我が息子は2歳となり、大分言葉数も増えてきました。
最近になってようやく父親の私のことを「ぉとー」と呼んでくれるようになり、日増しに成長していく様子に和まされています。
そんな息子は私のスマホを見つけると大抵は「っしーん」と叫びながら「写真」を見せてくれるようにせがみます。
そして、一緒にスマホの写真を眺めながら、息子が生まれた頃の写真にまで遡って見ることがあります。
と感慨に浸りながら、ふと
と感じました。実際、これまでは顔つきのベース(?)は私よりだったので、息子を見るとほとんどの人が
と言ってくれていました。が、最近は妻の顔つきにも似てきていて、ある意味、「どちらにも似ている」もしくは「どちらにも似ていない」、中性的な(?)顔つきとなってきています。
そんな息子の成長をみながら、改めて「やっぱり二人の子供なんだな」と思わされました。と同時に「遺伝」というものの凄さというか、素晴らしさも感じさせられました。
一つの卵細胞がもう一つ別の精子細胞と出会い受精卵が出来上がる。
そこから何十兆個ともいわれる細胞に分裂して、一人の人間の命が形作られていく。
そうして出来上がった人間の顔つきが元々の卵細胞と精子細胞の中のDNA情報に刻まれている母親と父親の顔つきを反映したものとなっている。。。
もちろん、顔つきだけでなく体つきや性格、身体能力なども両親のものを少なからず受け継いでいる訳です。
と思わずにはいられません。そして、ふと
と考えてしまいました。というのも聖書は、人間は「神のかたち」に造られた唯一の存在だと記しているからです(創世記1章26-27節)。
しかしながら、神様は肉体をもたない霊的存在(ヨハネの福音書4章24節)。人間の身体的特徴(顔つきや体つき)が神様のものと似ているという訳ではないと思われます。
それならば、です。
が気になるところです。神様でありながら人の姿を取ってこられたのがイエス様だと聖書は語るからです(参照:ピリピ人への手紙2章6-8節)。
けれども、残念ながら聖書はイエス様の外見について何も記していません(絵画などで描かれるイエス様の容姿は完全な創作です)。
これはある意味、私たちの外見・容姿はそれほど重要ではないと言えるのではないかと思います。
そして、私たち一人一人が神様から与えられている個性を活かしながら、
こと(参照:創世記1章28節)を神様は期待されているのだろうな、と私より妻に似てきた息子の横顔を眺めながら思わされました。