聖書と考古学は矛盾するか?天地創造から青銅器時代までの歴史を読み解く


聖書を読んでいると

この人物や場所は実在したの?

といった、聖書の信憑性・信頼性に関する疑問が自然に沸いてきます。

この記事では、主に旧約聖書の最初の方に書かれた出来事の時代(天地創造〜青銅器時代)を対象に、

考古学の知見と聖書の記述がどのように重なっているか、あるいはズレているか?

を説明します。それによって、

聖書と考古学の関係性・付き合い方・本来あるべき姿を考える

きっかけ提供することができればと思います。

なお、この記事は、過去に掲載した下記の記事の内容から要点を抽出して、キリスト教のことをよく知らない人やキリスト教初心者の方にも分かりやすいかたちになるように、簡潔に要約したダイジェスト版(まとめ)です(内容を加筆修正しているところもあります)。

聖書は考古学と矛盾しているか?①―天地創造から青銅器時代まで―
「聖書に出てくる人物や場所は実在したのか?」「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、考古学の限定性を考慮しながら、旧約聖書の天地創造から青銅器時代までの歴史的・考古学的背景をみていきます。

興味を持たれた方は是非、上記の記事もご一読ください。

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考古学って何が分かるの?

まず大切なのは

考古学には限界がある

ということです。

考古学が対象とする遺跡や陶器、建物跡などは目に見える「物体」として残るものです。

従って、かつての人々の思想や宗教観 といった

「心の中」に関わる情報を考古学を通して得ることには限界があります。

また、遺物は劣化したり、自然災害や都市開発によって失われたりします。

このため、

「見つかっていない=存在しなかった」と単純に結論づけられません。

加えて、聖書に登場する場所の遺跡であっても5~10%程度しか発掘が進んでいないところが多く、

今の定説も発掘が進めば変わる可能性がある

という点に注意が必要です。

石器時代以前(紀元前3000年以前)―創世記1〜11章(天地創造・ノアの洪水など)

聖書の一番初め、創世記1~11章に登場するアダムやエバ、ノア、バベルの塔といった物語は、非常に古い時代(紀元前 3000年より前)を舞台としています。

しかし、残念ながら、

多くの登場人物や場所を考古学的に確定することはできていません。

また、これらの物語は

古代メソポタミア地方の伝承と似ている

部分があります。けれども、似ているからといって

「全部作り話」と断じるのも早い

と言えます。むしろ、類似点と相違点の両方を見れば、

聖書の作者がどの部分を強調しているのか

を理解する手がかりになります。例えば、天地創造の話において、

メソポタミア神話の神々は、神々の必要を満たすために人間を造る

のに対して、

聖書の神は、人間に必要なものを全て備えてから人間を造る

という構図となっています。

これは聖書独自の神観・人間観を際立たせる表現だと考えられます。

青銅器時代(紀元前3000–1200年ごろ)―アブラハム、モーセ、ヨシュア

青銅器時代(紀元前3000年から1200年ごろ)に登場するアブラハム、ヤコブ(とその子ヨセフ)、そして後のモーセらについて、考古学は

「生活様式や文化的背景」が聖書の描写と整合する

ことを示しています。けれども、

個々の人物や具体的な出来事を決定的に裏付ける直接証拠は乏しい

というのが現状です。

アブラハムの時代

アブラハムの年代については学者の間で幅があります(おおむね紀元前2200〜1950年あたり)。

しかし、

アブラハム一族の生活様式や文化は、考古学でわかっている紀元前2000年ごろの文化と大きく矛盾しない

ようです。

ヨセフについては確実な考古学的証拠はまだ確認されていません。

しかし

彼の物語に出てくる金額や名前などは当時の時代背景と整合性があります。

モーセの時代

聖書によると、ヤコブやヨセフの時代から約400年後、モーセが登場し、エジプトで奴隷状態であったイスラエルの民をエジプトから脱出(出エジプト)させます。

考古学的には、

紀元前2000年ごろからエジプトにユダヤ人らしき集団が住んでいた痕跡があり、これは聖書の記述と矛盾しない

点です。ただし、

「モーセが実際に活躍した」ことを直接証明する決定的な証拠(例:モーセの杖、十戒を刻んだ石など)は見つかっていません。

それでも、エジプト学、儀礼研究、言語学、文学分析など多角的な研究を総合すると、

モーセによる出エジプトは紀元前1600–1200年(青銅器時代後期)が最も可能性が高い

時期とされています。

ヨシュアの時代

聖書には、イスラエル人がヨシュアに率いられてエリコという町を攻略し、城壁が奇跡的に崩れ落ちたと書かれています。

考古学ではエリコの城壁遺跡が見つかっているものの、 城壁が崩れた年代 については学者の間で異なる二つの説が出ています。

一つは紀元前1400年ごろに城壁が崩れたという説で、これはヨシュアが生きていたとされる聖書の伝統的年代と整合します。

しかしもう一つの説によると、エリコは(ヨシュアが生まれるよりも前の)紀元前1550年ごろに廃墟となり、その後長期間(紀元前1100年頃まで)、人がほとんど住んでいなかったとされています。

近年は二つ目の説が支持されつつあるようです。

このため、

「エリコの城壁がヨシュアの時に崩れた」という聖書の記述は、現在の考古学的検証では必ずしも支持されない

ということになります。

ここから分かることは二つ。

一つ目は、新しい発見があったり、新しい測定・解析手法が導入されたりすることによって、考古学による見解は変わり得るため、

考古学的発見(仮説)は絶対的なものではない

ということ。

二つ目は、聖書の記述と考古学による見解(仮説)が食い違う場合、単に「聖書が間違っている・矛盾している」と断定するよりも、

聖書の書き手が何を強調し、どのように物語を編んだのか、それによって何を伝えようとしているのか、を考えることが重要

だということです。

まとめ―聖書と考古学、どう付き合うか?

  • 考古学は補助線として見る:考古学は聖書理解に役立ちますが、全てを証明する万能の道具ではありません。保存・発掘の状況や研究の進展で見解は変わり得ます。
  • 文化的整合性はある:アブラハム〜モーセ期に描かれる生活様式や文化は青銅器時代の考古学と大きな矛盾はありません。
  • 出来事の細部は慎重に扱う:個々の出来事(エリコの城壁崩壊など)については、考古学的・歴史的な検証が示すところと聖書の物語が食い違うケースがあります。そうした場合、聖書の「何を言いたいのか(神学的・文学的意図)」を探る読み方が有効です。
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