礼拝説教の要旨です(実際の音声はこちら)。
- 日時:2023年11月5日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「上からの知恵に適う生き方」
- 聖書個所:ヤコブの手紙3章13-18節1
導入
私たちが
ではないかと思います。
対して、
だと言えます(参照:ヤコブの手紙1章2-4節)。
今日の聖書個所の中には二種類の「知恵」が出てきます。
その一つは
です(参照:1章5, 17節)。もう一つの知恵は
です。かなり大雑把な言い方にはなりますが、
ことができます。対して、
ことができると言えると思います。
今日はこの二つの知恵の違いに着目しながら、
を見ていきましょう。
知恵と柔和な行い
まず今日の聖書個所の始めにあるヤコブの手紙3章13節を読むと、ヤコブが手紙を宛てた人々の中には
と想像できます(参考:3章1節)。そのような人たちに対してヤコブは
勧めています(3章13節)。
ここでヤコブは
が、これは当時の人々も含め、現代の私たちにとって少し意外な言葉だと思います。
世的な知恵・知識は「柔和な行い」と無関係な場合がほとんどだと思うからです。
知恵と妬みと利己心
世的な知恵・知識、即ち、この世を上手に生きるための処世術というのは基本的に個人的な思い・願いを満足させるためのものです。
ある意味、
と言えるかもしれません。
そのように自分の思い・願いを満たすために貪欲に知恵や知識を得て、周りからは知恵と分別があるように見えている人々に対してヤコブは、
と勧めています(3章14節)。
また、
そのような世的な知恵をヤコブは「悪魔から出たもの」(3章15節)とさえ言っています。
知恵と神の義
ヤコブはヤコブの手紙3章17-18節において、3章13節の「知恵に適う柔和な行いを示す良い生き方」を詳しく説明しています。実際、
とヤコブは記します。さらに、
とヤコブは語ります。
ここでヤコブの語る「義」というのは、当時の人々の状況と前後の文脈を考えると「社会正義」を意味していると考えられます。
平和をもたらす人々、即ち、神様から与えられる知恵に従って生きる人々によって蒔かれた「義の実」が花開くとき、
そこには
結論
この世の中には二種類の知恵があります。
一つ目は
です。
もう一つは
です。
これら二つの知恵の決定的な違いは、その知恵がもたらす結果です。
神様から与えられた知恵に従って生きる人は柔和な行いによって平和をもたらします。
その生き方は清く、公正かつ従順、そして憐れみと良い実りに満ちて偏見も偽善もないものです。
対して、神様以外から出る知恵により頼もうとする人は妬みや利己心によって秩序・平和を乱します。
その生き方は悪く、不正かつ対立、そして悪口と偏見、偽善に満ちています。
ここで重要なのは
また、
です。
神様ですか。
家族ですか。
仕事・学校ですか。
それともあなた自身ですか。
と言われても、
という方は少なくないのでないかと思います。特に
という方は多いと思います。
けれども、神様を第一にするというのは、ただ教会に来て賛美礼拝したり、聖書を読んだり、祈ったりすることだけを意味する訳ではありません。
です。
ことが必要です。
是非、
長く祈る必要はありません。
「神様、どうすればよいですか」
「神様、助けてください」
といった短い祈りで構いません。
ただ、その祈りの機会をたくさん取るように心がけてみてください。
そして、実際に神様の助けによって試練を乗り越えることができた時には
「神様、有難うございます」
「神様、やはりあなたは頼りになるお方です」
と神様に感謝と賛美を捧げてみてください。
そうすることで、
もう一つ、神様を第一にすることが難しい理由としてはやはり、
ことが挙げられます。
今日の聖書個所で言えば、それは例えば妬みや利己心といったものです。
私たちが妬みを覚えたり、利己的な思いに駆られたりするのは心のどこかで
と感じているからではないかと思います。
このような心の渇きが世の中の知恵や人間関係で完全に満たされることはありません。
です。
神様はあなたがこの世の知恵・知識を沢山身に着けたから愛してくださる訳ではありません。
人々を分け隔てなく愛するから愛してくださる訳でもありません。
教会の礼拝にたくさん出席したから、献金を沢山捧げたから、奉仕を沢山するから愛してくださる訳でもありません。
たとえあなたが神様に敵対することがあったとしても神様のあなたに対する愛が変わることはありません。
たとえあなたが神様を裏切るような行動を取ったとしても、神様のあなたに対する愛が変わることはありません。
もちろん、神様はあなたが神様の望んでいない行動を取ったときには、その都度、悔い改めて神様のもとに立ち返ることを望んでいらっしゃいます。
けれども、
今一度、
他の人があなたをどう思うとも、神様はあなたを愛しておられます。
他の人がどれほどあなたを傷つける言葉を吐いたとしても、神様はあなたを高価で尊い存在だとおっしゃってくださっています。
何があろうとも、どんなことが起きようとも、イエス様があなたを見捨てることは決してありません。
きっと
ことでしょう。
参考文献および注釈
- McCartney, Dan G. James. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich., 2009.
- McKnight, Scot. The Letter of James. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans Pub. Co., 2011.