「現状に満足できるかどうか」:2022年10月23日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

現代の世の中は消費社会です。

次から次へと新しいモノが生み出され、如何にして人々にたくさんモノを買ってもらうかが社会の中心にあると言っても過言ではありません。

この消費活動を営むためには、当然のことながら、対価(お金)を支払う必要があります。

対価なしに利益を得ることがあるとすれば、そこには何らかの不正、「盗み」が生じていると疑われてもおかしくない世の中だと言えます。

その意味で、今日の聖書個所にある「盗んではならない」という戒め(言葉)は現代の消費社会に生きる私たちにとって特に関係の深い戒めだと言えます。

今日は、この「盗んではならない」という戒め(言葉)を通して、

聖書の神様はどのようなお方か、また神様が現代の消費社会に生きる私たちにどのように生きてほしいと願っていらっしゃるか

を共に学んでいきたいと思います。

人を尊び愛する神

出エジプト記20章15節に出てくる「盗む」というヘブル語(動詞)は他の聖書個所において、お金やモノ(出エジプト記22章6, 8節)、家畜(22章3節)だけでなく人を盗む(誘拐;21章16節)場合にも用いられています。

そして、

モノを盗んだ場合はモノで償い(出エジプト記21章37節; 22章3, 6, 8節)、人を盗んだ場合はその命をもって償う(21章16節)

ように定められています。

なお、当時の他の地域ではモノを盗んだ場合でも死刑にされるところもあったようです。このことから、明らかに

聖書の神様は人の命をモノよりも尊んでおられる

ことが分かります。また、他の地域では、モノを盗まれた人の身分や盗人の性別によって刑罰の内容が変わることもあったそうですので、

聖書の神様は身分や性別によらず平等に人を扱っておられる

と言えます。

神様は世の全ての人々を分け隔てなく尊び、愛しておられる

ことが分かります。

それにしても、

なぜ神様はイスラエル民族に「盗んではならない」と命じられたのでしょうか?

その理由の一つとしては、

神様が人に所有物を持つことをお許しになっているから

ということが挙げられます。

実際、

「盗む」という行為が意味を成すのは誰かが何かを所有しているとき

です。

神様が「(他の人に属するモノ・ヒトを)盗んではならない」というとき、神様は私たち人間が何かを所有することを許しておられるということになります。

そこにもまた人を尊び、愛しておられる神様の姿を見ることが出来ます。

人に被造物を委ねる神

でも、

なぜ私たちはわざわざ神様から何かを所有する許可を得る必要があるのか?

と疑問に思われる人がいらっしゃるかもしれません。

その理由は、

そもそものところ、この世の全てのものは造り主なる神様のものだから

です。

神様は天地万物を創造された後、アダムとエバに

神様の代理者として、この地を愛と正義をもって正しく優しく思いやりをもって管理・ケアするように

お命じになりました(創世記1章28節)。

神様から任せられたモノをそれぞれが正しく優しく思いやりをもって管理・ケアする社会

それが神様の望まれる社会の在り方です。

その実現のために人はモノを所有することを神様から許されているということになります。

自分のモノだからといって、自分の好き勝手に扱ってよい訳ではありません。

実際、出エジプト記に出てくるイスラエル民族にとって、彼らがこれから手に入れようとしている約束の地カナンもまた神様から与えられた土地でした。

土地は全て神様のもので、イスラエル民族はその土地の管理・ケアを任されている寄留者・滞在者

に過ぎませんでした(参照:レビ記25章23節;参考:申命記19章14節)。

人に祝福を与える神

神様はイスラエル民族に約束の土地カナンの管理・ケアを任せるだけでなく、

イスラエル民族が神様に聞き従うならば、その土地において様々な祝福をお与えになる

とも約束しておられます(参照:申命記28章2節)。これは裏を返せば、

私たちの所有するもの(私たちに属するモノや人)は、それらを正しく優しく思いやりをもって管理・ケアするようにと神様から与えられた祝福

だと言えます。だとすれば、

他の人のものを盗むという行為は、その人に神様が与えられた祝福を奪い取る行為

とみることができます。

神様がお与えになった祝福を他の人が奪い取ることを神様は決して喜ばれません。

結論

聖書の神様は人の命をモノよりも尊ばれるお方、全ての人を分け隔てなく愛しておられるお方

です。

また神様は私たちを通して愛と正義に満ちた社会を実現するため、ご自分が創造されたものを私たちに委ねてくださいました。

神様は私たち人間に神様の代理者として、この地を正しく優しく思いやりをもって管理・ケアするように望んでおられます。

この意味において、私たちに属するモノや人は、私たちの自由にしてよいものではなく、正しく優しく思いやりをもって管理・ケアするようにと神様から与えられた祝福と言えます。

この神様が与えてくださった祝福を他の人が奪い取る(盗む)ことを神様は喜んでおられません。

と言われるまでもなく、恐らく誰もが「盗んではならない」「盗みはよくない」と頭(直感や良心)では理解していると思います。

問題は、

頭では分かってはいても、実際問題、「盗みたい」「ラクして何かを手に入れたい」という衝動を抑えるのが難しい

ところだと思います。では、

日々の生活におけるちょっとした盗み(ごまかし)の衝動・誘惑に打ち勝つためにはどうすればよいのでしょうか?

私たちの日々の生活において「盗んではならない」という戒め(言葉)を守るための一つのカギは

現状に満足できるかどうか

だと思います。

現状に満足してれば、他の人のものを盗みたいと思うことはないからです。

パウロはフィリピの信徒への手紙4章11-13節で、

パウロを強めてくださる神様のおかげで、貧しいときや豊かなとき、ありとあらゆる境遇にあって満足することができる

と言っています。パウロがありとあらゆる状況に満足する秘訣を学ぶことができたのは、恐らく、彼の人生の長きにわたって、神様が少しずつ教えてくださったからだと思います。

実際パウロは、

たとえ自分の願いがかなえられず、様々な苦難や困難を経験することがあったとしても、神様の恵みは十分である

と気づかされた体験を告白しています(参照:コリントの信徒への手紙二12章7-10節)。

どんな状況にあったとしても、神様の恵みは十分であることを覚え、弱い私たちを強めてくださる神様の力により頼む

それが現状に満足する秘訣だと言えます。

とは言われても

パウロは特別だからできるかもれないけど、私には無理だ…

と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

特に自分の欲しいもの・願うものが手に入らないとき、神様の恵みが十分だとは到底、思えないという方は少なくないと思います。

そんなときは、

神様は私たちの欲しいもの・願うものではなく、私たちに必要なもの、神様の目から見て私たちに良いもの(神様の御心にかなったもの)を与えてくださるお方

だということを覚えていただきたいと思います(参照:ヨハネの手紙一5章14節;ヤコブの手紙4章3節)。

神様の恵みは、私たちに必要なもの、神様の目から見て私たちに良いものを与えてくださるという意味において、十分

なのです。

最後に、どんな状況にあっても満足できるようになるためには、

神様は既に私たちに最も必要かつ重要なものを与えてくださっていることを覚える

必要があります。私たちに最も必要かつ重要なもの、それは他でもない、

イエス様の十字架と復活によってもたらされる救い

です。

イエス様が十字架で死んでよみがえってくださったのは、

神様の下を離れ、一人寂しくさまよっていたあなたを神様の下に連れ戻すため
自分は何もできない、誰にも必要とされていないと自暴自棄になっているあなたに、あなたの本当の価値を気付かせるため
頼れるのは自分だけだと、誰も信頼せず弱い自分を偽りながら心をすり減らせているあなたに、ありのままの自分でも受け入れられていることを知らせるため

です。

あなたが何か特別なことをしたからではありません。

特別な才能をもっているからでもありません。

ただ

あなたの存在そのものが何物にも代えがたいほどに愛おしく、ご自分の命に代えても惜しくないほどに高価で尊い

ことを知ってほしい。そのために、

神様の独り子イエス様があなたの身代わりとして十字架で死んでよみがえられた

のです。

そのイエス様の救いの御業を信じるとき、

壊れていた神様との絆が回復し、あなたは神様の子供とされます。
イエス様がいついかなる時も共にいて、あなたを守り導いてくださるようになります。
聖霊があなたのうちに住み、あなたを内側からイエス様に似た者へと変えてくださるようになります。

そして、

イエス様が再びこの世に来られるときには、新しい天地で神様と共に永遠に生きる

ようになります。

これが私たち人間にとって最も必要かつ重要なもの、これに勝る神様の恵み(祝福)はありません。

この

はかり知れない神様の愛と恵みを覚え、神様から既に与えられているものに感謝しつつ、神様に委ねられているものを正しく優しく思いやりをもって管理・ケアしていくことができますように。

参考文献および注釈

  • Alexander, T. Desmond. Exodus. Apollos Old Testament Commentary. London: IVP, 2017.
  • Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
  • Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.
  • Wright, Christopher J. H. Exodus. The Story of God Bible Commetary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Academic, 2021.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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