神が共におられた人々③:ヤコブ―神の恵みと守り―

Jacob's Dream By William Blake - The William Blake Archive, Public Domain, Link

「神が共におられた人々」をテーマとした記事も今回が三回目となりました。第一回目は「イシュマエル」、二回目は「イサク」について、下記の記事で紹介しました。

神が共におられた人々①:イシュマエル―全人類に対する神の憐れみ―
神様にとって、いてもいなくてもどうでもよい存在の人は一人もいません。神様にとって、いてもらいたくない・いてはいけないという存在の人もいません。神様にとっては全ての人が唯一無二のかけがえのない存在、いついかなる時も共にいたいと思う存在なのです。
神が共におられた人々②:イサク―神の恵みと誠実さ
神様は、私たちが本来受けるに値しないものを無代価で惜しみなく与えてくださる恵み深いお方、私たちとの約束を必ず守る誠実なお方。大事なことは、この恵み深く、約束を必ず守る誠実な神様を信頼して、イエス様を信じ従おうとする信仰の一歩を踏み出すことができるかどうかです。

今回ご紹介するのはイサクの息子「ヤコブ」です。

神様はこのヤコブに「イスラエル」という名前を与えられます(創世記32章29節)。そして、彼の息子たちがイスラエルの12部族を形成していきます。

今回は現代の「イスラエル(ユダヤ)民族」の名前の由来となっている「ヤコブ(イスラエル)」の生涯を簡単に振り返りながら、聖書の神様について共に学びたいと思います。

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押しのけるヤコブ


Jacob offering a dish of lentils to Esau for his birthright By Zacarias Gonzalez Velazquez - http://www.1st-art-gallery.com/thumbnail/185390/1/Esau-Sells-His-Birthright-To-Jacob,-1790-1800.jpg, Public Domain, Link

聖書を読んでいて面白いというか不思議に思うことの一つに

「長男」という存在が意外に重要視されていない

ことがあります。

実際、最初の人アダムとその妻エバの長男カインは次男のアベルを殺害してしまい、神様から追放されてしまいます(創世記4章1-16節)。

今回の記事でご紹介する「ヤコブ」は双子の弟で、双子の兄のエサウは神様から弟ほどの祝福を受けることができません。

また、ヤコブの12人の息子たちの子孫から救い主(メシア)であるイエス様に連なる家系が出てきますが、その家系はヤコブの長男の子孫ではなく、妻レアとの間に生まれた4番目の息子ユダの子孫です(マタイの福音書1章1-16節)。

更に言えば、ダビデというイスラエルの有名な王もまた長男ではなく、家族に8人いた息子たちの中で最年少でした(サムエル記第一16章6-13節)。

聖書の中で長男が重要視されていないというのは当時の文化的背景を考えると尚更、その不思議さが増してきます。

というのも、古代ユダヤ社会では、日本も含めたほとんどの地域と同じく、長男の立場は特別視されていたからです。

実際、創世記に描かれる時代には「長子の権利」なるものがあり、

双子の弟ヤコブは双子の兄であり長男でもあるエサウから「長子の権利」を買い取った

ことが聖書に記されています(創世記25章29-34節)。1

ここでの「長子の権利」が具体的にどのような内容のものだったかは分かりませんが、長男は他の子供の二倍の遺産を相続したり(比較:申命記21章15-17節)、社会的にも宗教的にも一家の長として優位な立場にあったようです。2

聖書において長男があまり重要視されていない理由の一つとしては恐らく、

人間の血筋というものが神様の計画を成し遂げるためには重要でない

ことを伝えるためだと思います。つまり、

出自によらず、民族によらず、才能や努力によらず、あくまでも神様の恵みによって、イエス様を信じる信仰によって、人々は神様の子供とされる

ことを伝えようとしているのだと思います (比較:ヨハネの福音書1章12-13節;ローマ人への手紙9章6-16節)。

話をヤコブに戻します。

ヤコブは「長子の権利」を持っていた兄エサウから、その権利を何とかして奪い取る機会を絶えず狙っていたのではないかと思われます。

そんなとき、狩りから帰ってきて疲労と空腹のピークにあったエサウに対して、食事と引き換えに長子の権利を売り渡してくれないかとヤコブは迫ります。

いくらお腹が減っているからと言って、「長子の権利」を一回の食事と引き換えにする訳はないだろう!?

と思いたくなりますが、なんとエサウはそのヤコブの申し出を受け入れます。

そんなエサウを聖書は「長子の権利を侮った」と記しています(創世記25章34節)。

長子の権利を侮ったエサウも責められるべきところがあるでしょうが、お腹を空かせていた実兄に対して、長子の権利と引き換えに食事を提供しようとしたヤコブのずる賢さも決して褒められることではないと思います。

なお、この「ヤコブ」という名前の語根「アカブ」には「押しのける」という意味がありますから(「聖書 新改訳2017」の創世記27章36節の脚注)、3 その名前の指し示す通り、ヤコブは双子の兄エサウを押しのける人生を歩んでいたと言えます。

そして遂に、双子の兄エサウを押しのけながら歩んでいたヤコブの人生を特徴づける出来事が起きます(創世記27章)。

そのとき、父イサクは年老いて目が良く見えなくなっていました(27章1節)。

いつ死ぬかも分からない身を案じて、イサクは息子のエサウを祝福しようとします(2-4節)。

ここで少し補足説明。

この「祝福」というものは(旧約)聖書、特に創世記において、非常に特別なものでした。

その主な内容は、祝福を受ける人(およびその子孫)の幸福と繁栄を神様に請い願うものです(例:創世記27章27-29節;48章15-16節;49章1-28節)。

当時は文字を書くことのできる人が極めて少ない時代でした。このため、彼らにとっての口頭での約束(祝福)は、現在の私たちにとっての押印済みの契約書と同じくらいの重要性・意義をもっていました。4

一旦交わした口約束(祝福)は取り消すことができない

こととなります(比較:27章30-40節)。

イサクがエサウを祝福しようとしたのを知ったイサクの妻リベカは、エサウではなくヤコブが祝福を授けるべくイサクを騙す計画を企てます(27章5-13節)。

結果、ヤコブは、リベカとヤコブが共謀した策略にまんまと騙され、エサウではなくヤコブを祝福します(14-29節)。

ヤコブに祝福を奪われたこと知って激怒したのはエサウです。彼はヤコブを恨み、父イサクが死んだ後でヤコブを殺そうとまで思うようになります(41節)。

しかし、エサウがヤコブを殺そうとするほどに憎んでいることを知ったリベカは、その土地を離れてリベカの兄ラバンのもとに身を避けるようにとヤコブに勧めます(42-45節)。

エサウを押しのけて長子の権利と父からの祝福を奪い取ったヤコブは、その地(べエル・シェバ)を押し出されるようにして伯父ラバンの住むハランという場所に向かうことになります(28章1-5節)。

そして、そのハランへの途上でヤコブは生まれて初めて、神様との直接的な出会いを経験します。

守られるヤコブ

Esau and Jacob reconcile  By Francesco Hayez - The Yorck Project (2002) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., Public Domain, Link

ヤコブが目指すこととなったハランという場所は現在のシリアとトルコの国境近くにあり、ヤコブが住んでいたべエル・シェバからは直線距離だと約800キロメートルの場所にあります。道のりにすると1,000キロメートルほどの旅路となったかもしれません。

直線距離で800キロメートルというと東京から北は札幌、西は山口県の下関市くらいになります。もちろん、当時は飛行機も車もありません。徒歩で歩き続けたとすると20日ほど、ラクダで移動しても10日ほどの道のりになります。

このときのヤコブの年齢は正確には分かりませんが70歳代だったと思われます。5

えっ、70歳を超えて1000キロ近い道のりを旅したの?大変じゃない!?

と思われるかもしれません。しかし、ヤコブは147歳まで生きたと聖書は記します(創世記47章28節)ので、70歳とはいっても現代の70歳よりも若いイメージ(40歳くらい!?)だと思います。

いずれにしても、このときヤコブは独身で、ハランに住む親戚とは一度も会ったことがなかったようです(参考:創世記29章5-14節)。

しかも、母リベカに勧められたこととはいえ、

自分が父イサクを騙したせいで、実の兄から命を狙われるほど憎まれるようになってしまった挙句の逃避行

です。その道すがら、きっと様々な思いがヤコブの脳裏を駆けめぐっていたに違いありません。

お父さんを騙して兄さんから祝福を奪ったのはやりすぎだったかもしれないな…
兄さんが生きている限り、もうお父さん、お母さんと会うことはできないかもな…
無事にハランまでたどり着けるだろうか…
ラバンおじさんをハランで無事に探し当てることができるだろうか…
ハランの親戚たちと上手くやっていけるだろうか…
ああ、私の人生は一体これからどうなってしまうんだろう…
自分がしてしまったことに対する後悔や自責の念、これから何が起こるか分からない不安と恐れ、様々な考えや感情に押しつぶされそうになっていたかもしれない…

そんな状況にあって見た夢の中で、

ヤコブにとっては生まれて初めて、神様が彼に直接語り掛けられる

のです。まず

神様はヤコブが横になって眠っている土地を彼と彼の子孫に与えること、彼の子孫が増え広がること、彼の子孫を通して地上の人々が祝福されることを約束

されます(創世記28章13-14節)。

これらの約束は元々、神様がヤコブの祖父アブラハムと結ばれた約束です(比較:創世記12章3、7節;13章14-16節;22章17-18節;26章2-4節)。6

ヤコブの父イサクの時もそうでしたが、神様が上記の約束を果たされるのはヤコブが何か素晴らしいことをしたのご褒美ではありません。7

あくまでも神様がアブラハムと約束を交わしたことによりますので、ヤコブにしてみれば本来、

受けるに値しない一方的な恵み

です。

ヤコブの祖父アブラハムと交わした約束を繰り返された後、神様はヤコブにおっしゃいます。

見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。【創世記28章15節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉50頁


Jacob's Dream By Jusepe de Ribera - Galería online, Museo del Prado., Public Domain, Link

ヤコブは恐らく、人生で最も辛く不安な状況にありました。

愛する家族から離れて異国の地を目指す途上にあって、目的地まで無事にたどり着けるという保証はありません。

まだ一度も会ったことのない親類と上手く暮らしていけるかどうかも分かりません。

しかもそれは、(母と)自分が行った悪行(父と兄をだましたこと)が招いた結果の出来事です。

誰も責めることはできません。

そんな不安と恐れ、後悔と罪悪感の中にあって、彼を支えていたであろう唯一の拠り所は父イサクからの祝福だったと思います(参照:創世記27章27-29節;28章3-4節)。

お父さんが私を祝福してくれたんだから大丈夫。何とかなるさ…

しかしながら、人間は弱く不完全な存在です。

でも、この神様というお方は、お祖父さんとお父さんの話を聞いた事があるだけで、自分が実際に会ったことはないし…本当に本当に大丈夫だろうか…

そのような疑念がヤコブを捕らえていたとしても不思議ではありません。

と、そんなとき、神様はヤコブの夢の中に初めて現れ、おっしゃったのです。

私はあなたと共にいて、あなたを守るから大丈夫。私があなたを必ずこの地に連れ戻す。どんなことがあっても、あなたを捨てるようなことはしない

繰り返しますが、この神様の約束はヤコブが何か素晴らしいことをしたことに対するご褒美ではありません。

むしろ、彼は自らの悪行が招いた災難の只中にありました。世間的にみると「自業自得」と呼ばれ、見捨てられてもおかしくない状況です。

にもかかわらず、

アブラハムとの約束の故に、神様はヤコブを見捨てることなく、彼と共にいて彼を守ると約束してくださっている

のです。

神様の恵み以外の何物でもありません。

眠りから覚めたヤコブは神様を恐れ、自分が枕にしていた石を取って石の柱とし、柱の頭に油を注ぎます。8

それからその場所を「ベテル(神の家)」と呼びました(創世記28章18-19節)。

そして、

神様はヤコブと約束された通り、彼を守り導かれます。

ヤコブは、伯父ラバンが住むハランに無事にたどり着き、その地で結婚して11人の息子が生まれます(創世記29章31節―30章24節)。

これらの11人の息子に加え、ヤコブがハランから戻ってきた後、彼にはもう一人の息子ベニヤミンが生まれます(創世記35章16-19節)。

これら12人の息子の子孫たちが後のイスラエル民族の基礎をなす12部族を形成し、イスラエル王国を建設していきます。

ヤコブの子孫を通して、神様がアブラハムと交わした誓い・約束が確かに果たされることとなります(比較:創世記28章13-14節)。

また、ヤコブは伯父ハランのもとで何度となくだまされ、苦しい生活を強いられます。しかし、ヤコブと共におられた神様は彼を守り祝福し、ヤコブは多くの財産を得ることができました(参考:創世記31章38-42節)。

最終的にハランでの苦しい生活は20年にも及びます。けれども、

約束通りに神様が彼と共におられ彼を守られたおかげで、ヤコブは多くの子供と財産を手に入れ、無事に自分が元居た場所に帰り、兄エサウとの和解も果たすことができるようになった

のです (創世記33章)。

まとめ(ヤコブと共におられた神)

今回はヤコブの人生を簡単に紹介してきましたが、いつもながら、

神様が現れてくださるタイミングは絶妙

だと感じます。

ヤコブの場合、それまでの人生の中で恐らく、最も辛く不安な状況の中にあって、生まれて初めて神様からの直接的な語り掛けを受けました。

しかも、一般的な常識で考えると「自業自得」として誰にも構ってもらえないような状況の中にあって、

神様はヤコブを見捨てるどころか、彼と共にいて彼を守る

と約束してくださいました。それは

ヤコブがその時、最も必要としていた言葉だった

と思います。

恵みと憐みに富み、御自分の約束を忠実に果たす誠実な神様

の姿が見て取れます。

最後に「神様の守り」について一言。

「神様が共にいて守ってくださる」と聞くと、今回紹介したヤコブのように、神様からたくさんの祝福を受け、子宝に恵まれ財産も増えるといったイメージを抱く方が多いと思います。

しかしながら、

神様が共にいて守ってくださるとは言っても、必ずしも全員が全員、子宝に恵まれ裕福になる訳ではありません。

そのことが一番良く分かる人生がイエス・キリストの人生です。

イエス様は神の子として、絶えず神様が共にいて、その人生を守り導いておられました。

にもかかわらず、彼は貧しい家庭に生まれ、生涯独身で、この世の基準で考えると決して楽な人生を歩むことはありませんでした。

もちろん、多くの人々に好意をもたれ、弟子たちもたくさんつき従うときもありましたが、最終的には無実の罪で十字架に架けられてしまう訳です。

が、そうだからといって、イエス様の人生において、神様がある時は共にいて守ってくださり(だから幸せな人生を歩めた)、ある時はそうではなかった(だから苦しみや悲しみを経験した)のかというと、もちろん、そういう訳ではありません。

楽しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、苦しんでいる時も、いついかなる時も神様は絶えずイエス様と共にいて、その人生を守り導いてくださっていました。
神様の「守り」というのは、必ずしもこの世における苦しいことや悲しいことから守られる(苦しいことや悲しいことを経験しない)ことではない

ことが分かります。

神様の守りは、どちらかと言えば、この世における苦しみや悲しみ、痛みを通して私たちを神様から引き離そうとする力・誘惑からの守り

だと言えます(参照:ヨハネの福音書17章11-15節;マタイの福音書6章13節)。

別の言い方をすれば、

たとえこの世において苦しいことや悲しいことを経験したとしても、神様と共にそれらの苦しみ、悲しみ、痛みを乗り越えていこうとする勇気と力と慰めを与えられ、そのような出来事を通して、神様との関係性がますます深められていく

そこに神様の守りがあるのではないかと思います。そして、

どんな状況にあろうとも、神様がいつも共にいてくださるということそのものが、何にも代えがたい神様からの祝福だと心から感じられる

それが本当の意味での神様の祝福なのだとも思います。

神様の祝福がありますように。

参考文献および注釈

  • Hamilton, V. P. “Jacob/Israel (Person).” Edited by T. D. Alexander and B. S. Rosner. New Dictionary of Biblical Theology. Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000.
  • Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
  • Morris, L. L. “JACOB.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, and J. I. Packer. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  • Rigsby, R. O. “JACOB.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
  1. 特に記載のない限り、聖書の引用は「聖書 新改訳2017」によります。
  2. 詳細は下記を参照。R. O. Rigsby, “JACOB,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 462.
  3. 詳細は下記を参照。V. P. Hamilton, “Jacob/Israel (Person),” ed. T. D. Alexander and B. S. Rosner, New Dictionary of Biblical Theology (Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000), 587.
  4. 詳細は下記を参照。L. L. Morris, “JACOB,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 537.
  5. 聖書にはっきりと記されているのはヤコブが死んだ年齢(147歳;創世記47章28節)とエジプトに一族を連れて下ったときの年齢(130歳;創世記47章9節)です。ヤコブがエジプトの一族を連れて下ったとき、息子のヨセフが39歳だったとすると(参考:創世記41章46-47節;45章6節;47章9節)、ヨセフが生まれたとき、ヤコブは91歳だったことになります。ヨセフはヤコブがハランに移り住んだ20年間のうちに生まれたのは間違いありませんので(参照:30章25節;31章41節)、ヤコブは70歳代でべエル・シェバを離れたことになります。ちなみに、ヤコブとエサウはイサクが60歳のときに生まれています(創世記25章26節)ので、ヤコブがハランに向けて旅立ったとき、イサクは130歳を超えていたことになります(イサクは180歳という長寿を全うします;35章28節)。
  6. 創世記28章13-14節のヤコブに対する言葉は13章14-16節のアブラハムに対する言葉とよく似ています。どちらの場面もベテルと呼ばれる場所と関係があるのは特筆すべきかもしれません(参照:創世記13章3節;28章19節)。詳細な解説は下記参考文献の「創世記28章13-14節」の注解を参照。Gordon J. Wenham, Genesis 16-50, Word Biblical Commentary (Waco, Tex.: Word Bks, 1993).
  7. イサクについては下記のブログ記事をご覧ください。「神が共におられた人々②:イサク―神の恵みと誠実さ」
  8. ヤコブは他の個所でも「石の柱」を立てています。ある時は伯父ラバンと結んだ契約の証拠として(創世記31章45節)、またある時は妻ラケルの死を記念するものとしてでした(35章20節)。この28章18節では、神様に対する敬意と献身の証として石の柱を立てたと思われます(比較:35章14節)。詳細な説明は、例えば、下記を参照。Kenneth Mathews, Genesis 11:27-50:26, The New American Commentary (Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005), 453.
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