていらっしゃったから

です。そして、そのために起きる面倒や厄介事をイエス様は愛をもって耐え忍ばれました。

さらにイエス様はラクして儲けたり、自分をよりよく見せたりするために嘘をつくこともしませんでした。

それは、

父なる神様はどんなことがあっても自分を完全に受け入れ愛してくださっているという現状・事実に満足していたから

です。

イエス様は人々を愛していたからこそどんな面倒・厄介事に巻き込まれても真実を語り続け、
神様に愛されていたからこそ真実を曲げてまでも自分の利益を求めようとはしなかった

訳です。

まずは

神様・イエス様に愛されていることを体感した上で、聖霊の助けにすがりながらイエス様のように神様と人とを愛する

そこに真実に満ちた生き方があります。

その意味で、

真実の原動力は愛

だと言えます。今一度、

イエス様の十字架に示されている神様の真実の愛を思い起こしてください。

そして、

神様・イエス様に愛されているように、真実をもって周りの人たちを愛していくことが出来ますように。

参考文献および注釈

  • Alexander, T. Desmond. Exodus. Apollos Old Testament Commentary. London: IVP, 2017.
  • Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
  • Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.
  • Wright, Christopher J. H. Exodus. The Story of God Bible Commetary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Academic, 2021.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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