「恵みに満ちた救い主」:2019年5月12日(日)礼拝説教要旨
あなたが必死になって守ろうとしているモノは何でしょうか。たとえ、あなたが持っているモノ全てを失ったとしても、何も持っていないとしても、何もできないとしても、そのままのあなたを神様は愛してくださっています。神様にとってあなたは何物にも代えがたい存在なのです。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
あなたが必死になって守ろうとしているモノは何でしょうか。たとえ、あなたが持っているモノ全てを失ったとしても、何も持っていないとしても、何もできないとしても、そのままのあなたを神様は愛してくださっています。神様にとってあなたは何物にも代えがたい存在なのです。
神様は不完全で弱いあなたを愛し、必要としています。たとえあなたが絶望のどん底にいて人生を諦めそうになっているとしても、イエス様はあなたのことを諦めません。諦めるどころか、あなたの更に下に入って、その深みからあなたを引き揚げてくださるお方です。
神様はあなたが忙しさの中で心悩ませているとき、生きるのに疲れ切ってしまっているとき、祈りを通してあなたと語り合いたいと願っていらっしゃいます。神様はあなたの現状を全てご存じで、いつも共にいてあなたを見守り、あなたを必ず助けてくださるお方です。
あなたの罪を償ういけにえとして、子なる神御自身が当時最も残酷で屈辱的な処罰であった十字架刑にかかられました。あなたが何かできるから、何かしたからではありません。あなたの存在そのものがただただ愛おしく、放っておくことができない愛なるお方だからです。
たとえあなたが何もできなくても、神様はそのままのあなたを愛しています。どんなことがあったとしても、イエス様はあなたといつも共にいて、あなたを支え導いてくださいます。あなたが絶望のどん底から立ち直ることができるように、あなたのために祈ってくださっています。
十字架刑は当時最も残酷かつ屈辱的な処罰。そんな十字架刑を神なる御子イエス様が無実の罪で受けられた。それは私たちの苦しみに寄り添うため、私たちの罪深さが明らかにされるため、そして私たちを罪の罰から救うため。そこに表されているのは神様の無条件の愛です。
辛いときや悲しいときには神様の存在を感じることが難しくなります。でも、そんなときにこそ、イエス様の十字架を見上げてください。イエス様の十字架には、悪を用いて善をなす神様の御業、またその受けた傷によって私たちを癒すイエス様の姿が表れているからです。
辛いときや悲しいとき、一人ぼっちで途方に暮れているとき、どんな状況にあっても神様があなたを見捨てることはありません。神様はあなたの心の状態を誰よりもご存知で、その心の叫びを聞いてくださるお方、あなたを必ず捜し出し、慰めと励ましと癒しを与えてくださるお方です。
神様の目にあなたは高価で尊い存在。神様はありのままのあなたを愛してくださっています。そんな神様が祈りの中であなたと対話したい、自分のことをもっと知ってほしい、天の父なる神として、あなたとの絆をもっと深めたいと願っていらっしゃいます。
神様が今、あなたに望んでおられることは何でしょうか。それは恐らく、簡単なことではないでしょう。「自分にはできるはずがない…」そう思われるかもしれません。しかし、神様はおっしゃいます。「私は必ずあなたと共にいる。一緒にそのことを成し遂げていこう」と。